韓国ソウルの中心に位置する観光地区である梨泰院(イテウォン)で、10月29日夜、ハロウィンに繰り出した若者たちが、両側を壁に囲まれた狭い斜面の路地で、坂を上ってくる人と下ってくる人が、両側の大通りから流れ込んできて立ち往生し、一時間以上、まったく身動き取れない状態に陥り、業を煮やした一部の若者たちが、押し合いへし合いを始めたり、さらにふざけて、その押し合いに迎合する連中もいたために、特に、坂の下の方にいた人たちを中心に、158人が圧死し、196人が負傷する大事故となりました。午後10時15分頃のことでした。

人が圧死していく最中にも、後ろの特に坂の上の方では、さらに人を押し続けて馬鹿騒ぎを続けている連中もいて、現場は「やめて、人が死んでる!」と「押せ、押せ!」の掛け声が入り混じる、混乱を極めた状況でした。

亡くなったのは、特に、背が低いために、人の壁に塞がれて息のできなくなった若い女性が多く、犠牲者の3分の2は、10代、20代の女性でした。「群衆雪崩」で倒れて押し潰されるように亡くなった人もいれば、立ったまま周囲の人間の壁に全方位から押されて圧死した人もいました。多くは、立ったまま意識を失い、そのまま亡くなったものとみられています。

また、亡くなった人のうち、26人は外国人でした。中国人、ロシア人、イラン人、トルコ人、アメリカ人、オーストラリア人、フランス人、etc。そして、2人の日本からの留学生もいました。

 

通りの混雑がひどいため、警察も救急車も、現場に容易に近づくことができませんでした。さらに、警察官や医療関係者が走って現場に向かうも、ハロウィンの仮装と勘違いした人々は、道を開けることもしませんでした。

不法駐車の車が多かったことも、救急車の乗り入れに苦労した原因の一つでした。結局、医師や看護婦が、すべての医療装備を持って、混雑をくぐり抜けながら、歩いて現場に入ったのは、事故発生から3時間後の翌日午前1時頃のことでした。そのため、助かる命も助かりませんでした。

加えて、事故の現場では、これほど多くの人たちが死に瀕している状況でありながら、心肺停止の友人に必死で心臓マッサージを施す人たちの周りで、助けようとするわけでもなく、不躾にスマホを向けて、黙って囲んで撮影している人たちが大勢いました。その向こうでは、救急車や死者たちの姿を目の前にして、ゲラゲラ笑って踊ったり、酔っ払って歌を歌ったり「飲みに行こうぜ!」とはしゃいでいる若者たちがいました。

 

多くの無責任な人たちが、彼らを殺した。まさしく人災だ。この日、ハロウィンの梨泰院は、陸のセウォル号と化したのだ。

 

そんな思いが湧いてきます。

死にゆく友人1人と重態の友人2人の側でなすすべもなく救助を待っていたオーストラリア人の男性が「誰も助けようとしなかった。私は自分の友人が息絶えようとしている間に、人々が事故現場を撮影したり、歌を歌って笑ったりしているのをずっと見ていた」「私たちは人々に向かって『後ろに下がって!来ちゃダメだ、人が死んでる!』と大声を張り上げたけど、誰も聞いていなかったし、人々はさらに死んでいった」「警察が到着するまで30分、支援の人々が投入されるまでに1時間かかったし、救急隊が来るまでは、もっと長く(上記の報告では3時間!)かかった。専門家ではない一般人からCPR(心肺蘇生法)を受けている人々が地面に横たわっていた」と当時の状況を伝えています。

 

今日11月1日、韓国紙は、事故発生の4時間前から、雑踏の過密の危機的状況を知らせる電話があり、また、1時間前には「息ができない」「大型事故の一歩手前」と助けを求める現場からのより切迫した電話通報が多数(合計400件以上)あったにも関わらず、知らせを受けたソウル地方警察庁の治安総合状況室では、本来いるべき状況管理官が不在で、情報が適切に扱われず、一切、総合的な対応が取られず、所轄の龍山警察署からも状況確認に出動せず、あるいは出動したはずの警官から知らされたはずの情報が生かされず、結果、初動が大幅に遅れたことを、警察が初めて認めたと報じています。

事件発生前、切迫した状況を伝える市民からの通報(全文公表された11件を含む)は、同じ場所(梨泰院)からのものであると、ソウル警察庁の治安総合状況室内では、まったく認識されていなかったのです。そして、席を外していた状況管理官が、総合状況室に戻ったのは、事件発生から1時間24分後の11時39分でした。その直後、11時42分に、大統領指揮下の国政状況室は件の状況管理官に電話をしましたが、管理官は電話に出ませんでした。到着して3分では、事故の状況が把握できず、状況室に詰めていなかったことが、大統領にバレるのが怖かったのでしょう。結局、管理官が中央警察庁に事件の報告を行ったのは、状況報告を受け始めてから23分後の翌30日午前0時2分のことでした。すでに事故発生から1時間57分が経過していました。彼女の報告は、もはや何の意味もないものでした。もう、世界中が、この事件を知っていたからです。

 

事故が発生したのは午後10時15分頃でしたが、ソウル警察庁が事態を把握したのは、事件発生の40分後、11時近く(10時56分)で、それも、消防庁からの電話連絡によってであったと報じられています。

市民からの通報を受ける警察庁内の治安総合状況室からの報告よりも、身内である所轄の龍山警察署からの報告よりも先に、消防庁が「救急車が通れないから、緊急に交通整理してくれ!」と切羽詰まって連絡してきたということです。

消防から警察への交通・人員統制を求める出動要請の電話は、その後、29回に及んだということです。

現場に到着した消防隊員は、事故発生後27分経過した10時42分、「15人ほど心肺蘇生措置を続けているが人員が足りない」と本部に無線を送っています。その14分後、事故発生から41分後の10時56分には別の隊員が「心肺蘇生が必要な患者が急増している」「隊員が足りず、市民が心肺蘇生を行なっている」と本部に伝えています。さらにその10分後、事故発生の51分後、11時6分には、地元の消防署長が、現場から「心肺蘇生の患者が何人なのか数えきれない」と混乱した状況を伝えています。

 

それにしても、現場にいた警官からの悲鳴のような緊急要請は署に届いていたはずなのですが、その情報も、所轄の龍山警察署で止まっていたのかもしれません。現場から歩いて10分のところにある所轄の龍山警察署から、署長が現場に到着したのは、事故発生から50分も経った11時5分頃のことでした。

なぜなら、龍山署長は、続々と切迫された状況が伝えられる中、9時24〜44分、飲食店で20分かけてゆったりと夕食をとり、その後、渋滞でまったく進まない道を、1時間以上かけて、官用車両で現場へ向かったからです。車が現場に到着したのは、11時5分頃のことです。現場近くで車を降り、手を後ろに組んで、急ぎもせず悠々と現場へ近づいていく署長の姿が、11時頃の監視カメラに映っています。

ちょうどその時、11時1分に、大統領に事件が電話で知らされ、警察の対応の遅さに大統領は激怒しています。11時26分・30分に、大統領指揮下の国政状況室からの状況報告を求める電話に対して、現場に居る件の龍山署長は「状況把握中」とだけ答えています。ともかく、相当無能な男と思われます。

そして、龍山署長が、ソウル警察庁へ最初の報告の電話をしたのは、現場に到着して30分後の11時36分のことです。

ソウル警察庁の交通統制の動きが本格的に始まったのは、それからさらに後になるわけです。結局、現場に機動隊が本格的に配置され始めたのは11時40分以降となりました。その頃には、すでに世界中がこの事件を知っていました。

 

日本と異なり、些細なことでも何でも直ぐに警察に通報する韓国社会の「オオカミ少年」化も、警察の対応が杜撰になる原因ではある、と言われます。

しかし、深刻な状況を目の前で見ながら見過ごし、事態の悪化を放置していた無責任さも、あったのではないかと思うのです。例えば、伝えられた情報から事件の切迫性を即座に理解できない愚鈍な人物が、現場の所轄警察署長であったことは、市民にとって不幸なことでした。ソウル警察庁の治安総合状況室の担当管理官が無断で欠席していたことも、警察の状況把握に大きな悪影響を及ぼしました。

そもそも、この日、ハロウィンの13万人の人出に対して、雑踏警備など秩序維持のために配置されていた警察官は、わずか58人でした。そして、イベント時には一方通行か通行止めにするべき狭い通りなども、一切規制されず、そのまま放置されていました。初動の遅れとともに、この準備対策がとられていなかったことも、事故が起きた原因とされています。

例えば、コロナ前の2015年のハロウィンでは、20万人の人出があったものの、ソウル警察が事前に動員され、細い危険な路地は予め一方通行か通行止めに指定されて、警察官が交通整理にあたっていたため、事故を免れていました。それに比べて、今回は、人出が少ないにもかかわらず、警察・行政は、明らかに準備も心構えも足りていませんでした。

 

死亡した156人のうち、20代が一番多く、104人でした。次いで30代が31人、10代が12人です。

2014年のセウォル号の事故時には、304人の犠牲者のうち、修学旅行中だった10代の高校生が250人亡くなりました。船長含め多くの船員が船を我先に脱出する中、「船室で待つように」という乗務員のアナウンスを信じた生徒たちが、皆、溺れ死んだのです。生き残った生徒は、大人の言葉を鵜呑みにせず、自分の判断で、自分の身を守るために動いた子たちでした。

その当時の高校生だった世代は、8年後の今、20代半ばで、今回の事故で最大の犠牲者を出した世代となっています。

どちらの事件においても、共通している犠牲者の思いは、「責任ある大人たちが、誰も助けてくれなかった」ということです。

韓国では、この世代全体に重くのしかかる深刻な人間不信のトラウマを心配する声もあるようです。

しかし、そもそも、韓国人は、他人の言葉を信じない。それだけ、騙す人が多いのかもしれません。

だから、切迫した雰囲気で走ってくる警察も救急隊員すらもコスプレだと思ってしまう。「押すな!中で人が死んでいる!」という叫びが聴こえても、無視して群衆を押すことができてしまう。

 

また、「国際的な祭りの体験の中で、人々との『一体感』に身を委ねたい、韓国の若者に特有の文化的特性」が、この事故を引き起こした背景にはあるとする評論もあります。

考えてみると、祭りの中で「一体感」を求める感覚というのは、日本人にも見られる特性で、岸和田だんじり祭などのように、ある意味、命懸けで「一体感」を競う場まで、社会の中で許容されています。

コロナ禍による、修練・練習不足から、今年は、このだんじり祭でも、引き手の男性4人がだんじりの下敷きになり、1名死者がでています。この祭りでは、過去にも何度か死者が出ています。文字通り、命懸けの祭りなのですが、それでも、伝統の祭りとして、危険はあっても存続しています。

ただ、今回の梨泰院の156名の圧死というのは、祭りの「一体感」の代償としては、あまりにも酷い。

日頃、社会も人も、信じられないのに、集団になると思考停止して群集心理に行動を委ねてしまう。不可思議な矛盾した心理があるようです。しかし、これは非常に危険なことです。ハメルンの笛吹きに導かれて、大集団が川にずぶずぶ入っていき、一斉に集団自殺することになりかねません。

今回の事故でも、一人一人が、「一体感」の中で、依存的に思考停止することなく、手遅れになる前に冷静な判断をすることで、自分の命を守らねばならなかったことは明らかです。

 

まったくもって、痛ましくもおぞましい事件です。

しかし、「責任は政府にある」と訴えて、20代の若者が「政府は若者の命を守れ!」とデモをするという韓国の現状は、やはり、どこかおかしいと感じます。

セウォル号の時と同様に、事件が政争の具にされているというのも確かですが、それ以上に、責任を押し付け合い、スケープゴートを探して、自らを絶対的な正義の側に仕立て上げる、韓国社会特有の悪き伝統の力が、ここでも圧倒的な勢いで働いていると言わざるを得ません。

結局、切迫した命の危険にさらされていた一部の人を除いて、警察に通報した大部分の人たちも、目の前で惨事を見ながら動かない警察も市民も、次から次へと密集地帯にむやみに突っ込み、高密度の群衆を外から押して圧死や群衆雪崩を招いたのに知らんぷりをしている若者たちも、問題解決へ向けての努力を、すべて他人に押し付けて、自分は被害者だと叫ぶ、お馴染みの「私は正義→貴方は悪」型の誤った二項対立の韓国的社会構造を構成しているのです。その意味で、原因と責任は、すべての市民にあると言えます。

ですから、20代の若者世代は、犠牲者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことから、目を逸らすべきではありません。

無責任なのは、政府ではなく、韓国社会そのものであり、20代の若者たちもまた、既に、無責任な大人社会の一部となっているのです。問題(責任)は他者にあると責めるよりも、各々自分自身が、自分の命に責任を持つ方がよいと思います。

今日、韓国の社会では(いや、日本社会でも)、各々個々人が、外に悪者を探すのではなく「問題は自分たち自身の内にある」という自覚を深めること、それこそが求められているのではないでしょうか?

 

内(ウリ)に問題があるのに、外(ナム?)に抗議しても問題は解決しません。