遅ればせながら、安倍晋三元首相の死について、いくつかの疑問がある。

 

その一つは、「なぜ出血箇所が見つからなかったのか?」ということだ。

ドクター・ヘリの中で、出血箇所が分からず、その位置を特定するだけで、病院に着いてしまい、止血などの救命行為がほとんどできなかったと、ヘリに乗っていた医師が告白している。しかし、そうであるなら、ヘリが到着するまで、30分以上の間、その場にいた医療関係者もまた、出血箇所が分からず、血止め処置が一切できなかったということを意味する。なぜ、それほどまでに出血箇所がわからないまま、時間だけが過ぎていったのか、意味不明である。

銃撃から6分後に現場に到着していた消防(救急隊員)が、銃撃から30分後、ドクター・ヘリが着く直前に、右上腕部の銃槍を確認したらしいが、止血処置は行われないまま、ドクター・ヘリに乗せられ、そのヘリの中でも、再び銃槍の位置がわからなくなり、結局、止血できずに病院に着いている。ようやく胸部を開いて止血処置が行われたのは、銃撃から50分後、救命救急センターでのことである。これでは助かるわけがない。

安倍晋三元首相の死因は「失血死」である。血を失いすぎたということだ。だが、当時の現場を考えると、「本来なら助かったはずの命が、死ぬべくして死んでいる」という気がしてならない。

安倍さんの命を救う方法は、ドクター・ヘリに乗せられる前に、現場で、応急の止血処置を行なっておくことに尽きた。それが、失血死を防ぐ唯一の方法だったのである。

 

もう一つは「出血箇所もわからず、止血処置もされていない段階で、なぜ心臓マッサージが行われたのか?」ということだ。

銃撃時の血管損傷が原因の出血性ショックによる心肺停止に際して、損傷出血部の位置も状態もわからないまま、当然、止血もなされない状態で、AEDを使用したり、心臓マッサージを行えば、かなりの確率で、すでに損傷している血管や心臓にさらなるダメージを与え、修復不能の状態に陥り、大量失血死の恐れがあることは、火を見るより明らかである。

現場で必死の救命活動を行った善意の人々を責めるつもりはないが、この心臓マッサージが、安倍さんの命を縮めた可能性は大きいのではないか。

その場に、銃撃に対応した外科医療の専門家がいなかったのは不幸なことだった。日本には、残念ながら、銃撃を受けた時の応急治療の知識と経験を持つ者は少ないだろう。これが、例えば、現場(戦場)での止血手術の経験が豊富なアメリカ軍の軍医であれば、かなりの確率で、安倍さんの命は助かったのではないだろうか。

安倍晋三元首相の死因は、正確には、「左肩(上腕部)の銃槍から体内に入った1発の銃弾が、体内を徐々に移動して、鎖骨下の動脈を損傷したことが致命傷となった」とされている。だから、最初は意識があって受け答えもできていたのが、その後、意識不明になり、やがて、心肺停止に陥ったのだ。逆に言えば、早期に 右肩上部の銃槍を発見し、鎖骨下の損傷した動脈を、開胸手術によって止血していれば、一命をとりとめた可能性は高い。

たとえ心肺停止の状態に陥ったとしても、即座に脳死するわけではない。脳に酸素を送るのも大切だが、血管や心臓の損傷の悪化を防ぎ、それ以上の大量出血を防ぐことは、この場合、より切迫した危機対応だったのではないか。

そして、損傷した血管の止血後、心肺蘇生を行う必要があるが、そのタイムリミットは10分以内。銃撃後、15〜20分以内の処置が生死を分けたということだ。

銃弾を受けて一刻を争う場合、当然ながら病院に運んでいるヒマはない。その場での的確な応急処置が必要になる。今回の状況では、銃槍の発見と開胸手術による損傷した動脈の止血、および、その後の心肺蘇生が、必要な手順であった。しかし、そうした手順での処置は行われなかった。

やはり、「助かるはずの命が失われた」という思いが湧く。

だが、失われた命は取り戻せない。そういう意味では、後から何を言っても始まらない。

私としても、気になることは、そこではない。最大の問題は、そうした反省や総括さえなされない、この国の現状だ。失敗から学ばないようでは、この国の未来は危うい。

 

さらに最後の疑問だが「安倍元首相の警備陣(SPら)は、銃撃を受けた際の適切な基本的対応・行動が、なぜ、できなかったのか?」ということがある。

この国では、要人警護のスペシャリストたちに、もしもの時の適切な対応能力が必要とされないのか、そんなことがあり得るのか、私がもっとも不思議に思う点である。

私の疑惑の中心は、ここにある。

一発目の銃声がした後、まだ無傷だった安倍さん自身が、なぜ、その場で屈まなかったのか、3秒もあったのに、SPが、なぜ覆い被さらなかったのか、防弾バッグを開かなかったのか、警備要員の誰かが、安倍さんを壇上から引きずり下さなかったのか、も含めて、銃撃時の危機管理対応が、まったくなされていない。

それらのうち、いずれか一つでも実行できていれば、右肩上部に致命傷を負うことは防げた可能性が高い。しかし、実際には、どの危機回避行動も行われなかった。

なぜ、この国の要人警護体制が、それほどまでに脆弱であるのか、そんなことが許されるのか、私にはどうしても納得がいかない。それでは三流国以下ではないか?

さらに、このことをメディアが追及しないのが解せない。

私も現場の個々人の責任を問うべきとは思わない。ただ、あり得ないほど稚拙な救命体制であったこと、危機管理能力が欠如していたことの理由が知りたい。

なぜなら、真摯な反省こそが、次なる悲劇を防止する行動・対応を生むと信じるからだ。