今回、物議を醸しているひろゆき氏の辺野古訪問騒動についてだが、私はひろゆき氏を責めるのは間違っていると思う。

実際、ひろゆき氏は、辺野古で抗議運動をしている人たちを馬鹿にし、基地反対運動の活動のあり方を揶揄しているように見えることは確かだが、それが沖縄県民全体を愚弄したことにはならないし、彼の表現が〝沖縄差別〟の表れである、などというのも、事実ではないと思うのだ。

彼は、単に、〝辺野古座り込み〟の活動家(前記事で述べた④グループの人々)を、おちょくっただけである。

そして、彼ら(④グループに属する)基地反対運動の活動家たちの非常に偏った考え方は、県民全体からみると、むしろ、少数派である。また、前述したように「オール沖縄」勢力を支持する人々の中でも、彼ら④グループは特異な思想の持ち主たちの集団なのである。

だから、一部活動家による〝辺野古座り込み〟が揶揄されたからと言って、沖縄が揶揄されたと受け取るべきではない。

そして、沖縄県民のひとりとして、私は彼の言動に、十分共感できる。

「一日一時間程度の抗議活動を、〝座り込み〟3011日目と表現するのは不適切」「休みの日もあるようだし、〝座り込み〟0日でいいのでは?」「米軍出て行け、自衛隊出て行け、の大合唱は、中国を利するだけ」「米軍も自衛隊もなしで、どうやって沖縄を守るの?」といったひろゆき氏の言動が、④グループの活動家たちの心を傷つけたのだという。それは確かなのだろう。しかし、そうだとしても、一方では「アメリカ人出て行け!自衛隊出て行け!」「安倍は戦争好き!」という活動家たちの罵声によって、傷つけられる人たちもいるのである。

おあいこではないだろうか?

辺野古の活動家の方々を含めて、反米・反安保・護憲・反自衛隊の立場をとる④グループの人々が、ひろゆき氏の言動に反発するのはよくわかる。だが、繰り返すが、彼らの立場が、多様な沖縄県民の意見を代表しているわけではない。

そもそも、辺野古の運動家の方々は、ひろゆき氏に対して、非常に猜疑的・好戦的・敵対的であり、平和を愛する人々とは思えない刺々しい態度・雰囲気である。「武器を取らずに、話し合いで解決するべき」とか言いながら、当の彼ら自身が、まったく話が通じない。

県民の中にも、彼ら④グループの人々と真っ向から対立する立場をとり、ひろゆき氏の主張に共感する人々だっているのだ。

県内二紙を筆頭に、東京新聞、毎日新聞などが、今回、ひろゆき氏に対するネガティブキャンペーンを展開している。

しかし、彼ら左派メディアの、ひろゆき氏を悪者扱いする〝印象操作〟は、到底、公正とは言いがたい。基地容認派・賛成派への言論封殺とも受け取れる。そのような姑息な策略は、沖縄の基地問題に関わる言論の質を、さらに低下させる。

何より、そうしたスジの悪い非難は、みっともないからやめたほうがいい。

県内外の良識的市民から「やっぱり基地反対派は低脳だ」と思われるのがオチである。

今回、玉城デニーさんの知事再選に関して、県内メディアなどで「沖縄の民意が示された」とよく言われる。

この場合の〝民意〟というのは「米軍基地反対」の民意と言うことだ。細かく言えば「辺野古米軍基地建設反対」ということだ。

辺野古基地建設反対派の玉城デニーさんの34万票に対し、基地容認派の佐喜真淳さんは27万5000票であった。これをもって、5対4で反対派の勝ちというわけだ。

では「辺野古だけの問題か?」というと、そうでもない。

 

特に、座り込みを続けている市民らなどは、「アメリカ軍は沖縄から全員出ていけ!」と抗議している。

実際、辺野古の海岸には「米軍は出て行け!(USA Army, go home!)」の大きな横断幕が貼ってあるのだ。

さらに、反対派は、辺野古の抗議活動で、「アメリカ軍出て行け!自衛隊出て行け!」の大合唱をするのである。

ということは、反対派は、すべての米軍基地と自衛隊基地に反対しているということなのだろう。

それが、玉城デニーさんを支持する「オール沖縄」の〝民意〟なのだろうか?

 

しかし、私は、〝沖縄の民意〟という表現、「オール沖縄」という政治勢力の名称にも、メディアによる〝印象操作〟の臭いを嗅いでしまうのだ。

辺野古の基地反対派運動家たちは叫ぶ。

「米軍は沖縄から出て行け!」

「自衛隊も出て行け!」

「武器を持つから戦争になる!」

「基地があるから攻撃を受ける。だから、基地はないほうがいい。」

「戦争大好きな安倍は死ね!」

「沖縄は中立だ!」

本当に、それが県民の多数派(つまりは民意)なのだろうか?

そして、県民の大多数が、日米同盟は要らないと考えているのだろうか?

アメリカの核の傘など要らないと考えているのだろうか?

そこのところが、現実とは異なるという気がしてならない。

考え得る可能性としては、下記のようになるだろう。

 

 

 

玉城デニーさんを支援する「オール沖縄」勢力の主張する〝沖縄の民意〟の内実とはー

 

 

(1)①辺野古米軍基地の埋め立て建設には反対だが、沖縄のすべての米軍基地の存続に反対しているわけではない。日米同盟には反対しない。核抑止力は必要と考える。自衛隊基地建設にも反対しない。基本的には、沖縄の米軍基地及び日米同盟を容認する立場で、自衛隊基地の増強にも寛容。

 

▶︎このような現実的で穏健な考え方の人々が、実は、「オール沖縄」勢力を支持する県民の多数派なのかもしれない。そうであるなら、彼ら①グループの辺野古基地容認への心理的距離は、それほど遠いものではない。

彼らは、政府による沖縄への米軍基地押し付けに不快感を持っている。とは言え、国土防衛の必要性は、よく理解しているのだ。

しかし、こうした巷でよく聞く理性的な意見は、少なくとも、県内メディアや学識者の論調の主流ではない。メディアは、よりはっきりした米軍基地反対の立場を鮮明にしたがる傾向が強い。そうしたメディアの過激な論調によって、県内の世論が不自然に誘導されてしまっている傾向があると、私は思っている。

 

 

(2)②辺野古基地建設に反対であるだけでなく、沖縄の米軍基地は、なるべくなくすべきだと主張する。しかし、自衛隊基地は容認。加えて、日米同盟は必要と考え、自衛隊は増強すべきと考える人々。米軍基地負担は県民への差別と考え、県内の米軍基地の県外移設を主張する立場。

 

▶︎この主張をする人々は、国土防衛の必要性は認めるが、米軍基地の県内比率の異常な高さを問題としており、基地負担の軽減を主張する。このような偏りの少ない考え方の人も相当程度存在する。

しかし、この種の人々②グループは、上記①グループの人々と同様に、むしろ、基地容認派予備軍と考えられる。国からの補償次第では、基地容認となるだろう。そして、この①②グループが、県内の無党派層の多数派である。

ただし、この①②グループの人々の一部は、「反対した方が補償が大きくなる」と考えて、利を求めてわざと反対の立場をとる傾向がある。実際、県内では、こうした悪しき風潮が相当に強いのが現状である。

現在、基地関係の国家予算は年間5000億円で、そのかなりの部分が沖縄に投入されている。例えば、基地使用料が2000億円、さらに、思いやり予算として基地従業員の給料、米軍人の家賃として県民に支払われているお金もある。加えて、自治体への特別に高い補助金もある。すべて、国民の納める税金である。

あまりにも上記のような「補償を吊り上げるための姑息な反対の態度」が目立つと、県外の人々から、沖縄が白い目で見られるようになってしまう。現にそうなっている面もある。残念なことである。

 

 

(3)③辺野古基地含む、県内県外すべての米軍基地に反対の立場。日米同盟は必要ないと考えている。ただし、自衛隊は増強すべきだし、場合によっては独自核武装も視野に入れるべきと考える。

 

▶︎アメリカからの完全な自立と自主防衛を志向する立場の人々。アメリカの核の傘に頼るよりも、むしろ、自前の核を持つべきと考える。極めて愛国的であると同時に、自立的な国家像をビジョンとして掲げる独立独歩の生き方を好む人々である。しかし、この③グループの勢力は、沖縄だけでなく、今の日本国内では極めて少数派であろう。当然だが、「オール沖縄」支持者の中にも、この③グループは、ほとんどいないと思われる。

 

 

(4)④辺野古基地含む、すべての米軍基地は、沖縄には必要ない。それだけでなく、この国に米軍基地は一切必要ないし、日米同盟そのものが要らない。つまり、「アメリカの核の傘は要らない」ということだ。

加えて、沖縄には自衛隊基地も必要ない。アメリカにも日本にも守ってもらう必要はない。「この島には、いかなる国の軍事力も要らない」という立場だ。

❶何故なら、「核攻撃力を含む軍事力を背景としない、威嚇を伴わない穏便な話し合い、つまり、非武装・中立の外交力で、東アジアの平和と安全は維持できる」と信じるからだ。彼らは、むしろ、「基地があるから、自ら武器を持つから戦争になるのだ」と主張する。

 

▶︎まず、県内でも、最もナイーブかつ純真な、子供のように欠片も邪気のない方たちの考える沖縄の民意は上記の考え方であろう。「殺すより、殺されたほうがいい」というフレンド派(クェーカー)の信仰に基づいて作られた憲法前文と9条の平和主義の精神に殉じるものでもある。

しかし、多少なりとも考える頭があり、現実を知っている良識のある大人であれば、「攻撃するより、攻撃されたほうがいい」というような無防備極まる非武装の方針には従えないだろう。アーミッシュのような筋金入りの信仰者であれば別だが。

もっとも、県内に、そのような筋金入りの平和信仰者がそれほど多くいるとは考えにくい。むしろ、国際政治の過酷な現実を見ようとせず、妄想のファンタジーに浸っている非現実的な夢想者が、この種の人々④❶グループの多数派であろう。大学生など、世間知らずの若者に多いようだ。さもなければ、裕福に育った左翼の頭の凝り固まった理想主義者だろうか。内地出身の活動家も多い。

いずれにせよ、彼らは、ロシア・ウクライナ戦争のような侵略戦争に実際に晒されない限り、目覚めることはないだろう。目の前に爆弾が落ちない限り、目覚めない人々である。

 

 

ところで、④の「沖縄に武器はいらない」「核も米軍もいらない」「日米同盟も自衛隊もいらない」派の人々の中には、実は、④❶グループの「お花畑な人々」以外に、もう一つ、別の考え方を信奉する人々がいる。それは、アメリカ以外の核に依存することを夢見る人々である。この人々が、いわゆる〝沖縄独立派〟である。

沖縄独立派には、大まかに考えて以下の二つの潮流がある。

 

 

(5)④辺野古含め、あらゆる米軍基地・自衛隊基地は、沖縄にはいらない。

❷何故なら、「沖縄は、中国の庇護のもとで繁栄できる」と信じるから。最悪、「中国の核によって守られればよい」と考える立場である。

彼ら④❷グループは、基本的な心情として、中国が好きで、日本は嫌いなのである。

 

▶︎沖縄には、もともと、中国にルーツがあることを誇りとする一族が多くいる。韓国ほどではないが、歴史的に「事大主義」の勢力が強いのだ。

彼らは知事や国会議員など、多くの権力者を輩出し、沖縄の政界・経済界・学会に隠然たる巨大権力を有している。そして、彼らは、「日本の一部であるより、むしろ、中国の一部であったほうがよい」と考えているようだ。

沖縄では、島国であることもあって「長いものには巻かれよ」という強者への迎合の意識が根強いが、その〝長いもの(権力者たち)〟が、県内では伝統的に中国シンパの勢力であるため、この親中派④❷グループは、潜在的には県民全体の1/3程度を占める大勢力となっている。また、中国がより強大になってきたことで、このグループは、以前より力が強まっている。

彼らは、そもそも日本人であるという意識が薄い。だから、政府のことを、わざわざ〝日本政府〟と呼ぶ。言外に「自分たちの政府ではない」ということを匂わせる物言いである。

そして、この④❷グループの人々が、沖縄の言論をリードしている。彼らは、県内の学者、文化人、ジャーナリスト、教育者などの中核を成しているのだ。

 

 

(6)④辺野古含め、あらゆる米軍基地・自衛隊基地は、沖縄にはいらない。

❸何故なら、「沖縄は、北朝鮮の核によって守られるべきだ」から。

北朝鮮は、偉大な指導者金正恩によって統治される〝地上の楽園〟であると信じる人々。彼らによれば、アメリカの核は悪の核であり、北朝鮮の核は善の核である

基本的な心情として、彼ら④❸グループは、日本もアメリカも大嫌いである。

 

▶︎沖縄の社会活動家、学者、政治家の中には、毎年1月に那覇市で、『金正恩生誕祭及びチュチェ思想勉強会』を開催している人々がいる。その会合では、100名以上の同志たちが集まり、辺野古基地反対運動の報告もなされる。

オール沖縄勢力の中核には、この北朝鮮シンパの④❸グループの人々がいる。数はそれほど多くないが、沖縄の左派の社会活動家は、大なり小なり、この親北派④❸グループの影響を受けていると考えるべきである。

その特徴は〝強烈な反米・反日意識〟にある。

特に、辺野古・高江に集う過激な活動家ほど、このグループに属している可能性が高い。在日朝鮮人グループや、韓国の従北左派の若者などが、辺野古などの反対活動に参加するのも、こうした思想的親和性の高さから、仲間意識が醸成されやすいためと考えられる。

 

 

 

 

以上、概観してみただけでも、沖縄の未来をどう考えるか、そのビジョンがあまりにも異なる人々(1)〜(6)が、ごちゃ混ぜになって、「オール沖縄」勢力を名乗っていることがわかる。

そもそも、日米同盟は必要と考える人々①②グループと、中国の一部になってもよい人たち④❷グループと、北朝鮮の核に期待する人々④❸グループと、純粋に非武装の平和な中立の島となることを夢見る人たち④❶グループが、同じ船に乗って仲良く進めるはずがない。

この辺をはっきりさせなければ、いずれ、とんでもないことになるだろう。「船頭多くして船山に登る」ということになりかねない。

いや、むしろ、今、すでに、そうなっているのかもしれない。

 

ちなみに、私自身は辺野古容認派である。そして、①②③グループとは、話が通じ得ると考えている。だが、④❶、④❷、④❸のグループとは、まったく相容れない。私からみると、彼ら④グループは、まるで話の通じない人々である。彼らと理解し合えるという期待は一切ない。

だが、この④グループが、知事選で「オール沖縄」勢力(玉城デニーさん)に投票した民意の多数派であるとは、私には思えない。④グループは、むしろ、県内の少数派だろう。

それでは、沖縄の民意とは、いったいどのようなものなのか?

結局、何が沖縄の民意なのか?

その答えは、まだでない。

少なくとも、辺野古で抗議している偏った思想に凝り固まった少数派の人たちの意見が、沖縄を代表する民意というわけではないはずなのだ。

それだけは、はっきりしている。

 

遊説中の銃の狙撃による、安倍晋三元首相の突然の悲劇的な死に対して、その国家的な喪失感を表し癒すために、内外の弔問者を迎えて、今日、国葬が行われました。

安倍さんのいない日本に生きることの心許なさは、筆舌に尽くし難いものがあります。これからの日本の安泰が、甚だしく脅かされているという、寄る辺ない不安感が拭えないまま、私たちは、今日の国葬の日を迎えました。

安倍さんは、日本が、アメリカ、中国、そして、世界とどう向き合っていくか、的確で明確で説得力あるビジョンを持って、具体的・現実的なリーダーシップを取ることができた、この国で唯一の政治家でした。

私の個人的な感覚では、エリザベス女王の死と安倍さんの死では、1人の日本人として、喪失感の重みが違いすぎて、まったく比べ物になりません。

エリザベス女王の死は、悲しい出来事とは言っても、大往生ですし、さらに言えば、遠い海の彼方の国で起こった他人事の事件です。

それに対して、安倍さんの死は、この国の行く末を左右する大きな悲劇であり、まったく他人事では済まない大変な出来事です。

私にしても、「これから、この国は、どうなってしまうのだろうか?」という不安が、いかにしても振り払うことができない焦燥感となって、今も心の奥底にたゆたっている状態です。

そうした不安感と哀しみは、安倍さんの国葬に反対する人々を、ニュースなどで目にするたびに、ますます強まります。彼らの心無いアジテーションは胸に突き刺さり、心の深いところで鋭い痛みをいっそう際立たせ、私は怒りすら覚えます。「いったい、この人たちは、何を考えているのだろうか?」とため息をつき、首を降らざるを得ません。

安倍首相の国葬に反対する人々、彼らは、なぜ、反対するのでしょうか?

今回の記事のテーマは、このことについてです。

まず、その理由を、整理してみましょう。

 

安倍さんの国葬に反対する理由

 

①安倍さんが嫌いだから

私のみたところ、デモをしてまで国葬に反対している人たちのほとんどは、安倍さんが大嫌いです。首相としてまったく評価していなかったどころか、早く辞めて欲しかった人たちです。さらに言えば、死んで喜んだ人たちもいたはずです。

「どうして、あんな奴の葬儀が国葬になるんだ?」というムカつきが感じられます。

だから、国葬当日にまで、反対のデモ行進をして、花を抱えて弔問に向かう人々の心を深く傷つけても、気にしないでいられるのです。

これは、ある意味、悪質な嫌がらせです。そのぐらい安倍さんが嫌いなのです。

また、アンケートなどで、国葬に反対と答えた人たちの多くは、安倍首相の功績をそれほど重く考えていない人が多いでしょう。

逆に、国葬に賛成の人たちは、安倍首相の功績を高く評価しているだけでなく、今の日本の政治に欠くことのできない重い役割を果たし続けているリーダーとして、今後の活躍にも大きな期待を寄せていた人たちが多いはずです。私のように。

結局、安倍さんが好きか嫌いか、それですべて決まりなのです。国葬の手続きが云々とか、法的根拠が云々とか、いくら屁理屈を言い立てても、そんなことは実は理由にならない(←特に、一般の人にとっては/よほどのへそ曲がりでない限り)。

安倍さんを好きな人は普通に国葬をやりたいし、嫌いな人は、なんだかんだと理由をつけてやりたくない。シンプルな話です。それだけのことですよね。

国葬が分断を生んだのではなく、もともと国民の間に根深い分断があるのです。

 

②自分の評価していない人の葬儀に、国費がつかわれることが不満だから

「なんであんなヤツの葬儀に、私が納めた税金を使うのよ!」という納得できない感があるようです。

国の費用としては、「いったい誰がこんなに費っているのだ?」と、よく問題になる生活保護費や精神障害年金の予算何兆円などと比べれば、たかだか十数億円程度の話なのですが、それすら費わせたくないという〝セコさ〟と〝みみっちさ〟を感じます。

同時に、税金をびた一文使わせたくないほど安倍さんが嫌い、という面もあるでしょう。

ただ、安倍さんが大好きだった私としては「なぜ、こんなに国費を使うんだ?」という反対に対しては、「なんてせこい人たち!」「セコいというにも、あまりにセコすぎて、このみみっちさは、形容のしようもないほど! ともかく酷すぎる!」という思いを禁じ得ません。

たとえ反対するにしても、そこまでセコい話をするか、と悲しくなります。

私欲ではなく、国のために命懸けで尽くした人に対して、そのぐらいの敬意を表して、税金使ってもバチはあたらないと思うのですが…。

ともかく、昨今は、あらゆる面で、日本人の精神が、どんどんケチ臭く、みみっちく、セコく、意地悪くなってゆく。100均精神というのでしょうか。情けない限りです。

皆んなが皆んな、百円均一で間に合わせようとする社会では、その国の文化は消滅し、経済もジリ貧になっていきます。自分で自分の首を絞めているようなものです。

結局、現代日本人のセコい精神が、いずれはこの国を滅ぼすことになるように思えてなりません。

 

③嫌いな人の葬儀に「弔意を示せ」と国から強要されていると感じ、ムカつくから

「あの人が死んでも、何も悲しくないのだが、どうして弔意を表さねばならないんだ?」「国が国民に葬式行けって強制するな!」という言い分です。

これも、共産党などが主張していることですが、そのくらい安倍さんを嫌いだし、国民にも安倍さんを評価させたくないという、反啓蒙(本人たちは啓蒙だと思っているようですが…)の意識の表れでもあるでしょう。

安倍憎し、ここに極まれり。

同時に、それほどまでに、彼らは、人も国も政府も神も、まったく信じていないのでしょう。だからこそ、むしろ、共産党の人たち(あるいは極左)ほど、自らの我欲に満ちた卑近な意思を持って、そして、自らの世俗に汚れた手で、フランクフルト学派の言う道具的理性を用いて、国(あるいは他者)をコントロールしたいという、上から目線の思い上がった欲望(権力欲/権力への意志)に、心が支配されやすいように思えます。

そのくせ、そのような傲慢な態度をとりながら、自分たちが、どれほど国によって守られ、世話されているか、なんの自覚もないようです。コロナ治療費が全額タダになる国に住み、当たり前のように恩恵を享受しながら、「この国は、国民のことを何も考えていない!」と、国に向かって唾吐くのはいかがなものか、と思うのですが…。

 

④安倍さんはカルト(統一教会)とつながっていたじゃないか、と非難の気持ちがあるから

安倍さん、及び自民党が、統一教会の支持を受け、その支持を利用していたというのは確かです。けれども、カルトと政治の問題は、統一教会との関係だけにとどまるものではありません。極右にも極左にも、政治に関わるカルト(≒セクト)集団は山のようにあります。

右であれば、顕正会、幸福の科学が、その代表でしょう。一方、左であれば、中核派・革マル派があります。その他、ラエリアンとか、アーレフとか、エホバの証人とか、いろいろ不思議な興味深いカルト・セクトが山のようにあります。ともかく、非常に香ばしいSF・ファンタジーを教義・ドグマとする集団が数多くあり、それらのカルト・セクトにまつわる事件や悲劇も数多く起こっています。

カルト・セクトは、日本の社会の闇であり、重大な社会問題であると同時に、社会に根を張っているという意味では、根絶し難いものであって、日本社会の根幹に関わる大問題でもあります。

私は、広い意味では、池田大作の創価学会も不破哲三の共産党も、カルト(セクト)と言ってよい権力装置・集金装置なのではないかと思っています。

その意味では、今回、メディアが、左翼セクトに加担して大騒ぎしているから、殊更、統一教会の問題だけがクローズアップされているという面も強いと思うのです。

つまり、メディアも安倍さんが嫌いで国葬にしたくないし、安倍さんを賞賛したくないと思っているということですね。

 

⑤安倍さんのような極悪人を国葬にしようとする政府・自民党・国は信用できないから

根本には「安倍は戦争好き」「安倍は権力を私物化した悪人」「殺されて当然の極悪人」という勝手な思い込み(妄想)があるようです。

だから、国葬の日に、安倍さんの遺影を射的のまとにして、嘲り嬲るという、信じられないほど無神経で品性下劣な反対集会を行うことができるのです。

そして、こうした「安倍は大悪党だ!」という共同幻想を国民に広めようとする洗脳戦略に、大々的に加担している一部メディア、一部政党、一部市民団体などに、私は、強烈なカルト・セクトの匂いを嗅いでしまうのです。

彼らは、信じたいものを信じる。信じたくないものは、何があっても信じない。これって、カルト・セクトの構成員(信者・メンバー)の基本姿勢ではないでしょうか。

そういう意味では、安倍さんの国葬に反対する人々の姿を見ていると、「カルト・セクトに踊らされる情けない日本人」を見せつけられているようで、やるせない、そして、とても情けない気持ちにさせられます。

特に、メディアは、国葬において献花に訪れる何万人もの良識ある国民の姿を、市民の心情に寄り添うかたちでは報道しようとはしません。そして、一部少数の非常識な連中による破廉恥な反対集会の様子ばかりを好意的にとりあげるのです。偏向報道、ここに極まれり、との感があります。少なくとも、メディアの報道からは、追悼の気持ちは一切感じられませんでした。残念なことです。

 

 

 

盟友菅義偉さんの弔辞で、安倍さんが最後に読んでいた『山縣有朋』のマーカーが引いてあった箇所として紹介されていた、盟友伊藤博文に先立たれた山縣が詠んだ歌。

 

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 

菅さんの想いが伝わってくる気がします。

安倍晋三元首相のご冥福をお祈り致します。

 

ここ数日、吉田松陰の辞世の句が思い出されてなりません。

 

身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂

 

 

老人ホームは、姥捨山の虐待小屋である。

目に見えるかたちでの暴力や暴言といった虐待がなかったとしても、この国の老人ホームのほとんどは、老人を死ぬまで閉じ込めておく〝姥捨山〟であり、控えめにいっても、入居者の人権をすべて剥奪した状態に置いて管理する、人権蹂躙の〝虐待小屋〟である。

そう言える根拠を挙げよう。

 

①入居者の運動スペースがない

ともかく、寝たきり、座りきりで、ボーと虚空を見つめて、触れ合う相手もなく、1日が過ぎていく。放置老人である。当然だが、どんどん身体が衰弱していく。

スペースの問題もあるが、自由に外へでることも、公園に散歩に行くことも、スーパーに買い物に行くこともできず、ある意味、監禁状態にある。刑務所の服役囚と変わらない。しかも、終身刑である。

また、日常、生活を共にする子や孫と触れ合うこともなく、自分で料理することもないため、身体を動かす機会がない。なんの意欲も生まれない。

もともとスマホもろくに扱えないから、外界から情報を取り入れることがほとんどなくなってしまう。

そうすると、脳への刺激が足りないので、どんどんボケ老人になっていく。記憶が定かでなくなり、次第に言葉もろくに話せなくなってくる。

急速に老化が進むのだ。

 

②食事が足りない

ほとんど飢餓状態である。本来、消化力が弱っている老人は、吸収力が弱いので、量を多く食べなければ栄養を吸収しきれない。特に、糖分、甘いものは、毎日、摂取が必要である。一般に、長生きしている元気な老人の多くが、どれほどたくさん食べるか、身近で生活を共にする人や、世話をしている人なら、よく知っているはずである。

チョコレート、ケーキ、コーラ、栄養ドリンク、カップラーメンを毎日欠かさず飲食するという老人など、90歳を過ぎても、元気に満ちあふれている。

一方で、たとえ、必要最低限の栄養は与えていると言っても、その半分しか吸収できない老人にしてみれば、たちまち飢餓に直面してしまう状況なのである。しかし、そうした観点が、老人ホームの食事には、決定的に欠落している。あるいは、経営上の観点から、半ば意図的に看過されているのかもしれない。

実際、老人ホームでは、雀の涙のような食事しか与えない。だから、どんどん痩せていく。入居者は常に飢えているが、それ以上に衰弱しているので、ボーとしてしまって文句も言えない状態にある。慢性的なエネルギー不足で、大変おとなしい。手がかからないので、職員は大助かりである。

 

③誰も、気配りしてくれる相手がいない。

はっきり言って、どんどん衰弱させて、死ぬのを待っている状態である。〈静かなる虐待〉であり、〈沈黙による無視〉によって囲まれた冷血極まる生活環境であると言える。

誰も、心から気にかけてくれる人がいない場所に、長期間放置されては、もうこれ以上、長生きしたくなくなるだろう。すなわち、生きる気力を失くす。老人を早く始末するには最適の環境である。

側にいて安心でき、痒いところに手の届く伴侶もおらず、背中を掻いてくれる孫子もいない。悲しみややるせなさを共有できる相手もいない。心から信頼できる相手が誰もいないのだ。世界に一人ぼっち。完全に見捨てられている。凄まじい孤独である。

「この地獄から出してくれ!」と抵抗する老人は、反抗的な入居者として、ベッドに縛り付けられたり、安定剤を投与されたりして、無理やり大人しくさせられるだけだ。いずれにしても、希望はない。

 

特に、②が致命的である。歳をとって死ぬ前に、こんな飢餓状態に置かれて、どうして成仏できるというのか。「ひもじい、ひもじい…」と化けて出てもおかしくない。

このような「早く死ぬのを待っている」だけの〝虐待施設〟に、親を預けている子どもたちは、一種の「親殺し」の罪を犯している。

自分達も定年退職して、悠々自適で暇を持て余しながら年金生活している子に限って、親の世話を老人ホームに押しつけて、まるで親などいないかのように、自分は勝手に老後を気楽に過ごしているものだ。

そして、役に立たなくなった親を厄介払いしたい人たちは、渡りに船の勢いで、政府の用意した介護保険報酬に群がって興隆する介護ビジネスの餌食に、自ら進んで、なっているのだ。


子どもたちは、格安の老人ホームに親を預けて「これで、面倒なく死ぬまで任せられる(放置できる)」とひと安心する。

哀れな年老いた親は、ひとたび老人ホームに突っ込まれてしまえば「お前はもう死んでいる」と言われているも同然である。たちまち衰弱して、物言わぬ石になる。後は干からびるのを待つだけ。姥捨山といっしょで、合法的殺人である。

そう考えると、〝静かなるアウシュビッツ〟と言ってもいいかもしれない。しかも、そこに老人を入れるのは、ナチスではなく、肉親、ほとんどの場合は、実の子どもたちなのである。

情けない子どもたちだが、そのような薄情・冷血・自己中心的な子に育ててしまった親の自業自得であり、自分達もまた、親を老人ホームへ入れた世代かもしれないので、因果応報とも言える。これも社会的な負の連鎖である。

 

悠々自適の年金生活者である老人たちが、近所での保育所の建設に、「子どもがうるさい、迷惑だ」と反対し、暇なくせに孫の面倒を見るのを嫌がり、やがては、自分の身体が利かなくなって、実の子どもによって老人ホームへ遺棄される。愚かなること、極まりない。

老人が孫の面倒をみないから、少子化が進んでいるにも関わらず、つくってもつくっても、保育所が足りない。子どもが親の面倒をみないから、老人の健康寿命が伸びている上に、国が予算をつぎ込んでも、質の良い老人ホームが常に足りなくなる。

本来、必要のない人たちが、保育所・老人ホームを安易に利用するから、必要な人が困るのだ。

 

結局のところ、本当に必要な人のための保育所、本当に入所がやむを得ない人のための良心的な老人ホームが足りないのは、政府のせいではない。実は、私たち自身のせいなのだ。

多くの人が、身内や家族で支え合ったり、自分が家族のために負担を背負う事をせず、家族を簡単に見捨て、放置するためだ。自分さえ良ければ、と考えてきたツケが、最後に自分に回ってくる。

家族とともに生きる感覚を喪い、厄介ごとは他人任せにしたがる現代人は、こうして惨めな最後を迎えることになる。

未来予測による危機管理能力と想像力の欠如がもたらす、負のスパイラルである。

 

子どもがいじめで自殺し、大人が過労死し、老人が遺棄される社会に、いったいどんな未来があるというのだろうか?

 

1970年代から1980年代前半まで活躍したイギリスのプログレッシブ・ロックのグループや個人(ソロアーティスト)の中から、私個人の独断、偏見、趣向により、以下のグループ、個人を紹介します。

 

ちなみに、ブリティッシュ・プログレッシブ・ロックの始まりは、イングランドの裕福なミドル・クラス出身の恵まれた環境で育った子どもたちが、パブリック・スクールなどのエリート校へ進学した時に出会った音楽好きのクラスメイト同士親しくなって結成された、かなりマニアックな若者たちを中心メンバーとするいくつかのバンドが、1970年頃に創り出したムーブメントです。

そして、それらのグループが、彼らの恵まれた生い立ちから、貧乏を知らないがゆえに、商業的成功をほぼ無視して、各々が独自の趣味的な音楽を自由に追求していったことで、生み出された新しいロックのジャンルなのです。

その特色は、クラッシックとロックの融合、ジャズ・フュージョンとロックの融合、民族音楽とロックの融合、そして、当時先進的だったシンセサイザーなどエレクトリックな機器・楽器の使用、加えて、哲学的で内省的、あるいは、文明批評的・政治的な歌詞が多いことなどです。

この記事で後述・紹介するバンド、ソロアーティスト以外では、元祖プログレ・グループである〝王者〟キング・クリムゾンなども活躍しました。

ちなみにキング・クリムゾンのリーダーであるギタリストのロバート・フリップも、13歳からクラッシック・ギターを学ぶ傍ら、ボーンマス&プール・カレッジで政治学を学び、優秀な成績で卒業した経歴の持ち主です。非常に知的で教養の深い人で、ギターを持った大学教授という風貌の人物です。

また、この1970年という時期は、ベトナム戦争の真っ只中で、戦争反対の気運が高まり、学生運動や前衛的な芸術運動が激しかった時期でもあります。

こうした時代背景もあって、保守的な社会に反抗的な、知性と教養ある若者たちが、プログレッシブ・ロックの担い手であったということです。

そういうわけで、1970年代前半は、前衛的・先進的なバンドの活躍するプログレッシブ・ロックの興隆期だったのです。

 

〈ELP(エマーソン、レイク&パーマー/Emerson, Lake & Palmer)〉

シンセサイザーを初めてステージ上で楽器として使用した天才キーボード奏者であるキース・エマーソンを中心に、ボーカル・ギター・ベース担当のグレッグ・レイク、ドラムス担当のカール・パーマーの3人が、1970年に結成したプログレッシブ・ロックのスーパー・グループです。

代表作は、1971年にリリースされたライブ・アルバム「展覧会の絵」です。ロシアのクラッシック作曲家ムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」を基にしたロック・Liveです。特に、日本では、異常に人気の高かったアルバムです。

その他、1970〜74年の5年間に4枚のオリジナル・スタジオ録音アルバムを制作して、それぞれ、かなりの売上をあげています。

1974年のアメリカ・ツアーを最後に、グループは活動休止状態に入ります。ですから、1970年のデビューから1974年までがグループの全盛期です。

バンドの活動は1977年に再開されますが、もはや時代遅れをオールド・ウエーブと批判され、活動はうまくいかず、1980年に正式に解散が宣言されました。その後、バンドは1992年に再結成され、1997年まで活動が続けられました。さらに、2010年にはロンドンで一夜限りの再結成演奏が行われています。

2016年には、キース・エマーソンとグレッグ・レイクが相次いで亡くなり、バンドは完全な終焉を迎えました。

 

〈ピンク・フロイド(Pink Floyd)〉

1965年に、ロンドンのウエストミンスターの建築学校の22歳の同級生同士で、ベースのロジャー・ウォーターズを中心に、キーボード奏者のリチャード・ライト、ドラムスのニック・メイスン3人で結成されました。

1967年にギターのシド・バレットが加入しますが、過度のLSD接種によって異常をきたしたバレットが1968年に脱退し、代わりにデヴィッド・ギルモアがギタリストとして加入することになります。

その後、1970年にアルバム「原子心母」が全英1位を獲得し、翌1971年のアルバム「おせっかい」も全英3位を記録して、ピンク・フロイドは、プログレッシブ・ロックを代表するグループとして認知されるようになります。

1974年にリリースされたアルバム「狂気(The Dark Side of The Moon)」は、全世界で5000万枚を売上、翌1975年にリリースされたアルバム「炎〜あなたにここにいてほしい(Wish You Were Here)」も全英・全米1位を獲得し、フロイドは世界的なスーパー・グループとなりました。

その後、1970年代後半には、ブリティッシュ・プログレッシブ・ロック自体の人気が低迷しますが、フロイドの人気は根強く、1979年にはアルバム「ザ・ウォール(The Wall)」が全米1位を記録し、全世界で3000万枚を売上ました。

ここまで、1970年のアルバム「原子心母」のリリースから、1979年のアルバム「ザ・ウォール」リリースまでが、ピンク・フロイドの活動の全盛期と言えます。

しかし、その後も、断続的にグループの活動は続けられ、その人気は2000年代になっても衰えませんでした。最終的に2015年にグループの活動の終結が宣言されるまで、紆余曲折はありながらもバンドは存続しました。

 

〈ジェネシス(Genesis)

1967年に、イングランド南東部のサリー州の主に裕福で優秀な子どもが入るエリート寄宿学校であるパブリックスクール「チャーターハウス・スクール」の同級生同士で、当時、17歳のピーター・ガブリエル(ボーカル)を中心に、トニー・バンクス(キーボード)、マイク・ラザフォード(ベース)らと共に結成されました。

1970年に、後にリーダー的存在となるフィル・コリンズがドラマーとして加入しました。

1975年に中心メンバーのピーター・ガブリエルが、あまりにも強烈な個性ゆえに、メンバーとの軋轢を生じ、プライベートでの結婚や妻の妊娠などもあって、グループを脱退しました。

これ以降、ボーカルはドラマーのフィル・コリンズが務め、1978年のアルバム「そして3人が残った」は、全英3位を記録しました。それ以降も、1990年代まで、グループはヒット・アルバムを制作し、旺盛な活動を続けます。

1984年にリリースされた代表作とも言うべきアルバム「ジェネシス」は、全英1位、全米9位を記録し、当時、フィル・コリンズは、世界のスーパー・スターへの最後の階段に足をかけていたところでした。

ここまでが、プログレッシブ・ロックとしてのジェネシスの存在が感じられる時期です。

この後、ジェネシスは急速にポップス化していきます。

バンド自体は、紆余曲折はありながら、断続的に活動は続き、2022年現在も活動が続けられています。

 

〈ピーター・ガブリエル(Peter Brian Gabriel)〉

ジェネシス脱退後、1977年にソロ・アーティストとして活動を再開し、地道にアルバム制作、ライブを続けていきます。

1980年に、名作アルバム「ピーター・ガブリエル Ⅲ(通称Melt)」を発表し、その思想的な内容の深さから、世界的に大きな反響を呼びました。特に、アルバムのラストを飾るバラード曲「ビコ」は、アパルトヘイト下の南アフリカで活躍し、刑務所で政府に殺された黒人意識運動の提唱者スティーブ・ビコの死について歌った曲で、反アパルトヘイト運動を象徴する曲として、1980年代後半には世界的に知られるようになりました。

一方で、ピーター・ガブリエル本人については、1985年5thアルバム「So」が、全英1位・全米2位と世界的に大ヒットし、世間にその名が知られるようになりましたが、私としては、あまり興味の持てないアルバムでした。80年代らしい洗練された綺麗な音だな、とは思いますが…。

 

〈イエス(Yes)〉

1968年に、ボーカルのジョン・アンダーソン(24歳)とベースのクリス・スクワイア(20歳)が出会い、意気投合して結成されました。

1971年の4thアルバム「こわれもの(全米4位・全英7位)」、翌1972年の5thアルバム「危機(全米3位・全英4位)」は、代表作とされます。

アルバム「こわれもの(Fragile )」からは、オープニング曲の「ラウンドアバウト(Roundabout )」が、シングル化され、全米13位を記録しました。この曲は、グループの代表曲とされています。

その後、バンドはメンバー・チェンジを繰り返しながら活動は断続的に続けられました。そして、1983年に、自身もイエスのファンを自認するプロデューサーのトレヴァー・ホーンの手腕で完成したアルバム「ロンリー・ハート(90125)」は、久々に大ヒットとなりました。加えて、このアルバムからシングル化された表題曲「ロンリー・ハート」は、イエスの楽曲として、唯一、ビルボード・シングル・チャートで1位を記録しました。

その後も、イエスの活動は、細々と続けられ、中心メンバーであるジョン・アンダーソン(2008年脱退)・クリス・スクワイア(2015年死去)がいなくなった今も、バンドの活動は存続しています。

 

以上、ここまで解説してきた4つのバンド、および、1人のソロアーティストの曲から計14曲を紹介します。選曲は、私の独断と偏見、独自の趣向によります。

 

 

〈ELP〉

①賢人(The Sage)

作詞作曲 グレッグ・レイク

◯アルバム「展覧会の絵(Pictures at an Exhibition )1971年/Live/全英3位・全米10位・日本2位」初収録。

グレッグ・レイク作の名曲。グレッグ・レイクのクラシカルなアコースティック・ギターと透明感のある歌唱が素晴らしい。そして、グレッグ・レイクの書く詞は、哲学的・文学的で、とても意味深く美しいです。

「私は、振り払うことのできない旅の埃を身に抱えて、旅を続けている。その埃は、日々、息をするたびに吸い込んでいるために、私の内に深く棲んでいる。あなたと私は、昨日の出した答なのだ。過去の地球は、新しく生まれ変わるのだ。時の河に侵食されて、今の私たちの有する姿へと造形される。私の命の息吹と躰とを、共に分かち合おう。そして、私たちの生命の奔流を、私たちの時代の流れる時間に委ね、命を時に重ね合わせよう。輝かしい無限の時の流れの中で、私たちの個人的で些細な事情は、大きな運命の流れに呑み込まれ、消えていくのだ。」

I carry the dust of a journey

That cannot be shaken away

It lives deep within me

For I breathe it every day

You and I are yesterdays answers

The earth of the past come to flesh

Eroded by times rivers

To the shapes we now possess.

Come share of my breath and my substance

And mingle our streams and our times

In bright infinite moments

Our reasons are lost in our rhymes.

 

②キエフの大門(The Great Gates Of Kiev)

作詞作曲 ムソルグスキー/グレッグ・レイク

◯アルバム「展覧会の絵(Pictures at an Exhibition )1971年/Live/全英3位・全米10位・日本2位」初収録。

コンセプトLive「展覧会の絵」のエンディング曲。グレッグ・レイクのボーカル、そして、トリオの演奏が楽しめます。

「展覧会の絵」は、もともと、ロシアの作曲家ムソルグスキーが、親友で画家のハルトマンの死(享年31歳)にショックを受け、その遺作展からインスピレーションを受けて、創り上げた組曲です。

そして、グレッグ・レイクの詞もまた、生と死をテーマとしたものです。

「愛を燃やす薪の中から出てくるがいい。命の火を燃やせ。命の炎を燃やせ。愛を燃やす薪から出てくるがいい。その灼熱の中で、誰もが生き続けることを渇望している。そして、その痛みの中で、無数の新しい生命という報酬がもたらされる。湧き出す塩辛い水がかき混ぜられ、そして、化石の太陽の光が漏れ出す暗く隠された裂け目から、彼らは、その門から送られてきたのだ。運命の潮流に乗って。運命の潮流に乗って。彼らは、その門からやって来た。その灼熱の中で、誰もが、生き続けることを渇望する。そう、生き続けることを。私の命に終わりはない。私の死に始まりはない。死は生そのものなのだ。」

Come forth from love's pyre

Born in life's fire

Born in life's fire

Come forth from love's pyre

In the burning all are yearning

For life to be

And the pain there will be gain

Lots of new life!

Stirring in salty streams

And dark hidden seams

Where the fossil sun greams

They were sent from the gates

Ride the tides of fate

Ride the tides of fate

They were sent from the gates

In the burning all are yearning

For life to be

Oh, To be

To be!

There's no end to my life

No beginnning to my death

Death is life

 

③ナットロッカー(Nut Rocker)

作詞作曲 チャイコフスキー/キム・フォーリー

◯アルバム「展覧会の絵(Pictures at an Exhibition )1971年/Live/全英3位・全米10位・日本2位」初収録。

Live「展覧会の絵」のアンコール曲。インストルメンタル曲です。

ロシアの作曲家チャイコフスキー作曲のバレエ組曲「くるみ割り人形」の第二曲「行進曲」を、アメリカ人プロデューサーのキム・フォーリーがロック調にアレンジした作品のカバー。

三原順作の漫画「はみだしっ子」の主人公の1人である平素クールなグレアムが、パブのピアノで、キース・エマーソン風のナットロッカーを楽しそうに弾いているというので、それを、実際、どんな風に弾くのか聴いてみたいと言った相手(アンジー)に、「ELPのレコードを買えよ!」とグレアムが照れて言うシーンがあります。

 

〈ピンク・フロイド〉

吹けよ風、呼べよ嵐(One of These Days)

作詞作曲 ニック・メイスン/デヴィッド・ギルモア/ロジャー・ウォーターズ/リチャード・ライト

◯アルバム「おせっかい(Meddle)1971年/6th/全英3位・全米70位」初収録。

全日本プロレスで1970年代大いに活躍したNo1ヒールのアブドーラ・ザ・ブッチャーの入場テーマ曲として、当時、日本ではよく知られていた曲です。そのため、日本のみで、シングル化された経緯もあり、多くの日本人にとっては、ピンク・フロイドの代名詞的な曲として認知されています。

ほぼインストルメンタルの曲ですが、特に、曲の冒頭の部分が、あまりにも有名です。

ロジャー・ウォーターズのベースの響きが原初の音のように、心の深い部分を刺激して、落ち着かなくさせられます。

 

⑤あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)

作詞作曲 デヴィッド・ギルモア/ロジャー・ウォーターズ

◯アルバム「炎〜あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)1975年/9th/全米1位・全英1位」初収録。

アルバムの表題曲で、カントリー調のバラード曲です。詞の内容は、薬物過剰摂取により精神に異常をきたしてバンドを脱退した元メンバーのシド・バレットへのメッセージとも言われています。一方で、ロジャー・ウォーターズは、より普遍的な意味が込められていると言っています。

ちなみに、このアルバムは、デヴィッド・ギルモアとロジャー・ウォーターズが、最も気に入っているアルバムだと言うことです。

「それで、君は、天国と地獄の違いを、青空と苦痛の違いを、理解できるのかい? 君は、緑の草原と冷たい鋼鉄のレールの違いを、微笑みと顔を覆い隠すベールとの違いを、ちゃんと認識できているかい? 見分けられるのかい? そして、君は、君のかつてのヒーローたちを亡霊たちと、燃え尽きた熱い灰を緑の木々と、熱風を涼しい微風と、気休めにもならない慰めを変化と、交換することに応じたというわけだね? そうして、戦場で端役の道を歩む人生を、檻の中で主役を務める人生と交換したんだね。ああ、君が、ここにいてくれたらなあ。僕らは、金魚鉢の中をぐるぐる泳いでいる、二つの失われた魂さ。来る年も来る年も、お馴染みの旧態依然とした世界を駆け回り、そうして、僕らは何を見つけた? 昔から変わらない恐怖があるだけだ。君がここにいてくれたら…。」
So, so you think you can tell Heaven from Hell, blue skies from pain.
Can you tell a green field from a cold steel rail?
A smile from a veil?
Do you think you can tell?
And did they get you to trade your heroes for ghosts? 
Hot ashes for trees?
Hot air for a cool breeze?
Cold comfort for change?
And did you exchange a walk on part in the war for a lead role in a cage?
How I wish, how I wish you were here.
We're just two lost souls swimming in a fish bowl,
Year after year, running over the same old ground. 
And what have we found?
The same old fears.
Wish you were here.
 

⑥アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(Another Brick in The Wall)

作詞作曲 ロジャー・ウォーターズ

◯アルバム「ザ・ウォール(The Wall)1979年/11th/全米1位・全英3位」初収録。

◯シングル(1979年/全英1位・全米1位)

ピンク・フロイドの楽曲の中で唯一のシングル・ヒット曲です。

とても衝撃的で扇状的な歌詞です。

尾崎豊の「卒業」は、学校という組織の支配構造を歌っていますが、この曲では、社会そのものの支配構造を歌っています。

「僕らに教育は要らない。僕らに洗脳(思考支配)は要らない。教室での教師たちによる生徒への辛辣な皮肉や嫌味やあてこすりも要らない。先生たち、子どもたちを、放っておいてくれ! つまるところ、それは、壁に塗り込められた一つのブロックに過ぎない。結局、あなたも、壁に積まれたブロックの一つに過ぎないのさ。僕らに教育は要らない。思考統制も要らない。教室で浴びせられる辛辣な皮肉もあてこすりも要らない。先生、子どもたちを放っておいてくれ! つまるところ、そいつは、壁に塗り込められるブロックに過ぎない。結局、あなたも壁に積まれるブロックに過ぎないのさ。」

We don't need no education

We dont need no thought control

No dark sarcasm in the classroom

Teachers leave them kids alone

Hey! Teachers! Leave them kids alone!

All in all it's just another brick in the wall.

All in all you're just another brick in the wall.

We don't need no education

We dont need no thought control

No dark sarcasm in the classroom

Teachers leave them kids alone

Hey! Teachers! Leave them kids alone!

All in all it's just another brick in the wall.

All in all you're just another brick in the wall.

"Wrong, Do it again!"

"If you don't eat yer meat, 

you can't have any pudding. 

How can you have any pudding 

if you don't eat yer meat?"

"You! Yes, you behind the bikesheds, 

stand still laddy!"

 

〈ジェネシス〉

⑦ママ(Mama)

作詞作曲 フィル・コリンズ/マイク・ラザフォード/トニー・バンクス

◯アルバム「ジェネシス(Genesis)1983年/12th/全英1位・全米9位」初収録。

◯シングル(1983年/全英4位・全米73位)

ジェネシスのシングルとしては、全英最高位の4位を記録した、記念すべき曲です。

堕胎されようとしている胎児から母親への訴えが歌詞になっています。キーボードとシンセサイザーのみの伴奏で始まる前半から、徐々にドラムとギターがより激しくなっていく後半までのアレンジが秀逸です。

「僕にはママが見えない。でも、もう我慢できないんだ。ママに触りたい、ママを感じたい。僕は離れているなんてできないよ。街の熱気と奔流の中、それが僕を走らせ、僕は止まれない。だから。僕を助けるって言ってよ、ママ。だって、とても苦しいんだ! 今は、僕はママと一緒にいられないけど、でも、いつもママがそこにいるのは知っているんだ。ママは耳を澄まし、僕に触る。僕は、ママの内側にいて、ママが気遣ってくれているんだ。だから、僕のそばに、ここに降りてきて。ママ、どこにも行かないで。僕はママを傷つけたくない。でも、とても苦しいんだ! ママ、僕がここにいるのがわからないの? ママ、ママお願いだよ。僕の心臓の鼓動を感じないの? 聴いてよ、ママ! 僕の最後のチャンスを奪わないで。僕の心臓の音が聴こえないの? 暑い、暑すぎるよ、ママ。もう我慢できないんだ。僕の眼が燃えているよ、ママ。身体が震えているんだ。痛いんだ、何とかしてよ。ママを傷つけたくないのに、でも、どうにもならないよ、ママ。」

I can't see you mama

But I can hardly wait

Oh, to touch and to feel you mama

Oh, I just can't keep away

In the heat and the steam of the city

Oh, it's got me running and I just can't brake

So say you'll help me mama

'Cause it's getting so hard

Now I can't keep you mama

But I know you're always there

You listen, you teach me mama

And I know inside you care

So get down, down here beside me

Oh, you ain't going nowhere

No I won't hurt you mama

But it's getting so hard

Can't you see me here mama

Mama mama mama please

Can't you feel my heart

Can't you feel my heart

Can't you feel my heart oh

Now listen to me mama

Mama mama you're taking away my last chance

Don't take it away

Can't you feel my heart?

It's hot, too hot for me mama
But I can hardly wait
My eyes they're burning mama
And I can feel my body shake
Don't stop, don't stop me mama
Oh make the pain, make it go away - hey
No I won't hurt you mama
But it's getting so hard - oh

 

⑧ザッツ・オール(That's All)

作詞作曲 フィル・コリンズ/マイク・ラザフォード/トニー・バンクス

◯アルバム「ジェネシス(Genesis)1983年/12th/全英1位・全米9位」初収録。

◯シングル(1984年/全英16位・全米6位)

ジェネシスのシングルとしては初めて全米ビルボード・ベスト10圏内に入った曲です。この曲も、アレンジのセンスが抜群に良いです。

歌詞の内容は、情熱的なラブソングですね。

「自分で考えている通りに、うまくいっていたんだ。その判断が正しいと思い込んでいた。ところが、自分が間違っていることに気づいた。いつもおんなじさ。恥ずかしい話だが、それだけのことさ。俺が昼と言えば、お前は夜と言う。それが白だと俺が知っているものも、黒だと言うがいいさ。いつもおんなじことさ。恥ずかしい話だが、それだけのことだ。俺は、別れようと思えば、いつでも別れられたが、俺の心がそうしろと急かせても、俺はそうしなかった。今じゃ、頭のてっぺんから爪先まで、俺は何も感じなくなった。だが、お前が俺を見ている時でさえ、俺がお前を見ていると、いつも、思われてしまうのはなぜだ? いつも同じさ。恥ずかしい話だが、それだけのことだ。俺をその気にさせたり、うんざりさせたり、俺がまるで欲望の塊のように感じさせる。お前といっしょに暮らすのは、年中、お前に振り回され続けるってことだ。浮気をして、一晩中帰らない。つまみ食いする代わりに、いっそのこと、全部食べてしまえよ。お前と暮らすのは、年がら年中、そういうことに振り回されるってことさ。出て行くことはできるが、そうする方が簡単だと知っちゃあいるが、俺は、そうしない。頭の先から爪先まで、もう何も感じないのさ。だが、お前が俺を見てるのに、なぜ、いつも、俺がお前を見ていると思われるのか。いつも同じさ。恥ずかしい話だが、それだけのことさ。本当のところ、俺は、自分でそうなろうと望んだわけじゃないが、お前を愛しているのさ。隠そうとしたって無駄なんだ。お前以外には、誰も、俺にこんな風に感じさせる女はいない。死ぬまで一緒だって言ってくれよ。」

Just as I thought it was going alright
I find out I'm wrong, when I thought it was right
It's always the same, it's just a shame, that's all

I could say day and you'd say night
Tell me it's black when I know that it's white
Always the same, it's just the shame and that's all

I could leave but I won't go though my heart might tell me so
I can't feel a thing from my head down to my toes

But why does it always seem to be
Me looking at you when you looking at me
It's always the same, it's just a shame, that's all

Turning me on, turning me off
Making me feel like I want too much
Living with you is just a putting me through it all of the time

Running around, staying out all night
Taking it all instead of taking one bite
Living with you is just a putting me through it all of the time

But I could leave but I won't go well it'd be easier I know
I can't feel a thing from my head down to my toes

But why does it always seem to be
Me looking at you, you looking at me
It's always the same, it's just a shame, that's all

Truth is I love you, more than I wanted to
There's no point in trying to pretend

There's been no-one who makes me feel like you do
Say we'll be together till the end

 

⑨ホーム・バイ・ザ・シー(Home By The Sea)

作詞作曲 フィル・コリンズ/マイク・ラザフォード/トニー・バンクス

◯アルバム「ジェネシス(Genesis)1983年/12th/全英1位・全米9位」初収録。

シングル化されませんでしたが、このアルバムで一番好きな曲です。メロディーラインが印象的で、アレンジがカッコよくて、記憶に残る曲です。

ただ、歌詞はかなりホラーな内容で、まるで「ホテル・カリフォルニア」を連想させるような詞なのです。

「死角に忍び寄り、壁を照らし、夜の闇に紛れて忍び込む。窓からよじのぼり、部屋に踏み込み、左右を確認する。ガラスの破片を拾い集め、片付けて、何かがおかしいと感じる。誰か助けて!私をここから出して! その時、突然、暗闇から声が聴こえる。〝海辺の家へようこそ〟そして、どこからともなく、開いたドアから、上から下から押し合いながら、人のかたちをした、実体のない影が、姿を現した。転がったり、転んだり、滑ったりしながら、彼らはやってきた。進む方向もなく漂い、目に絶望を漂わせて。それから、いっせいに、彼らはため息をついたり、うめき声をあげたりし始めた。誰か助けて!私たちをここから出して!ここで、あまりにも長く、誰も来ないまま、生きてきた。自由になる日を夢見ながら。そう、ずっと昔、私たちが初めて〝海辺の家へようこそ〟という声を聴く前には…。座って、座って。あなたに語ることで、私たちは、自分の人生を思い出すことができるから。悲しみのイメージ、喜びの映像、それらは、人生を作り上げていくもの。終わりのない夏の日、朝の光を待ち続ける長い憂鬱な夜。さほど重要ではない情景、フレームに縁どられた写真。それらは、人生を創り上げていくもの。座って、座って。あなたはもう逃げられないのだから。いいえ、私たちといっしょに、残りの一生を、あなたは、ここで過ごすのよ。だから、座りなさい。あなたに語ることで、私たちは自分の人生を思い出すことができるのだから。私たちに思い出させて。」

Creeping up the blind side, shinning up the wall
Stealing through the dark of night
Climbing through a window, stepping to the floor
Checking to the left and the right
Picking up the pieces, putting them away
Something doesn't feel quite right
Help me someone, let me out of here
Then out of the dark was suddenly heard
"Welcome to the Home by the Sea"
Coming out the woodwork, through the open door
Pushing from above and below
Shadows with no substance, in the shape of men
Round and down and sideways they go
Adrift without direction, eyes that hold despair
Then as one they sigh and they moan
Help us someone, let us out of here
Living here so long undisturbed
Dreaming of the time we were free
So many years ago
Before the time when we first heard
"Welcome to the Home by the Sea"
Sit down... Sit down
As we relive our lives in what we tell you

Images of sorrow, pictures of delight
Things that go to make up a life
Endless days of summer, longer nights of gloom
Waiting for the morning light
Scenes of unimportance, photos in a frame
Things that go to make up a life

Sit down... Sit down
Cause you won't get away
No with us you will stay for the rest of your days. So sit down
As we relive our lives in what we tell you
Let us relive our lives in what we tell you

 

〈ピーター・ガブリエル〉

⑩ノー・セルフ・コントロール(No Self Control )

作詞作曲 ピーター・ガブリエル

◯アルバム「ピーター・ガブリエル Ⅲ  1980年/3rd/全英1位・全米22位」初収録。

◯シングル(1980年/5th/全英33位)

個人的には、このアルバムで、もっとも印象的な曲です。

「何か食べないといけない。いつもとてもひもじいんだ。この飢えをどうすれば止められるのか、わからない。眠らないといけない。夜にはひどくナーバスになるんだ。この不安をどうしたら止められるのか、わからない。電話しないといけない。どこにでも電話する。誰と話すのでもいいんだ。僕は、今回は、あまりにも遠くまで来てしまった。これまで自分がしてしまったことを考えたくない。その椅子の後ろにはいつも、隠された沈黙が控えている。海岸が透明な時に、彼らは現れる。彼らは動くものは何でも食べる。膝がガクガク震えだす。灯りが点灯され、星々は、ミツバチの群れのように落ちてくる。自己制御ができない。」

Got to get some food

I'm so hungry all the time

I don't know how to stop. I don't know how to stop

Got to get some sleep

I'm so nervous in the night

I don't know how to stop. No, I don't know how to stop

I don't know how to stop. I don't know how to stop

Got to pick up the phone

I will call any number

I will talk to anyone

I know I'm gone too far

Much too far I gone this time

And I don't want to think what I've done

I don't know how to stop. No, I don't know how to stop

There are always hidden silences waiting behind the chair

They come out when the coast is clear

They eat anything that moves

I go shaky at the knees

Lights go out, stars come down like a swarm of bees

No self-control

 

⑪アイ・ドント・リメンバー(I Don't Remember )※旧邦題「記憶喪失」

作詞作曲 ピーター・ガブリエル

◯アルバム「ピーター・ガブリエル Ⅲ  1980年/3rd/全英1位・全米22位」初収録。

◯シングル(1980年/8th)

◯シングル(1983年/11th/Live/全英62位)

フィリップ・K・ディックのSF小説、例えば長編小説「『流れよ、我が涙』と警官は言った」の世界を彷彿とさせる詞の内容です。

「私には、自分の身元を証明する手段がなかった。自分が何者か、示すための身分証明書がない。だから、君は、私を見つけたその場所に、私を連れて行った方がいい。起こってしまったことは仕方がない。胃袋は空っぽ、頭も空っぽだ。心は空っぽで、ベッドも空っぽなのさ。私には思い出せない。何も覚えていない。記憶を呼び覚ますことができないんだ。一切の記憶がない。」

I got no means to show identification
I got no papers show you what I am
You'll have to take me just the way that you find me
What's gone is gone and I do not give a damn
Empty stomach, empty head
I got empty heart and empty bed
I don't remember
I don't remember
I don't remember, I don't recall
I got no memory of anything at all
I don't remember, I don't recall
I got no memory of anything
-Anything at all

 

⑫ゲームズ・ウィズアウト・フロンティアーズ(Games Without Frontiers )

作詞作曲 ピーター・ガブリエル

◯アルバム「ピーター・ガブリエル Ⅲ  1980年/3rd/全英1位・全米22位」初収録。

◯シングル(1980年/4th/全英4位・全米48位)

これも、歌詞が非常に意味深長で、サビの部分が忘れがたく、脳裏に刻まれる曲です。

「ハンスはロッテと対戦して、ロッテはジェーンと対戦する。ジェーンはウィリーと対戦して、ウィリーはまた喜ぶ。スキはレオと対戦して、サッチャはブリットと対戦する。アドルフ(ヒトラー)が篝火を積み上げると、エンリコ(フェル二)が、それに火をつける。ホイッスルが鳴ったら、僕らは海岸の砂丘に隠れる。ホイッスルが鳴ったら、僕らはジャングルでヒヒにキスするんだ。〝It's a knockout(欧州の〝風雲たけし城〟っぽいTVバラエティ番組) ”さ。〝Games without frontiers (フランス版番組名)”では、涙を流さない戦争が繰り広げられる。もしも、コスチュームで人を殺せるなら、彼らはきっとそうするさ。国境なきゲームは、涙の流されない戦争なのだから。」

Hans plays with Lotte, Lotte plays with Jane
Jane plays with Willi, Willi is happy again
Suki plays with Leo, Sacha plays with Britt
Adolf builds a bonfire, Enrico plays with it
Whistling tunes, we hide in the dunes by the seaside
Whistling tunes, we're kissing baboons in the jungle
It's a knockout
If looks could kill, they probably will
In games without frontiers
War without tears
If looks could kill, they probably will
In games without frontiers
War without tears
Games without frontiers
War without tears

 

⑬ビコ(Biko)

作詞作曲 ピーター・ガブリエル

◯アルバム「ピーター・ガブリエル Ⅲ  1980年/3rd/全英1位・全米22位」初収録。

◯シングル(1980年/7th/全英38位)

◯シングル(1987年/20th/Live/全英49位)

ピーター・ガブリエルの代表曲。アフリカン・リズムのバラード。

歌詞は、本当に力強い。まるで、神通力が宿っているようです。Yihla Mojaは、南アフリカの黒人の言語で「魂よ、来たれ」「魂よ、我に来たれ」「魂を引き継ぐ」という意味で、日本風に言えば、吉田松陰の辞世の歌にある「留めおかまし、大和魂」のようなものです。

「1977年9月、ポートエリザベス、天気は晴れ。それは、いつも通りの仕事だった。警察の619号拘置室。おお、ビコ、なぜなら、ビコだから。魂よ、来たれ! 魂よ、来たれ! その男は死んだ。夜、寝ようとすると、僕は、真っ赤に染まった夢ばかり見る。外の世界には、黒と白しかない。そして、死んだのは片方の色だけだ。おお、ビコ、なぜなら、ビコだから。魂よ、来たれ! 魂よ、来たれ! その男は死んだ。君は、ろうそくを吹き消すことはできる。だが、ここで生まれた一つの小さな熾火すら、吹き消すことはできない。ひとたび、炎となって燃え始めたなら、風が、その炎を高く舞い上がらせるだろう。おお、ビコ、なぜなら、ビコだから。魂よ、来たれ! 魂よ、来たれ! 男は死んだのだ。そして、世界の眼は、今、見ている。今も、見ているのだ。」

September '77
Port Elizabeth weather fine
It was business as usual
In police room 619
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
The man is dead
When I try to sleep at night
I can only dream in red
The outside world is black and white
With only one colour dead
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
The man is dead
You can blow out a candle
But you can't blow out a fire
Once the flames begin to catch
The wind will blow it higher
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
The man is dead
And the eyes of the world are watching now, watching now

 

〈イエス〉

⑭ロンリー・ハート(Owner of A Lonely Heart )

作詞作曲 トレヴァー・ラヴィン/ジョン・アンダーソン/クリス・スクワイア/トレヴァー・ホーン

◯アルバム「ロンリー・ハート(90125)1983年/11th/全米5位・全英16位」初収録。

◯シングル(1983年/全米1位)

イエス唯一の全米No1ヒット曲です。このアルバム完成のために再結成した新生イエスの放った最大のヒット曲であると同時に、1980年代を代表する曲の一つでもあります。1980年代らしい、アレンジに隙のない、ある意味、パーフェクトな楽曲です。

このアルバム全体がそうですが、プロデューサーのトレヴァー・ホーンの色合いが強い楽曲(アレンジ)になっています。

私自身、イエスの楽曲の中では、この曲が一番好きです。

歌詞では、複数の自分が対立し、葛藤する姿が描かれています。

「自分から動くんだ。君は未来について考えることなく、いつも、自分の価値観の枠の中で生きている。自分の能力を示せ。行動が君を造形するのだ。勝つか負けるか、一か八かやってみろ。自分を見つめるんだ。君が登るステップが、君を高めるのだ。君には君のやり方があるはずだ。それが唯一の道なんだ。君自身を揺さぶれ。君の行うあらゆる行動が、君を形成する。こうして物語は進行する。」

「孤独な心の持ち主は、傷ついた心の持ち主よりマシだよ。言いなさいよ、思い切ってやってみる気なんてないって。これまで、たくさん傷ついてきたから。見なさい、ワシが大空を飛んでいくのを。その飛ぶ姿が、どれほど気高く孤高であるか。」

「不安を振り払って、無心でやってみるのよ。いいえ、お願いしているわけじゃない。孤独でいるべき理由なんて、本当はどこにもないのだから。人と交わりたいという、正直な、ありのままの自分自身でいることよ。あなたの自由意志に、チャンスをあげて。あなたは、成功を求めるべきなの、孤独な心の持ち主さん。」

Move yourself
You always live your life
Never thinking of the future
Prove yourself
You are the move you make
Take your chances win or loser
See yourself
You are the steps you take
You and you, and that's the only way
Shake, shake yourself
You're every move you make
So the story goes
Owner of a lonely heart
Much better than a owner of a broken heart

Owner of a lonely heart
Say - you don't want to chance it
You've been hurt so before
Watch it now
The eagle in the sky
How he dancin' one and only
You, lose yourself
No not for pity's sake
There's no real reason to be lonely
Be yourself
Give your free will a chance
You've got to want to succeed
Owner of a lonely heart