今回、物議を醸しているひろゆき氏の辺野古訪問騒動についてだが、私はひろゆき氏を責めるのは間違っていると思う。
実際、ひろゆき氏は、辺野古で抗議運動をしている人たちを馬鹿にし、基地反対運動の活動のあり方を揶揄しているように見えることは確かだが、それが沖縄県民全体を愚弄したことにはならないし、彼の表現が〝沖縄差別〟の表れである、などというのも、事実ではないと思うのだ。
彼は、単に、〝辺野古座り込み〟の活動家(前記事で述べた④グループの人々)を、おちょくっただけである。
そして、彼ら(④グループに属する)基地反対運動の活動家たちの非常に偏った考え方は、県民全体からみると、むしろ、少数派である。また、前述したように「オール沖縄」勢力を支持する人々の中でも、彼ら④グループは特異な思想の持ち主たちの集団なのである。
だから、一部活動家による〝辺野古座り込み〟が揶揄されたからと言って、沖縄が揶揄されたと受け取るべきではない。
そして、沖縄県民のひとりとして、私は彼の言動に、十分共感できる。
「一日一時間程度の抗議活動を、〝座り込み〟3011日目と表現するのは不適切」「休みの日もあるようだし、〝座り込み〟0日でいいのでは?」「米軍出て行け、自衛隊出て行け、の大合唱は、中国を利するだけ」「米軍も自衛隊もなしで、どうやって沖縄を守るの?」といったひろゆき氏の言動が、④グループの活動家たちの心を傷つけたのだという。それは確かなのだろう。しかし、そうだとしても、一方では「アメリカ人出て行け!自衛隊出て行け!」「安倍は戦争好き!」という活動家たちの罵声によって、傷つけられる人たちもいるのである。
おあいこではないだろうか?
辺野古の活動家の方々を含めて、反米・反安保・護憲・反自衛隊の立場をとる④グループの人々が、ひろゆき氏の言動に反発するのはよくわかる。だが、繰り返すが、彼らの立場が、多様な沖縄県民の意見を代表しているわけではない。
そもそも、辺野古の運動家の方々は、ひろゆき氏に対して、非常に猜疑的・好戦的・敵対的であり、平和を愛する人々とは思えない刺々しい態度・雰囲気である。「武器を取らずに、話し合いで解決するべき」とか言いながら、当の彼ら自身が、まったく話が通じない。
県民の中にも、彼ら④グループの人々と真っ向から対立する立場をとり、ひろゆき氏の主張に共感する人々だっているのだ。
県内二紙を筆頭に、東京新聞、毎日新聞などが、今回、ひろゆき氏に対するネガティブキャンペーンを展開している。
しかし、彼ら左派メディアの、ひろゆき氏を悪者扱いする〝印象操作〟は、到底、公正とは言いがたい。基地容認派・賛成派への言論封殺とも受け取れる。そのような姑息な策略は、沖縄の基地問題に関わる言論の質を、さらに低下させる。
何より、そうしたスジの悪い非難は、みっともないからやめたほうがいい。
県内外の良識的市民から「やっぱり基地反対派は低脳だ」と思われるのがオチである。