遊説中の銃の狙撃による、安倍晋三元首相の突然の悲劇的な死に対して、その国家的な喪失感を表し癒すために、内外の弔問者を迎えて、今日、国葬が行われました。

安倍さんのいない日本に生きることの心許なさは、筆舌に尽くし難いものがあります。これからの日本の安泰が、甚だしく脅かされているという、寄る辺ない不安感が拭えないまま、私たちは、今日の国葬の日を迎えました。

安倍さんは、日本が、アメリカ、中国、そして、世界とどう向き合っていくか、的確で明確で説得力あるビジョンを持って、具体的・現実的なリーダーシップを取ることができた、この国で唯一の政治家でした。

私の個人的な感覚では、エリザベス女王の死と安倍さんの死では、1人の日本人として、喪失感の重みが違いすぎて、まったく比べ物になりません。

エリザベス女王の死は、悲しい出来事とは言っても、大往生ですし、さらに言えば、遠い海の彼方の国で起こった他人事の事件です。

それに対して、安倍さんの死は、この国の行く末を左右する大きな悲劇であり、まったく他人事では済まない大変な出来事です。

私にしても、「これから、この国は、どうなってしまうのだろうか?」という不安が、いかにしても振り払うことができない焦燥感となって、今も心の奥底にたゆたっている状態です。

そうした不安感と哀しみは、安倍さんの国葬に反対する人々を、ニュースなどで目にするたびに、ますます強まります。彼らの心無いアジテーションは胸に突き刺さり、心の深いところで鋭い痛みをいっそう際立たせ、私は怒りすら覚えます。「いったい、この人たちは、何を考えているのだろうか?」とため息をつき、首を降らざるを得ません。

安倍首相の国葬に反対する人々、彼らは、なぜ、反対するのでしょうか?

今回の記事のテーマは、このことについてです。

まず、その理由を、整理してみましょう。

 

安倍さんの国葬に反対する理由

 

①安倍さんが嫌いだから

私のみたところ、デモをしてまで国葬に反対している人たちのほとんどは、安倍さんが大嫌いです。首相としてまったく評価していなかったどころか、早く辞めて欲しかった人たちです。さらに言えば、死んで喜んだ人たちもいたはずです。

「どうして、あんな奴の葬儀が国葬になるんだ?」というムカつきが感じられます。

だから、国葬当日にまで、反対のデモ行進をして、花を抱えて弔問に向かう人々の心を深く傷つけても、気にしないでいられるのです。

これは、ある意味、悪質な嫌がらせです。そのぐらい安倍さんが嫌いなのです。

また、アンケートなどで、国葬に反対と答えた人たちの多くは、安倍首相の功績をそれほど重く考えていない人が多いでしょう。

逆に、国葬に賛成の人たちは、安倍首相の功績を高く評価しているだけでなく、今の日本の政治に欠くことのできない重い役割を果たし続けているリーダーとして、今後の活躍にも大きな期待を寄せていた人たちが多いはずです。私のように。

結局、安倍さんが好きか嫌いか、それですべて決まりなのです。国葬の手続きが云々とか、法的根拠が云々とか、いくら屁理屈を言い立てても、そんなことは実は理由にならない(←特に、一般の人にとっては/よほどのへそ曲がりでない限り)。

安倍さんを好きな人は普通に国葬をやりたいし、嫌いな人は、なんだかんだと理由をつけてやりたくない。シンプルな話です。それだけのことですよね。

国葬が分断を生んだのではなく、もともと国民の間に根深い分断があるのです。

 

②自分の評価していない人の葬儀に、国費がつかわれることが不満だから

「なんであんなヤツの葬儀に、私が納めた税金を使うのよ!」という納得できない感があるようです。

国の費用としては、「いったい誰がこんなに費っているのだ?」と、よく問題になる生活保護費や精神障害年金の予算何兆円などと比べれば、たかだか十数億円程度の話なのですが、それすら費わせたくないという〝セコさ〟と〝みみっちさ〟を感じます。

同時に、税金をびた一文使わせたくないほど安倍さんが嫌い、という面もあるでしょう。

ただ、安倍さんが大好きだった私としては「なぜ、こんなに国費を使うんだ?」という反対に対しては、「なんてせこい人たち!」「セコいというにも、あまりにセコすぎて、このみみっちさは、形容のしようもないほど! ともかく酷すぎる!」という思いを禁じ得ません。

たとえ反対するにしても、そこまでセコい話をするか、と悲しくなります。

私欲ではなく、国のために命懸けで尽くした人に対して、そのぐらいの敬意を表して、税金使ってもバチはあたらないと思うのですが…。

ともかく、昨今は、あらゆる面で、日本人の精神が、どんどんケチ臭く、みみっちく、セコく、意地悪くなってゆく。100均精神というのでしょうか。情けない限りです。

皆んなが皆んな、百円均一で間に合わせようとする社会では、その国の文化は消滅し、経済もジリ貧になっていきます。自分で自分の首を絞めているようなものです。

結局、現代日本人のセコい精神が、いずれはこの国を滅ぼすことになるように思えてなりません。

 

③嫌いな人の葬儀に「弔意を示せ」と国から強要されていると感じ、ムカつくから

「あの人が死んでも、何も悲しくないのだが、どうして弔意を表さねばならないんだ?」「国が国民に葬式行けって強制するな!」という言い分です。

これも、共産党などが主張していることですが、そのくらい安倍さんを嫌いだし、国民にも安倍さんを評価させたくないという、反啓蒙(本人たちは啓蒙だと思っているようですが…)の意識の表れでもあるでしょう。

安倍憎し、ここに極まれり。

同時に、それほどまでに、彼らは、人も国も政府も神も、まったく信じていないのでしょう。だからこそ、むしろ、共産党の人たち(あるいは極左)ほど、自らの我欲に満ちた卑近な意思を持って、そして、自らの世俗に汚れた手で、フランクフルト学派の言う道具的理性を用いて、国(あるいは他者)をコントロールしたいという、上から目線の思い上がった欲望(権力欲/権力への意志)に、心が支配されやすいように思えます。

そのくせ、そのような傲慢な態度をとりながら、自分たちが、どれほど国によって守られ、世話されているか、なんの自覚もないようです。コロナ治療費が全額タダになる国に住み、当たり前のように恩恵を享受しながら、「この国は、国民のことを何も考えていない!」と、国に向かって唾吐くのはいかがなものか、と思うのですが…。

 

④安倍さんはカルト(統一教会)とつながっていたじゃないか、と非難の気持ちがあるから

安倍さん、及び自民党が、統一教会の支持を受け、その支持を利用していたというのは確かです。けれども、カルトと政治の問題は、統一教会との関係だけにとどまるものではありません。極右にも極左にも、政治に関わるカルト(≒セクト)集団は山のようにあります。

右であれば、顕正会、幸福の科学が、その代表でしょう。一方、左であれば、中核派・革マル派があります。その他、ラエリアンとか、アーレフとか、エホバの証人とか、いろいろ不思議な興味深いカルト・セクトが山のようにあります。ともかく、非常に香ばしいSF・ファンタジーを教義・ドグマとする集団が数多くあり、それらのカルト・セクトにまつわる事件や悲劇も数多く起こっています。

カルト・セクトは、日本の社会の闇であり、重大な社会問題であると同時に、社会に根を張っているという意味では、根絶し難いものであって、日本社会の根幹に関わる大問題でもあります。

私は、広い意味では、池田大作の創価学会も不破哲三の共産党も、カルト(セクト)と言ってよい権力装置・集金装置なのではないかと思っています。

その意味では、今回、メディアが、左翼セクトに加担して大騒ぎしているから、殊更、統一教会の問題だけがクローズアップされているという面も強いと思うのです。

つまり、メディアも安倍さんが嫌いで国葬にしたくないし、安倍さんを賞賛したくないと思っているということですね。

 

⑤安倍さんのような極悪人を国葬にしようとする政府・自民党・国は信用できないから

根本には「安倍は戦争好き」「安倍は権力を私物化した悪人」「殺されて当然の極悪人」という勝手な思い込み(妄想)があるようです。

だから、国葬の日に、安倍さんの遺影を射的のまとにして、嘲り嬲るという、信じられないほど無神経で品性下劣な反対集会を行うことができるのです。

そして、こうした「安倍は大悪党だ!」という共同幻想を国民に広めようとする洗脳戦略に、大々的に加担している一部メディア、一部政党、一部市民団体などに、私は、強烈なカルト・セクトの匂いを嗅いでしまうのです。

彼らは、信じたいものを信じる。信じたくないものは、何があっても信じない。これって、カルト・セクトの構成員(信者・メンバー)の基本姿勢ではないでしょうか。

そういう意味では、安倍さんの国葬に反対する人々の姿を見ていると、「カルト・セクトに踊らされる情けない日本人」を見せつけられているようで、やるせない、そして、とても情けない気持ちにさせられます。

特に、メディアは、国葬において献花に訪れる何万人もの良識ある国民の姿を、市民の心情に寄り添うかたちでは報道しようとはしません。そして、一部少数の非常識な連中による破廉恥な反対集会の様子ばかりを好意的にとりあげるのです。偏向報道、ここに極まれり、との感があります。少なくとも、メディアの報道からは、追悼の気持ちは一切感じられませんでした。残念なことです。

 

 

 

盟友菅義偉さんの弔辞で、安倍さんが最後に読んでいた『山縣有朋』のマーカーが引いてあった箇所として紹介されていた、盟友伊藤博文に先立たれた山縣が詠んだ歌。

 

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 

菅さんの想いが伝わってくる気がします。

安倍晋三元首相のご冥福をお祈り致します。

 

ここ数日、吉田松陰の辞世の句が思い出されてなりません。

 

身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂