〈正しい少子化対策〉


①生物学的に女性が最も子どもを産みやすい10代後半で子ども(第一子)を産むことを政府が奨励する。(晩婚化・無子化の解消)⇨生物学的には高校生からの妊娠・出産が最も健康的で望ましく多産も期待できる。そのためには、中学生・高校生の男女交際や結婚を国家レベルで奨励していく法改正や教育的指導が必要である。だが、それ以前に、中学生・高校生の男女交際を〝不純異性交遊〟などと呼んで忌避する硬直的な教育指導を一掃し、男女の交わりを適切に評価する価値観の育成が必要である。「明るい男女交際」「明るい子育て」カウンセリングが、中高の学校教育の一環として取り入れられることは急務である。まずは、男女交際も子育ても、人間的成長にとって必須という認識が社会全体に広まらなければならない。それによって、10代後半で結婚して子どもを育てていることが、社会的に積極的に評価され、進学や就職にも有利に働くようになることが肝要だ。

「10代で子どもを産むのは不良」などという認識が世間一般に広くイメージされるようでは話にもならない。

同時に、夫婦が互いに「一緒に苦労する」という共同体意識を持って、力を合わせて支え合えるような度量のある人間性を育てることを最重要視する教育観・人生観が根付かねばならない。豊かな人生をおくるためには、学歴やキャリアなどより、その方がはるかに重要である。


②高校生と並んで第一子出産の生物学的な最適齢期である大学生の結婚・妊娠・出産を、国を挙げて大いに奨励し、「子育てに勝る人間教育はない」という価値観を大学教育においても学生たちに根付かせる指導を徹底する。(子育ての高付加価値化)⇨「妊娠・出産・子育て」による休学が、就職活動において、履歴(キャリア)上プラスになる社会的評価の醸成が急務である。将来的には、複数の子どもを連れて高校や大学で授業を受け、子どもを連れて会社や役所に出勤する風景がありふれたものとなるのが理想である。

そのためには、「社会全体で子どもを育てる」という考え方が、社会通念として確固としたものとなる必要がある。それによって、他人の子供であっても、自分の子供同様に、遠慮せずに気を配ったり叱ったりするのが普通になることが望ましい。〝情けは人の為ならず〟が、共通認識となる社会を目指すのだ。

すべての子どもに対して、大人たちは責任を感じるのが当たり前であって、もちろん、「保育所は子どもの声がうるさい」などと言われ、迷惑施設として地域住民に忌避され、建設反対の動きが起こって、保育園の開設が断念を余儀なくされる事態など、決してあってはならない。


③「子育ては人生最大の喜び」キャンペーンを展開する。(子育ての〝生きがい〟化) ⇨「子育ての喜びは、一人より二人、二人より三人と、子沢山で兄弟が増えれば増えるほど、親の喜びが大きくなる」というイスラエルのユダヤ教的価値観を見習い、「子沢山は善」「親であることは喜び」という価値観を日本社会に浸透させる必要がある。

そのために、保育園や幼稚園から、小中高、大学まで、「兄弟は多い方が楽しい」という価値観を植え付ける教育を徹底する。また、漫画、アニメ、ドラマ、映画などでも、5人兄弟、10人兄弟を主題とした作品を奨励し、文化的な浸透力で、国民の価値観の変容を促すことも考える。

結局、子育てが親の喜びにならなければ、少子化を克服することはできないのだ。

仕事より子育てがしたい」と、世の大人たちの多数が、男女共に思うようにならなければならない。

特に、経済的に富裕なセレブの間で、10代、20代の若さで、保育所や育児施設やヘルパーや親に頼らず、自分で育てる子沢山の専業主婦や専業主夫として、愛情に満ちた育児生活をおくることが、「豊かで幸福な家庭生活」と「充実した人生の成功」のトレンドとなり、やがては確固とした上流階級の社会的ステイタスの証となることが望まれる。

つまり、「うちの子は東大なんです」と言うよりも、「うちの子は10代で3児の親なんですのよ」と言う方が、自慢になる社会でなければならないということだ。



〈もう一つの安易な少子化対策〉


移民(難民を含む)を増やす。⇨アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツなどのように、異次元の移民受け入れ(難民含む)を実行すれば、第一に人口増加が見込まれ、労働力も増える

先進国の恵まれて育った若者たちと違って、移民の若者は、給料の低い、きつい仕事でも、高いモチベーションを保って仕事に従事することが多い。多少日本語がたどたどしくとも、やる気のある途上国の若者の方が、活力と忍耐力に乏しく、やる気のない、甘やかされてスポイルされた日本の若者より、労働力としては好ましい。不法移民を非合法で雇い、人件費を大幅に削減している経営者もいる。こうした移民労働力の利用によって、産業競争力の強化が見込まれる。

第二に、途上国からの移民は、先進国の若者より子どもを多く産むので、日本生まれの若者たちの出生率が低迷を続けようとも、移民の出産貢献によって全体の出生率が底上げされる

また、第三に、難民の受け入れを積極的に進めた場合、人道的責任を模範的に果たしていると見做され、国際社会から信頼と尊敬を得ることができ、国家としての信用や発言力が高まる。


一方で、当然だが、移民の急増にはリスクがある。犯罪の増加やスラムの形成。安価な労働力である移民に仕事が奪われ、給料も上がらないし労働環境が改善されない弊害。現地コミュニティとの軋轢や対立の先鋭化など、どこの国でも移民の社会問題化・政治問題化は免れない。国民の自国ファースト意識や排他的ナショナリズムを刺激する可能性も高い。また、移民は、一度入れてしまうと、簡単には追い出せない

こうした移民リスクが見過ごせないものになったため、人道的配慮から難民・移民受け入れに積極的で、100万人の難民を受け入れたドイツのメルケル首相は、国民の反発を招いて人気が急落し、首相の地位を追われた。イギリスは、移民の無制限な流入に耐えきれなくなって、ついにはEUを離脱した。アメリカでは、バイデン政権の寛容な移民受け入れ政策が、推定で730万人もの不法移民の流入を招いたとして、多くの国民の反発を招いており、それがトランプへの支持票になるのではと恐れられている。カナダでも、これまで移民受け入れに積極的だったトルド首相は、国内の家賃の高騰や医療制度への負担増などから、政府の移民受け入れに不満を持つ国民が増えていることから、移民抑制へと大きく政策の舵を切った。フランスのマクロン大統領も、国籍修得条件を厳格化するとともに、不法移民に対する規制を強化している。



〈まったく効果がない少子化対策〉


国家が、若い世代の結婚・妊娠・出産を促すために、また、男性も女性も、育児休暇と手厚い福祉・育児ケアを受けられるように、大規模な財政支出を行う。⇨これまで、すべての先進国の少子化対策は、このタイプのやり方であった。しかし、いかなる国の財政支出政策も、長い目で見れば、生まれてくる子どもの数を増やすのに成功していない

加えて、1980年代に、わずかに出生率を上昇させたとされる北欧諸国の手厚い福祉政策も、1990年代以降は、まったく効果をもたらさなかった。結局、手厚い援助が当たり前のものになると、次の世代は、出生のために更なる援助を期待するようになる。より依存性が高くなるのである。

また、豊かな先進国において、老後の年金や老人福祉などの制度が充実すればするほど、国民は子どもを作らなくなるという傾向がある。老後の面倒を見てもらうために、子どもを作る必要性がなくなるからだ。

「十分なお金をもらえれば、若い世代の結婚も増えるし、子供も産む」という問題ではないのだ。現代人は、特に若者は、気楽な独身のライフスタイルが好きだから、あるいは、他者に対する責任を負いたくないから、あるいは、結婚したい相手がいないから、結婚しないし、子どもを産まない。しかも、彼らが負いたくない結婚や子育ての〝責任〟とは、金銭的な不安というより、むしろ、家族が共同体であるために費やされる個人的犠牲、つまり、必要な人間関係のわずらわしさやストレスや費やされる時間である。そういう意味では、結婚も出産も、将来に向けてのリスクでしかない。この事実は、どれほど国が財政支出したところで変わるものではない。

特に東アジア圏では、結婚していない若者は、成人後も親と同居していることが多い。その場合、家賃や光熱費や食費などがかからず、稼いだお金は、ほとんどすべて自分の趣味に使えるし、貯金もしやすい。ところが、結婚すると、実家を出ることになり、それまで必要なかった家賃や光熱費や食費など生活費を自己負担しなければならない。

昔は、兄弟も多かったし、親の面倒を見なければならない一部の不運な人たちを除けば、成人したら自由を求めて親元を離れる若者が多かった。だから、かつては、結婚は、むしろ、生活費の節約につながったのだが、今では逆で、結婚すると、かえってお金がかかるのである。

だからといって、それまで親が負担してくれていた生活費を、結婚したから、今度は国に援助を求めるというのは何か違う気がする。若者がお金がないのは今も昔も変わらない。ただ、概して、昔の若者は、今の若者ほど依存性が高くなかったし、自立心が旺盛だった。

また、お金がある恵まれた人が、みんな結婚したがるわけではないし、子どもをたくさん欲しがるわけでもない。そうであるなら、セレブが、みんな、10代や20代前半で結婚し、子どもを5人、10人と産んでいるはずだし、そうした〝大家族〟が、豊かさのステイタスになっているはずだ。しかし、実際には、10代の結婚も、子沢山も、夢も希望もない途上国の貧困家庭のイメージでしかない。イギリスでは、大学卒業者は、高卒で社会に出た人々の1/2しか子どもを産まないというデータもある。財政が豊かで教養のある人々ほど晩婚化し、子どもを作らないのである。国の財政支出には、こうした社会の価値観を変容させる力はない。

少子化対策を財政支出に頼っている以上、豊かになればなるほど、少子化は進むしかないだろう。





〈難民の認定数〉(2021)

ドイツ  38918人

カナダ  33801人

フランス 32571人

アメリカ 20590人

イギリス 13703人

日本     74人


〈移民人口数〉(2020)※不法移民除く

アメリカ 5063万人

ドイツ  1573万人

イギリス  939万人

フランス  852万人

カナダ   805万人

スペイン  684万人

イタリア  639万人

日本    273万人

スウェーデン192万人


〈合計特殊出生率〉

フランス 1.68 (2023)

アメリカ 1.67 (2022)

ドイツ  1.58 (2021)

イギリス 1.56 (2021)

スウェーデン 1.45 (2023)

カナダ  1.43 (2021)

ノルウェー 1.41 (2022)

フィンランド 1.26 (2023)

イタリア 1.25 (2021)

日本   1.20 (2023)

スペイン 1.19 (2021)




小幡績「子育て支援なんか意味ないよ。だって、世界中どこも少子化対策に成功している国なんかないもん。中国も台湾も韓国も、日本以上に出生率の低下が進んでいるし、欧州もアメリカも、途上国から大量に流入している移民が子供を産んで全体の出生率を上昇させているだけで、白人の出生率の低さは日本と変わらない先進国は、必ず少子高齢化するの。これを免れる国はない。福祉が手厚くてジェンダー平等や子育て支援が充実しているスウェーデンやフィンランドだって少子化は進んでいる。先進国で少子化の進行を食い止めることに成功した国はひとつもない!少子化対策なんて意味ないんだよ。」


田原総一朗「若者の経済的貧困が少子化の原因だと良く言われるが、では、どうして、今より貧しかった終戦直後や、昭和初期、明治・大正期は出生率が高かったのか。どうして経済的に豊かな先進国は出生率が低くて、貧しい途上国ではたくさん子供を産むのか?」


小幡績「途上国では、子どもは労働力なんだよ。昔は日本も貧しい途上国だったから、国も家族も、豊かになるためには、子どもをたくさん産む必要があった。昔は、貧しい中で10人兄弟とか普通だった。それに、本当に貧しい国では、人間は一人では生きられない。生き延びるためには、家族や共同体が必要だったんだ。逆に、今の日本人は、豊かになってしまって、一人でも生きられる環境にある。そうなると、『家族を作るのが当然』という社会的圧力も薄れるし、結婚するのもしないのも自由だという価値観になる。むしろ、現代人は、家族をつくるのが〝めんどくさい〟んだよ。結婚も、子どもをつくるのも、将来を考える上で、リスクになっちゃった。そんなリスクを負うのが、精神的にも経済的にも重いし面倒なんだよ。これは、日本だけの話じゃないよ。豊かになったら、どこの国でもそうなる。集団で生きるより、個人で生きる方がラクになる。独身貴族なんて言うでしょ。出生率って、要するに、婚姻率なんで、結婚しなけりゃ子どもも減るわけ。貧しい国や地域ほど、結婚率は高いし、兄弟も多い。経済的に最も豊かな東京都の出生率が低くて、平均所得が国内最低の沖縄県が一番出生率が高いのは何の不思議もない。だから、いくらお金をかけて少子化対策に力を入れたって、実効性はまったくない。そんな無駄遣いするより、もっと本当に必要なことに、お金を費った方がいい。」


田原総一朗「日本は、ここ30年低迷を続けている希望のない最低の国だと言われていますが、どうでしょうか?」


小幡績「そんなことないですよ。みんな、『日本は悪い、悪い』と自虐的な発言をする人が多いけど、実際は、日本は良くもないけど悪くもない。希望もいっぱいあります。むしろ、中国や韓国の方が希望がない。中国なんて若年失業率14%ですよ。韓国も格差がひどすぎて希望がない。そういう国から、『日本の方が希望があるから』と僕の大学にだって、たくさん外国人学生が来ている。日本人は、日本が悪い、政府が悪いと言い過ぎだ。世界のどこにも、日本よりはるかに成功しているモデル国家なんかない。」


田原総一朗「僕が以前、朝日新聞と毎日新聞の主筆に『どうして、ダメだ、ダメだと政府の批判ばかりして、希望のある建設的な提言をしないんだ』と訊いた。すると『実効性のある提言をするためには、しっかりした研究が必要で、それにはお金もかかるし才能もいるから難しいが、批判をするのはお金も才能も要らない』と答えた。つまり、お金もないし、バカばっかりだから、批判しかできないんだと、こう言うんだね。」



朝生で、まともなことを言う人は、この二人しかいない。朝生でなくても、多くのメディア・専門家が、「日本は悪い」教のプロパガンダしかしない劣悪な洗脳機関に成り下がっている。それじゃダメと指摘する人は、とても希少な人材。

そもそも、日本でも、結婚している女性の生む子どもの出生率は、ここ30年以上、ほとんど変化していない。変化したのは結婚率である。しかも、結婚しない理由の第一位は「もっと自由を満喫していたいから(あるいは、積極的に結婚したいとは思わないから)」であり、第二位は「仕事に打ち込みたいので、交際は面倒(ストレス)だから」であり、第3位は「適当なふさわしい相手、結婚したいと思える人との出会いがないから」である。イギリスでも、ミドルクラス(富裕層)や上流階級では子どもを望まないカップルが増えており、大卒の女性は高卒以下の女性と比べて、子どもを産む割合が1/2であるという。結局、経済的問題は、少子化の主たる理由ではないのだ。

よく「若者世代の貧困や生きづらさが少子化を招いている」と主張する識者の方がいるが、真実、そうであるなら、「日本よりパレスチナやソマリアの方が、はるかに若者が裕福で生きやすい」「戦前や終戦直後より、現代の方が、はるかに若者は貧窮していて生きにくい」という、到底あり得ないことになってしまう。若者の貧困や生きづらさと少子化とは、ほぼ相関関係がないのではあるまいか。

私としては「ハリネズミのジレンマが人間関係の基本になってしまった〝わがまま〟で〝繊細〟な現代人にとっては、〝つがい・ペア〟になるより〝ひとり・ソロ〟でいる方がラクだから」と言われた方が説得力があるように感じるのだ。

ガザやソマリアでは、助け合える家族や友人が多くなければ、生き延びることは難しい。途上国では政府の救済措置など期待できない。紛争や災害時など、いざという時、頼りになるのはプライベートな人間関係のみである。家族や友人の助けもなく、ひとりでは、到底サバイバルできない。しかし、先進国では、お金さえあれば、1人でも不安なく生きていけるし、お金がない場合でも、政府が助けるべきという議論が成立する。むしろ、先進国では、公の支援(福祉政策)は当たり前であって、「やってもらって当然」という意識が強く、感謝などあまりない。その反面、互いに助け合って生きるという意識は薄い。逆に、1人であれば何とか考えられるが、結婚して他人や子供まで面倒みないといけなくなると難儀なことこの上ないと感じるのが普通になりつつある。

結婚するのも、子どもをつくるのも、むしろ、生きていく上で、リスクでしかなく、喜びよりも、わずらわしさが大きい。そう感じる人が、どんどん増えているのは、生きることが過酷なサバイバルではない、豊かな先進国の特徴であり、高等教育を受けている人々の特徴でもある。したがって、世界中のどこの国においても、教育の無償化も、子育て支援も、手厚い福祉も、「結婚したくない子どもを持ちたくない」という価値観が急速に広まる世界的な潮流の勢いを助長するばかりで、その価値観の変容を促す力には、まったくなり得ていない。少子化対策に効果はないのだ。

もう一つ、はっきりしていることは、「日本は少子化のトップランナーではない」ということだ。日本の少子化は突出したものではない。むしろ、現代の人類社会において、未婚化・晩婚化・無子化・少子化は、どこの国も克服できていない課題であり、不可避の現象である。今や、ベトナムやタイまで、合計特殊出生率が、2.1を下回っている。少子化しているのは日本ではなく途上国も含めた世界の『人類社会全体』なのである。

ところが、どこまでもウソをつくメディアが、この国の国民が、この「人類の危機」に際して正しい認識を持つことを阻害している。




〈合計特殊出生率〉※

全世界平均 2.27  (2021)

OECD38カ国平均 1.58  (2021)

◯先進国

日本 1.20(2023)

東京都 0.99(2023)

沖縄県 1.60(2023)

中国 1.09(2022)

シンガポール 0.97(2023)

台湾 0.87(2022)

香港 0.77(2021)

韓国 0.72(2023)

オーストラリア 1.70(2021)

フランス 1.68(2023)

アメリカ 1.64(2022)

イギリス 1.56(2021)

ドイツ 1.46(2022)

カナダ 1.43(2021)

スウェーデン 1.45(2023)

ノルウェー 1.41(2022)

スイス 1.33(2023)

フィンランド 1.26(2023)

イタリア 1.20(2023)

スペイン 1.19(2021)

イスラエル 3.00(2021)※

◯途上国

ニジェール 6.82(2021)

ソマリア 6.31(2021)

ナイジェリア 5.24(2021)

タンザニア 4.73(2021)

アフガニスタン 4.64(2021)

エチオピア 4.16(2021)

イラク 3.40(2022)

パキスタン 3.40(2022)

パレスチナ ガザ地区 3.34(2023)

パレスチナ ヨルダン川西岸 2.91(2023)

ケニア 3.34(2021)

エジプト 2.92(2021)

モンゴル 2.84(2021)

フィリピン 2.75(2021)

サウジアラビア 2.43(2021)

南アフリカ 2.37(2021)

インドネシア 2.20(2022)

インド 2.01(2022)

ベトナム 1.94(2021)

タイ 1.33(2021)



※合計特殊出生率は、一人の女性が生涯に生む子どもの数。2.1以下では人口は必ず減少する。また、これは、結婚した女性が子どもを二人産めば良いということではない。すべての女性が結婚するわけではないからだ。例えば、結婚率が50%であれば、人口を維持するためには、結婚した女性は平均で4人の子供を産む必要がある。


※先進国で唯一3.00という驚異的な合計特殊出生率の高さを誇るイスラエルは、先進国で唯一、親族の絆が非常に強く、今だに大家族制が維持され、「子どもを育てることは人生で最大の喜び」とするユダヤ教の価値観が若い世代にも受け継がれている。そのため、イスラエル社会では、一人の女性が、生涯に5、6人の子どもを産み育てることは珍しいことではない。こうした子沢山の傾向は、教育レベルの高い女性であっても変わらない。

しかし、イスラエル以外の国では、特に、教育の高い女性ほど、晩婚化し、子どもを産まない傾向が強まる。これは、先進国だけでなく、途上国であっても、似たような傾向は年々強まっている。

例えば、日本でも、生物学的に最も出産能力のある10代で結婚する女性は、今ではほとんどいない。また、10代の高校生などが出産したら、不良と呼ばれ、社会的に貶められる可能性が高い。これでは、少子化の克服など到底ムリである。



2024年5月22日、スペイン、ノルウェー、アイルランドが、パレスチナを国家として5月28日付で承認すると決定しました。

すでに、5月10日の国連総会では、193の国連加盟国のうち、143カ国がパレスチナ国家の国連加盟に賛成しています。(⇨この決議案は18日に安全保障理事会で採決され、いつものように常任理事国であるアメリカの拒否権発動によって否決されました。)

正式なパレスチナ国家の承認国も、142カ国に及び、欧州でも、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、チェコ、スロバキア、ブルガリア、アルバニア、モンテネグロ、キプロス、アイスランド、スウェーデンは、既にパレスチナを国家として承認しています。さらに、今回の3カ国の承認で、欧州のパレスチナ承認国は14カ国になります。加えてスロベニア、マルタも承認へ向けて審議中で、それが決定すれば、欧州のパレスチナ承認国は16カ国となります。

ただし、その他の多くの欧州の国々のパレスチナ承認は、例えばイギリス・フランス・ドイツもそうですが、紛争の最終的な解決の結果としてイスラエルとパレスチナの二国並立を認めるという立場であり、今すぐパレスチナを国家として認めるというものではありません。

しかし、今回の3カ国の承認は、これまでの11カ国同様、今すぐ無条件でパレスチナを国家として認めるというもので、世界へ向けて、パレスチナへの支持をより強く示すようにアピールするものとなっています。

ちなみに、現在、パレスチナ国家を承認をしていない国は、上記の3国を除けば世界で47カ国あり、主要な未承認国としては、イスラエル、アメリカドイツイギリスフランスイタリア、オーストリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、デンマーク、フィンランド、ポルトガル、ギリシャ、クロアチア、エストニア、ラトビア、リトアニア、スイス、モナコ、カナダオーストラリア、ニュージーランド、日本韓国、シンガポール、ミャンマー、カメルーンなどがあります。

G7と呼ばれる主要7カ国は、すべて未承認国なのです。


アイルランドは、イギリス支配下の北アイルランドにおける民族問題を抱えており、パレスチナの立場に強く共感する国民意識があります。北アイルランドのアイルランド人居住地区では、パレスチナの旗が各地にはためいていて、住民のパレスチナ支持の姿勢が鮮明です。その一方で、イギリス人居住区ではイスラエルの旗が掲げられており、対立は強烈なものがあります。アイルランド首相は、「ガザでは、想像を絶する人道的大惨事が、リアルタイムで進行している」「正しい事をする決定は、無期限に待たされるべきではない」と述べました。

ノルウェーは、同じ北欧のスウェーデンと同様に、国民の大多数がパレスチナ支持の立場で、今回のガザ戦争でも、欧州主要国の大勢のイスラエル支持の雰囲気に抗して、当初からイスラエルへの非難が多く叫ばれていました。反ユダヤ主義という批判をものともしない強固なパレスチナ支持の姿勢がありました。ノルウェー首相は、「パレスチナを国家として認めることが、二国家共存の実現につながる」と述べています。

スペインについても、カタロニアとかバスク地方とか、少数民族や地方が中央から徹底して弾圧される状況に、市民が抵抗を続けてきた歴史的伝統から、ガザ・ヨルダン川西岸(パレスチナ)へのシンパシーが強いのだと思われます。スペイン首相は「この承認は、ハマスを利すると言われているが、そうではない」「イスラエルは、今だに病院や学校を爆撃し、女性や子供たちを飢えと寒さで苦しめている」「私たちはこれを許すことはできない」「パレスチナにおいても、ウクライナと同様、ダブルスタンダードは許されない」と述べました。

しかし、この3カ国の発表に対して、イスラエル政府は激しく反応しています。三国の駐在大使を即時帰国させた上、カッツ外相は「パレスチナ人と世界に、『テロは報われる』というメッセージをおくることになる」と批判し、ネタニヤフ首相は「この承認は、テロに対する報奨だ」と非難し、国家治安相は「パレスチナを承認した国は、人殺しに賞を与えるようなものだ」と述べ、断じて容認しないとする姿勢を強調しました。さらにカッツ外相は「在イスラエル・スペイン領事館とヨルダン川西岸のパレスチナ人との関係を断絶させる」と述べました。


国際刑事裁判所(ICC)は、5月20日、意図的に民間人を殺害し、飢餓に陥らせるなど、イスラエル軍のガザへの攻撃が戦争犯罪に当たる疑いがあるとして、ハマス幹部とともに、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相に逮捕状を請求しました。ICCは「イスラエルは自国を守る権利はあるが、この権利は、イスラエル、並びにいかなる国家も、国際人道法を遵守する義務から免除されるものではない」と声明を出しました。

これにもイスラエルは猛反発し、ネタニヤフ首相は「イスラエルの市民を虐殺、強姦したハマスと、正当な戦争を戦っているイスラエル国防軍を同列に論じるICCの厚かましさは何事か」と激しく糾弾しました。

そうした中で、イギリス、フランス、アメリカなどでは、多数派である親イスラエル派と少数派の親パレスチナ派の対立が先鋭化し、全米各地の大学では、親パレスチナ・デモの学生らに多くの逮捕者が出ています。

イギリスのキャメロン外相は、「パレスチナ国家の正式承認を前倒しにする用意がある」と示唆していますが、ICCの逮捕状請求については英政府は一切コメントしていません。しかし、アメリカのバイデン大統領はICCの逮捕状請求を「言語道断」と激しく非難しました。もちろん、米政府によるパレスチナ国家承認の実現可能性など、まったくありません。一方で、スペイン・フランス外務省は「ICCと刑事免責に対する戦いを支持する」とICC支持の立場を表明しました。さらにフランスのマクロン首相は「パレスチナ国家承認はフランスにとってタブーではない」と発言しています。

また、ホロコーストの反動から伝統的に強固な親イスラエル国家であるドイツでは、親パレスチナの人々の立場は非常に脆弱です。ドイツの盲目的なイスラエル支持の背景には、新たなドイツのナショナリズムと人種的優越主義の影が見え隠れしています。それどころか、ナチズム的な人種優越思想を濃厚に漂わせる現イスラエル政府に全面的に庇護を与えることで、ドイツ社会は、相変わらずナチズム的人種優越主義との親和性を示しているという皮肉を込めた指摘さえもあるのです。

ドイツ外務省は、ICCに対して「ハマス指導者とイスラエル首相を同等であるかのような誤った印象を与えた」と批判しました。また、パレスチナを承認した3国に対しても、「単純かつ象徴的なパレスチナ国家承認は平和をもたらさない」と冷笑的態度をとっています。米独は、「イスラエルの同意のないパレスチナ国家承認は一方的である」として反対の立場です。

ドイツとアメリカのイスラエル全面支持の姿勢は、今のところ、揺らぐ気配がありません。


そうした欧米での状況とは対照的に、日本では、そもそもガザ戦争への国民の関心自体が、欧米とは比較にならないほど低く、政治的問題としての焦点になり得ていないのが現状であり、それゆえ、親イスラエル派と親パレスチナ派の対立も、ほとんど目立ちません。

日本政府の公式の立場は、二国共存を支持するが、その実現まで、パレスチナ国家承認はしないというものです。その立ち位置は、ICCを痛烈に批判するドイツ・アメリカほど親イスラエル一辺倒ではありませんが、「パレスチナ国家承認は考慮する価値がある」とするイギリス・フランスほど公平・中立的ではないという、米独と英仏の中間的な位置を維持しているようです。

日本は、米独のように、全面的に軍事的なサポートを行うことで、イスラエルの戦争を支えているわけではありません。また、巻き起こるイスラエル非難の国際世論を積極的に批判することで、ネタニヤフを側面支援しているわけでもありません。ただ、あらゆるイスラエルへの非難に1ミリも加わることなく、沈黙することで、外交的に、一番無難で無理のない立ち位置を選んでいるように見えます。そこには、外交的利益と倫理的・人道的問題との間での葛藤がまったく見られないのも確かです。なんだか要領よく都合のいい身の振り方です。とは言え、繰り返しますが、この問題についての国民の関心が低過ぎて、現状、日本政府の立場を再考するよう働きかける政治的圧力は皆無と言えるでしょう。

残念ながら、この国では、国会議員が、500万とか1000万円とか、党からキックバックを受けたが申告していないという些細な問題の方が、ガザで150万人の民間人が生命の危機にあり、食糧もなく爆撃から逃げ惑っている状況よりも、国民の重大な関心事となっているのです。

これも平和ボケというのでしょうか。要するに、ガザの悲惨は、日本人の『関心領域』にないのです。

この国の市民には、『明日は我が身』という危機意識が欠片もなく、「あそこ(ガザ)で逃げ惑っている人々は、私たち日本人だったかもしれない」と想像できるイマジネーションが欠如しているようです。



※5月24日、国際司法裁判所(ICJ)は、イスラエルに対して、ガザ最南部ラファでの戦闘停止を命じる2度目の暫定措置命令を出しました。しかし、イスラエルの主席報道官は「地球上のいかなる権力も、我が軍を止めることはできない」と従わない意向を表明しました。


※6月4日、欧州のスロベニアがパレスチナを国家として承認しました。


※6月8日、コロンビアは「ジェノサイドが止まるまで」イスラエル向けの石炭輸出停止を宣言。

江戸時代までの庶民であれば、ごく当たり前の感覚で理解できたのが、令和の現代人には意味が分かりにくくなっている〝ことわざ〟が沢山あります。


袖擦り合うも他生の縁(そですりあうもたしょうのえん)

『袖擦り合う』というのは、道ですれ違うときに、互いの袖が触れ合うことです。単に、道が狭いとか混んでいたからとか急いでいたから、とかの理由ではなく、「そうなったのも、ひとつの『縁(えん)』なのですよ」という教えです。

『縁』というのは、「物事の関わり・つながり」を意味する仏教用語です。主に「人と人との出会いを生じさせる原因となる要素や関係性の複合作用」の意味で使用されます。「物事が起こる理由・起因」という意味でも使用されます。

関連する用語で『因縁(いんねん)』という言葉がありますが、これも「『物事を起こす直接の原因である〝因〟』と『その因を助ける間接の条件である〝縁〟』という二つの力によって、この世の全ての事象は起こるのだ」という仏教思想を背景として、「あらゆる事象の直接・間接の原因」または「人と人の間の複雑な関係性」という意味で用いられる用語です。

さらに『縁起(えんぎ)』という言葉がありますが、「何事も縁があって起こる」という仏教の考えから、「物事の起こり・起源・由来」あるいは「物事の前触れ・兆し・前兆」という意味で使用される用語です。

さらには「男女の縁(えにし)は、どこでどう結ばれるかわからない、まことに不思議で趣深いものである」という意味で、『縁は異なもの味なもの』ということわざもあります。

ただ、『袖すり合うも…』のことわざを理解する上では、「〝他生の縁〟とは、どのような縁なのか」というところが分かりにくいところで、私も十代の頃は「多少の縁」程度の軽い意味だと勘違いしていました。「道ですれ違うときに袖が擦れ合うのも、何らかの縁が多少はあったのではないかね」というレベルのいい加減な理解をしていたわけですが、これが大きな間違いでした。

『他生』とは、「他の生」つまりは「前世」のことで、『他生の縁』というのは、「前世からの縁」という意味なのです。

ここで言う「縁」は悪い意味ではありません。むしろ、前世で仲の良い友人や恋人や家族だった縁かもしれません。知らず、『赤い糸』で生まれる前から結ばれていて、互いに、その糸の引き合いに導かれたのかもしれません。

そう考えると、ちょっとした出会いであっても、これも大切な縁ではないかと思えてきます。それが『一期一会』の感覚ですね。

しかし、このことわざは、仏教的な『輪廻転生』の世界観に基づいていますから、仏教的には一般的である「生まれ変わり」という考え方に馴染みのない現代人にとっては、いまひとつピンとこないかもしれません。


情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)

「困っている人に情けをかけるのは、その人の為にならない。」「安易に人を甘やかすべきではない。」「自己責任の精神を育てる為には、手助けを控え、敢えて苦労をさせて、独力で解決するすべを学ばせるべきだ。」言わば「かわいい子には旅をさせよ」の他人バージョンであるとする解釈が、巷に蔓延しております。

おそらく、リバタリアンの感覚や思想の影響を多かれ少なかれ受けている現代人のほとんどが、このことわざを、上記のように理解していることでしょう。

しかし、本来は、まったく逆の意味合いを持つもので、正しい解釈は次のようなものです。

「困っている人を助けるのは、その人の為ではない。『明日は我が身』『人間万事塞翁が馬』ということわざもあるように、人の運命は先の見えないものだ。いつかは自分が窮地に陥ることもあるだろう。そうなった時、今度はあなた自身が助けられる側にまわることになるのだ。その時、世間の誰からも見捨てられ、救われずにひとりぼっちで沈んでいく運命を回避したければ、そんな冷たい世の中にならないように、自分が助けられる時は、進んで人を助ける者となりなさい。それが、儒教で言うなら『徳を積む』ということでもあるのです。人は徳を積むことで、本来なら被るはずだった災難を免れることもできるのですよ。」

今、あなたが人を見捨てたように、明日は、あなたが人に見捨てられるかもしれません。これを仏教では『因果応報』と言います。

儒教や仏教の素養のない現代人にとっては、何をいっているのか、まるでわからず、受け取り方によっては「巡り巡って自分もいつか救われますように」という願いも、「結局は利己的な欲得であり、ギブ・アンド・テイクの損得勘定に過ぎないのではないか」「卑しい根性だ」と感じるかもしれません。

しかし、それは、「明日は我が身」を想像できない貧困なイマジネーションの成せるわざです。

また、本来、『徳を積む』というのは、仏教・儒教的には「自らの魂・心を磨く修行をする」という意味なのです。ソクラテスの哲学でいう「よりよく生きる」という倫理観にも通じるかもしれません。

結論を言うなら、このことわざは、「困っている人を助けるのは、自分の魂・心を磨く修行をさせていただいているという意味で、人のためでなく、自分のためなのだ」と言っているのです。

しかし、これもまた、宗教や哲学の素養の乏しい現代人の多くにとっては「魂・心の修行って何?」と、頭の中が疑問符だらけとなり、意味が掴みにくいかもしれません。


三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)

中国地方の覇者となった戦国武将毛利元就が三人の息子に授けたとされる『三本の矢』の教えにも通じますが、一人の知恵より、二人の知恵、二人よりも三人の知恵が優れているという意味です。矢が一本では、折ろうと思えば簡単に折れてしまうが、三本の矢をまとめると容易には折れないのです。それと同様に、1人の知恵はたかが知れているが、三人で知恵を出しあえば、素晴らしい知恵が生まれるかもしれません。

さて、ここで問題となるのは『文殊の知恵』とは何かということです。「文殊」というのは、仏教の仏さまの一人である「文殊菩薩」のことです。

「菩薩」は、仏さまといっても、釈迦のように悟りをひらいて「如来」となった最高位の存在ではありません。菩薩は、釈迦の直接の弟子たちの中でも、最も優れた者たちであり、すでに一度は天に昇ってはいるのですが、自らの悟りを得る修行を極めるために、下界へ降りてきて、衆生を救うために尽力している方たちです。このように菩薩が行なっている衆生を救う修行を『菩薩行』と言います。この菩薩行を通じて、諸菩薩は、如来のように悟りへと至ることを目指しているのです。

誰でも知っている有名な菩薩には「観音菩薩(観音様)」「地蔵菩薩(お地蔵さん)」「弥勒菩薩」などがいらっしゃいます。

このことわざで出てくる文殊菩薩は、知恵の教典である般若経典を携え、悟りへと至る智慧を司る仏で、諸菩薩を主導する「説法する仏さま」として、釈迦如来の向かって右(左脇)に侍します。向かって左(右脇)に侍し、慈悲を司り、あらゆる所に現れて人々を救う「行動する仏さま」として「行の仏」とも言われる「普賢菩薩」と対になり、「釈迦三尊」の一つとして安置されます。

また、文殊菩薩は一般的な知恵の象徴ともなっており、そこから、このことわざが生まれたものと考えられます。

そのため、このことわざは「三人が力を合わせれば、(文殊菩薩のような)素晴らしい知恵が生まれる」という意味になります。


地獄の沙汰も金次第(じごくのさたもかねしだい)

仏教の宇宙観では、人は死んだ後、冥界で、奪衣婆の手で衣服を剥ぎ取られ、裸で裁きの白洲へと引き立てられ、閻魔大王さまから「今世での行状によって地獄行きになるかどうかを決めるお裁き」を受けますが、この閻魔大王さまの判決告知を、ここでは『地獄の沙汰』と言っています。

「沙汰」とは、決定の通知、指示、命令のことで、つまり、このことわざの意味は、「地獄に落ちるかどうかについて定める、閻魔大王の裁判の判決でさえも、お金次第で有利にも不利にもなる」というものです。

もっと端的に言うなら、「閻魔大王にさえも賄賂が通じる」ということです。閻魔大王でさえ、受け取ったお金の量で、亡者の刑を重くしたり軽くしたりするということで、具体的には、亡者が自分を救うためのお金をたくさん持っていれば無罪放免で輪廻に戻れたり、逆にお金がなければそのまま地獄行きになったりするというのです。

冥界の裁判ですらそうなのだから、まして、地上の裁判であるなら、実際、多くの国でそうなるように、『資産家が無罪になり、貧乏人が有罪になるのは至極当然である』ということになります。

例えば、インドでは、被害者や遺族がまとまったお金を渡さなければ、殺人だろうが誘拐だろうが、警察はまったく動いてくれません。フォリピンでは、警官にその場で賄賂を渡せば、交通違反の切符は切られずにすみ、チャラになります。アメリカでは、大金を出して弁護士のドリーム・チームを雇えれば、裁判を有利に運べますし、日本でも、少年事件は、弁護士の稼ぎ場となっています。

そのように、お金は、人の運命を大きく左右する重要なアイテムであると言えるでしょう。

そのため、特に、資本主義社会が高度に発達した現代においては、なおさら「お金さえあればなんでもできる」と人は思い込みがちです。

けれども、それは間違いで、実際には、お金で健康や幸福を買うことはできないのです。

そのことを、前回の記事で紹介したハーバード大学の調査が証明しています。

ハーバード大学の86年にわたる大規模調査では、人の健康と幸福の最大の鍵は、資産でも収入でも職業でも学歴でもなく、家族や友人との『よい人間関係』であることがわかっています。


ハーバード大学は『ウェルビーイング(Well Being)』(心身の健康や幸福)の鍵を探す「成人発達研究」の大規模調査を、1938年から86年間にわたって続けてきた。

大学卒業生を含めて、富裕層から貧困層まで、2600人の対象者の生活状況や健康データを継続的(5年ごと)に集め、10年ごとに対面で生活や健康状況の変化、幸福度などをヒアリング調査してきた。

その調査対象は、本人のみならず、配偶者、子ども、孫へと三世代に渡っている。

現在、研究を担っている精神医学教授ロバート・ウォールディンガー教授によると、伴侶や子どもたち、友人たちとの『良い人間関係』は、心臓病・糖尿病・関節炎などの発症を抑制する反面、『慢性的な孤独感』は一年あたりの死亡率を26%高めるという。当然、寿命・健康寿命にも大きな差が現れる。加えて、主観的な幸福感にも明白な違いが見られるという。

教授は、幸福の二大要因として、パートナーや友人たち、子どもたちと過ごす「時間」と「質」を挙げている。そして、「長い人生における幸福は、収入や学歴や職業や社会的成功に関係なく、利害関係に関わらないプライベートの人間関係によって育まれる」と結論付けている。

 

ところが、世の中を見渡せば、現実にはそうではない人たちも多く見受けられる。「温かい人間関係など望まない」「正直に言えば、お金と地位・名誉があれば、他に何も要らない」という人たちだ。彼らの多くは、世間的には、本音を隠して生きている。世間に対しては、礼儀正しく、常識のある人間を装っている。しかし、本心を言うなら、人間的な温かみや触れ合いなど二の次なのだ。経済的安定と世間的な名声の方がはるかに大事なのである。しかも、彼らは非常に演技が上手い。だから、普通の人は、ころりと騙されてしまう。好きでもない、情のかけらも感じない相手と、お金と生活の安定のために、何十年もの間、相手に何の疑いも抱かせず、パートナーとしての役割を演じきれるほどの演技のプロフェッショナルたちなのである。

だから、定年退職後の年金や財産の分割を計算に入れた熟年離婚が増えるのだ。多くの場合、哀れな夫たちは、唐突に予期せぬ離婚を突きつけられる、その瞬間まで、妻の真実の心を知ることはない。それほどまでに、夫たちは鈍感であったのだ。一方で、妻たちは巧妙であったとも言える。

そして、どちらがサイコパスだったのか、それは、離婚後の様子を見ていればわかる。生き生きとして、快活に生きている方が、真のサイコパスである。そして、正常な心を持つ人ほど、心を病みやすく、健康を害して早死にしやすい。

Only The Good Die Young(若死するのは善人だけ)』という格言は真実である。

単身高齢者の数は、2024年現在、750万人にのぼり、2050年には1000万人を超える。さらに、このうち男性の60%は未婚者もいる。彼らは、生涯、配偶者も子どもも持ったことがないのだ。そして、日本の65歳以上の孤独死は、現在、年間6万8000人とされる。

孤独は、心と身体の健康を蝕んでいく最大の有害要因である。

 

しかし、サイコパスにとってはそうではない。彼らは、孤独によって、心身が害されることがない。しかし、彼らの存在が周囲に与える影響は甚大である。

恐ろしいのは、彼ら、良心を持たないサイコパスの心のあり方が及ぼす被害は、1世代の間だけにとどまらないということだ。親である彼らの心のあり方は、次の世代に破滅的な影響を及ぼす。現代においてすら、家族の問題を自分の心以外に原因を見出そうとする親は多い。しかしながら、たとえ親がサイコパスでないとしても、子どもが人生において直面する心理的な問題の多くが、親の心のあり方に起源を持つことは心理学的に観て明らかである。

だが、そうした極めて有用な知識は、現代の教育において、ほとんど生かされていない。ほとんどの大人たちが、その真実から目を背けているからだ。

さらに、最も恐るべき可能性についても、記しておかねばならないだろう。それは、「現代の社会環境は、個々の人間の生活環境としては、他者の心情を汲み取れない(気にもしない)『サイコパスであること』が、個として生物学的に生存に有利な条件となっており、自然淘汰の原則に従って、ますますサイコパスを増やしているのではないか」ということだ。

 

それでは、私たちは、どうやってサイコパスを見分けたらよいのだろうか。一つの目安として、言えることは、「サイコパスは歌わない」ということだ。

音楽は、人間の脳内でセロトニン分泌を促すが、サイコパスの脳は音楽によって生じるセロトニンの分泌に反応しない。従って、サイコパスは音楽に反応しない。だから、サイコパスは、音楽を聴くことや歌うことが喜びにならない。

一方で、一般の人は、音楽に強く反応する。音楽は痴呆症に罹っている脳すらも活性化させる。人は、たとえ言葉は忘れてしまっても、歌は忘れないのだ。そして、音楽を聴くことや歌うことで、人は感情の記憶をまざまざと思い出すことができる。だから、歌うことで、人は、痴呆症の進行を抑制することができるのだ。

音楽は、脳の内側前頭前野を活性化させるとされる。この部分は、感情の抑制、共感性、主観的幸福感と深い関わりがあり、人がどう感じているかを洞察する能力を司ると言われている。音楽は、他者との共感性を高めるとともに、深い幸福感を感じられるようにする、極めて有効性の高いツールであると言える。

逆に、この内側前頭前野が活性化しない人たちは、幸福感や共感性が低く、感情の抑制が効かない。集団行動が苦手で、空気が読めず、キレやすい。

 

中部アフリカのカメルーンの熱帯雨林のジャングルの奥地に、15万年前の古代人類に由来するY染色体ハプログループBを濃厚(70%)に有するバカ族(ピグミー)という狩猟採集民がいて、文字を持たず、貨幣も知らずに、昔ながらの森の生活を続けている。バカ族は「音楽の民」として知られている。バカ族では、男は太鼓を叩き、女たちが歌う。バカ族にとって、音楽は言葉よりも大切だ。

彼らは、狩で得た獲物を、共同体の全員で平等に分け合う。決して、差をつける事をしない。誰もが対等の仲間であるからだ。

バカ族の長老は言う。「私たちは、言葉ではなく歌で、仲間になろうと望まれている事を理解します。」

歌は、仲間に連帯感や友情、愛情や帰属感を理解してもらう最良の手段なのだ。

人は、歌によって『自分は孤独ではない』と知る。言葉では嘘がつけるが、歌は嘘をつかない。

歌のない社会は、孤独な社会である。イギリスのパブでは、誰もがピアノに合わせて歌に声を重ね、初めて会った老若男女が、バカ族のように、みんなで一つの音楽を楽しむことができる。かつて、日本にも歌声喫茶というのがあったが、しかし、今の日本では誰も歌わない。今の日本社会は、どこか深刻に病んでいるのかもしれない。

 

バカ族のBより古い、Y染色体ハプログループAを高頻度で有し、27万年前の人類の遺伝子を濃厚に有する、アフリカ最古の人類とされる南アフリカのサン人(ブッシュマン)の間では、カラハリ砂漠での伝統的な狩猟採集生活を続けている者は、もはや、ほとんどいない。しかし、サン人の新しい生活への適応はあまりうまくいっていない。サン人の多くは、貨幣経済生活になじめず、定住化と現金経済の浸透によって起こるストレスから、飲酒による暴力や自殺が顕著となり、失業や伝統文化の消失が社会問題化している。

私たちの社会は、古代人の脳にとっては、まったく耐えられないほど、過酷で理不尽で孤独でストレス過多な生活環境となっているということなのだろう。

それこそ、サイコパスでなければ耐えられないというほどに。

その意味では、現代においては、多くの人が、多かれ少なかれ、サイコパス的であることを余儀なくされているのかもしれない。私も、あなたも、現代人の多くが、ある面では極めてサイコパス的である可能性は否定できない。

しかし、だからといって、サイコパスであることを無条件で認めるわけにはいかない。多くの場合、一般の人にとって、真性サイコパスは有害な捕食者となっていて、一般人は彼らサイコパスの餌食とされていることが多いからだ。

 

だから、私にできるアドバイスは一つだけだ。「歌いなさい。」

歌わないことは、サイコパスにとっては普通のことだが、一般の人にとっては、うつの兆候である。サイコパスから逃れたければ、歌うのだ。自らのサイコパス性を緩和するためにも、音楽に親しむことは大切だ。

音楽と歌によって、人は『自分が孤独ではない』と感じることができる。それこそ、ハーバード大の研究で明らかにされた幸福になるための鍵だと言えるだろう。

NHKのフロンティアという番組で「ヒトはなぜ歌うのか」というテーマでさまざまな研究の成果が紹介されていた。その番組の冒頭で、イギリスの研究者が「はたして音楽を聴くことや歌うことは、単なる娯楽や趣味、生きることに直接関わらない二次的な文化行動に過ぎないのか、それともヒトという種にとって、もっと切実で、生を支える重要な要素なのか」という問題提起をしている。

そして、結論を言うなら、食べることやお金を稼ぐことが、ヒトの生を支えるために必要であるのと同じように、音楽と共にあること、歌うこともまた、ヒトの生を支える重要な要素なのである。

小浜島のKGB84ではないが、確かに『歌う者は元気に長生きする』のだ。