ハーバード大学は『ウェルビーイング(Well Being)』(心身の健康や幸福)の鍵を探す「成人発達研究」の大規模調査を、1938年から86年間にわたって続けてきた。

大学卒業生を含めて、富裕層から貧困層まで、2600人の対象者の生活状況や健康データを継続的(5年ごと)に集め、10年ごとに対面で生活や健康状況の変化、幸福度などをヒアリング調査してきた。

その調査対象は、本人のみならず、配偶者、子ども、孫へと三世代に渡っている。

現在、研究を担っている精神医学教授ロバート・ウォールディンガー教授によると、伴侶や子どもたち、友人たちとの『良い人間関係』は、心臓病・糖尿病・関節炎などの発症を抑制する反面、『慢性的な孤独感』は一年あたりの死亡率を26%高めるという。当然、寿命・健康寿命にも大きな差が現れる。加えて、主観的な幸福感にも明白な違いが見られるという。

教授は、幸福の二大要因として、パートナーや友人たち、子どもたちと過ごす「時間」と「質」を挙げている。そして、「長い人生における幸福は、収入や学歴や職業や社会的成功に関係なく、利害関係に関わらないプライベートの人間関係によって育まれる」と結論付けている。


ところが、世の中を見渡せば、現実にはそうではない人たちも多く見受けられる。「温かい人間関係など望まない」「正直に言えば、お金と地位・名誉があれば、他に何も要らない」という人たちだ。彼らの多くは、世間的には、本音を隠して生きている。世間に対しては、礼儀正しく、常識のある人間を装っている。しかし、本心を言うなら、人間的な温かみや触れ合いなど二の次なのだ。経済的安定と世間的な名声の方がはるかに大事なのである。しかも、彼らは非常に演技が上手い。だから、普通の人は、ころりと騙されてしまう。好きでもない、情のかけらも感じない相手と、お金と生活の安定のために、何十年もの間、相手に何の疑いも抱かせず、パートナーとしての役割を演じきれるほどの演技のプロフェッショナルたちなのである。

だから、定年退職後の年金や財産の分割を計算に入れた熟年離婚が増えるのだ。多くの場合、哀れな夫たちは、唐突に予期せぬ離婚を突きつけられる、その瞬間まで、妻の真実の心を知ることはない。それほどまでに、夫たちは鈍感であったのだ。一方で、妻たちは巧妙であったとも言える。

そして、どちらがサイコパスだったのか、それは、離婚後の様子を見ていればわかる。生き生きとして、快活に生きている方が、真のサイコパスである。そして、正常な心を持つ人ほど、心を病みやすく、健康を害して早死にしやすい。

Only The Good Die Young(若死するのは善人だけ)』という格言は真実である。

単身高齢者の数は、2024年現在、750万人にのぼり、2050年には1000万人を超える。さらに、このうち男性の60%は未婚者もいる。彼らは、生涯、配偶者も子どもも持ったことがないのだ。そして、日本の65歳以上の孤独死は、現在、年間6万8000人とされる。

孤独は、心と身体の健康を蝕んでいく最大の有害要因である。


しかし、サイコパスにとってはそうではない。彼らは、孤独によって、心身が害されることがない。しかし、彼らの存在が周囲に与える影響は甚大である。

恐ろしいのは、彼ら、良心を持たないサイコパスの心のあり方が及ぼす被害は、1世代の間だけにとどまらないということだ。親である彼らの心のあり方は、次の世代に破滅的な影響を及ぼす。現代においてすら、家族の問題を自分の心以外に原因を見出そうとする親は多い。しかしながら、たとえ親がサイコパスでないとしても、子どもが人生において直面する心理的な問題の多くが、親の心のあり方に起源を持つことは心理学的に観て明らかである。

だが、そうした極めて有用な知識は、現代の教育において、ほとんど生かされていない。ほとんどの大人たちが、その真実から目を背けているからだ。

さらに、最も恐るべき可能性についても、記しておかねばならないだろう。それは、「現代の社会環境は、個々の人間の生活環境としては、他者の心情を汲み取れない(気にもしない)『サイコパスであること』が、個として生物学的に生存に有利な条件となっており、自然淘汰の原則に従って、ますますサイコパスを増やしているのではないか」ということだ。


それでは、私たちは、どうやってサイコパスを見分けたらよいのだろうか。一つの目安として、言えることは、「サイコパスは歌わない」ということだ。

音楽は、人間の脳内でセロトニン分泌を促すが、サイコパスの脳は音楽によって生じるセロトニンの分泌に反応しない。従って、サイコパスは音楽に反応しない。だから、サイコパスは、音楽を聴くことや歌うことが喜びにならない。

一方で、一般の人は、音楽に強く反応する。音楽は痴呆症に罹っている脳すらも活性化させる。人は、たとえ言葉は忘れてしまっても、歌は忘れないのだ。そして、音楽を聴くことや歌うことで、人は感情の記憶をまざまざと思い出すことができる。だから、歌うことで、人は、痴呆症の進行を抑制することができるのだ。

音楽は、脳の内側前頭前野を活性化させるとされる。この部分は、感情の抑制、共感性、主観的幸福感と深い関わりがあり、人がどう感じているかを洞察する能力を司ると言われている。音楽は、他者との共感性を高めるとともに、深い幸福感を感じられるようにする、極めて有効性の高いツールであると言える。

逆に、この内側前頭前野が活性化しない人たちは、幸福感や共感性が低く、感情の抑制が効かない。集団行動が苦手で、空気が読めず、キレやすい。


中部アフリカのカメルーンの熱帯雨林のジャングルの奥地に、15万年前の古代人類に由来するY染色体ハプログループBを濃厚(70%)に有するバカ族(ピグミー)という狩猟採集民がいて、文字を持たず、貨幣も知らずに、昔ながらの森の生活を続けている。バカ族は「音楽の民」として知られている。バカ族では、男は太鼓を叩き、女たちが歌う。バカ族にとって、音楽は言葉よりも大切だ。

彼らは、狩で得た獲物を、共同体の全員で平等に分け合う。決して、差をつける事をしない。誰もが対等の仲間であるからだ。

バカ族の長老は言う。「私たちは、言葉ではなく歌で、仲間になろうと望まれている事を理解します。」

歌は、仲間に連帯感や友情、愛情や帰属感を理解してもらう最良の手段なのだ。

人は、歌によって『自分は孤独ではない』と知る。言葉では嘘がつけるが、歌は嘘をつかない。

歌のない社会は、孤独な社会である。イギリスのパブでは、誰もがピアノに合わせて歌に声を重ね、初めて会った老若男女が、バカ族のように、みんなで一つの音楽を楽しむことができる。かつて、日本にも歌声喫茶というのがあったが、しかし、今の日本では誰も歌わない。今の日本社会は、どこか深刻に病んでいるのかもしれない。


バカ族のBより古い、Y染色体ハプログループAを高頻度で有し、27万年前の人類の遺伝子を濃厚に有する、アフリカ最古の人類とされる南アフリカのサン人(ブッシュマン)の間では、カラハリ砂漠での伝統的な狩猟採集生活を続けている者は、もはや、ほとんどいない。しかし、サン人の新しい生活への適応はあまりうまくいっていない。サン人の多くは、貨幣経済生活になじめず、定住化と現金経済の浸透によって起こるストレスから、飲酒による暴力や自殺が顕著となり、失業や伝統文化の消失が社会問題化している。

私たちの社会は、古代人の脳にとっては、まったく耐えられないほど、過酷で理不尽で孤独でストレス過多な生活環境となっているということなのだろう。

それこそ、サイコパスでなければ耐えられないというほどに。

その意味では、現代においては、多くの人が、多かれ少なかれ、サイコパス的であることを余儀なくされているのかもしれない。私も、あなたも、現代人の多くが、ある面では極めてサイコパス的である可能性は否定できない。

しかし、だからといって、サイコパスであることを無条件で認めるわけにはいかない。多くの場合、一般の人にとって、真性サイコパスは有害な捕食者となっていて、一般人は彼らサイコパスの餌食とされていることが多いからだ。


だから、私にできるアドバイスは一つだけだ。「歌いなさい。」

歌わないことは、サイコパスにとっては普通のことだが、一般の人にとっては、うつの兆候である。サイコパスから逃れたければ、歌うのだ。自らのサイコパス性を緩和するためにも、音楽に親しむことは大切だ。

音楽と歌によって、人は『自分が孤独ではない』と感じることができる。それこそ、ハーバード大の研究で明らかにされた幸福になるための鍵だと言えるだろう。

NHKのフロンティアという番組で「ヒトはなぜ歌うのか」というテーマでさまざまな研究の成果が紹介されていた。その番組の冒頭で、イギリスの研究者が「はたして音楽を聴くことや歌うことは、単なる娯楽や趣味、生きることに直接関わらない二次的な文化行動に過ぎないのか、それともヒトという種にとって、もっと切実で、生を支える重要な要素なのか」という問題提起をしている。

そして、結論を言うなら、食べることやお金を稼ぐことが、ヒトの生を支えるために必要であるのと同じように、音楽と共にあること、歌うこともまた、ヒトの生を支える重要な要素なのである。

小浜島のKGB84ではないが、確かに『歌う者は元気に長生きする』のだ。