この時期
毎度毎度、本部の人事決めは難航だな~~~
私が2度とやりたくない委員、それが
選考委員。
引き受けてくれる人があらわれるまで続く活動。
イヤだという人に何度も頼み込むのがなんともイヤだ。
自分で引き受けたほうがはるかに気持ちいい。
だけど、来年はそれもできないんだよね。
子供が卒業してしまうので。
来年の選考委員はどうなることやら・・・
今からちと心配になっている今日このごろ。
冬の青少協行事
青少協の今年の行事がほぼ終わった。
天気が今ひとつだったけど、
なんとか雨も降らず無事終了。
いろんな組織が寄せ集まってできている団体なので
何かイベントをするとなると
本部にどうしても負担が大きくかかってくる。
負担を少なくするには
割り振りを具体的に詰めて、細かく指示していくのが良いと思うのだが
それが一番の負担だ、と感じてる人も多い。
「みんなで分担しましょう」
というのは正しいと思う。
だが、その分担をどうするのかという
統括まで投げかけるのは
かえって混乱を招き、負担増になると思うのだが・・・・
今年はわりとスムーズにいった。
昨年の混乱から、学んだものね。
私の担当は、皿回し。
子供と一緒に遊んで、教えてあげるのだが
これ、けっこう大人がハマルのよ^^
子供の安全教育
4つの分科会に分かれて、講演を聴くのだが
今年も、子供たちの安全について、警察の方のお話を聞くことにした。
栃木での少女殺人事件から、ちょうど一年をむかえたこの日。
まだ犯人は捕まっておらず、警戒を怠ることはできない。
地域、学校、それぞれにできることもあるけれど
家庭での安全教育をもっと見直そう、という趣旨のお話であった。
防犯ブザーや監視カメラなどの防犯グッズがハード面だとすれば
家庭教育、しつけで子供たちを守っていくことは、ソフト面だといえる。
それにはまず、親子のコミュニケーションが必要、ということだった。
「非行で補導した子供たちに共通して言えるのは
親の職業、氏名(漢字)、年齢がわからない、ということです」
これは、親子間のコミュニケーションがとれてない証。
そう指摘された親は「いえ、ウチはちゃんとしています」と反論したが、
よくきいてみると、家の1階と2階にいて、
「ごはんができたわよ」「わかった」
と、メールでやり取りをしているとか。
「これでは、コミニュケーションがとれているとは言えない」
講師の方はそう言って、嘆いた。
まず、家庭内でよく会話し、お互いがなんでも話し合える雰囲気であること。
そうすれば、何かの犯罪に巻き込まれても、子供は親に助けを求めてくる。
外に出て、ご近所の方に親が挨拶をすることも、大事なことである。
子供は親の挨拶する姿から、他人との距離を学び
その人が知人かどうかの判断もする。
具体的には、親がまず、一緒に通学路を歩き
危険箇所や季節によっての暗くなる時間帯などの
確認をすることが大事である。
「こども110番」の家の確認も必要だが
できれば、そこの家と顔見知りになっておいたほうがいい。
大人でも、道を歩いていて危険な目にあったとき、
知らない家に駆け込んでいくのは難しいものである。
「こども110番」の家に限らず、通学路に知り合いの家を作っておけば
子供も逃げ込みやすくなる。
決まり文句を疑ってみることも必要である。
「気をつけなさい」というのはよく言うことだが
子供には、具体的にどう気をつけるのか言ったほうがいい。
・「知らない人にはついていかないんだよ」
子供への犯罪の犯人は、近隣の者であることが多い。
「知らない人」ではなく、「知っている人」なのである。
子供には、
「おうちの人以外には、ついていかない」 ということを徹底させよう。
・「危ない場所には近づかないんだよ」
具体的に、「危ない場所がどこか」、「なぜ近づいてはいけないのか」 を教えよう。
・「一人では帰らないんだよ」
たとえ友達と一緒でも、「道をふざけて歩かない。前をちゃんと見て歩こう」と教えよう。
交通事故の防止にもなるし、前方に不審者がいたときに
アクションを早く取ることができる。
・「危ないときは、防犯ブザーを鳴らすんだよ」
防犯ブザーが、ときには危険を招くこともある。
防犯ブザーは、持っていることをハッキリとわかるようにすること。
危険なときには、ブザーを鳴らす前に、
「助けて!」と大声を出すこと。
子供は、ブザーを鳴らすことに懸命になりがち。
まず、「声を出して逃げる、手振りを大きくする」ことが先決である。
不審者情報は毎日のように学校に届き
それらにすべて対応していたら、親の負担も大変なことになる。
不審者情報に一喜一憂するのは過剰だが、関心を持つことは大切。
平素は、みんなで見守り、何かあっときには、一致団結して
子供たちを守っていく必要がある。
子供を犯罪から守るのも、結局は
親の手間、なのである。
手抜きしてもいいところもあり
してはいけないところもあり。
子育ても、メリハリが大事だというところかな・・
そんなことを思いながら、今年も研究会での有意義な時間をすごすことができた。
(今回で4回目の研究会。PTAの歌も、もうすっかり歌えます^^)
出席停止ですか
いじめた子供を出席停止
実際には難しいことだろうけれど
極悪ないじめにはアリかもしれない、と思う。
ただ、いじめは単純なものではないので
出席停止にする子供を特定するのは
かなり困難なのではないか。
そこまでハッキリできるのであれば
出席停止にする前に、教師や学校で
何らかの手が打てるはずだし
それができないで子供を出席停止にするのは
教育者としての力量不足、恥だと感じてほしいとも思う。
出席停止にして教育指導するのだ
とどなたかが言っていたが
そのときには、親も一緒に教育したほうが良いかもしれない。
そんなことを考えたニュースでした。
いじめ・自殺・おもうこと
世の中の人間がすべて善人でない限り
いじめは、無くならない。
人を選ぶ私立学校ならともかく
公立学校でいじめをゼロにするのは不可能だと思う。
問題は、いじめが起きたとき
それをどうするか、なのだ。
うちの息子は他人のことにすぐ首を突っ込む性格で
それが嫌われ、いじめられるということがよくあった。
彼は学校での出来事は一切親には言わないので
私の得た情報は周囲からチラホラと聞こえてくるものだけだったけれど。
幼稚園の頃、近所の子供たちと遊んでいて
「公園に行こうよ」 と誘う息子に
「先に行ってろよ」 とひとりの子供が言い
「じゃ、後から来てね」 と念を押した息子に
「わかったから、早く行けよ」 と行かせて
息子の姿が見えなくなったとき、子供たちは
「誰が行くか、バーカ」 と、反対方向に走り去った。
それを一部始終、ベランダから、私は見ていた。
それとなく、子供たちの母親にそのことを伝えると
「うちの子、そういうとこ、あるのよね」とサラっと答えた母親。
これはもう何を言っても無駄だと、それ以上は何も言わなかった。
息子がいじめにあっても何事もなく成長してこれたのは
首を突っ込む彼のことを「おせっかい」と感じる子がいた一方で
「親切だ」と感じてくれた子がいて、その子らと付き合ってこれたからだと思う。
友人は多くはないが、孤独ではなかった。
担任の教師にも恵まれた。
一時期、学校の習字の道具や上履きが隠される出来事があり
「先生に言ったの?」ときいてみると
「言ったけど、先生は知りません、って」
という担任にも当たったが、幸い、一年で異動になり
その後は、いじめは許さない、という姿勢の教師に受け持たれた。
いじめの定義とは
「 自分より弱いものに対して、一方的に
身体的、心理的な攻撃を継続的に加え
相手が深刻な苦痛を感じているもの 」
一人の子供を長期的に攻撃することが、いじめなのだ。
だから、いじめの芽を見つけたら
早いうちにそれを抜き取ってしまうことが重要で
教師はその役目を担っている。 はずである。
いじめによる自殺が続いている。
今日の読売新聞の社説 を読んで少し失望した。
いじめを無くすことが必要なのは明らかだけど
マスコミの責任はないのだろうか。
テレビのニュースでは、今日はあちらで自殺、こちらで自殺
学校が悪い、教育委員会が悪い
鬼の首を取ったかのような追及ばかりで
自殺を防止するような啓蒙は見受けられない。
言い方は悪いが
「煽ってるんじゃないか」 と思ったりもする。
事実を報道するのは当然のことで
それが悪いということではない。
相手が影響を受けやすい子供だということを
もっと自覚してほしいと思う。
いじめからの緊急避難として
登校拒否もある。
転校もある。
いじめを克服した学校もある。
成功例の取材はないのか。
有益な情報を与えずに
自殺だけを延々と伝える報道はいかがなものか。
大事にしてほしいのだ。
自分も、他人も。
親として、無力感を味わうことほど
つらいものはない。
ようやく
周年記念行事のメインイベント
記念式典が終わった。
来賓70数名。30周年でこの数!
土曜に行われたためか、出席率が高かった。
一年生が式典に参加するのだから
なるべく短い時間で終わらせなくちゃ・・・
なのに、校長の式辞が長い!!!
祝電紹介は私の役目だったが
ギリギリ早口ですませた(つもり)。
「緊張したんでしょう」って言われたけど
気が気じゃなかったのよ(^^ゞ
後半は一年生、グズグズである。
仕方ないよね。
担任の先生がいくらがんばっても
大人のための式典なんだから。
小さい子には退屈以外の何物でもない。
朝は雷もとどろき
波乱万丈な幕開け。
「祝砲があがってますね^^」とジョークで流す教頭でなければ
ここまでの準備はできなかっただろう。
昨年の教頭のままだったら
私は途中で「勝手にやってください」と手を引いたかもしれない。
やっぱりね
教員にしろ、PTA役員にしろ
何かを協力して成し遂げるために必要なのは
人となりだと思う。
あの人だから、手を貸そう
そう思わせるような仕事ぶりって大事だと思う。
押すところと引くところと
空気を読めるような人。
来年、新しい校長が異動してくるのなら
そんな柔軟な人であってほしい、と願う。
(もう来年の話・・・とらぬ狸のなんとやら^^)
まだ、PTA主催の記念行事が残っている。
こちらは、「大人のため」ではない。
子供のためのもの。
これが本当のまつりだってところを
見せてやろうじゃないの^^
なんじゃこれは
「みんなのテーマ」になったんだ。
今までβ版だったのが、正式版になったということか?
コメントの修正も管理者としての修正も何もできないまま
書きっぱなしのモノになってしまったというわけね。
サークル感覚から、いきなり大道芸人になった気分。
落ち着かない方は、自分のブログだけの記事公開にしておくほうがいいかもしれない。
うむむ。
設計図
息子の通う高校にもPTAがあって
先日、豚汁つくりが行われた。
それがなんと、燃料の薪割りからするってんで
今回はダンナに行ってもらった。
父親がけっこう参加していたとか。
豚汁つくりの手順や味付けなど、口出ししたいことは
たくさんあったらしいのだが
自分の職種がばれてしまうので
黙っていたそうだ^^
来年は隣駅にある学校と統合されることになっている。
アチラの学校はPTAではなく、「保護者の会」があって
学校行事に親と教師が参加するような機会は
ほとんど、ないらしい。
そのほうが、楽は楽だよなぁ。
問題は、統合することによって、どちらの形態をとるか・・だと思う。
人間、楽なほうに流れてしまうから
PTAではなく、「保護者の会」になるのではないだろうか。
それがハッキリと決まるまでは
暫定的な会も必要になるかもしれない。
仮称「Pの会」とかなんとか・・・
あー。
こんなシミュレーションを考えてしまう自分。
「PTAは生きがいなんでしょ」
なんて言われてしまうのは、こんなところからなんだろう。
見ないふり~~
知らんふり~~ (^ε^)♪
いよいよ
記念行事も終わりそうだし。
まだまだ、PTA役員は続けるけど
末っ子が中学にあがったら、パートではなく
フルタイムで働きたい、と思って。
これからはますます
効率のよい活動を目指す事になりそうです。
編集後記にいれたかった文章
編集後記はさっさと私が書いてしまっていた。
手直しがあるなら後からどうぞ、というカタチで
誰にも相談せず、書きたいことだけを書いた。
一番書きたかったのは、この部分。
記念誌作成にあたって、原稿や資料の提供など、たくさんの方にご協力していただきました。ありがとうございます。ご尽力していただいた皆様へ、深く感謝申し上げます。
また、30周年記念行事のために、毎年、お預かりしたPTA会費のなかから積み立てを行ってきました。来るべき記念の日のための積み立て金を承認してくださった、各年のPTA会員の皆様のご理解とご協力に感謝いたします。
今年在籍している子供たちには記念品、記念誌が渡される。
が、それ以前の卒業生には、何もない。
他人の懐で行う記念行事。
「子供たちのため」でもない。
誕生日を祝う必要はない、と言っているんじゃない。
だが、なぜカタチにこだわり
大金を使わなくてはいけないのだろうか。
納得できないまま、記念行事は終わるんだろうな。
50周年には、周辺の卒業生にも寄付そのほかを募り
関係者一同が主導でやるといい。
PTA役員はその年だけの役員でしかない。
保護者としてできるだけのことをしているだけなのだから。