結婚しない女
最近オレの周りに「結婚しないでも生きてゆける」という女が異様に増えている。男もかも知れない。
彼らは決して結婚できない言い訳を言ってるのではない。周りに友人もたくさんいる。人付き合いもうまい。仕事もある程度充実している。
友人が少ない、人から好かれない、むしろ嫌われることが多いオレからすれば、うらやましい限りである、ハハハ。
つまり結婚しない彼らはひとりで生きてゆくリソースが手に余るほどある。そこで当然「結婚しなくても幸せに人生を終えられる」と確信がもてる。
結婚する意味やお得感が薄れてるという人もいるが、付加価値をつけることで結婚を促すというのもおかしな話なので、頼むから引っ込んでてくれ。
オレには結婚する、しないの判断が、個人主義の病気に冒されてると思えてならない。
その人の幸福をおのおの自由に追求してゆくのが個人主義。
結婚するもしないも自由、子供を産むも産まないも自由。結婚のリスクと独身のメリットをてんびんにかけて選択することも個人の自由だ。
これ自体に落ち度はない。だが、何故個人主義が流行するのか?
それは“自由”だからだ。
生きるうえで何も制約を受けない「フリーダム」。それを誰が拒否するだろうか?
しかしこれは本当の“自由”か?
制約をすべて取り払う「開放」や、無限にある選択肢から究極の「欲求」を満たせることが自由か?
そこで自由の正体が気になる。
「自由は、不自由の限界で生じる」これは福沢諭吉の言葉で、「自由」とはギリギリの抑圧やしがらみで、どうしても耐えられない不自由を感じたとき初めて「自由」が切実に欲しいと感情がほとばしるだけのものであって、どこかに“自由”というものが光輝いていて、それをつかみにゆくようなものでなく、不自由がなければ自由もないのだと。
あなたの言う「自由」は実はたいしたことのないオツムから出てきた単なる欲求に過ぎない。そう疑うことを忘れたとき「結婚しないことが自由」や「結婚することが幸せ」が、捨てセリフとなって現れる。
だからオレは「結婚しないことが自由」も「結婚することが幸せ」もどっちも信じてない。
昔のように家柄などの理由で簡単に結婚できないとか、戦争で明日にも死ぬかも知れないような状況だと、結婚を急いだり、執着した時代があった。逆に豊かになり、人の活動に制限がなくなった状況だと、結婚の価値が下がり軽んじられ、生涯ひとりの相手を守りぬくこともバカバカしくなる。
つまりその時代ごとの状況に合わせて、結婚の価値が上昇と下降を繰り返し、永遠に堂々巡りしてるだけ。
個人の自由も抑圧もあんまり度を越すと、人々はロクな考えしか持たないということである。
さて結婚はするべきか?
それは、おばあちゃんにでも聞いてみましょう。
彼らは決して結婚できない言い訳を言ってるのではない。周りに友人もたくさんいる。人付き合いもうまい。仕事もある程度充実している。
友人が少ない、人から好かれない、むしろ嫌われることが多いオレからすれば、うらやましい限りである、ハハハ。
つまり結婚しない彼らはひとりで生きてゆくリソースが手に余るほどある。そこで当然「結婚しなくても幸せに人生を終えられる」と確信がもてる。
結婚する意味やお得感が薄れてるという人もいるが、付加価値をつけることで結婚を促すというのもおかしな話なので、頼むから引っ込んでてくれ。
オレには結婚する、しないの判断が、個人主義の病気に冒されてると思えてならない。
その人の幸福をおのおの自由に追求してゆくのが個人主義。
結婚するもしないも自由、子供を産むも産まないも自由。結婚のリスクと独身のメリットをてんびんにかけて選択することも個人の自由だ。
これ自体に落ち度はない。だが、何故個人主義が流行するのか?
それは“自由”だからだ。
生きるうえで何も制約を受けない「フリーダム」。それを誰が拒否するだろうか?
しかしこれは本当の“自由”か?
制約をすべて取り払う「開放」や、無限にある選択肢から究極の「欲求」を満たせることが自由か?
そこで自由の正体が気になる。
「自由は、不自由の限界で生じる」これは福沢諭吉の言葉で、「自由」とはギリギリの抑圧やしがらみで、どうしても耐えられない不自由を感じたとき初めて「自由」が切実に欲しいと感情がほとばしるだけのものであって、どこかに“自由”というものが光輝いていて、それをつかみにゆくようなものでなく、不自由がなければ自由もないのだと。
あなたの言う「自由」は実はたいしたことのないオツムから出てきた単なる欲求に過ぎない。そう疑うことを忘れたとき「結婚しないことが自由」や「結婚することが幸せ」が、捨てセリフとなって現れる。
だからオレは「結婚しないことが自由」も「結婚することが幸せ」もどっちも信じてない。
昔のように家柄などの理由で簡単に結婚できないとか、戦争で明日にも死ぬかも知れないような状況だと、結婚を急いだり、執着した時代があった。逆に豊かになり、人の活動に制限がなくなった状況だと、結婚の価値が下がり軽んじられ、生涯ひとりの相手を守りぬくこともバカバカしくなる。
つまりその時代ごとの状況に合わせて、結婚の価値が上昇と下降を繰り返し、永遠に堂々巡りしてるだけ。
個人の自由も抑圧もあんまり度を越すと、人々はロクな考えしか持たないということである。
さて結婚はするべきか?
それは、おばあちゃんにでも聞いてみましょう。
危ないおもちゃ
やっぱりメルトダウンは起きていた。
とは言えもう後の祭りです。
メルトダウンとは核燃料のコアの部分が冷やすのに失敗して、高熱で物質が溶けて落ち、鋼鉄製の炉を突き破って放射能物質が露出してしまうことで、これにプラスして爆発や汚染水となって大気中や外に出てしまう。そこで初めて被ばくの危険にさらされることになる。
なので、地震と津波の直後の水素爆発で放射能が飛び散ったときが最も被ばくの恐れがあったということで、核物質の効力が減退し爆発はもう起こらないだろうとされてる現在は、日を追うごとにリスクも減っていることになる。
今このタイミングでメルトダウンを認めてもたいしたパニックになりようがない。だから重い腰を上げ、発表に踏み切ったといえる。
では何故、最も被ばくの恐れがあった地震後の数日間、枝野官房長官は「ただちに人体に影響はない」と楽観論を振りまいたのか?
おそらくあそこで「危険な状態で避難できる人はしておいてもいいです」というような少しでも危機的状況だと言ってしまった場合、関東平野は何千万人という民族大移動を一斉に起こし、経済活動が全停止し、交通大渋滞が起こり、もしかしたら放射能が降り注ぐと同じくらいのパニックが起こったかも知れない。
だから「何で今頃発表するんだ」とか「隠していたのか」とか言っても、爆発してしまった時点ですでに手詰まりだったということです。
そこでキリスト教徒の人もそうでない人もひと言、こういいましょう。
「アーメン」
我々は文明という「危ないおもちゃ」を使っていることをつくづく感じ、そしてこれからもこの「危ないおもちゃ」と付き合ってゆく宿命なんだと消極的な選択をする。
原子力をやめて石油燃料?石油だってあと50年で枯渇するとか。火力?それだって炭鉱で毎年死人は出てるし。
いずれにせよ、消極的な選択に変わりないでしょう。
とは言えもう後の祭りです。
メルトダウンとは核燃料のコアの部分が冷やすのに失敗して、高熱で物質が溶けて落ち、鋼鉄製の炉を突き破って放射能物質が露出してしまうことで、これにプラスして爆発や汚染水となって大気中や外に出てしまう。そこで初めて被ばくの危険にさらされることになる。
なので、地震と津波の直後の水素爆発で放射能が飛び散ったときが最も被ばくの恐れがあったということで、核物質の効力が減退し爆発はもう起こらないだろうとされてる現在は、日を追うごとにリスクも減っていることになる。
今このタイミングでメルトダウンを認めてもたいしたパニックになりようがない。だから重い腰を上げ、発表に踏み切ったといえる。
では何故、最も被ばくの恐れがあった地震後の数日間、枝野官房長官は「ただちに人体に影響はない」と楽観論を振りまいたのか?
おそらくあそこで「危険な状態で避難できる人はしておいてもいいです」というような少しでも危機的状況だと言ってしまった場合、関東平野は何千万人という民族大移動を一斉に起こし、経済活動が全停止し、交通大渋滞が起こり、もしかしたら放射能が降り注ぐと同じくらいのパニックが起こったかも知れない。
だから「何で今頃発表するんだ」とか「隠していたのか」とか言っても、爆発してしまった時点ですでに手詰まりだったということです。
そこでキリスト教徒の人もそうでない人もひと言、こういいましょう。
「アーメン」
我々は文明という「危ないおもちゃ」を使っていることをつくづく感じ、そしてこれからもこの「危ないおもちゃ」と付き合ってゆく宿命なんだと消極的な選択をする。
原子力をやめて石油燃料?石油だってあと50年で枯渇するとか。火力?それだって炭鉱で毎年死人は出てるし。
いずれにせよ、消極的な選択に変わりないでしょう。
上原美優ちゃんの自殺について
日本では最近、年間3万人以上が自殺してる。単純計算で1日だいたい100人くらいがどこかで自分の手で死んでることになる。
これは先進国の中では最も多い。なのに自殺問題は重要視されるどころか、のんきにタブー視されてる。(タレントが自殺したからって騒ぎたい訳でもないが)
そして自殺の理由は貧乏を苦にしての経済的理由は5分の一程度で、ほとんどが健康問題や人間関係にからむ心の悩みである。
彼女の自殺理由を断片的にではあるが観察すると、恋愛の仕方が分からないという恋愛に悩んでの自殺だったといわれてる。
おかしなのは交際してる相手がいたという点だ。
交際相手では自分の深い部分を理解してもらえない、たとえ交際相手を変えたとしてもこの先誰も理解してくれるはずもないところにたどり着いて遂には究極の選択をしたと解釈するしかできない。
「恋愛の仕方が分からない」というのは彼女なりの言葉であって、本質的には誰かがそばにいるだけでは解決しがたいものがあり、それはまぎれもなく自分の居場所の喪失、自分を理解してもらえない諦めに他ならない。
そういう意味では全く誰もそばにいない孤独と同等だったのかもしれない。
そして彼女がテレビ画面でおちゃらけながらも語っていたことで、「ダメな男を好きになる。」とあった。
これと同じこという女どもは最近とくにたくさんいるが、本当に“ダメ”なのかと言いたい。
“ダメ”は表面的なものであって、男の懐が広いんだろ?
懐が広いから恋愛にも余裕がある。一方、女の方は余裕がない。するとどうなるか?
余裕のある方は、余裕のない女を見てイニシアチブを取りたくなる。女は男が深く自分を理解してくれなくても簡単にゆうことを聞く。
相手の女のことを必死に理解する緊張感を持たずに済む関係になってるってことだ。
それだけ余裕のない病んでる女(男も)が増えているということ、それが3万人という多すぎる自殺者を産んでると直接はいえないまでも、3万人の裏では、その数以上に自殺までは至らないが、悩み、病んでる者がたくさんいることの証拠でもある。
恋愛に余裕がないとは、つまるところ相手がどう出ても受け入れられる、心のよりどころを持っていないということだ。必ず自分を理解してもらわなければならない強迫観念が常につきまとってる。そして必ず自分を理解してもらえる自信があればいいが、それはない。
自分を理解してもらう力に自信がない。
自分を理解してもらう力は修行や自己啓発、あるいは宗教心で簡単に身に付くものではない。でなければ心を病む人はもっと少ないはずだ。
上原美優ちゃんは小さいころ経済的な理由で両親が稼ぎに出ていて独りにされたことが多かったとも語っていた。
そして幼い時点で「さびしい」と言えなかった。
それでも防衛本能が働いて、「さびしい」を封じ込める。そうしないと一日一日成長してゆけないから。
ある意味、生きる知恵として自然に身に付けた生き方。自分を理解してもらう力に自信を持たないことと引き換えに。
簡単に言えば絶望感を持って大人になって、恋愛という場面で封じ込めていたものから開放されると思ったら、奇しくも仇となって現れてしまった。
悲しいことに過去は変えられない。
だから、今現在、絶望を感じているのを解消する方法はあるのか?
宗教か自己啓発か、あるいは「命を粗末にするな」や「生きていればいいことあるさ」という言葉か?
残念ながら、どれもいまだ不完全である。
「それでも生きるんです。」
オレなら言わない。なぜなら生きる意味をお前なんかに語られたくないから。
これは先進国の中では最も多い。なのに自殺問題は重要視されるどころか、のんきにタブー視されてる。(タレントが自殺したからって騒ぎたい訳でもないが)
そして自殺の理由は貧乏を苦にしての経済的理由は5分の一程度で、ほとんどが健康問題や人間関係にからむ心の悩みである。
彼女の自殺理由を断片的にではあるが観察すると、恋愛の仕方が分からないという恋愛に悩んでの自殺だったといわれてる。
おかしなのは交際してる相手がいたという点だ。
交際相手では自分の深い部分を理解してもらえない、たとえ交際相手を変えたとしてもこの先誰も理解してくれるはずもないところにたどり着いて遂には究極の選択をしたと解釈するしかできない。
「恋愛の仕方が分からない」というのは彼女なりの言葉であって、本質的には誰かがそばにいるだけでは解決しがたいものがあり、それはまぎれもなく自分の居場所の喪失、自分を理解してもらえない諦めに他ならない。
そういう意味では全く誰もそばにいない孤独と同等だったのかもしれない。
そして彼女がテレビ画面でおちゃらけながらも語っていたことで、「ダメな男を好きになる。」とあった。
これと同じこという女どもは最近とくにたくさんいるが、本当に“ダメ”なのかと言いたい。
“ダメ”は表面的なものであって、男の懐が広いんだろ?
懐が広いから恋愛にも余裕がある。一方、女の方は余裕がない。するとどうなるか?
余裕のある方は、余裕のない女を見てイニシアチブを取りたくなる。女は男が深く自分を理解してくれなくても簡単にゆうことを聞く。
相手の女のことを必死に理解する緊張感を持たずに済む関係になってるってことだ。
それだけ余裕のない病んでる女(男も)が増えているということ、それが3万人という多すぎる自殺者を産んでると直接はいえないまでも、3万人の裏では、その数以上に自殺までは至らないが、悩み、病んでる者がたくさんいることの証拠でもある。
恋愛に余裕がないとは、つまるところ相手がどう出ても受け入れられる、心のよりどころを持っていないということだ。必ず自分を理解してもらわなければならない強迫観念が常につきまとってる。そして必ず自分を理解してもらえる自信があればいいが、それはない。
自分を理解してもらう力に自信がない。
自分を理解してもらう力は修行や自己啓発、あるいは宗教心で簡単に身に付くものではない。でなければ心を病む人はもっと少ないはずだ。
上原美優ちゃんは小さいころ経済的な理由で両親が稼ぎに出ていて独りにされたことが多かったとも語っていた。
そして幼い時点で「さびしい」と言えなかった。
それでも防衛本能が働いて、「さびしい」を封じ込める。そうしないと一日一日成長してゆけないから。
ある意味、生きる知恵として自然に身に付けた生き方。自分を理解してもらう力に自信を持たないことと引き換えに。
簡単に言えば絶望感を持って大人になって、恋愛という場面で封じ込めていたものから開放されると思ったら、奇しくも仇となって現れてしまった。
悲しいことに過去は変えられない。
だから、今現在、絶望を感じているのを解消する方法はあるのか?
宗教か自己啓発か、あるいは「命を粗末にするな」や「生きていればいいことあるさ」という言葉か?
残念ながら、どれもいまだ不完全である。
「それでも生きるんです。」
オレなら言わない。なぜなら生きる意味をお前なんかに語られたくないから。
原発ジプシー
東日本大震災、マグニチュードは9.0で世界ワースト4。
このマグニチュードは最初の7.9から8.4、8.8へ、最終的に9.0にまで上方修正されていった。
実はこの9.0は通常のマグニチュードでなく、モーメントマグニチュードという別の測定方法で測りなおした値である。
なぜ9.0になるまで何度も修正する必要があったのか?
原発事故の賠償金はいくら東電が負担するか、東電の責任範囲はどこまでになるかまだわからない。
しかし、賠償責任範囲を決めるための「原子力損害賠償法」では「巨大災害の場合は電力会社の責任を免除」とある。
そして“巨大災害”の定義は、いかに“想定外”であるか、にかかってくる。
ところが、広範囲に渡るがれきの山や倒壊した家屋を見て“想定外”としても、あくまでも主観でしかなく、具体的な数字、マグニチュードで計るしか定義できない。
そこで出てきたのがマグニチュード9.0だ。
「9.0って想定外だわな、こりゃ東電だけの責任にするのもかわいそうだな」なんて。
と、ここまでは東電責任逃れに対する陰謀論的な見方という指摘もあるが、どうやら世の中は東電をつぶさない方向で動いてるようだ。
東電がつぶれてしまえば、東電株は紙くずになる。東電株は日本を代表する超優良株で、これが不良債権になると世界経済にも大きな影響が出る。大量の不良債権を避けるためにメガバンク3行も大手銀行の年間純利益と同じくらいの額を出し合い数兆円を無担保で緊急融資した。
東電をつぶさないように。
そして瀕死の重傷を負いつつこれから生き残る東電は原発から手を引いてゆかざるを得ないだろう。
原発で働いてきたAさん。これまで福島県のいろんな原発で働いてきた「原発ジプシー」だ。
Aさんは言う、「東電が憎い、原発は反対だ」と。
しかし東電の原発関係で働くしか当面の仕事のあてがない。
一方、関東の人々が使う大量の電気も原発で多くをまかなってる。
原発なしでは生きられないという前提で、多くの人が生活の根をはってしまってる。
今回の事故でAさんは福島原発での仕事がなくなったから、新潟の柏崎にこれから行ってまた原発の仕事を探す、と。
今更、原発がなくなってしまっても困るのだ。
これが現実なんです。
原発なしでは生きられない「原発ジプシー」
このマグニチュードは最初の7.9から8.4、8.8へ、最終的に9.0にまで上方修正されていった。
実はこの9.0は通常のマグニチュードでなく、モーメントマグニチュードという別の測定方法で測りなおした値である。
なぜ9.0になるまで何度も修正する必要があったのか?
原発事故の賠償金はいくら東電が負担するか、東電の責任範囲はどこまでになるかまだわからない。
しかし、賠償責任範囲を決めるための「原子力損害賠償法」では「巨大災害の場合は電力会社の責任を免除」とある。
そして“巨大災害”の定義は、いかに“想定外”であるか、にかかってくる。
ところが、広範囲に渡るがれきの山や倒壊した家屋を見て“想定外”としても、あくまでも主観でしかなく、具体的な数字、マグニチュードで計るしか定義できない。
そこで出てきたのがマグニチュード9.0だ。
「9.0って想定外だわな、こりゃ東電だけの責任にするのもかわいそうだな」なんて。
と、ここまでは東電責任逃れに対する陰謀論的な見方という指摘もあるが、どうやら世の中は東電をつぶさない方向で動いてるようだ。
東電がつぶれてしまえば、東電株は紙くずになる。東電株は日本を代表する超優良株で、これが不良債権になると世界経済にも大きな影響が出る。大量の不良債権を避けるためにメガバンク3行も大手銀行の年間純利益と同じくらいの額を出し合い数兆円を無担保で緊急融資した。
東電をつぶさないように。
そして瀕死の重傷を負いつつこれから生き残る東電は原発から手を引いてゆかざるを得ないだろう。
原発で働いてきたAさん。これまで福島県のいろんな原発で働いてきた「原発ジプシー」だ。
Aさんは言う、「東電が憎い、原発は反対だ」と。
しかし東電の原発関係で働くしか当面の仕事のあてがない。
一方、関東の人々が使う大量の電気も原発で多くをまかなってる。
原発なしでは生きられないという前提で、多くの人が生活の根をはってしまってる。
今回の事故でAさんは福島原発での仕事がなくなったから、新潟の柏崎にこれから行ってまた原発の仕事を探す、と。
今更、原発がなくなってしまっても困るのだ。
これが現実なんです。
原発なしでは生きられない「原発ジプシー」
大好きな町
この春の選抜高校野球で、東北高校野球部は地域の支援を受け何とか甲子園に出場できた。
被災後も部員たちは、友人や親戚を亡くした悲しみを抱えながらも、バナナとおにぎりだけの食事で地元被災地の支援にあたり続けた。
「本当に甲子園に言っていいのか分らない」キャプテン上村君は関西出発直前までそんな気持ちでいた。
しかし「せっかく機会を与えられたんだから、精一杯がんばってきなさい。」と東北の人々は暖かく送りだしてくれた。
試合前のインタビューで「甲子園第一試合にあたり、気持ちは切り替えられたか」との問いに上村君はこう述べている。
「簡単に切り替えることはできない、今もがれきの下で助けを待ってる人がいるのを忘れることはできない。」
そして、集中力を欠いた東北高校は一回戦で敗退した。
もし単身者のマンションや地元を離れて移り住んできた人ばかりが暮らす住宅などが集う都心が大きな被災を受けたとしたら・・・。
おそらく未練も、思い出も誰も抱くこともなく、崩れた住まいを後にして、また新たな土地に移り住むのは簡単なのだろうと想像できる。
つまり、各人が自分の身ひとつを守ることに専念さえすれば、住居の土地はどこであれ今までの生活を続けられる。
地域社会と言う“重荷”は背負わずに被災を免れてゆけるというメリットは都会暮らしにはあるのかも知れない。
言い換えれば、被災したがれきの土地を一から再建するよりも、新たな土地を探して再出発する方が、コストも手間もかからないという合理的な生き方が可能になる。
「リアルでつながりを持たなくても、ネットでつながりを持てることは可能じゃん」最近よくこんな言われ方がするが、これも合理的な生き方の発展形だろう。
しかしこれには大きく欠けてる点がある。
つながりを空間だけで捕らえてる点だ。住む場所さえ、つながりを持つ自分さえいれば済むという。
しかし土地や個人というものを意味あるもの、価値あるものと捕らえるとき、現在、過去、未来という時間や歴史の制約からは逃れられない。
それを欠くとオレは誰で、どこから来たのか、何者なのかが応えられない。
土地やそこに住む人に対し、時間や歴史という縛りは自分は何者であるのかを教えてくれる唯一の手がかりなのかも知れない。
だからサッカー選手が「つながろうニッポン」と言っても、実際誰も腑に落ちてないのでなかろうか、都市部では。
土地を介して自分や人がいる。だから「つながろう」と言われなくても、つながっている。
土地を大事にする思いや土地への愛着があるから、つながりを保とうとする活力は生まれてくる。
本当に不幸な町は災害に見舞われた町ではなく、復興の活力が生まれないような町であることを今回の災害は示唆していると思わざるを得ない。
陸前高田に被災したしょうゆ製造会社がある。これから復興再建という苦しい先行きでも内定した新入社員を社長は受け入れた。
その会社に今年入社した18歳の女の子は
「大好きな町なので、必ず復興したいです。」そう語った。
“大好きな町”・・・?
都市部ではあまり耳慣れない表現。
自分が住んでる町は好きか?
住んでる単身用マンションでは会っても挨拶すらしない人もいるが、ちょっとした地域活動を通して知り合った地域住民もいる。
だから「まあまあ・・・好きかね。」
被災後も部員たちは、友人や親戚を亡くした悲しみを抱えながらも、バナナとおにぎりだけの食事で地元被災地の支援にあたり続けた。
「本当に甲子園に言っていいのか分らない」キャプテン上村君は関西出発直前までそんな気持ちでいた。
しかし「せっかく機会を与えられたんだから、精一杯がんばってきなさい。」と東北の人々は暖かく送りだしてくれた。
試合前のインタビューで「甲子園第一試合にあたり、気持ちは切り替えられたか」との問いに上村君はこう述べている。
「簡単に切り替えることはできない、今もがれきの下で助けを待ってる人がいるのを忘れることはできない。」
そして、集中力を欠いた東北高校は一回戦で敗退した。
もし単身者のマンションや地元を離れて移り住んできた人ばかりが暮らす住宅などが集う都心が大きな被災を受けたとしたら・・・。
おそらく未練も、思い出も誰も抱くこともなく、崩れた住まいを後にして、また新たな土地に移り住むのは簡単なのだろうと想像できる。
つまり、各人が自分の身ひとつを守ることに専念さえすれば、住居の土地はどこであれ今までの生活を続けられる。
地域社会と言う“重荷”は背負わずに被災を免れてゆけるというメリットは都会暮らしにはあるのかも知れない。
言い換えれば、被災したがれきの土地を一から再建するよりも、新たな土地を探して再出発する方が、コストも手間もかからないという合理的な生き方が可能になる。
「リアルでつながりを持たなくても、ネットでつながりを持てることは可能じゃん」最近よくこんな言われ方がするが、これも合理的な生き方の発展形だろう。
しかしこれには大きく欠けてる点がある。
つながりを空間だけで捕らえてる点だ。住む場所さえ、つながりを持つ自分さえいれば済むという。
しかし土地や個人というものを意味あるもの、価値あるものと捕らえるとき、現在、過去、未来という時間や歴史の制約からは逃れられない。
それを欠くとオレは誰で、どこから来たのか、何者なのかが応えられない。
土地やそこに住む人に対し、時間や歴史という縛りは自分は何者であるのかを教えてくれる唯一の手がかりなのかも知れない。
だからサッカー選手が「つながろうニッポン」と言っても、実際誰も腑に落ちてないのでなかろうか、都市部では。
土地を介して自分や人がいる。だから「つながろう」と言われなくても、つながっている。
土地を大事にする思いや土地への愛着があるから、つながりを保とうとする活力は生まれてくる。
本当に不幸な町は災害に見舞われた町ではなく、復興の活力が生まれないような町であることを今回の災害は示唆していると思わざるを得ない。
陸前高田に被災したしょうゆ製造会社がある。これから復興再建という苦しい先行きでも内定した新入社員を社長は受け入れた。
その会社に今年入社した18歳の女の子は
「大好きな町なので、必ず復興したいです。」そう語った。
“大好きな町”・・・?
都市部ではあまり耳慣れない表現。
自分が住んでる町は好きか?
住んでる単身用マンションでは会っても挨拶すらしない人もいるが、ちょっとした地域活動を通して知り合った地域住民もいる。
だから「まあまあ・・・好きかね。」