イケメン至上主義をたたく!
女どもの10人中10人は、つまりは皆「イケメン」の話が好き。要は顔の話だ。
「タレントの誰それが好き」「え~、あの顔はありえなーい」
灰になるまでやってろ!
イケメンな男どもも、女どもに媚びるようにイケメンを謳歌しておる。
これはイケメンな男だけではなく、イケてない男も同じだ。
「オレはイケメンでないから、性格で勝負」だぁ?
イケメンをねたんでるだけだろ?本質的にはイケメンに至上価値を置いてるのと変わらんじゃない。
しかし「イケメン」が何故ここまで流布されてるか?
それは…
儲かるからです。
「イケメン」というフレーム(枠組み)を日常にかぶせる。このフレームが直感的に心地よいテイストを含みながらひとたび日常に浸透しはじめると、そのわかりやすさから大衆は飛びつき、たちまちモード(流行)となって根付く。
そしてここから儲けの戦略があらゆるバリエーションで展開されてゆく。
世の中のいかなるモード(流行)にも必ず仕掛ける者がいる。
そしてなぜモードのフレームをかぶせるかと言うと「儲かる」からである。
顔のいい男を手放しで持ち上げるほど、世の中お人よしではない。
これだけはゆるぎない鉄則だ。
落ち着きのない女、子供がとびつく。
こうなったらもう誰にも止められない。
イケメン、エコブームなどなど、数えたらきりがない。
真善美というくらいだから、確かに「美」的な感覚は大事なのはわかる。
しかし真と善はどこいった?
真善美のバランス感覚を失ってることにそろそろ気づく頃に差し掛かったのでないか。
どんな文明もいずれ衰退を余儀なくされると、文明論のシュペングラー先生やトインビー先生はそう言う。
ローマ文明もエジプト文明も発展したがやはり滅んだ。
そしてこれらの文明が冬の時代に入り没落してゆくときに流行るものが2つあると言う。
「技術への熱狂」と「新興宗教の異常な高まり」
よるべき価値が分からないから、フェティシズムという熱狂に走る。顔フェチ。
美しい顔こそが私を癒す最大の価値。男の価値がやっと分かった、それは「顔」だ。
つまり女どもは確固たるゆるぎない価値のシンボリックなものとして「顔」が分かりやすいだけであって、本質的には何に価値を置いたらいいのか不安の中にいるのだろう。
そこで道筋を指し示してやれるのが、メタファーの能力に優れた男の役目なはずなのに、一緒になってドンチャン騒ぎしてるだけ。
そういう意味では、近代文明は今、冬の時代でもう衰退してゆくしかないのかもしれない。
しかし、せめてこの衰退を遅らせようとするごくわずかな人々、あんたらこそ“イケ”てるよ。
と、こんな説教をしたら「メンドクサイ」と言う女。
そんな女を口説く男で、世の中成り立ってるのも見逃せない事実である。
「タレントの誰それが好き」「え~、あの顔はありえなーい」
灰になるまでやってろ!
イケメンな男どもも、女どもに媚びるようにイケメンを謳歌しておる。
これはイケメンな男だけではなく、イケてない男も同じだ。
「オレはイケメンでないから、性格で勝負」だぁ?
イケメンをねたんでるだけだろ?本質的にはイケメンに至上価値を置いてるのと変わらんじゃない。
しかし「イケメン」が何故ここまで流布されてるか?
それは…
儲かるからです。
「イケメン」というフレーム(枠組み)を日常にかぶせる。このフレームが直感的に心地よいテイストを含みながらひとたび日常に浸透しはじめると、そのわかりやすさから大衆は飛びつき、たちまちモード(流行)となって根付く。
そしてここから儲けの戦略があらゆるバリエーションで展開されてゆく。
世の中のいかなるモード(流行)にも必ず仕掛ける者がいる。
そしてなぜモードのフレームをかぶせるかと言うと「儲かる」からである。
顔のいい男を手放しで持ち上げるほど、世の中お人よしではない。
これだけはゆるぎない鉄則だ。
落ち着きのない女、子供がとびつく。
こうなったらもう誰にも止められない。
イケメン、エコブームなどなど、数えたらきりがない。
真善美というくらいだから、確かに「美」的な感覚は大事なのはわかる。
しかし真と善はどこいった?
真善美のバランス感覚を失ってることにそろそろ気づく頃に差し掛かったのでないか。
どんな文明もいずれ衰退を余儀なくされると、文明論のシュペングラー先生やトインビー先生はそう言う。
ローマ文明もエジプト文明も発展したがやはり滅んだ。
そしてこれらの文明が冬の時代に入り没落してゆくときに流行るものが2つあると言う。
「技術への熱狂」と「新興宗教の異常な高まり」
よるべき価値が分からないから、フェティシズムという熱狂に走る。顔フェチ。
美しい顔こそが私を癒す最大の価値。男の価値がやっと分かった、それは「顔」だ。
つまり女どもは確固たるゆるぎない価値のシンボリックなものとして「顔」が分かりやすいだけであって、本質的には何に価値を置いたらいいのか不安の中にいるのだろう。
そこで道筋を指し示してやれるのが、メタファーの能力に優れた男の役目なはずなのに、一緒になってドンチャン騒ぎしてるだけ。
そういう意味では、近代文明は今、冬の時代でもう衰退してゆくしかないのかもしれない。
しかし、せめてこの衰退を遅らせようとするごくわずかな人々、あんたらこそ“イケ”てるよ。
と、こんな説教をしたら「メンドクサイ」と言う女。
そんな女を口説く男で、世の中成り立ってるのも見逃せない事実である。
緑の中でゆれる青年
オレの家の近くに大きな市の公園がある。
平日は人が少ない。
掃除夫の集団が散り散りバラバラに、公園中のゴミや葉っぱを集めながら歩いてる。
そして掃除夫たちはそれぞれ何か独り言をしゃべっている。
おそらく彼らは知的障害者だろう。
夏の晴れた空の下、木漏れ日の中をゴミ拾いの作業を途中で忘れて、誰かがそばにいるわけでもないのに、何事か独り言をつぶやきながらゆれていた青年。
そしてそんな光景に出くわすたびに
「かわいそう」
「彼らはその境遇をどう感じてるのか」
いつも頭の中をよぎる。
つまり、オレは彼らのことを「不幸」と思っているのだなと、ふと気づく。
そんなことを思いながら緑の中でゆれる青年を見ていた。
人がこの世に生まれることは幸か不幸か?
知的障害として、あるいは貧乏な家に、または虐待する親の元に生まれることは幸か不幸なのか?
「生まれてくる」という現象自体は、単なる自然の現象であると言える。
この自然の事実に対し、生まれてきた社会の解釈が加わることで、はじめて幸か不幸かの意味が決まる。
なのでオレは無意識のうちに、この世の社会状況を勝手に踏まえて、彼らを不幸と意味づけしたことになる。
この考え方を発展させて、自己啓発の類の書物にはよく「幸も不幸も自分次第」のように書かれている。
すべてに幸せと感じましょう、不幸を考える暇があればポジティブになりましょう、と。
つまり不幸はなかったことにしましょう的に、自己を啓発する方法論として締めくくられているものが多い。
しかし幸も不幸も機械的にコントロールできるのが、人としてのあるべき姿とするのも違和感が残る。
むしろ生い立ちに苦しみ、あるときは呪い、のた打ち回りながら、喜びや苦しみにリアリティを感じるからこそ、この現世の世界を認識できてるとも言える。
人間は機械的にコントロールした「幸せ」で生きてる実感としてしまってもいいのだろうか?結果が幸せならプロセスは問わない、帰結主義的な考えだけで解を導いてるのに違和感が残る。
緑の中でゆれる青年は「生」をどう受け入れているのだろうか。
「障害があっても自分らしく生きてゆける」そう思える人はすばらしい。
しかし、簡単にはそう思えず苦悩し、引きこもってしまったとしても、「何とか現状から抜け出したい」、「何かいいことあったらなぁ」と、もがいてる姿には、「生」に対する答えを生きてるんだ、と思いたい。
平日は人が少ない。
掃除夫の集団が散り散りバラバラに、公園中のゴミや葉っぱを集めながら歩いてる。
そして掃除夫たちはそれぞれ何か独り言をしゃべっている。
おそらく彼らは知的障害者だろう。
夏の晴れた空の下、木漏れ日の中をゴミ拾いの作業を途中で忘れて、誰かがそばにいるわけでもないのに、何事か独り言をつぶやきながらゆれていた青年。
そしてそんな光景に出くわすたびに
「かわいそう」
「彼らはその境遇をどう感じてるのか」
いつも頭の中をよぎる。
つまり、オレは彼らのことを「不幸」と思っているのだなと、ふと気づく。
そんなことを思いながら緑の中でゆれる青年を見ていた。
人がこの世に生まれることは幸か不幸か?
知的障害として、あるいは貧乏な家に、または虐待する親の元に生まれることは幸か不幸なのか?
「生まれてくる」という現象自体は、単なる自然の現象であると言える。
この自然の事実に対し、生まれてきた社会の解釈が加わることで、はじめて幸か不幸かの意味が決まる。
なのでオレは無意識のうちに、この世の社会状況を勝手に踏まえて、彼らを不幸と意味づけしたことになる。
この考え方を発展させて、自己啓発の類の書物にはよく「幸も不幸も自分次第」のように書かれている。
すべてに幸せと感じましょう、不幸を考える暇があればポジティブになりましょう、と。
つまり不幸はなかったことにしましょう的に、自己を啓発する方法論として締めくくられているものが多い。
しかし幸も不幸も機械的にコントロールできるのが、人としてのあるべき姿とするのも違和感が残る。
むしろ生い立ちに苦しみ、あるときは呪い、のた打ち回りながら、喜びや苦しみにリアリティを感じるからこそ、この現世の世界を認識できてるとも言える。
人間は機械的にコントロールした「幸せ」で生きてる実感としてしまってもいいのだろうか?結果が幸せならプロセスは問わない、帰結主義的な考えだけで解を導いてるのに違和感が残る。
緑の中でゆれる青年は「生」をどう受け入れているのだろうか。
「障害があっても自分らしく生きてゆける」そう思える人はすばらしい。
しかし、簡単にはそう思えず苦悩し、引きこもってしまったとしても、「何とか現状から抜け出したい」、「何かいいことあったらなぁ」と、もがいてる姿には、「生」に対する答えを生きてるんだ、と思いたい。
ヴェール・オブ・イグノランス
わりと信頼できる有識者やインテリの人たちは、これから日本人の個人所得は増えないと言う。格差も埋まりにくいと。
その根拠のひとつの例は、日本人よりコストが何分の一も安いインドや中国の人たちに仕事がどんどん取られてゆくからで、実際にもう始まっている。
そしてこれらは悲観するべきことか?
確かに所得や富という面では悲観的にならざるを得ないとは思う。
今の近代社会は、人々が社会に参加する前段階に「ヴェール・オブ・イグノランス」という無知状態の覆いがかぶさっているようなもので、そのヴェールがひとたび開くと、ある人は金持ちの家に生まれ、ある人は賢くて社会に必要とされる人材になり、おのずと格差が生まれてしまう。
そしてその格差の中で誰しも弱者側になりたくない。だから運良く金持ちになった人からは税金を多く取って、お金がない人には福祉で手当てをするよう、皆が恩恵をある程度平等に受けられるような約束事の平等主義で成り立ってきた。
これに対し、努力して築いた金持ちの財産は個人の所有物だから侵害されたくない。コストの安さで勝つのは市場がそう決めたことだから、勝ち負けが付いてもそれが正義だという、自由主義が最近、強くなっている。
どちらが本当の正義なのか?
去年、ベストセラーになったマイケルサンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』。
ここでは第三の可能性を示している。
それは古代のアリストテレスという哲学者を例に出して語られている。
アリストテレスは「人々の平等」も、少数派という意味での弱者である「金持ちの人権擁護」も、どちらも政治の正義としてふさわしいとは言っていない。
アリストテレスは政治には目的、「テロス」がある、と。
そのテロスとは「市民の美徳を高め、よい人格を作ること」だと。
単なる生活のことや暮らしやすさを求めるのが政治ではないと。
だが、なぜか?
人は孤立して生きられない。つまり集団(ポリス)で生きざるを得ない。
そして集団の政治に参加することで人間固有の言語能力を活用できるのだと。
この言語能力で、物事の正義や不正義を論じれる。
つまり人間は「言葉の動物」である以上、善や正義について考えることからは逃れらることが出来ないからだと言う。
日々、生活のみみっちい金計算がすべてだと、善や正義は役に立たなくて忘れ去られている。
ヴェール・オブ・イグノランスの重たい覆いの下に、本当はテロスがあるのだと、新橋の働き盛りのサラリーマンには気づいてほしい。
オレは稼げないチョロリーマンなので…。
その根拠のひとつの例は、日本人よりコストが何分の一も安いインドや中国の人たちに仕事がどんどん取られてゆくからで、実際にもう始まっている。
そしてこれらは悲観するべきことか?
確かに所得や富という面では悲観的にならざるを得ないとは思う。
今の近代社会は、人々が社会に参加する前段階に「ヴェール・オブ・イグノランス」という無知状態の覆いがかぶさっているようなもので、そのヴェールがひとたび開くと、ある人は金持ちの家に生まれ、ある人は賢くて社会に必要とされる人材になり、おのずと格差が生まれてしまう。
そしてその格差の中で誰しも弱者側になりたくない。だから運良く金持ちになった人からは税金を多く取って、お金がない人には福祉で手当てをするよう、皆が恩恵をある程度平等に受けられるような約束事の平等主義で成り立ってきた。
これに対し、努力して築いた金持ちの財産は個人の所有物だから侵害されたくない。コストの安さで勝つのは市場がそう決めたことだから、勝ち負けが付いてもそれが正義だという、自由主義が最近、強くなっている。
どちらが本当の正義なのか?
去年、ベストセラーになったマイケルサンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』。
ここでは第三の可能性を示している。
それは古代のアリストテレスという哲学者を例に出して語られている。
アリストテレスは「人々の平等」も、少数派という意味での弱者である「金持ちの人権擁護」も、どちらも政治の正義としてふさわしいとは言っていない。
アリストテレスは政治には目的、「テロス」がある、と。
そのテロスとは「市民の美徳を高め、よい人格を作ること」だと。
単なる生活のことや暮らしやすさを求めるのが政治ではないと。
だが、なぜか?
人は孤立して生きられない。つまり集団(ポリス)で生きざるを得ない。
そして集団の政治に参加することで人間固有の言語能力を活用できるのだと。
この言語能力で、物事の正義や不正義を論じれる。
つまり人間は「言葉の動物」である以上、善や正義について考えることからは逃れらることが出来ないからだと言う。
日々、生活のみみっちい金計算がすべてだと、善や正義は役に立たなくて忘れ去られている。
ヴェール・オブ・イグノランスの重たい覆いの下に、本当はテロスがあるのだと、新橋の働き盛りのサラリーマンには気づいてほしい。
オレは稼げないチョロリーマンなので…。
サーチュイン遺伝子で長生き
NHKスペシャルで寿命が延ばせて、老化防止できる方法がアメリカで発見されたと放映されてた。
最長寿国の日本だが、更に長生きできるのだと。
いい歳こいた30代~60代くらいのおっさん達がその実験に参加してた。
生物が絶滅しないよう最も恐れることは飢餓、「食えない」ことだ。
人類が原始人だったころ、毎日が飢餓との戦いだった。食事に長くありつけなかったとき、飢えをしのぎ寿命を延ばす機能をもった「サーチュイン遺伝子」をいつの日からか人は自然に身に付けるようになった。それがはたらいて飢餓状態でも寿命を延ばしてきた、と。
ところが今、「食えない」ことはない。
するといつの日からか「サーチュイン遺伝子」は活動をストップし、人は老化を進めてしまうような身体になってしまったのだと。
食うことと引き換えに老いを早める身体になったわけだ。
そこで「サーチュイン遺伝子」を人工的に活動させるサプリメントを飲んで、老化を防止すればよいのだと。
そうすれば、食いながらでも老化防止ができる。ビジネスマンが好きな言葉「ウインウイン」の関係。
実にアメリカ的発想のテクノロジーです。
しかし、長生きしてどうするのか?
おそらくこのおっさん達は何が何でも生き続けなければならないたいした理由はないのだろうと思う。
長生きするのに特に目的はない。
贅沢な悩みだとか、貧しい国でおかゆもすすれず死んでゆく赤ん坊のことを考えろなんて言いたいのではない。
今まで散々食ってて、寿命が延びると分かると疑いもなくまたそっちに飛びつく。
「欲ボケだな~」って。
「生きること」と「生存すること」は違う。
こういう発想の人らは、もし明日交通事故で死ぬことになったら、死ぬ間際に「もっと食べとけばよかった」なんて思うんだろう。
生きてる限り、いかに得するかを中心に考える。こういうのを「生きてる」とは言いたくない。単に「生存してる」だけ。
オレもそのうちのひとりだから偉そうなこと言えないが、もう少し恥ずかしがりながらコソコソとやってほしい。
武士の心得「葉隠」に
「生きることは死ぬことと見つけたり」
とある。
お前さんたち、無様な生き様晒すより、死に様について少し考えた方がいいかもしれんぞ。
そしたら、こっちから「どうか長生きしてください」とお願いするから。
最長寿国の日本だが、更に長生きできるのだと。
いい歳こいた30代~60代くらいのおっさん達がその実験に参加してた。
生物が絶滅しないよう最も恐れることは飢餓、「食えない」ことだ。
人類が原始人だったころ、毎日が飢餓との戦いだった。食事に長くありつけなかったとき、飢えをしのぎ寿命を延ばす機能をもった「サーチュイン遺伝子」をいつの日からか人は自然に身に付けるようになった。それがはたらいて飢餓状態でも寿命を延ばしてきた、と。
ところが今、「食えない」ことはない。
するといつの日からか「サーチュイン遺伝子」は活動をストップし、人は老化を進めてしまうような身体になってしまったのだと。
食うことと引き換えに老いを早める身体になったわけだ。
そこで「サーチュイン遺伝子」を人工的に活動させるサプリメントを飲んで、老化を防止すればよいのだと。
そうすれば、食いながらでも老化防止ができる。ビジネスマンが好きな言葉「ウインウイン」の関係。
実にアメリカ的発想のテクノロジーです。
しかし、長生きしてどうするのか?
おそらくこのおっさん達は何が何でも生き続けなければならないたいした理由はないのだろうと思う。
長生きするのに特に目的はない。
贅沢な悩みだとか、貧しい国でおかゆもすすれず死んでゆく赤ん坊のことを考えろなんて言いたいのではない。
今まで散々食ってて、寿命が延びると分かると疑いもなくまたそっちに飛びつく。
「欲ボケだな~」って。
「生きること」と「生存すること」は違う。
こういう発想の人らは、もし明日交通事故で死ぬことになったら、死ぬ間際に「もっと食べとけばよかった」なんて思うんだろう。
生きてる限り、いかに得するかを中心に考える。こういうのを「生きてる」とは言いたくない。単に「生存してる」だけ。
オレもそのうちのひとりだから偉そうなこと言えないが、もう少し恥ずかしがりながらコソコソとやってほしい。
武士の心得「葉隠」に
「生きることは死ぬことと見つけたり」
とある。
お前さんたち、無様な生き様晒すより、死に様について少し考えた方がいいかもしれんぞ。
そしたら、こっちから「どうか長生きしてください」とお願いするから。
フォワードルッキング
地震直後、原発事故の第一段階で冷却装置がストップしたとき、菅直人首相はまず伸子夫人に電話を掛けた。
「東工大OBの名簿を探せ」
そして信頼できる原発学者を探した、と。
菅首相は東京工業大学出身だからだが、国家の一大事に一個人のコネクションだけに頼ろうとしたのは相当焦りがあったのだろうと思う。
しかし、そうこうしている内に次々と他の号機で冷却がストップ。夜になって発電車を到着させたが、ケーブルを忘れてしまう始末。
業を煮やした菅首相は「お前たち何とかしろ!」と東電をどなりつけたが、「一企業だけの判断には重過ぎる」と、もはや東電の手には負えない事態に。
それでも政府主導で中々指示ができず、刻一刻と炉心溶融だけが進んでいた…。
これが原発事故の背景でした。
原子力発電所はひとたびトラブルが起こると、被害は甚大になり、巨額の賠償金が発生する。
焼肉屋の食中毒とはわけが違う。(食中毒で亡くなった方は大変気の毒であるが)
だから巨額の賠償金は一企業だけではまかなえず、国が肩代わりせざるを得ない。
だからこそ、この危ない原子力発電所の大事故を目の前にして、最後のよりどころとなる政府が突如の判断を主導権を握って決断するしかなかったのに。
東電は悪いのかも知れないが、この一社だけでどうにかなる問題でもなかったわけである。
ではなぜ突如の判断ができなかったのか?
それはもう長い間この国が数十年先に掲げる目的がなく、目的がないがゆえ、先の見通し「フォーワードルッキング」が突如出てこないのだと言える。
目的がないことで、一般市民生活に何が起こってるかと言うと、経営者はとにかく今売れてる物だけに興味を持ち、あるいはどこかの夫婦は価値観のすれ違いを理由に一時的な安らぎへの離婚という目の前の選択だけに頼ってしまう。
長期的な展望を見る力がなくなり、目の前の状況だけにあたふたする。
一方、目的を持つというのは、何とかイズムとか言われるように一種の“偏り”にシフトする危険もある。
ただファシズム、ナチズムなどに代表されるように行き過ぎは良くないが、目的をなくした末路が、目の前を追いかけるだけの生活しかできないようなら、何とかイズムの方がはるかにマシということである。
フォワードルッキングの力、実は一般市民生活にも必要でなのである。
「東工大OBの名簿を探せ」
そして信頼できる原発学者を探した、と。
菅首相は東京工業大学出身だからだが、国家の一大事に一個人のコネクションだけに頼ろうとしたのは相当焦りがあったのだろうと思う。
しかし、そうこうしている内に次々と他の号機で冷却がストップ。夜になって発電車を到着させたが、ケーブルを忘れてしまう始末。
業を煮やした菅首相は「お前たち何とかしろ!」と東電をどなりつけたが、「一企業だけの判断には重過ぎる」と、もはや東電の手には負えない事態に。
それでも政府主導で中々指示ができず、刻一刻と炉心溶融だけが進んでいた…。
これが原発事故の背景でした。
原子力発電所はひとたびトラブルが起こると、被害は甚大になり、巨額の賠償金が発生する。
焼肉屋の食中毒とはわけが違う。(食中毒で亡くなった方は大変気の毒であるが)
だから巨額の賠償金は一企業だけではまかなえず、国が肩代わりせざるを得ない。
だからこそ、この危ない原子力発電所の大事故を目の前にして、最後のよりどころとなる政府が突如の判断を主導権を握って決断するしかなかったのに。
東電は悪いのかも知れないが、この一社だけでどうにかなる問題でもなかったわけである。
ではなぜ突如の判断ができなかったのか?
それはもう長い間この国が数十年先に掲げる目的がなく、目的がないがゆえ、先の見通し「フォーワードルッキング」が突如出てこないのだと言える。
目的がないことで、一般市民生活に何が起こってるかと言うと、経営者はとにかく今売れてる物だけに興味を持ち、あるいはどこかの夫婦は価値観のすれ違いを理由に一時的な安らぎへの離婚という目の前の選択だけに頼ってしまう。
長期的な展望を見る力がなくなり、目の前の状況だけにあたふたする。
一方、目的を持つというのは、何とかイズムとか言われるように一種の“偏り”にシフトする危険もある。
ただファシズム、ナチズムなどに代表されるように行き過ぎは良くないが、目的をなくした末路が、目の前を追いかけるだけの生活しかできないようなら、何とかイズムの方がはるかにマシということである。
フォワードルッキングの力、実は一般市民生活にも必要でなのである。