「異端児、常識を疑う」 -12ページ目

ヴェノナ文書

憲法改正が目下、安倍政権の取り組みである。
では、憲法改正の最終的な目的は何であるか?
自主防衛を含む「自主独立」である。
もちろん日米関係あるいは対中関係のバランスをどうとってゆくかを踏まえての問題であり、安倍政権もそれ以降の政権も国際社会というものが続く限りつきまとう難題である。
だから「自主独立」を掲げることに、単に右翼的だとか、ナショナリスト(国家主義)とするのは浅はかというか、マンガの読みすぎなのであるとわかる。

今日は憲法改正が必要か否か、軍隊を持つこと、武装することが必要か否かの議論は一旦ふせておいて、
現在の日本で賛成・反対と議論される日本国憲法ができたきっかけ、自主独立ができなくなったきっかけである、“日本の敗戦”について、戦後50年経って暴かれた「ヴェノナ文書」からひも解いてみる。

アメリカとイギリスで協力して、数々の暗号化された通信文の解読から、戦時中のスパイ活動の謀略を暴いた、「ヴェノナ」という作戦があった。
この作戦は重要機密であったが、戦後50年後にあたる1995年に公開された。その情報が、「ヴェノナ文書」といわれる。

この文書で明らかにされてることは、戦時中に日本にスパイがいたというものであるが、アメリカにもスパイがいたというのである。
日本にいたスパイからアメリカに情報が漏れて、最終的に戦争で敗れたというなら理屈はわかる。
しかし、これらのスパイは日本から情報を吸い上げ、アメリカからも情報を吸い上げ、いったいどこと連絡していたのだろうか。

モスクワ本部、スターリンである。
もちろん、歴史の教科書には書かれていない。

では、その目的は?

戦時中日本国内にいたスパイは、中国に派遣されていたゾルゲというスパイと接触し、モスクワからの指令を忠実に遂行した。それが、尾崎ゾルゲ事件の「尾崎秀実(おざきほつみ)」である。
なんと尾崎は当時の首相、近衛文麿の側近であり、裏工作で日米開戦の方針を決定づけた重要人物である。

モスクワから尾崎への指令はこうである。
「日本を南下させよ」

当時、満州、朝鮮へと勢力を伸ばしつつある極東ソ連に対し、日本は北進して阻止しなければならなかったのを、南進して米英と対決することに工作したのが尾崎、ゾルゲであった。

一方、アメリカでのスパイ活動は、ヴェノナ文書によるとこれまたひどいもので、ルーズベルト大統領の側近にもスパイがウヨウヨいたことが報告されている。
その代表的人物が「ハルノート」を起票したハリー・デクスター・ホワイトである。

ハルノートとは戦争に突入する直前にアメリカ側が日本に無理難題を押し付けてきた“最後通告”にあたる日米交渉の公的な文書であり、歴史的事実として知られている。
しかしハルノートの中身の作成に関わったのが、モスクワの息のかかったスパイであることは、ヴェノナ文書の記述を見るまでは明るみに出なかった。

スパイが暗躍するのと同時に、日本はABCD包囲網で経済封鎖もされ、もはや八方塞がり。
外交での解決は断念せざるを得ない状況に追い込まれた日本は、
「開戦やむなし」。
かくして、モスクワからのスパイの謀略により、日本は米英との激突が避けれらなくなったと、ヴェノナ文書の記述をたどれば、浮き彫りとなってくるわけである。

いったいモスクワ本部の最終的な狙いは何だったのか?

結局、第二次世界大戦後、領土を広げたのはアメリカでもイギリスでもない。
アジアの半分とヨーロッパの半分を手に入れたのはソ連である。
北朝鮮、および中国の赤化(共産主義化)は、尾崎らスパイの工作によって日本が南進することによりもたらされた訳であり、そしてこれは領土の問題ではなく、東アジアの赤化を阻止する日本の“防共回廊”を崩すことを、更には日本の敗戦革命(国難をきっかけとして共産主義革命を起こす)を狙いとした壮大な諜報活動であった。

20世紀最大の罪人、スターリンと名越二荒之助氏はいう。
そのスターリン論文に第二次世界大戦は「資本主義相互間の戦争だった」と記されている。
更に、スターリン論文にはこう付け加えられている。
「第三次世界大戦があるとするなら、米ソの大戦と思うだろうがそれは違う。
戦争で敗れた日本はやがて復興する、ドイツもやがて復興する。
そしたらまた、日・独を助けて、またアメリカとやらせる。」のだと。

要するにスターリンが言いたいことは即ち、“資本主義”というものは矛盾をかかえてるので、資本主義同士の戦いは避けられず、必ずそうなるのだと。

アメリカ流総仕上げ

ホリエモンこと堀江貴文氏が刑務所から仮釈放されて、4/26の朝まで生テレビに出演したそうな。
テーマは「ネット世代が日本を変える」ということで、その中で靖国問題についての討論があった。
最初に断っておくが、ホリエモンがどういうことを言ったのかに興味がある訳ではなく、
その内容がネット世代のみならず、現代日本人の多くの人が感じている象徴的な感覚のように感じざるを得ないものであったから、ここで触れてみた訳である。

ホリエモンの見解はこんなものである。

安倍首相はじめ閣僚が靖国神社へ参拝することに外国からの批判、特に中国、韓国が批判することについて、
「なんであおるの?」
政治家が靖国神社へお参りに行って、外国から反感を買うなら、「行かなきゃいいじゃん」ということである。
非常にわかりやすい理屈である。「行く労力をわざわざ使ってまでややこしいことに巻き込まれるな」という合理的な理屈であり、
「国家の運営に効率の悪いことはやめましょうよ」という合理主義に基づく意見に過ぎない。

“効率が悪いもの”、“何の得にもならないこと”であるから歴史的に靖国参拝は問題になってるかというと、全く違う。
議論の本質から外れている。
最近の若手論客、特に今回の朝生に出演していた彼らの多くが、論点をすり替えて結論を導いてるが、問題の本質から外れてしまって議論になってないことがよくある。
彼らはIT企業の経営者でビジネス界の人であったり、社会学的な分野の学者だから、国家を論じるのに不向きなのは否めないが、もっと本質的な靖国問題とは何なのか?

この問題の本質は、靖国神社には戦没者が祀(まつ)られてるのだが、A級戦犯も英霊として祀られていることにあり、そこに参拝するということは、戦争犯罪者ならびに日本の戦争自体を肯定するものであるという解釈からの問題視である。

そして、この点についてのホリエモンの発言は、こうである。
「安倍さんは戦争経験してないじゃん。(戦没者にしろ、A級戦犯にしろ)祀られてるから行くべきと言う論理自体、全くわからない。」
この発言の真意は正確にはわからないものの、要約すれば、おおむねこうであろう。
“戦争を体験してない者がその戦争で死んだ人たち対しての悲しみを抱くのは難しい。ましてや自ら行って(国家の一員として)お参りする意思を持たねばならないなんて自分には全くわからない。”
もはや論点が大きくズレてしまっている。
日本の戦争は悪かったのかどうかでなく、経験してないことは悪かったかどうか知らない。だから参拝するかどうかの判断は現在の合理性に反するかどうかに問い合わせるべきだという意見である。
そしてこれは日本の現代人なら少なからず同じような感覚を抱いてるようにも思う。

これが日本の戦後の国家観であり、「東京裁判史観」というものの完成形なのである。

どういうことか?

その前に日本の戦争についての解釈は、簡単に言えば、「日本の戦争は悪かった」である。
保守陣営の戦争解釈の文脈を借りれば、日本の大東亜戦争(アメリカ占領軍GHQによって禁止され、「太平洋戦争」と置き換えられた名称)への道のりというものは、当時の覇権国(米英)に包囲され、国家存亡のため、やむを得ず戦争へと向かわねばならない側面があったということである。もちろん、日本も当時の世界情勢から覇権的になっていた面はあるものの、戦争のおぞましさのみを戦後史観とするのは、解釈として公平さを欠き、司馬遼太郎史観、大江健三郎史観なるものはその集大成である、と。

つまり、「日本の戦争は悪かった」を戦後史観として定義づけ、そこに平和と自由を根本に据えた国家を再構築することが戦勝国、特にアメリカの狙いとしてあったことを見逃してはならない。
なぜアメリカの狙いは「平和」かというと、人権を第一に大切なものとする民主主義を強力にすることにより、国家の権力を弱め、そこに自由主義がまかり通りやすいように下地を作るのが狙いにあった。
ではなぜ、自由主義を掲げたかというと、アメリカ的なものを流通させやすいように、である。

アメリカ的なものとは、TPPに代表されるように、覇権国(アメリカ)の理屈であり、グローバリズムは覇権国の理屈を世界標準にする思想展開なのです。

しかし、この思想展開は何かに似ている。
詳しいことは省略するが、結局これは左翼思想にほかならないのです。

戦後体制は、冷戦で社会主義が敗れてから、自由主義、民主主義の勝利とされるが、結局、左翼思想の延長にあることは、若手の論客で語れる人はそうはいない。

左翼思想とは、大事なものなどない、わからないから(靖国でもどこでも)行かないでいい、とする諦めの投げやりなニヒリズムであり、ホリエモンはじめ現代のアメリカ流の総仕上げにさらされた日本人は、どこかニヒリズムに“美しさ”を感じてるに違いない。
よく若い世代が、オレ流だの、そんなの関係ねぇ、として考えることから遠ざかることがどこかカッコいい生き方としてしまうこと、これの正体が実はこういうニヒリズムに過ぎないと気づくには大変しんどい。

東京裁判史観を改めたとしても、「ふ~ん」「だから?」と却下されることは時代の強力な風潮として逆らえず、もうまもなく日本のアメリカ流総仕上げとして、完成が間近に迫っている。

アベノミクス4本目の矢

今一番儲かってる人は誰でしょう?

日経平均13000円を超えて、株式市場は安倍首相のアベノミクスに好意的に反応している。
これはいつからか?野田首相が解散宣言直後から株価は上昇し続けている。
8000円台が短期間で、1.5倍の13000円である。
その時にしこたま買い込んだ人は今一番儲かってる人になるのでしょう。

しかしこれは投資家の話です。残念ですが、我々国民の所得にはあまり関係ない話です。
同時に、アベノミクスは日経平均株価を上げることが最終目的ではない。
アベノミクス3本の矢を実行して日本経済の潜在能力を引出すこと、つまりデフレ下ではなし得ない国民所得を上げること、消費を活発にさせることが目的である。
3本の矢である金融政策、財政政策、成長戦略がうまく行き、雇用者の給料が上がるのは順番としては最後だと言われている。雇用者への恩恵はこの先に控えてると言うのである。

これに対し、保守派の知識人、有識者は皆、安倍政権支持である。
チャンネル桜も水島社長以下、パネリストの方々も皆おおむね支持である。
そしておそらくアベノミクスは倒れ掛かった日本を寸前で立て直し、失われた20年、戦後日本を修復するのに一定の成果を収める可能性は現実問題として極めて高くなってきた。

本当にアベノミクス3本の矢は正しいのだろうか?

そして、これに重大な指摘をしている方がいる。
西部邁氏である。

西部邁氏は自民党が下野(与党が野党になること)した際、安倍首相を頑張るよう励ましていたにもかかわらず、アベノミクス3本の矢に対し、決定的な指摘を浴びせている。

アベノミクス3本の矢とは、金融緩和、財政出動、成長戦略としてのイノベーション・規制緩和推進である。
そしてその数値的目標として、物価の上昇率2%のインフレ・ターゲットを設定しているのである。

中身についてはこうである。

金融緩和とは、まずは日本銀行がお札を刷る。
そして刷ったお金で市中銀行の国債と交換する。
(ちなみに日銀が国の借金を肩代わりすることとする反アベノミクス批判はここでは置いておく。)
当たり前だが、日銀が市中銀行から国債を買い取るだけで、物価が上昇し国民の所得は増える訳ではない。
銀行が国債と交換してもらったお札、つまり日本円を誰かが借りてモノやサービスが購入されなければ物価は上昇しない。
具体的には、銀行から国内の民間企業が融資され設備投資するとか、更に企業が人を雇って給料が支払われ消費するとかである。
すなわち、物価とは、国民が働いた結果、その働きが1000円に値するモノやサービスの価格なのか、2000円に値するのか、「国民の労働の価格」であり、つまり給料のと深く関わるもので、デフレ脱却とは物価上昇、給料の上昇のことだと三橋貴明氏は説明する。

ただしこの金融緩和政策だけでは、デフレを脱し、物価上昇&給料上昇へと成功はしない。
そこで2本目の矢として政府の財政出動が必要になるのである。
企業といっても、大企業もあれば中小企業もある。
さすがに銀行も不況下で中小企業への融資には積極的になれない。
そういうときにこそ、政府が手助けして、公共事業で仕事をつくり出すという財政出動が有効になってくるという仕組みである。

まさにやれることは全てやって、インフレターゲットを成立させようというのがアベノミクスの真髄でしょう。

しかし、西部邁氏はこの金融緩和政策について、決定的な注意を促しているのである。
もちろん、日銀が国の借金を肩代わりするなという反アベノミクス批判としてではない。
金融政策で経済安定を狙うということは、市場(モノやサービスの価格決定の場、いわば架空の場)に対する信頼感の下支えがあって初めて成立するものだと。
しかし市場というのは、バブル崩壊やリーマンショックに代表されるように、いかようも反応するもので不安定なものである。
だからこそ、アベノミクス3本の矢の政策の中身はよしとしても、最も大事なのは社会の安定がないと市場はふくらむが、やがて破裂すると。

アベノミクスには4本目の矢が足りない。

それを西部邁氏はこういう風に表現する。
安倍首相に経済学しか知らない奴ばかりを周りに集めるな、と。
経済学の取り柄と至らなさを分かった上で計画せよ、と。

アヒルが日本を襲う、TPPの真髄

安倍首相がTPP交渉参加表明をした。

TPPとはテレビや新聞では自由貿易の協定のこと紹介されてるが、自由貿易の何が問題なのか?
貿易を自由にするため各国間で関税という障壁を撤廃する、つまりコメを輸入するのに税がかからず消費者に安く提供できることのどこが問題なのか。
お互い関税をなくしましょうという本質は、規制をなくしましょうと同時に、“強い国のルール”に規制をひとつに合せましょう、これがTPPの本質である。

であるから、農業の関税だけの議論ではない。あらゆる規制が変わること、つまり「非関税障壁」という狙いが込められている、これが怖い。
TPPは経済の国境をなくすグローバリズムなのであり、TPPが輸出入する品目の関税だけの問題とするのはトリックなのです。

だからマスメディアで報じられるように、日本の農業を守れるかどうかの問題だけではない。
自由化の領域は金融、保険、サービスにまで及ぶ。要するにアメリカの目的はアメリカ人の雇用を生むのに貿易協定強化が必要と考えているのである。
特にアメリカは保険市場をほしがっている。
ご存じのとおりアメリカには日本の国民皆保険制度はない。
その代り、民間の保険会社に加入して、いざという時に補償を受ける仕組みである。
民間は商売でやってるから当然保険費用は高い。だからアメリカでは国民の5人に1人は無保険者なのである。
そんな保険市場に日本を変えようとアメリカが突き付けてきたのが、TPPの別の素顔である。

ところが、アメリカ側は「とんでもない、他国の保険制度を廃止するなどとは全く思っていない。」と断言している。
唐突に他国がいやがることを要求するバカげたことは考えていないのである。
では、アメリカの真の狙いはどこに?

年寄りは保険会社にとって持ち出しのリスクが高い対象で、低所得者はそれ以前に保険料が支払えない。顧客としては対象外なのである。
民間の保険会社が本当に欲しい顧客というのは、ある程度の富裕層となる。
ところが、年寄りも低所得者も加入できている日本の国民皆保険のパイの中で、富裕層というターゲットだけを狙えない。
加えて、保険制度の「廃止」も当然できないなら、どうするか?
TPP保険分野の狙いは日本の国民皆保険の「縮小」なのである。
国民皆保険制度は変わらない。国民の皆は、今まで通り健康保険証を持ったままでいる。しかし、診療の対象が今までよりぐっと狭くなって、自己負担する診療が多くなる。これを補うのが保険会社の保険に加入することに変わる。

つまるところ、日本の保険制度改革を押し付けたいわけである。

しかしどうやって富裕層を今加入している国民保険から抜けさせて、民間の保険会社へ加入させるのか?
TPPで既に日本に上陸しているアメリカの保険会社アフラックはがん保険で国内シェア7割を占め、巨大な利益配当を本国へ送金しているが、国民皆保険シェアへの着手はまだである。

どうするのか?

そこで発揮されるのが、TPPの項目にある、「ISDS条項」というメカニズムである。
これに日本のアメリカナイゼーションの真髄が隠されているのである。

「ISDS条項」とは、投資家の保護のため、投資ルール普遍化、投資の円滑化である。

これまで日米間でアメリカは業界、企業などの圧力団体から制度改革や規制緩和の要望を「年次改革要望書」として日本へ突きつけてきたが、あくまでも政府間で交渉していたものを、「ISDS条項」を飲むと、アメリカの一企業、あるいは個人からでも投資の円滑化が阻害されたとかの理由で日本政府や日本企業が提訴されることが可能になる、いわば、日本政府がコントロールできないカオスが日本の制度や法律を壊しにかかってくることになるのである。

これは内政干渉であり、主権にかかわるものとして真のTPP反対派の主張するところである。
 
東谷暁氏は、アメリカの法律学者たちがアメリカの都合のいい新しい概念を作ってくるものとし、これを阻止しなければならないと分析する。
既に今現在、米韓FTAで韓国がこれに苦しんでいて、つまりは法概念は弱い国のほうが負けるという事例が隣国で起こっている。

自由貿易を推進するのに間違ったことをやってると指摘でき、日本で決めた政策、制度、法律が提訴される危険を「ISDS条項」は内蔵しているのである。

アフラックが国民保険の制度を変えて日本人シェアを回してくれといわなくても、円滑な投資を阻害するものとして、つまりウォール街からのクレームで制度を変えざるを得なくなる。これが「ISDS条項」という日本にとって致命的となるメカニズムなのです。

設計主義

2013年3月末をもって、勤めていたデザイン会社が廃業するという知り合いがいる。
彼は40歳過ぎで中学生の子供もいる。
会社は彼と社長の二人だけ。長いデフレ不況に苦しんだ挙句の廃業であったらしい。
ところが、廃業まで残り1ヶ月を切った年度末に会社存続が決まり、彼の転職活動も一旦棚上げとなった。
聞くところ、アベノミクスによる期待で社長の意思に会社経営の先行きが見出せての存続決定だという。

まさに景気とは期待感という空気で動くものなのである。
安倍相場なる金融・証券市場も活発に円安・株高の反応を先行指標として示している。

勘違いしてはいけないのは、期待感につつまれたムードであり、まだ実体経済が結果を出してないということである。
この先必ず好景気が約束されてる訳ではない。
景気は政治的な思惑や世界情勢、予期せぬ天災などあらゆる要素を折り込みながら動く不確実なものであり計画通りにはいかない。
だからその都度、アベノミクス「3本の矢」は状況を踏まえた議論を重ね判断されねばならない。また、そのための議会であり、それが議会制民主主義の真髄である。
安倍政権はそういう立ち位置で政策決定を推進している訳で、始めから間違いのない正しい経済政策を実行できる万能の政権、それを安倍政権に期待するというのは間違いで、それは「設計主義」というものになる。

経済政策はその時点で何が正しいかは誰にもわからない。
近代は万能な指導者を次々に求め、次々に変わる指導者が計画した政策で社会実験を繰り返す「設計主義」に冒され続けて来たのです。
そうなると何を頼りに、国家を、社会を運営してゆけばよいのか?
それに答えるには、人間観をしっかり見抜かなければならない。

設計主義者に求められるのは常に「いかに合理的か」ということに尽きます。
彼らにとって、社会の運営に最も重要なのは合理性であり、非合理こそが社会運営の妨げだとされる。
この合理性を生み出す人間の判断力や知能などの「理性」に非常に強い信頼を置いている、これが設計主義の人間観である。

だが、人間は生まれる国、生まれる地域、生まれる家庭が特定され、その生まれ育つ場所が過去からあらゆる慣習的な要素を引き継がれていて、その人間の観念がつくられる。
その観念には、偏見や先入観の固定観念も含まれ、非合理なものも含まれる。しかしその慣習的な要素の集合体である「伝統」には、その場所でよりよく生きるための知恵や方法が過去人から葬られず受け継がれてきたはずで、それをその人の世代が勝手に合理的だからという理由で壊していい訳がない。
社会で普通に穏やかに暮らそうとするならば、こういう人間の手の届かない観念を保守してゆくことこそが、人々が持つべき人間観なはずなのです。

保守思想の父といわれるエドマンド・バークはフランス革命を徹底的に批判した人です。
フランス革命は一般的には、国王が民衆に処刑された物語として知られているが、バークによればフランス革命は人間の理性の万能を疑わない、理屈で考えたらうまくゆくという設計主義の行動であったと敵視しています。その理由は、バークも人間が生きるうえで重要なことはに慣習によって根付いている感情こそが人間観の本質だと見抜いていたからです。

安倍さんは“保守”を標榜した政治家である。
保守とは、本来的にはイデオロギーではない。
保守とは、人間が普通に生活するための思想の持ち方で、エドマンド・バークは常識や物の道理を説いた思想家であるとわかる。
設計主義とは物事はすべて理屈で考えたら丸く収まるはずと思うがゆえ、矛盾を許せない。

世の中矛盾があるもので、その矛盾を排除し、合理性を追求することが大事ではないのです。
矛盾をどう自分のなかに組み込んでゆくか、それを避けては人間の本質には近づけないのだろうと思います。