設計主義
2013年3月末をもって、勤めていたデザイン会社が廃業するという知り合いがいる。
彼は40歳過ぎで中学生の子供もいる。
会社は彼と社長の二人だけ。長いデフレ不況に苦しんだ挙句の廃業であったらしい。
ところが、廃業まで残り1ヶ月を切った年度末に会社存続が決まり、彼の転職活動も一旦棚上げとなった。
聞くところ、アベノミクスによる期待で社長の意思に会社経営の先行きが見出せての存続決定だという。
まさに景気とは期待感という空気で動くものなのである。
安倍相場なる金融・証券市場も活発に円安・株高の反応を先行指標として示している。
勘違いしてはいけないのは、期待感につつまれたムードであり、まだ実体経済が結果を出してないということである。
この先必ず好景気が約束されてる訳ではない。
景気は政治的な思惑や世界情勢、予期せぬ天災などあらゆる要素を折り込みながら動く不確実なものであり計画通りにはいかない。
だからその都度、アベノミクス「3本の矢」は状況を踏まえた議論を重ね判断されねばならない。また、そのための議会であり、それが議会制民主主義の真髄である。
安倍政権はそういう立ち位置で政策決定を推進している訳で、始めから間違いのない正しい経済政策を実行できる万能の政権、それを安倍政権に期待するというのは間違いで、それは「設計主義」というものになる。
経済政策はその時点で何が正しいかは誰にもわからない。
近代は万能な指導者を次々に求め、次々に変わる指導者が計画した政策で社会実験を繰り返す「設計主義」に冒され続けて来たのです。
そうなると何を頼りに、国家を、社会を運営してゆけばよいのか?
それに答えるには、人間観をしっかり見抜かなければならない。
設計主義者に求められるのは常に「いかに合理的か」ということに尽きます。
彼らにとって、社会の運営に最も重要なのは合理性であり、非合理こそが社会運営の妨げだとされる。
この合理性を生み出す人間の判断力や知能などの「理性」に非常に強い信頼を置いている、これが設計主義の人間観である。
だが、人間は生まれる国、生まれる地域、生まれる家庭が特定され、その生まれ育つ場所が過去からあらゆる慣習的な要素を引き継がれていて、その人間の観念がつくられる。
その観念には、偏見や先入観の固定観念も含まれ、非合理なものも含まれる。しかしその慣習的な要素の集合体である「伝統」には、その場所でよりよく生きるための知恵や方法が過去人から葬られず受け継がれてきたはずで、それをその人の世代が勝手に合理的だからという理由で壊していい訳がない。
社会で普通に穏やかに暮らそうとするならば、こういう人間の手の届かない観念を保守してゆくことこそが、人々が持つべき人間観なはずなのです。
保守思想の父といわれるエドマンド・バークはフランス革命を徹底的に批判した人です。
フランス革命は一般的には、国王が民衆に処刑された物語として知られているが、バークによればフランス革命は人間の理性の万能を疑わない、理屈で考えたらうまくゆくという設計主義の行動であったと敵視しています。その理由は、バークも人間が生きるうえで重要なことはに慣習によって根付いている感情こそが人間観の本質だと見抜いていたからです。
安倍さんは“保守”を標榜した政治家である。
保守とは、本来的にはイデオロギーではない。
保守とは、人間が普通に生活するための思想の持ち方で、エドマンド・バークは常識や物の道理を説いた思想家であるとわかる。
設計主義とは物事はすべて理屈で考えたら丸く収まるはずと思うがゆえ、矛盾を許せない。
世の中矛盾があるもので、その矛盾を排除し、合理性を追求することが大事ではないのです。
矛盾をどう自分のなかに組み込んでゆくか、それを避けては人間の本質には近づけないのだろうと思います。
彼は40歳過ぎで中学生の子供もいる。
会社は彼と社長の二人だけ。長いデフレ不況に苦しんだ挙句の廃業であったらしい。
ところが、廃業まで残り1ヶ月を切った年度末に会社存続が決まり、彼の転職活動も一旦棚上げとなった。
聞くところ、アベノミクスによる期待で社長の意思に会社経営の先行きが見出せての存続決定だという。
まさに景気とは期待感という空気で動くものなのである。
安倍相場なる金融・証券市場も活発に円安・株高の反応を先行指標として示している。
勘違いしてはいけないのは、期待感につつまれたムードであり、まだ実体経済が結果を出してないということである。
この先必ず好景気が約束されてる訳ではない。
景気は政治的な思惑や世界情勢、予期せぬ天災などあらゆる要素を折り込みながら動く不確実なものであり計画通りにはいかない。
だからその都度、アベノミクス「3本の矢」は状況を踏まえた議論を重ね判断されねばならない。また、そのための議会であり、それが議会制民主主義の真髄である。
安倍政権はそういう立ち位置で政策決定を推進している訳で、始めから間違いのない正しい経済政策を実行できる万能の政権、それを安倍政権に期待するというのは間違いで、それは「設計主義」というものになる。
経済政策はその時点で何が正しいかは誰にもわからない。
近代は万能な指導者を次々に求め、次々に変わる指導者が計画した政策で社会実験を繰り返す「設計主義」に冒され続けて来たのです。
そうなると何を頼りに、国家を、社会を運営してゆけばよいのか?
それに答えるには、人間観をしっかり見抜かなければならない。
設計主義者に求められるのは常に「いかに合理的か」ということに尽きます。
彼らにとって、社会の運営に最も重要なのは合理性であり、非合理こそが社会運営の妨げだとされる。
この合理性を生み出す人間の判断力や知能などの「理性」に非常に強い信頼を置いている、これが設計主義の人間観である。
だが、人間は生まれる国、生まれる地域、生まれる家庭が特定され、その生まれ育つ場所が過去からあらゆる慣習的な要素を引き継がれていて、その人間の観念がつくられる。
その観念には、偏見や先入観の固定観念も含まれ、非合理なものも含まれる。しかしその慣習的な要素の集合体である「伝統」には、その場所でよりよく生きるための知恵や方法が過去人から葬られず受け継がれてきたはずで、それをその人の世代が勝手に合理的だからという理由で壊していい訳がない。
社会で普通に穏やかに暮らそうとするならば、こういう人間の手の届かない観念を保守してゆくことこそが、人々が持つべき人間観なはずなのです。
保守思想の父といわれるエドマンド・バークはフランス革命を徹底的に批判した人です。
フランス革命は一般的には、国王が民衆に処刑された物語として知られているが、バークによればフランス革命は人間の理性の万能を疑わない、理屈で考えたらうまくゆくという設計主義の行動であったと敵視しています。その理由は、バークも人間が生きるうえで重要なことはに慣習によって根付いている感情こそが人間観の本質だと見抜いていたからです。
安倍さんは“保守”を標榜した政治家である。
保守とは、本来的にはイデオロギーではない。
保守とは、人間が普通に生活するための思想の持ち方で、エドマンド・バークは常識や物の道理を説いた思想家であるとわかる。
設計主義とは物事はすべて理屈で考えたら丸く収まるはずと思うがゆえ、矛盾を許せない。
世の中矛盾があるもので、その矛盾を排除し、合理性を追求することが大事ではないのです。
矛盾をどう自分のなかに組み込んでゆくか、それを避けては人間の本質には近づけないのだろうと思います。