J POWER/電源開発株式会社の外資による株買い増しを政府が拒否した件についてエネルギー源の外資による影響力は国益に反することが想定されるというのは間違いない。
但し、この会社は1954年、54年も前から原子力発電の調査、検討を進めてきたとある。
日本政府の本音は、風力、水力、火力以上に最も重要視しているのはこの原子力なのだろう。
このところ東芝が電機、機械の伸び悩みもあってか、原子力に力を入れ、世界各国から次々と原発受注している。
mixiでも地球環境保護関連のコミュニティで原発推進派による原発ありきの誘導が行われていた。
日立電機を思わせるハンドルネームで原発推進論者がいたが、東芝または政府関係者ではなかったのか?
原発は、日本にとってあの忌まわしい原爆、原子爆弾に欠かせないウランとプルトニウムを使う発電方法だ。
それを二酸化炭素排出量が圧倒的に少ない発電方法だといって日本が国を挙げて推進している節があるけど、ホントにそれでいいの?
世界が戦争ありきで軍事費を毎年つぎ込み、既存軍備のメンテナンス費用というランニングコスト含め莫大な額が税金から投入されている。
軍事費は国民が苦しい地域ほど迷惑な予算だ。
中でも脅威なのが人類史上、日本だけが被害にあった原爆だ。(他にもあるけど)
でも人類とすれば、戦争ありきではなく、ダライラマ14世が言っているように武力行使や暴力がない世界を目指すのが本分だろう。
アメリカは、これまで中近東やアジアの国々に対し、断固核削減を進めさせようとしている。
最終的に平和を達成したらアメリカも放棄するというなら、気長な話だけどまだ納得できるだろう。
でも、そうではないと考える方が妥当かな。
原発にこだわる国々は、核不拡散を半ば強制されているため、原発を促進することにより、表向きは発電、裏向きでは、予め武器用に濃縮したウランやプルトニウムを利用できるようにしておき、有事の際、国内各原発から調達し核爆弾として流用することを考えているんじゃないのかな?
戦争ありきの国防という点から見れば、かしこい。
でも、核爆弾反対というばかりでなく、特に日本のように地震大国では、原発推進は大きな危険をはらむ。
中越沖地震の際の柏崎原発や過去の事例から見た目の大事には至っていないとされているけど、海洋生物たちには海の生態系には、相当な被害があるはずだ。
いくつもの断層があり、人知では知りえない、日本人が体験したことのないような、関東大震災なんて目じゃないほどの大地震が起こる可能性は否定できない。
そのときは、自業自得のまさに自爆となるという危機管理意識をもって原発を考えなければならないと思う。
なってしまったら、後の祭りだと言うことも許されず、後悔すらできず絶滅死滅の危機さえあるのだから。
国でも、都道府県でも、市区町村でも、公務員でも民間企業の従業員でも、ケンカで物事を解決しようなんて常識的な大人なら誰も思わない。
むしろそう思わないように国を挙げて強力に小さい頃から教育されている。
思い起こされるのはせいぜい団塊の世代の安田講堂事件程度で国に制圧されて結局何も変わることはなかった。
以後、国内ではこうした大規模な暴動は起こっていない。
完全に抑圧されたと言ってもいいだろう。
暴力的な暴動に賛成はしないけど、理不尽には立ち向かう必要がある。
日本では、身近で起こる痴漢やケンカでも身の危険を感じるということだけがどうしても先立って見てみぬフリ、無視、無関心がはびこっている。
現にヤクザが見た目にわかりにくくなっていたり、右翼団体メンバーも判別できず、ヤクザや右翼団体メンバーでなくてもナイフなどの凶器を携えている危険分子や体力体格に物言わせる危険分子もいるため、迂闊に注意しようものなら大変なことになる可能性も確かに高い。
最近は、他人の子どもにも注意できなくなっている。
自転車2人乗りを注意された女子中学生数人が警官に殴る、蹴る、唾を吐きかけるという事件が起きていたりもする。
これが、警官ではなく一般人だったら、どうなっていることか。
確かに心配は尽きない。
でも、これは、我々大人を含め、家庭教育上の躾やマナー、モラル、果ては性教育などについて教えてこなかったからではないのかな?
学校教育も大事だけど、それ以前に家庭教育がなっていないんだと思う。
かといって最近は高齢者でも中高年でも若者でも男性でも女性でも非常識な人が多すぎると常々感じるので家庭教育が崩壊しているのかもしれない。(◎心の渇き/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080354613.html )
教えられる大人すらいなくなっているのかもしれない。
こんな寂れた世の中は、政治不信、◎公共性の崩壊/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10081149624.html
も大きな一因となっているのだろう。
こうした心の乱れは、◎経済社会の不平等は必然/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10071417168.html 、◎経済の最も醜い汚い一面/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080114940.html など経済観念を植え込みすぎている、植え込まされすぎているんじゃないかな?
日本では、たった64年程度の歴史でしかないこの観念に影響されすぎなんじゃないかな?
それに気づくと殺伐とした世の中にしない為に/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10071864575.html
自分や家族の身体に気を遣う必要に気づき、愛情や思いやり、慈しみが育まれ、そしてその環境として核家族ではなく大家族の恩恵に気づき、◎捨てるなんてもったいない活用しようよ/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10070683791.html
と本気で思い、◎ホントに必要?大量のモノやエネルギー/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079039198.html
と感じ、経済の仕組みが招いた大量生産によって大量廃棄が生まれたことや大量なエネルギーが必要という前提で進められた結果、地球環境に弊害をもたらしていることに気づき、◎物事の本質/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079318294.html
を見極め、本質がわかっても変わらない理由/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079345342.html
を直視し、反省する必要があるんじゃないかな?
暴力によって解決できることは、何もない。
これは、世界規模で見てもそうだ。
だからこそ、綺麗事でもなんでもなく、攻撃を仕掛けられた時の恐怖を抱えながらも、勇気を持って◎気づきと感謝と思いやり/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10072166798.html を持って戦争ありきではなく、軍備自粛、軍事に関わらずとも危険物質の放棄、並行して平和を訴えていくのが人類の本分であり、倫理観を持つ大人としての行動が必要なんじゃないかな?
そうすると原発の存在を見直す必要性も見えてくるんじゃないかな?
それが、◎人権・生命体権・自然権・生態系権・地球権/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10086860089.html を守る術じゃないかな?