世界の貧困については何度か触れた。でも本質には触れてこなかった。
ここで経済社会が成立する上で最も醜く、心汚れた一面を綴る。
なぜ貧国がなくならないのか。それは経済先進国の保身とエゴが意図的に故意になくそうとしないから。
◎物事の本質/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079318294.html に続いて
◎本質がわかっても変わらない理由/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079345342.html
で触れた8:2の法則とこれまで触れてきたあらゆる局面に形成されるピラミッド体質が答えとなっている。
つまり、先進各国からすれば、全て横並びになっては困るのさ。
ある程度格差がないとピラミッドが成り立たないから格差も維持したいのさ。
だから救う事はできるけど少なくとも一気に解決したくないのさ。
例えば日本のODAなんかも世界の似たような政策にしても世界的な経済局面から見たら純粋な慈善事業ではなく、長い年月をかけて緩やかに緩やかに世界情勢を見極めながら経済に適度なレベルで復興?させて将来自国に有利になるように画策しているというのが本音だろう。
世界の中央銀行は互いに結束して、お金の流通量を調整していて著しく貧国に落ちる国がなく台頭してくる国が増えたとしたら基本的に流通量を増やす。つまり新たに印刷して適度に市場に投入するのさ。
だってそうしないと「既存の豊かな国+そんなに豊かじゃない他国」にこれまでお金があまり流通していなかった「そんなに豊かじゃない他国」が減り、既存の豊かな国に追加で豊かな国が増えるのだから。
もし、全くお金の流通量自体が変らなかったり、逆に減ったら、豊かな国が増えた分どこかで失う国がある計算になるから。でもこれは市場の原理であってこの点も加味しながら調整するのさ。単純に豊かな国がプラスアルファになった分だけ増やすわけじゃないってことだね。
道徳観とか人間としての優しい心とか気づきとか愛情とか思いやりとか感謝とか経済の根本には欠片もないのさ。あったとしてもそれは持つ者にたいしてのみ限定される。(この根本からなる経済自体の話でこの経済という仕組みの中で生きているとこうした感情は必要になる事ももちろんあるんだけど、ある意味冷酷になる部分を持っている人ほど手段を選ばず経済的に豊かになるケースが多いんじゃないかな。)
だから、このグローバル経済の中では、経済的にそれを現在進行形で享受している人ほど、経済を愛し、自然環境をないがしろにする、後回しにする人々が後を絶たないのさ。
現役をリタイアした超大金持ちの中には、生前から自然や貧国に対する慈善活動や基金を設立する人や自らの死後、莫大な遺産を寄付したりする心優しい人々もいる。
リタイアして社会参加する醍醐味がなくなり、お金にも困らず、生活上、何でも叶う立場にあり、多くの人が自分の言う事を聞いてくれる環境でありながら、腹を割って話せる相手、相談できる相手、バカ言って腹の底から笑いあえる相手、たとえお金がない自分でもその自分自身という内面と付き合ってくれる相手がいない事にそういう相手と関わっていたいという気持ち、孤独だった事に気づく。現役だった頃は考えもしなかった(忘れる事ができた)気持ちがリタイア後にしみじみ湧いてくる。体調でも崩そうものなら尚更だろう。
そんな心境もあるのかななんて思う。そういう立場になった事ないから経験ないけど。
だからこそ、「お金より健康が・・・」とか「人生の中で大切なのは真の友達・・・」とか言われるんだろうね。
お金に執着している間はそんな事あるわけないじゃんとか、そりゃそうだけど金ないと生きていけないじゃん、そりゃキレイごとだよ、なんだかんだ言ったってみんなお金だろ?一番は。って声も聞こえてきそうだけど。
お金持ちじゃなくてもそういう心境になる人はいると思う。それは本心から何も考えなくても自然と湧いてくる感情から物欲が薄れ、分相応のものがあれば、授かった命をありがたく全うさせて頂こうという気持ちになる事ができれば。その中で必要なのはやっぱり健康であり、友達そしてもちろん家族なのかもしれない。
分相応を拡大解釈する人も出てきそうだけど。
あ、まだ途中だった。
もし、世界中の国々が民主主義による自由経済で成り立っていたとしたらどうなるだろう?
さらにもし、世界中の国々が同レベル程度の生活水準だったら経済はどうなるだろう?
誰が口にしなくても自然と必然的にグローバル経済から食糧も含め地産地消の内需中心となるだろう。
食糧も地産地消を目指すからには自国の土壌を汚染するのは得策でない事に(やっと)気づく。(例えば今は自国で仕方なく?CO2排出しちゃってるけど排出権売買で帳尻?合わせちゃおうという環境保全に中途半端に前向きである意味やりたくないのに無理矢理仕方なくやってるレベル)
これが進めば地球の世界の自然環境がたとえ多くの人々が自然環境保全を特別意識しなくてもその環境の中で普通に生活することが、よりよい方向に向かう。
そう少なくてもグローバル経済は成り立たない。つまり、こうなった時点で経済は劇的に縮小する方向に向かい、内需自体も縮小を伴う。
仮に成り立ったとしても成長率は横ばい、輸出入といった貿易も生きていく為に必要なのに自国で【どうしてもどんなに努力しても】賄えないモノ以外はほとんどなくなり、世界各国がほぼ内需に専念する。
生活水準が同水準であれば教育水準もほぼ同レベルになっているだろう。
その国独自の技術が世界で独占的な地位を確立するのも実質難しくなる。出てきたとしても外需に依存しない世界なので(今の独自の通信規格でそのままでは海外に通用しない日本の携帯電話のように)国内独自の類似した(真似た)技術で成り立ってしまう。
知財や特許もさして意味がなくなる。むしろ海外に対してではなく国内での規約に過ぎないものになるだろう。
世界的に生活水準が同レベルなので実質経済に占める外需の割合は極端に低く、知財や特許の海外への適用が必要なものは実質なくなるため、為替相場もほとんど不要となり、金融投資も全世界が同レベルなのでわざわざ海外に投資の目を向ける事がなくなり、残るとしても投資は内需に対するものとなる。
誰が口にしなくても自然と必然的にグローバル経済から地産地消の内需中心となる。
軍備はなくならないかもしれないけど、少なくともほぼ同水準になり、優位性が極端に薄れるため、均衡が保たれる。
これは経済に関してであって考古学的、文化的交流は残るだろう。
でも既にまたは過去に経済先進国だった、今まさに経済先進国を目指している国にとっては、絶対に世界横並びを歓迎しない。自由経済になってもさらに優位性を持とうと軍備拡大に走る。経済も戦争もその根源は同じくらい醜い。