ここでもピラミッドが出てくる。
8:2の法則とか原則というのを聞いたことがある人もいるかもしれない。
経済社会で言えば、雇用関係で見れば、雇う人が2割、雇われる人が8割。
2割の雇う人が物事を決める決定権を持っていて雇われている8割はこれに従っている。
この関係から、
A)2割の人々は少なくとも経済の恩恵を多大に受けているので経済を否定することはまずない。
B)さらにこの2割の人々の腰巾着になっている人々も然り。
C)さらにこの2割の人々+腰巾着に気に入られ経済的な面で未来を約束されている人々も然り。
D)さらにC)をも超えてやろうと自分もいつかは!と意欲を持っている人々も然り。
E)さらにA)~D)の家族も然り。
F)さらにこうした企業に投資をして経済的に潤っている人々も然り。
G)F)含め、成功している権利収入で生きている人々や個人事業主も然り。
※他方でF)の場合、この8:2の法則に照らせば、投資する側2割とされる側8割で成り立つことになる。
この関係にあてはまる人ほど経済を否定したがらないし、現状に満足している傾向になる。
つまり、国の状況が地球規模の状況が変わったとしてもこうした人々ほど腰が重くなる人々が2割。
一方、これに当てはまらない人々というのは経済の恩恵を十分に受けていない人、受けていないと思っている人とこの家族が8割。
「勝ち組」「負け組」という表現も結果的にこれをあらわしているに過ぎない。
地球や自然を無視して経済という枠の中だけで優位にある人々を勝ち組と呼び、勝ち組になる事が果たして本当に嬉しいことなのだろうか?
経済の枠の中の「勝ち組」になる為には多かれ少なかれある意味冷酷な割り切りが必要になる事も多い。
しかし経済に感謝し、地球や自然に感謝せず、地球規模、世界規模、日本一国を見渡した上で経済を見直す必要があることに否定的な腰の重い人々2割が物事の決定権を持っていて目に見える見えないにかかわらず2割の圧力が8割にかかっているため、8割の人々の多くも思っていることも言えない状況下にある。
◎生活の為にはたとえどんなに嫌な事があっても働かなくてはならない。
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◎たとえどんなに理不尽なことを言われてもやらされてもやらざるを得ない場合がある。
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◎自分の信念や社会一般の通念を曲げてでもやらざるを得ない場合がある。
↓
◎常識やモラルや秩序に反していると思われる事でも場合によってはやらざるを得ない。
↓
◎とかげのしっぽ切りのしっぽの対象になって犠牲になってでもやらざるを得ない。
↓
・・・
どこまで行っても2割の圧力が8割にかかる為、必要以上に気持ちを抑える事がでてくる。
一方で不満を言わず、黙って言われたことをやるのが美徳と昔からさりげなく刷り込まれている。
朝鮮半島の北の方ではこの刷り込みが、中のつくその西隣の国でも少なくともつい最近まで世界から見れば公然とされていた。でもその渦中にいる人々はそれが刷り込みであると気付かない。日本でも戦時中ラジオで日本軍有利と真っ赤なウソを報じ、軍人たちの戦う士気を高めさせようとした。でも日本にも例外なく今でもそのきらいはある。
安田講堂事件でも抑圧され、逮捕されたのは運動を起こした方であって彼らが立ち向かった相手ではなかった。
これに気を落とした(現実に直面させられた)かのように中心的な当事者であった団塊の世代の人々は経済の中に溶け込んでいった。こうした世代が、この経済ピラミッドの頂点にいることも少なくない。
要するに逆らえない状況ができあがっている。正しいと思っても正論だと思ってもそうしないと危険だと言ってみても聞き入れられない文化が出来上がっている。
結果言っても仕方ない、家族の為にも働かなければならないから波風立てたくないなどという気持ちが前面にどうしても出てしまい、言いたい事も言えない事態に追い込まれる。言いたい事をたとえ言っても聞き入れられない事態に追い込まれる。
言論の自由なんて笑わせてくれるよね。言論の自由に求められる本質が欠如している社会なのに。
こういう表現をすると共産主義的とか言う人も出てきそうだけど、そういう「~的」とか「~主義」とかじゃなくて核心に触れて反省すべきは反省し、改善すべきは改善していく必要があると思う。
奇しくも日本の経済界に象徴的な「カイゼン」を。
でも、大切なのは臭いものに蓋をすることではなく、直視したくない問題から目をそらすことでもなく、その時代背景に即した「物事の本質を見極めて適切に対処する事」だと思う。
そのためにはタイムリミットを明確に決め、その場で何らかの解決策を見出すと決めて関係者を集めとことん長時間に及ぶ話し合いをすることも大切だと思う。
日本の経済界に最近象徴的になってきた良い意味の「だらだら会議」を。
例えば5ケ年中期計画目標があるとしよう。この目標から逆算して4年後、3年後、2年後、1年後、半年後、3か月後、1か月後、2週間後、1週間後、3日後、今日、そして今何をすべきかを考える事でその目標の実現可能性も見えてくるし、実現可能性が高いと見込んだのなら5年後の目標の為にここ数時間、そして今やるべき事が見えてくるのだから。
このまま地球が壊れても自然が破壊され続けても、見た目自然環境保全できたように見えても残留有害金属や人為的な生態系への介入によって不自然になっていくこともどうでもいいというなら別だけど、そんなの嫌だから。