愛情や思いやり、気づきが不足し、カラカラに渇いた心。


民衆の凄惨で身勝手な事件の多発、警官による犯罪、役人のボッタクリ。


なぜこんなにも人の心は渇ききってしまったのか。


それは◎経済の最も醜い汚い一面/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080114940.html に見てとれるように、そしてまたこの仕組み自体のそしてピラミッドの底辺の生活水準を維持できなくなったから。


そんな仕組みを維持してきた結果、それを国民に植え付けた結果、ピラミッド底辺の生活水準も維持できない局面になり、地球自然環境を破壊してきた、破壊している現状とそれも生きていくためには仕方ない、そんなこと言ってられないと言わんばかりの経済活動。


でも、地球や自然界が壊滅状態になれば、人が生きていくことは不可能。


明日地球が壊滅するのがわかってても今日生きていればいいの?


G20、洞爺湖サミットで環境問題の会合が行われる。2050年までに世界のCO2排出量半減などが主な議題。アメリカで1/10、欧州、日本で1/5の一人当たりのCO2排出量を削減する必要が出てくるという。


これにすら厳しすぎるという経済界の声がある。が一方でこれでも遅すぎると思われる。


でも今ならまだ間に合うかもしれないギリギリの局面なのであって実際議論の余地はないと思う。


経済第一、環境二の次ではなく、少なくとも環境第一、経済二の次という感覚に基づいて行動しないと。


大きな変革をもたらす局面では痛みを伴うことがある。この痛みはこれまでに犯した人類の行動の代償と割り切って転換するという決断。このギリギリのタイムリミットは40年後でもなく、10年後でもなく、5年後でもなく、今なのだから。


今、思い切った(今は思い切ったと思える)決断をしなければ、40年後の未来は実はないかもしれないという危機感を持って勇気を振り絞る必要があるんじゃないかな。