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いつもありがとうございます~
ど~も~わさびです
最近、我が家では
国歌「君が代」が毎日流れます・・・
しかも、、、
一日に何度も・・・
なぜなら、
次女(小4)が
いま学校の音楽の授業で
やってるらしく
帰宅して夜になると
小4娘が「国歌斉唱」しております。。。
ちょっと異様な光景ですww
でね、
わたしも
\
そう言えば「君が代」って
どんな人が作ったのか存じ上げてない
/
って思って・・・
調べてみたの
国歌「君が代」を作った人を調べてみた
調べてみて、まず最初に驚いたのが
日本の国歌「君が代」は、
歌詞と曲とで作った人が違う
歌詞は、
『古今和歌集』に収録された
「読人知らず」の和歌が元になっているんだって。
この歌は
「我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
というもので、
当初は祝賀の歌として歌われていて
その後、この歌が様々な文芸や音楽に用いられ、
初句が「君が代は千代に八千代に」と変化したらしい。
曲は、
1869年(明治2年)に
イギリス人の軍楽隊教官
ジョン・ウィリアム・フェントン
という人が作曲したんだとか。
フェントンは日本に国歌がないことを残念に思い、
薩摩出身の軍楽伝習生たちに提案したんだって。
その薩摩の歩兵隊長だった大山巌という人が、
自分が愛唱していた
薩摩琵琶の「蓬莱山」という曲にある
「君が代」の歌を歌詞として推薦したところ
フェントンはこの歌を聞いてメロディを付けたらしい。
これが最初の「君が代」なんだけど、
\
日本人の感性に合わなかった
/
ということで
1880年(明治13年)に
宮内省の雅楽課が旋律を改めて付け直し、
ドイツ人の音楽教師
フランツ・エッケルトが
西洋和声により編曲したという話。
君が代は何度も生まれ変わっていた
しかし同じ頃、
当時の社会や制度上の問題から、
維新後に廃絶寸前であった笙の復興にも貢献し
雅楽と西洋音楽の融合に努めた人物でもある
「林広守」という人物が作曲者として公表されたらしい。
これが現在の「君が代」なんだって
みんな知ってた?
なんと、、、
日本の国家「君が代」の作曲は
最初イギリス人が作曲して
次にドイツ人が編曲したという話。
わたしは、てっきり
日本の国歌だから
最初から日本人が作ったものだと思ってた
まさかの
外人さんが日本の国家を
作曲&編曲してるなんて
思わないよねぇ~
そして、
いまの「君が代」になるまでに
何度も生まれ変わっていた
これには、わたくし
50年以上も日本人でありながら
勉強不足と驚きでした…💧(笑)^^;
そして、そして、、、
アラフィフ母が
小4娘から歴史を学ぶとは思わなかった
衝撃の1日でもありました。。。
これから
卒業や入学などで
【国歌斉唱】する機会が多くなると思うので
今回の学びで
今までとは少し違う視点から
「君が代」が聞こえるかもしれないですね
では~また
\また来てね~/