↑六本木リッツにて。
おしぼり写ってますね。笑
さすが、フルーツの甘かったこと。
食への幸せは、
食への不幸せな経験があるからこそ、
大切にできる時がやってくるもの。
食への不幸せに気づいた人は、
食から得られる幸せに
気づくことができたりします。
人とは、笑ってしまうほどに、
しなくてもいい経験から
比較材料を得ることで理解をしていく、
学びの生き物なのですね。
大好きなお米を食べて
幸せを感じることができるのも、
過去にガマンをした経験があるからこそ。
今日、
祖母の家からお嫁さんであるよしえちゃんが
大切なお米をこんなに送ってくれました。
わたしにはハードルの高い
もち米まで・・・・・。
もちろん、もち米も
祖母の田んぼで育てたものです。
「えみちゃんなら、
お料理上手だから、
おこわでも作れるかなと思って」
だそうです。
もち米って、高いし貴重。
炊くのもちょっと
手間がかかるので、
田舎ではハレの日に出てくるものです。
もし、これまでに
ダイエット経験や、食の勉強とのご縁が
皆無だった人は、
お米も当たり前のように
食べているかもしれません。
「食事に米を食べるって
当たり前でしょう」みたいな。
それはそれでとても幸せなこと。
でも、多くの意識高い人たちは、
太りたくがないために、
大好きなお米を抜いていたり、
どこかで聞いた
「炭水化物は太るもと」という情報から
大好きなお米をガマンしていたりします。
わたしも過去、
ほぼベジタリアンのような
食生活をしていた時は、
祖母が送ってくれるお米に
手をつけられない時期がありました。
自分の中の
「食べてはイケナイもの」に
分類されていたからです。
だからこそ、
今こうやって炊きたてのお米を
いただく瞬間に
ものすごく幸せを感じますし、
改めて農家の皆さんに感謝できるし、
食べても大丈夫という
自信につながったであろう
これまでの経験すべてを
肯定できるようになりました。
↑今日のお夕飯。時間がなくて品数少な〜ですが、「美味しい〜」を連呼していました。笑
わたしは単純ですね。
美味しいものが美味しくて、
幸せを感じられるのは当たり前。
でも、その幸せを放棄した経験は、
必ず別の視点を気づかせてくれる
大切なものになります。
その経験から感じた
・ストレス
・ガマン
・悲しさ
・虚しさ
これらを味わったことがあるからこそ、
本当に自分が求めるあり方が
見えてくるもの。
そこに気づける年齢は、
当社比で言うならば・・・・・
30代以降で、
最も多いのは40代以降ということでしょうか。
だから、20代から30代前半は
思いっきり自分がやりたい美の追求を
追い求めていいと思うのです。
そういう経験に
無駄なことは何1つなく、
だからこそ獲得したい
自分ならではの幸せが見えてくる年齢が
いずれやってくるのです。
わたしは、
祖母からの愛情たっぷりのお米を
封印するという悲しい経験を
これ以上自分の人生に
送り込みたくないと思えたのは、
ご飯を食べない生活を経験したからです。
わたしが今、
なんでも食事を楽しみ尽くす人生でありたいと
思えているのは、
食べていけないものを自ら作り出し、
自分の欲求にフタをしてきた
経験があったからこそです。
だから今、
食べない選択肢が
消えているわけですね。
↑先日、鎌倉でいただいたドリアと鎌倉ビール。
買い物の仕方も、
恋愛の仕方も、
全てにおいて
若いからこそ選ぶものもあるし、
だからこそ気づけるものもある。
ということで、
食への幸せは、
食への不幸せな経験があるからこそ、
大切にできる時がやってくるもの、
という話でした^ ^
ではまた♪
食べる幸せを噛み締めたい方は、
ぜひ12月クラスにお越しください。
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