娘も小学校に上がり、今までの遊びの中の学びが良くも悪くも勉強の要素を帯びてきたなぁと感じます。
さて、タイトルのライティングに関して。
ここではアカデミック・ライティングのことを指して書いていますが、娘に導入するのは
おそらく 数年先。小学校中学年になってからと考えています。
というのも、大学院で学び、研究していたのはアイデンティティと...
アカデミック・ライティングの弊害。
「弊害」と書くと、響きが良くないですが、
あまり低年齢で導入したり、まだ流暢性が身についていない時点で教え込んでしまうと弊害になり得るのではないかなと思っています。
3年近く前にも同じテーマで記事を書きましたが、娘が小学校に入り、読み書きを覚えてきて、書きの流暢性が伸びている今、改めてそう感じます。
アカデミック・ライティングは、言わば 型。
自分の考えや文章を型に沿って整えて、読み手に伝えやすくするためのもの。
でも、この型、流暢性がまだ身についていない時点で教え込まれてしまうと、自分の言葉で自由に書くということができなくなる可能性もあります。
ある程度、自由に書くことを経験して、たくさんたくさん書いてきたのなら、ある時点で型を教えるのはいいのかなと思います。でもそうでない時期に教えてしまうのは、少し勿体無いのではないかなと。
もちろん、枠組みがない文章はとりとめなくて、非常に読みづらい でも、枠組みがなく、自由にダイナミックに、感じたまま書く時期を経てからこそ、表現力も身に付いていくものではないでしょうか。
英検を受験する際にも欠かせない、英作文の型。便利な存在でもありますが、捉われすぎると自分の「声」を出せなくなってしまう 厄介な存在にもなり得る。
その型を導入する前に、「好きなように書いていいよ」というのをたくさん経験させてあげれば、型にとらわれ過ぎて「何をどう書いていいか分からない」ということにもならないのかなと思います