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轟天号

日本の近代的潜水艦は

押川春浪の

海底軍艦』(明治33年)

に登場する

「電光艇」にはじまる。

 

そうりゅう型

 

そうりゅう型二番艦は

「うんりゅう」という。

もしそちらの方が先に

命名建造されていたら、

うんりゅう型と

呼ばれていた

ことになる。

 

雲竜型

 

なんだかややこしい

 

ついでに言えば

帝国海軍

陽炎型駆逐艦の

二番艦は「不知火」

海自あさひ型護衛艦の

二番艦は「しらぬい」

である。

うんりゅう型、しらぬい型

そろい踏みが

あってもよかった

気もする。

 

 

ひさびさの小ネタです。

ミラノ・コルティナ五輪は

終わりましたが、

特にフィギュアの

ペアが話題でしたね。

あの・・・

リューリクでしたっけ?

 

 

 

失礼しました。

リクリュウでしたね。

迫力の演技でした。

二・二六事件、九十年に想ふ。

本日二・二六事件、九十年。
90年前の今日、東京には大雪が降った。

写真は、お師匠さまの小説「宴(うたげ)」が映画化されたポスターである。本作は映画化の前に演劇としても上演され、人気を博していた。
同時期に同じく二・二六事件を扱った三島由紀夫の「憂国」があった。どちらも甲乙つけがたい名作である。
お師匠さまが、小説「宴」が演劇化されることに同意したとき、有吉佐和子(だったか?すみません忘れてしまいました)に、「演劇化を許すことは、わが子を売りに出すようなものよ、それを覚悟なさい」と忠告されたという話を、お師匠さまからうかがった。
二・二六青年将校たちには、作品でとりあげたからには、なにかしらのシンパシーは感じていると、お師匠さまはおっしゃっていた。
お師匠さまのことばの数々は、今もぼくの心の中にこだましている。

 

八雲立つ出雲の旅(下)

前回からの続きです。

 

(3日め)
ファステラウン
(カーニバル)

の日だ。
森鴎外は精進日
(せじみび)

と訳していた。

旅の最終日の朝、

お参りしたのは、


三穂津姫命と事代主神を祀る

美保神社
三穂津姫命は大和系、
事代主神は出雲系だ。
ここにも

出雲王権と大和朝廷の

合併がうかがえる。

門前の青石畳通りは、

観光ズレした感じもなく、

本物の旅情が味わえる。

(『水木しげるの古代出雲』より)

 

小泉八雲が

日本瞥見記」の中で、

弓なりにそった

かわいらしい橋もあって、

島には弁天の社が見えている

と紹介した。

 


美保関灯台から海をはさんで

雪をいただく大山を

観たかったが、

あいにく曇天で見えなかった。


この後、境港でカニを買って、

家路についた。

 

 

(後日)

帰宅してから、

今回訪問を見送った

須賀神社のことを

調べ直していた。

 

スサノオノミコトが

ヤマタノオロチを退治して、

天叢雲剣

(あめのむらくものつるぎ)を

得てから、

クシナダヒメと暮らす宮を

この地に定め、

日本最古の短歌

詠んだという地だ。

有名なその歌は、

八雲立つ出雲八重垣

妻籠みに八重垣作る

その八重垣を

という。

 

松江平野南端にある

八重垣神社も

その歌が詠まれた地

を名乗り、

水に浮かべる

恋愛占いなどを

売り物にしているが、

古事記」によれば、

「須賀の地に到りて~

其の地に宮を作りて坐しき」

とあるので、

松江市中心からは

直線距離で10km

南下した山中にある

須賀神社の方が

その地にふさわしい。

 

「もう少し、山奥に

足を伸ばせば、

砂の器』の

亀嵩(かめだけ)が

あるな」

などと考えながら、

グーグルマップを見ていた。

すると

須賀神社の裏山が

前方後円墳

見えて来た。

道に囲まれた森の形が

くびれがあって、

わずかに段築の名残も

あるように見える。

自然の山から

人工的に切り離されて

造形されたように見える。

 

丘の上にも

御祖神社の

小さな祠もある。

古くから何かしら

神聖な丘として

扱われてきた証拠である。

 

あとは丸い葺石が

たくさん見つかれば

決定打になるのだが、

現地を発掘するしかない。

 

スサノオノミコトほど

古い時代のものであるなら、

前方後円墳であるはずはなく、

前にあげた

四隅突出型墳丘墓の方が

出雲地方の文化史的に

かなっているだろう。

しかし、その点は、

改葬ということもありえる。

あるいは墳丘の造り直し

という可能性もある。

たしかに時代だけ考えれば、

ヤマタノオロチ退治神話は

古いことになるが、

スサノオノミコトは

大和朝廷系の神であるので、

前方後円墳であっても

不思議ではない。

 

ゆえに、

大和系のスサノオノミコトが

出雲国つ神の娘

クシナダヒメと結婚することは、

両政権の合併の前段であり、

さらにスサノオノミコトの

6代の後胤であるが、

すでに国つ神化した

オオクニヌシノミコトが

ふたたび、

大和系の三穂津姫命と

結婚することは、

両政権の合併の完成を

象徴的に表したものと

捉えることができよう。

 

オオクニヌシノミコトが

たくさんの名をもち、

複数の神格の統合

であることはここでは

触れない。

スサノオノミコトの

娘であるスセリビメが

オオクニヌシノミコトを

助けて、めでたく

二人で逃亡した話も、

出雲系と大和系の交流の

深さを示しているのではないか。

 

 

すみません、また文字ばかりに

なってしまいました。

ブログはもっと

気楽に読める方がいいですよね。

短く書くことは、本当に

難しいことですね。

 

 

 

 





 

八雲立つ出雲の旅(中)

前回からの続きです。

 

(2日め)

出雲大社で御祈祷していただき、

いつものコースをぐるりと回る。

ここだけの話、荒木屋のおそばは

明らかに味が落ちた。

そばつゆはたしかにうまいが、

麺がいかにも機械打ちの

雑なつくりになったと思う。

薬味にあった鰹節も

なくなったと思う。

そば湯も湯桶で

提供されなくなった。

昔よりお店が綺麗に

なったのはいいが、

残念であった。

出雲そばのおいしいお店、

ご存知の方は教えてください。

 

杵築から松江に向けて走る。
車中から見えた建物が

大隈講堂に見えた。
あとで調べたら、

出雲北稜高校という高校だった。


松江では

小泉八雲ゆかりの地を巡った。

町中至る所にあるポスター。
 

城山稲荷

 

小泉八雲旧居


冬の太陽現存天守



飴を買う幽霊の大雄寺

夕暮れが迫り、

そろそろ幽霊が

飴を買いに来る時間だ。
しかし小夜の中山と違って、

松江には「子育て飴」を

売る店はない。

(鬼太郎も墓場から生まれた赤子だ)

 


幽霊に出会う前に

宍道湖の夕陽を見ながら

松江を離れて

二日めは終了。

 

八雲立つ出雲の旅(下)に続く。

八雲立つ出雲の旅(上)

読者のみなさま、

お忙しい中、ご訪問いただき、

ありがとうございます。

さて、今回から3回に分けて、

出雲の旅をご紹介します。

できるだけ文章少なく、

お届けしますので、

どうぞサクッと

つまんでいって下さい。

 

出雲大社へは

子どもの頃から

何度もお参りした。
今回もまた大社参詣のついでに、

出雲の歴史をたずねる

二泊三日の車中泊の旅に出た。

(1日め)

安来港の語臣猪麻呂像と毘女像を見学した。

毘女像

コペンハーゲンの人魚姫像

(Den lille havflue)を

想起させる可愛い像だ。
出雲国風土記」には

次のようにある。

少し長くなるが、ご容赦ください。

天武天皇の御代、

674年7月13日のこと、

安来の海のほとりで

遊んでいた娘が

サメに襲われ

食べられてしまった。

父の語臣猪麻呂

(かたりのおみゐまろ)は、

心の限り叫んで

天地の神に

祈った。

すると、海に

百あまりのサメが

ぐるりと輪を描いて現れ、

その輪の中に

一匹のサメが

とり囲まれていた。

それと知った猪麻呂が

戈で真ん中のサメを

突き刺すと、

囲んでいたサメは

解散した。

殺されたサメを

解体すると、

娘の片足が

出て来た。

なんとも

むごたらしい話であるが、

娘を思う父親の

凄絶な復讐譚である。

 


八雲立つ風土記の丘では、

有名な見返り鹿を始め

たくさんの埴輪を鑑賞した。



石宮神社では、

宍道の名の由来となる

猪石と犬石を参拝、見学した。

これも「出雲国風土記」に

その形石となりて、

猪と犬とに

異なることなし。

今に至りても猶あり。

故、宍道(ししじ)と云ふ

とある。

 


荒神谷博物館では

多数の銅剣・銅矛・銅鐸を見学。
これらは戦争の放棄を

神に誓ったものに違いない。
国譲り神話」は

本当のことだったのだと

もはや確信してよい。



出雲弥生の森博物館では

古代出雲王墓と推定される

「よすみ」について学習し、
西谷墳墓群も見学した。

この四隅突出型墳丘墓は

古く2世紀ごろまでに

作られたとされている。

(島根県HPより出雲地域の古墳)

 

やがて古墳時代をむかえ、

出雲地方の大型墳墓は

前方後方墳や上方下方墳と

前方後円墳や円墳に

形を変えていくが、

これらもまた、

出雲王権と大和朝廷との合併、

いわゆる国譲りの

証拠であるに違いない。

西谷墳墓群

四隅突出型墳丘墓の上に立ち、

夕日を眺めながら、

1日めの散策を終えた。

 

八雲立つ出雲の旅(中)に続く。

 

大阪副首都

どこかのラジオ放送で

高橋洋一氏が

大阪副首都構想について、

大阪に国会議事堂

建てるんでしょ

と言っていた。

 

大阪の枚方市に国会議事堂

すでにあるのは有名な話だ。

 

 

冗談はさておき、

大阪がかつて首都であったことを

ご存知ない方も

いらっしゃるのだろうか。

豊臣政権のことではない。

天皇陛下のおすまいのことだ。

 

有名な仁徳天皇

「民のかまど」は、

難波高津宮(たかつのみや)の話だ。

 

仁徳天皇の二代後の

反正天皇は、松原市の

丹比柴籬宮(たじひしばがきのみや)

おすまいになった。

 

継体天皇は、

福井から奈良にお入りになる前、

河内国樟葉宮(くずはのみや)に、

長年とどまりなさった。

 

乙巳(いっし)の変の後、

孝徳天皇は、

難波長柄豊碕宮

(なにわのながらとよさきのみや)

造営なさった。

大化の改新は

大阪発信の政治改革なのだ。

 

さらに

 

藤原京をお造りになった

天武天皇は、

難波宮を副都

正式にお定めになった。

 

大仏を建立なさった聖武天皇は、

平城京の副都

お定めになった後、

正式に難波宮に

遷都なさっている。

 

 

ところが現在、

大阪副首都構想については、

批判的な意見も

多く見られます。

 

吉本芸人によくあるように

庶民的を越えて、

下品な印象を、

大阪に対してお持ちになって、

大阪嫌いの方も多いでしょうが、

それはとても悲しいことです。

 

東京に対抗心を燃やす

大阪人もいるかも知れませんが、

みんながそうではありません。

 

日本の首都東京なのは

誰もが知っています。

それを覆そうとする人なんて

京都人以外にはいません。

大阪副都を定めたのは

藤原京・平城京の昔から

あったことなのです。

 

それに、大正12年の

関東大震災のあとには、

たくさんの人が

難を逃れて大阪に移住しました。

東京より人口が多くなった

大阪のことを、

大大阪時代といいます。

前にも書いたことですが、

シャープ(早川電機)も、

被災のため東京から

移って来ました。

おそばの富士屋の

創業者森口留吉の

その時の活躍も

ご紹介しました。

 

大阪は日本を支える

都市としての使命を

今までもこれからも

担っていると思います。

 

どうかそのためにも、

早くリニア新幹線で

東京大阪を結んで、

EXPO'70の夢を

現実のものに

していただきたいと

思います。

 

インテリアパネル エブリイDA17

読者のみなさま

万博の最終日、

雨もぱらついてます。

さて今回もまた

エブリイのプチDIYです。

 

ちょっと高かったので、

今まで我慢してたけど、

思い切って買いましたよ。

ウッド調インテリアパネルです。

TRISTAR'Sさんの商品で、

¥21,010でした。

 

けっこうたくさんの

エブリイ愛好者が

やってるみたいですからね。

 

走行性や安全性には

なんにも関係ないんですけどね。

車中泊仕様のみなさんは

ルーフや荷室全体を

ウッドにしたりしてますもんね。

 

あんずの野望」でも

ワゴンRの天井に

木目調パネルを貼って

パラパラ落ちてましたね。

あれからどうなったのかな。

 

さて、こちらが部品一覧です。

このうち青字ナンバーは、

型式が違ったりするので

今回使用しませんでした。

 

これが

こうじゃ。

 

これが

 

こうじゃ。

 

運転席ドアもこんな感じ

これは乗り降りする時、一番目につきます。

 

いかがですか。

どうせ運転中は

ほとんど見ることない

パネルですけどね。

まぁプチおしゃれ

ってとこですか。

 

セレクトレバー(シフトレバー)の

合わせた部分の隙間が

ちょっと気になります。

後日パテのようなもので

埋める工夫を

してみますかね。

 

 

マックのことマクドって言うの?

「大阪ってマックのこと

マクドって言うんだよね」


【マクド】
はい、マクドっていいます。

「TDLのこと

ランドって言うの?」


【ランド】
ランドとシーですね。

(USJはユニバです)


【アンド】
ハルカスの近くには
アンドというのもあります。

(これはそのまんまやね)


【メガド】
(普通のドンキよりでっかいね)



まだまだあるよ。


【ミスド】
(マクドとセットみたいなもんやね

1号店は箕面やね)
 

【ビクド】

(これ知らんかった人おる?)


【カニド】
(うごく巨大カニ看板やね)


大阪では、

お店を選ぶときに
よく使うよね。

「今日どこ行く?
マクド? ビクド?
それともカニド?

大阪は楽しい街やね。


ちなみにランドとアンド以外は、
「低高低」
で発音してくださいね。

2025自民党総裁選

読者のみなさま
お変わりございませんか
みなさまの中には
いろいろな
政治的見解も
おありでしょうが、
今回の総裁選について
振り返ってみたいと
思います。

今回は珍しく

政治の話題ですよ。

まずは、
高市新総裁、
おめでとうございます。

さて、今回の総裁選、
一回めの投票結果は
次のようなものでした。

(以下、敬称略)



ご覧のとおり、
高市、小泉の
決選投票となったわけですが、
ここで注目しておきたいのは、
議員票の数、
すなわち、
茂木34
小林44
林 72
小泉80
高市64
です。

この数字の陰に、
ローゼン閣下こと、
麻生太郎の作戦が
あったというのです。

茂木34
小林44
の中には、
麻生派議員が送り込まれていた
と言います。

その作戦の狙いは、
①茂木・小林両陣営に
貸しを作っておいて、
決選投票で返してもらう。


つまり両陣営のみんなをつれて
高市陣営に帰って来て、
高市氏に投票してもらう
というのです。
たしかに、もし
茂木・小林陣営の票が、
そっくり小泉に流れたら、
これは勝てそうもありません。
それを阻止し、
味方に流れ込ませて、勝つ。




石破政権を継承する
小泉・林陣営の陰には、
もちろん、石破・菅がいます。

そして高市陣営をサポートする
ローゼン閣下としては、
なんとしても、
茂木・小林陣営を、
味方に引き入れる

必要があったのです。

これはすごい作戦です。
いや、選挙に勝つために
戦略的にスゴイ

というだけでなく、
選挙戦後を見据えた、
もう一つの狙いが、
あったと考えられます。
すなわち、
②選挙後、高市新総裁体制で、
党内融和をスムーズにするため
です。

 

もし1回めに麻生派が全員

高市に投票して、

仮にそれで決選投票に

残れたとしても、

味方が増える可能性も低く、

さらにそれで当選できた

としても、

選挙後に小林・茂木両陣営が

仲間になってくれるとは

限りません。


まさに次の次まで考えられた
すばらしい戦略です。

そして決選投票は行われました。
その結果は次のとおりです。



では、作戦の方は

うまくいったのでしょうか。
作戦通りなら、議員票は
小泉80+林72=小泉票152
高市64+小林44+茂木34
        =高市票142
となるはずです。
都道府県票なしには
高市当選はかないません。

ところが、実際の議員票は、
小泉145vs高市149で、
議員票だけでも高市勝利でした。

つまり7人が寝返ったわけです。
正確にいうと、
双方に寝返りが出ていたかも
知れませんので、
最低7人は寝返ったということになります。

では、この7人の小早川秀秋は誰なのか、
大いに気になるところですね。
もちろん、無記名投票のため、
正確に確認する方法は

ありませんが、
政治記者には、
雰囲気でわかるらしいですので、
知りたいですね。

知ってどうするってわけじゃないけど…


ともあれ、高市早苗氏には
大いに活躍してもらいたいものです。

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