今朝、洗濯物を畳んだり、ゴミを捨てたりしながら考えてたんだけど、
「自分、家事やって偉い!」
って自分を褒めながらやってたんです。
そして、やり終えたら、自分のために温かいお茶を淹れて、ホッと一息ついた。
そのことをBASE8期のみんなとも話してたんだけど、そこでふと思ったのが、
「イクメン」
のこと。
佐伯和也@sinosakura「ちょっと家事や育児をやっていい気になってる夫」が許せない女性は、批判をしたいんじゃなくて、自分も褒めてもらいたいのではないか!? いつも家事や育児をがんばってるお母さんを褒めるようにしたら、ちょっとがんばったお父さんも、子どもも褒められて、みんなハッピーじゃない!?
2022年06月10日 08:39
こんなこともツイートしてたから、なかなか家事が進まんかったけど(笑)
普段、家事や育児をしている女性が、普段あまり家事や育児をしない男性が、たまに家事や育児をするとチヤホヤされることに対して、
「我が子を育てるだけでイクメンって呼ばれるのなんなん?」
「イクメンって言葉が嫌い」
みたいな言葉をよくネット上で見かけるんやけど、それについて時々考えてる。
こういう投稿ばっかり見ていると、
「育児とか、家事って、なんか地獄みたいな世界なんかな・・・」
とか、
「育児とか、家事の世界って、参入障壁めちゃくちゃ高いな!!」
とかって思ったりもする。
なんなら、こういう話題に触れることすら「こわっ!」って思ったりする。
(これは僕の正直な気持ち)
以前に「子育てに関して、男女間で情報格差がある」って話を書きました。
情報格差はほんとずっと前から思ってて、情報格差ができると自然と
「家事や育児の聖域化(=絶対的な正解が存在する)」
がなされて、
「主で参加してる人(多くは女性)以外は聖域から排除される」
っていう現象が起こります。
例えば、料理で言えば、普段料理をしている人からしたら、
「調味料の置き場所」
「皿洗いのクオリティー」
「料理の手順や手際」
などが固定化してたりして、他の人が料理をした時に、調味料や食器の置き場所が変わっていたり、皿洗いがいつものクオリティーよりも低かったり、料理の手順や手際が自分のやり方とは違ってたりすると、
イラッ!!
としたりする。
怒りの感情は、基本的には「相手との分離感」を生み出すから、主で料理してる人がイラッとすることによって、たまたま料理した人は「料理」や「台所」という聖域から追い出される。
その結果、主で料理する人だけしか料理できなくなり、
「なんで、自分ばっかり料理せなあかんの・・・」
っていうような状況が出来上がる。
聖域を作ることによって、家事や育児が専門化していって、気軽な気持ちでは参入できなくなる。
怒られる可能性があることについて、喜んで参入していきたいと思う人は少ないやんか。
あえて「格差」っていう言葉を使ってるけど、格差が生まれているということは、
「誰かが上で、誰かが下で」
っていう上下関係が生まれてて、さらに、怒りの感情を持ち出すことによって、その格差を利用して、参入してこようとした人を排除しようとする働きが生まれる。
特に、育児に関しては出産時点で、すでに男女間で情報格差は生まれてる。
だって、男性は妊娠も出産も授乳もできないから、どうがんばったって体感が伴わないから、実感が湧かないんじゃないか、って思う。
「それでも、あなたは父親なんだからちゃんと参加するべき」
って言うと、それは何の反論もできない完璧な正論なんだけど、正論はいつでも人を傷つけるから、圧倒的に体感が伴わず「父親感」が育っていない状態で、怒られたり、不満をぶつけられたりしながら、ジワジワと心が削られていく。
それについてはそうだな、と思いつつ、女性だって初めての子育てだと分からないこと、不安なこと、大変なことなど山積みで、男性にもそれを一緒に共有しながら同じ目線で、同じ親として子育てをしたいと思うのも、そりゃそうだよな、と思う。
で、僕は、この辺のことについて、どれも
「当たり前」
だとは思いたくない。
なんでかっていうと、「当たり前」だと思った瞬間に、それが「当たり前じゃない人」がうかつには立ち入れない聖域が出来上がるから。
「聖域化」は、「当たり前だと思ってる人」と、「当たり前じゃない人」の間に生じる現象です。
実際、色んな人の話を聴いてみると、
「夫婦が協力して家事や子育てをする」
っていうのが当たり前なのかと言われると、
「本来あるべき姿」
なのかもしれないけど、
「当たり前にはなっていない」
よね。
もし、「当たり前」なんだとしたら、現時点で、
「夫が子育てに参加してくれない」
と悩む女性は0人じゃないといけない。
だって、それが「当たり前」ってことでしょ?
ここで「当たり前」という概念は、「ほとんどの人がその状態になっていること」を意味してます。
「当たり前」を辞書で調べてみたら、
「そうあるべきこと」
って書いてたけど、ここではあえて意味を区別して書いています。
当たり前 ⇒ ほとんどの人がその状態になっていること
あるべき姿 ⇒ 多くの人がその状態になっていないけど、多くの人が目指している共通のビジョン
みたいに分けてます。
少なくとも現時点では、そうなっていないんだから、
「夫婦が協力して家事や子育てをする」
ってのは、
「あるべき姿」
なのであって、
「当たり前じゃない」
っていうことなのよ。
ここをしっかりと押さえておかないと、
「子育てに協力してくれない夫を批判するだけ」
になってしまって、誰も幸せにはならない。
じゃあ、具体的にどうやって進めていくの?
っていうと、
「そんなの家庭ごとに起こっていることが違うから、個別のケースに合わせて考えて解決していくしかない」
んだけど、それでも基本的な方針は立てられると思うから考えてみたい。
まず一番最初にやりたいのは、
「母親の精神的な安定感を取り戻す」
です。
これはBASEでは、自分の胸の内を何でも吐き出してもらえるような環境を作ってるから、そうやって吐き出してもらい、共感してもらい、心を落ち着ける。
BASE以外にも、友達や、ママ友、カウンセラー、両親、義両親など、信頼できて話を聴いてくれる人なら誰だっていい。
話を聴いてもらって、
「よくがんばってきたね」
「あなたは素晴らしい」
って言ってくれるような、そういう共感と勇気づけをしてもらって、心のエネルギーを取り戻し、精神的な安定感を取り戻す。
それから、次にやるのは、
「聖域の解除」
です。
さっきも書いたけど、「聖域」っていうのは、
「そこに絶対的な正解(やり方とか手順とかクオリティーとかに対して)が存在し、高度に専門化、属人的な領域のこと」
を言います。
長年、母親が単独で携わってきて、家事や子育てのやり方が定式化されてて、違う考え方、違うやり方が入り込む隙間が無い状態になってるのを「聖域」って言ってます。
聖域ができてると、自分以外の人によって違う考え方、違うやり方が入り込むことに、不安や抵抗感を感じ、実際に入ってくることに対して、怒りや違和感を覚える状態です。
「よそ者は帰れ!!」
っていう状態です(笑)
聖域内には、固定化されたやり方や考え方が存在してて、それが「正解」になってるから、それ以外の考え方、やり方が認められない。
だから、父親が家事や育児に参加しようとした時もそうだし、子どもが母親の手伝いをしようとした時にも、母親がイライラしたり、認められなくて、排除しようとしちゃう。
その結果、ワンオペが出来上がります。
じゃあ、どうするのか?っていうと、違うやり方や、違う考え方が入り込む余地を作り、自分の中にある固定化されたやり方や考え方を変えてみようとしてみる。
聖域を解除するというのは、言ってみれば、
「異分子の混入を認め、それに自分がある程度染まることを受け容れる」
っていうことです。
明治に西洋の文化を取り入れて、明治維新が起こったようなそんなイメージです。
母親が精神的な安定感を取り戻し、聖域の解除もできたら、次にくるのが
「教育」
です。
これはたぶん、多くの母親が苦手としているところな気がする。
なんでそう思うかと言うと、例えば、子どもに片付けをしてほしい時に、イライラしたり、
「片付けをしなさい!」
って指示命令するような関わり方をする話をよく聞くから(笑)
「本来なら、夫婦で同じ目線で協力してやるべきことなのに、なんでわざわざ教えないといけないの?」
「私だって、分からないなりにやってるのに」
って思う人もいるかもしれんし、自分は誰にも教わらずにここまでやってきたりしてると、そう思ったりもするよなぁ・・・って思う。
感情面とは別に、実際には、現時点で情報格差ができているなら、そこを埋めない限りは、永遠のワンオペになってしまう。
っていうか、これは過去の母親を責める気持ちは1mmも無いんやけども、本来ならば、子どもが産まれる前から情報格差ができないように夫婦関係を構築してたかったのよね。
情報格差が生まれたとしても、すぐに夫婦間で共有して色々なことを対等に話せる関係性を作っておきたい、っていうのが夫婦関係の理想論。
理想論なので、できてたら素晴らしいし、できてなかったら、そこが課題になります。
情報格差は、無ければ協力して子育てや家事ができるけど、あればこっちが持ってる情報を相手に共有して、情報格差を埋めていく必要はあるのやなぁ、と思う。
「聖域を解除する」っていうのも、父親が参入してきて、そこで試行錯誤しながら学び、できるようになっていくことを許してるわけやから、情報格差を埋めることに繋がってる。
母親が子育てや家事にがんばることは素晴らしいことだと思う一方で、がんばり過ぎてる母親も多い。
がんばり過ぎてることはダメなことじゃなくて、そりゃがんばっちゃうし、がんばり過ぎてることに気付いた時点で、がんばるのをやめたらいいだけだから、何も問題無い。
「がんばる」っていうのは、「やりたくないことを我慢してやること」ね。
全てのケースがそうだとは言わないけど、
「できない~、助けて~」
って言うだけで、助けてもらえるケースも決して少なくない。
父親は、子どもからしたら、
「お母さんは、やりたいからやってるんかな」
って思って、手を出さなかったりすることもある。
実際に、そういう話も何人にも聞いたことがある。
母親ががんばって一人で背負い込めば込むほど、情報格差も生まれやすく、その結果、
「全然、協力しない夫や子ども」
にしてしまっていることもある。
この話は、聖域化されてることも多く、うかつに口出しすると反感を買うことが多いような気がするから、けっこうドキドキしながら書いてる(笑)
でも、批判やイライラをぶつけるだけだと状況が改善するわけでもないから、勇気を出して書いてみました。
誰かの参考になれば嬉しい。
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