「ゲームは1日2時間まで」って効果あるの? | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

「ゲームは1日2時間まで」

 

っていうルール、あるじゃないですか。

 

 

 

このルールって、

 

・ゲームを1日2時間以上やる子どもの勉強時間、成績が低いという研究があるから

 

・「子どもには遊びと勉強のバランスを取ってもらいたいから」という親の思い

 

という意図で設定されてるのかなと思います。

 

 

 

子どもをガチガチに縛り付けたいわけではない。

 

でも、勉強は必要だし、やるべきこと。

 

そのバランスさえ取っていれば、1日2時間まではゲームを許してあげよう、っていうことだと思います。

 

 

 

他にも、

 

「ゲームが有害だから、やりすぎないように規制をかけたい」

 

っていう意図もあるかもしれません。

 

それはまた別の機会に書きます。

 

 

 

似たような意図で設定されるルールが、

 

「先にやるべきこと(宿題とか)をやったら、あとは好きなだけゲームをしてもいい」

 

っていうものです。

 

 

 

そうしたい親の気持ちもすごくよく分かります。

 

僕も、子どもには「勉強をしてほしい」って思っていて、その気持ちが元になっていて、親に心理学やコーチングを教えることを始めましたからね。

 

 

 

ただ、同時に、

 

「本当に、そのルールは、効果があるんかな?」

 

っていう疑問も持っています。

 

 

 

 

 

 

 

1日2時間までだろうと、30分だけだろうと、

 

「親が子どものゲームに制限をかける」

 

っていうことには変わりがありませんよね。

 

 

 

制限がキツかろうと、緩かろうと、制限は制限です。

 

ゲームに制限をかけることで、子どもに勉強をさせようとするのは、親自身が、

 

「勉強はつまらないもの!!だから、楽しいもの(ゲームとか)に制限をかけないと、子どもはきっとやろうとしない」

 

って思っているからだと思うんです。

 

 

 

逆に、ゲームに対しては、

 

「ゲームは楽しいものだから、子どもはほっといても勝手にやる」

 

って思っているからこそ、ゲームに制限をかけるんだと思います。

 

 

 

その結果、ちゃんと子どもは、

 

「勉強はつまらないもの。だから、勉強をやりたくない」

 

って学習をして、勉強をやろうとしなくなります。

 

 

 

 

 

この話を書くと、

 

「じゃあ、ゲームを義務化して、毎日やらせるように強制しよう!」

 

なんて考える人も世の中にはいるみたいですが、それはとても浅はかです。

 

 

 

そんなことをしちゃうと、

 

「子どもの楽しみを奪ってまで、勉強をさせたい」

 

ってことだから、それ以降、その親が

 

「子どもには幸せになってほしい」

 

って思ったり、口にしたりしても、その気持ちや言葉が「ウソ」になっちゃいます。

 

 

 

子どもの楽しみを奪っておいて、

 

「子どもには幸せになってほしい」

 

っていうのは、さすがに矛盾も甚だしいよね。

 

 

 

もし、僕が、自分の親に、ゲームを強制するような関わりされたら、もう親とは認めないと思う(笑)

 

だってさ、楽しみを奪って、自分を不幸へと導こうとする人を親だなんて、認めたくないですからね~。

 

子どもの幸せを願うなら、子どもの楽しみを奪うような関わりは絶対にやっちゃダメです。

 

 

 

まぁ、このブログを読んでる人は、

 

「子どもに幸せになってほしい!」

 

って願ってる人ばかりでしょうから、そんな人はいないと思いますがヽ(´ー`)ノ笑

 

 

 

 

 

話を戻します。

 

1日2時間だろうが、30分だろうが、「先にやるべきことをやってから」だろうが、

 

「ゲームに制限をかけて、勉強を強制する」

 

っていう関わり方は、子どもに、

 

・ゲームはとてもおもしろいもの

 

・勉強はとてもつまらないもの

 

・おもしろいものはやってはいけない

 

・つまらないものは苦痛に耐えてでもやらなければならない

 

って学習をさせているようなもの。

 

 

 

平たく言えば、子どもに対して、

 

「人生は苦しみの連続で、あなたも苦しまなければならない」

 

っていう呪文をかけているようなものです。

 

 

 

こういう呪文を子どもにかけちゃう気持ちも分かります。。。

 

親自身も、自分の親からそう教えられてきたんですよね、きっと。

 

「我慢と忍耐の先に、幸せがある」

 

「歯を食いしばって努力をして初めて幸せになれる」

 

みたいに教えられてきたんだと思います。

 

 

 

それで、お金や実績、成績、名誉などは手に入ったとしても、幸せでいられるのは難しいんですよね。

 

なんでか?っていうと、

 

「現状は幸せじゃない!」

 

って思っているからですね。

 

 

 

現状は幸せじゃない。お金を稼げるようになって初めて幸せになれる。

 

現状は幸せじゃない。実績を出して初めて幸せになれる。

 

現状は幸せじゃない。偏差値の高い学校に入って初めて幸せになれる。

 

現状は幸せじゃない。給料の高い会社に入って初めて幸せになれる。

 

現状は幸せじゃない。良い成績を取って初めて幸せになれる。

 

そう思って、幸せを手放して、お金や実績、成績、偏差値、給料、などを取りにいくわけです。

 

 

 

幸せじゃない人は、何をしても幸せではいられないんですよ。

 

だって、「幸せじゃない」んですから。

 

 

 

逆に言えば、幸せな人は、何をしても幸せでいられる。

 

「幸せ」っていうのは、外部要因で決まるものじゃない。

 

外部要因っていうのは、環境、お金、偏差値、実績などの「自分以外の要因」っていうことです。

 

 

 

僕らは、今が幸せであることに気付けると、ただちに幸せを実感することができます。

 

 

 

 

 

 

ある母親がいましてね。

 

このお母さんは80代で、50代の息子がいました。

 

息子は、引きこもりニートでした。

 

いわゆるヒキニート、まさに8050問題ってやつですね。

 

 

 

お母さんは、息子がヒキニートであることに大変頭を悩ませていました。

 

息子を家の外に出して、働いて、社会的に自立してもらうために、自立支援団体に多額のお金を支払って、息子を強制的に家から連れ出してもらいました。

 

その団体は、息子を施設にいれて、自立できるように支援していくんですよね。

 

別に、悪徳業者というわけでもなく、真っ当な信念を持って活動はしていたみたいです。

 

 

 

しばらくして、息子は自殺するんですよね。

 

 

 

その後、お母さんは、

 

「息子には、生きてくれさえすれば良かったんだ・・・」

 

って涙ながらに語ったそうです。

 

 

 

失ってから初めて気付く大切さ・・・ですね。

 

このお母さんを責める気も無いし、その息子を責める気もないし、自立支援団体も別に悪いことをしたわけじゃない。

 

誰も悪くない。

 

 

 

ただちょっとボタンを掛け違っちゃっただけ。

 

「息子が50代にもなって、引きこもりニートであり、私は幸せじゃない!」

 

って思っちゃったんですよね。

 

 

 

「私が幸せでいるためには、息子に家から出て、働いてもらわないといけない!!」

 

って思っちゃったんですよね。

 

 

 

子どもって、親からの期待や価値観を押し付けがあると、2通りの反応を示します。

 

服従:親の期待や価値観の通りに生きる

 

反発:親の期待や価値観の反対の生き方をする

 

です。

 

 

 

この息子は「反発」を選択したんだと思います。

 

すなわち、

 

「家の外に出て、働いてほしい」

 

っていう親の期待に対して、

 

「ずっと家にいて、働かない」

 

っていう選択をした。

 

 

 

このお母さんは、

 

「息子が50代にもなって、引きこもりニートであり、私は幸せじゃない!」

 

って思っていたからこそ、自立支援団体に多額の支払いをしてまで、息子を何とかしようと思っていた。

 

 

 

一方で、息子を失ってから、

 

「息子には、生きてくれさえすれば良かったんだ・・・」

 

って思ったということは、こっちが本心だったと思うんです。

 

 

 

本当は大切なことだったのに、いつの間にかいることが当たり前になって、幸せを感じるハードルが上がって、

 

「息子が生きているだけでは満足できない身体」

 

になってしまっていた。

 

 

 

「私は、こんなもんじゃ満足できない!!」

 

そう思ったからこそ、

 

「引きこもりニートを解消して、自立(実は、これ自立じゃないんだけどね)してほしい」

 

って思ったわけですよね。

 

 

 

「息子には、生きてくれさえすれば良かったんだ・・・」

 

って思うということは、

 

「息子が生きていてくれていることだけで、実はすでに幸せだったんだ」

 

ってことです。

 

 

 

つまり、

 

「幸せは、すでにあったんだ」

 

ってことです。

 

 

 

 

 

 

 

子どもが生きていてくれるだけでいい。

 

それだけで、親としては十分幸せ。

 

 

 

その上で、

 

「子どもに勉強をしてほしい」

 

「子どもに仕事をしてほしい」

 

「子どもに自立してほしい」

 

なんですよ。

 

 

 

別に、

 

「親は無欲で、子どもに何も求めてはいけない」

 

っていうことを言ってるんじゃないよ(笑)

 

 

 

親として、子どもに対しては、

 

生きているだけじゃなく、遊んで楽しくいてほしい

 

健康でいてほしい

 

勉強もしてほしい

 

自立してほしい

 

友達とも楽しくやっていてほしい

 

やりたいことを突き詰めて、何かを達成してほしい

 

とか、色々と思うことあると思います。

 

それはそれでいいんです。

 

 

 

「子どもが生きていてくれるだけで、それだけで親としては十分幸せなんだ」

 

っていうことに”気付いた上で”、

 

「子どもには仕事をしてほしい」

 

って思うことが大事なんです。

 

 

 

「子どもが引きこもりニートだと私は幸せでいられない!」

 

って思っちゃうと、子どもが引きこもりニートを解消して、働き始めるのは、

 

「親のため」

 

になりますよね。

 

 

 

親のために自分を犠牲にして、働くことになってしまう。

 

不幸を前提にした選択だから、これは幸せじゃない。

 

 

 

一方で、

 

「子どもが生きていてくれるだけで幸せ。その上で、子どもには仕事もしてほしい」

 

って思ってるなら、もうすでに幸せなんだから、子どもが仕事をすることを焦らないんですよね。

 

 

 

もう十分に幸せなんだから、わざわざ子どもにこれ以上幸せにしてもらわなくてもいい。

 

じゃあ、なんで子どもに「仕事をしてほしい」って思うのかと言えば、

 

「仕事をした方が、子どもも幸せでいられる」

 

って思っているからですよね。

 

 

 

自分は、子どもが生きていてくれるだけで幸せ。

 

その幸せをさらに強く感じるために、

 

「子どもが幸せでいてくれること」

 

を願っているわけです。

 

 

 

子どもが生きていてくれる幸せを100点満点の幸せだとします。

 

子どもが仕事をして、その喜びを感じ、経済的にも豊かになって、それで幸せを感じてくれたなら、親の幸せは120点に跳ね上がるんです。

 

満点を超えちゃう。

 

 

 

「子どもが引きこもりニートだと私は幸せでいられない!」

 

っていう場合は、親の幸せは10点なんです。

 

その90点を埋めないと幸せでいられないと思うから、必死に子どもを自立させようとしちゃったわけですね。

 

 

 

 

 

「子どもに仕事をしてほしい」

 

っていう願いは同じです。

 

 

 

その前提が、

 

「私は不幸だから、私を幸せにするために、子どもには仕事をしてほしい」

 

って思うのか、

 

「私はもう十分幸せだから、次は子どもに幸せでいてもらうために、子どもには仕事をしてほしい」

 

って思うのかで、

 

親の気持ちも、

 

親の関わり方も、

 

子どもの感じ方も、

 

子どもの感情も、

 

子どもの行動も、

 

子どもの人生も、

 

全てがまるっきり違うものになります。

 

 

 

僕も一時考えたんです。

 

 

 

引きこもり、ニート、昼夜逆転、ゲーム三昧、大抵Youtube見てる。

 

そんな息子の様子を見て、

 

「息子が、このままの状態で20代、30代、40代と居続けたら、どうするかな?」

 

って。

 

 

 

その答えは、

 

「息子がそれを選択するなら、僕もそれを甘んじて受け入れよう」

 

って思いました。

 

 

 

仮に、息子を家から追い出して、それでも仕事をせずに、緩やかに衰弱していって、死ぬようなことになったら、そっちの方が嫌だな、って思ったんです。

 

引きこもりで、ニートで、昼夜逆転で、ゲーム三昧、大抵Youtubeを見ていても、

 

「それでも、僕は、息子に元気で生きていてくれる方が嬉しい」

 

って思っちゃったんですよね。

 

 

 

そんな覚悟をした前後で、息子は仕事を始めて、自分で仕事を取ってくるようになりました(笑)

 

せっかく覚悟したのにね(笑)

 

 

 

今は、元気に生きてるし、毎日笑顔だし、それでいて仕事もしてる。

 

それでいいじゃん、って思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

ゲームや勉強も同じ。

 

やりたきゃやればいいのよ。

 

やめたきゃやめればいい。

 

 

 

子どもが選択したことを最大限尊重をする。

 

応援もするし、協力もする。

 

 

 

ただし、それが

 

「親を幸せにするため」

 

ではなく、

 

「自分自身を幸せにするもの」

 

であれば、という条件が付きます。

 

 

 

別に、子どもに幸せにしてもらわんでも、すでに幸せなんだから、

 

「親のため」

 

なんて考えずに、全力で自分のために生きてくれい、って思う。

 

 

 

勉強をして親を喜ばせようとしなくてもいい。

 

親である自分も、子どもが勉強をすることを求めない。

 

なぜなら、すでに自分は幸せだから。

 

 

 

それでもなお

 

「子どもには勉強をしてほしい」

 

って思うのは、

 

「勉強をすると、世界が広がって、よりおもしろいことが増えて、人生が豊かになるよ」

 

って思うから。

 

 

 

そういう意味では、

 

「子どもに勉強をしてほしい」

 

って言ってはいるんだけど、その実、

 

「子どもには今の幸せを100点満点だとしたら、勉強をして、120点の幸せな人生を歩んでほしい」

 

って思っています。

 

 

 

こうやって考えると、子どもが勉強をしないことにイライラしなくなるし、子どもは自分から勉強を始めるんですよね。

 

別に、ゲームやスマホに制限をかける必要なんてないヽ(´ー`)ノ

 

 

 

 

 

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◆東京

日時:7月5日(土)

10:30~12:30 講演会

13:00~14:30 懇親会(ランチ付き)

 

場所:東京駅八重洲側の会場

定員:講演会45名、懇親会10名

 

 

 

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日時は、7月6日(日)

10:30~12:30 講演会

13:00~15:00 懇親会(ランチ付き)

 

場所:新大阪駅近くの会場

定員:講演会36名、懇親会10名

 

 

 

◆参加費

講演会のみ:3,300円

講演会+懇親会:11,000円(ランチ代込み)

 

※書籍代は含まれておりません。

※会場で書籍の販売はあります

 

 

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僕と対面で相談したり、もっと具体的な話を聴きたい場合は、懇親会ありプランにしてもらうといいですね!

 

 

 

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東京会場のお申込み

(定員:講演会45名、懇親会10名)

※懇親会は、満席になりました

 

大阪会場のお申込み

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【満席】5/22(木)18:00~20:00
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