鳥が多かった。サンタモニカもベニスも、ビーチ際はとかく鳥が多い。上を見上げれば、鳥が飛んでいるし、下を向けば、鳥が地面をつついている。

四日目、僕は決して遠出をせず、身近なところを攻めようと決意した。ホステルで7時頃に起き(とはいえ、ケントでは10時なのだけれど)、ベーグル3つと、食パン3枚に、バターとチーズを塗って食べ、オレンジジュースとミルクを飲み、デザートに、ヨーグルトにシリアルをかけたものを食べた。もちろんホステルの朝ごはんは宿泊代に含まれていて、食べ放題だ。

ホステルからサンタモニカビーチまでは遠くない。歩いて15分もすれば、柔らかな砂を踏むことができるはずだ。その前に僕は、レンタサイクル屋を見かけたので、自転車を借りることにした。2時間20ドルだった。高いのか安いのかよくわからない。第一、日本でもろくに自転車なぞ借りたことがない。それに加えて、今の円相場もよくわかっていない。
そんなことを思いながら、クレジットカードを手渡す。僕のクレジットカードのデザインは、可愛い2匹の犬が座っているものだ。ちなみにこのカードはアメリカでつくったもの。理由は特にない。他の選択肢が随分アメリカアメリカしていたからかもしれない。
だけれど、意外とあのときの選択が功を制すことが多かったりもする。会計のときに、カードを出せば、「かわいい~」といってくれる女の子もいる。ホステルの会計のときも素敵なカリフォルニアガールに「sooo cute」と言われ、「えへへ」なんて鼻を伸ばしたりもする。
だけれど、僕のカードを受け取った腕は、七面鳥の足を三倍に相似拡大したものに限りなく近かったし、おまけに剛毛だった。だから僕は、「おう、お前のカードイカしてるじゃねえか」と言われたときにとても驚いた。「え?」と僕は言った。僕は英語が聞き取れないときも、聞き取れたときも、よく聞き返す。「動物好きなのか?」と言われたから、「はい」と答えた。「犬飼ってるのか?」と聞かれたから「はい」と答えた。「名前はなんというんだ?」と聞かれたから、「ケンです」と答えた。僕は強度の虚言癖があるに違いないと答えながら思った。生まれてこのかた、犬なんて飼ったこともなければ、まさかそれを音読みしたものを名前として提示するなんて浅はかな言動をした試しはなかった。それでも、理由はよくわからないけれど、「ケンです」と言ったら、彼はとても良く笑った。「種類は?」とまだ聞いてくるのか、と思ったので、適当に「ジャパニーズドッグ」と答えたら、これまたウケた。
こんなやり取りをして、とにかく僕は自転車を手にして、ビーチに向かった。二時間後に返却することを約束して。

ビーチは恐ろしく快晴だった。昔、僕の先生がカリフォルニアについて言っていた言葉をそのとき思い出した。「明日の空は今日の空」。天気予報なんて聞く必要ない、明日の空は今日の空と一緒なんだから、それぐらい天気がいいんだよカリフォルニアは、ということだった。間違いなく昨日の空は曇天だったが、当時の恩師の言葉なので、僕は珍しく怒らないでおいておいた。
さすが、あちらこちらで自転車を貸し出しているところがあるだけあって、ビーチには立派なサイクリングロードが出来上がっていた。僕はそのコースに沿って、右に左に自転車をゆったりとしたスピードで漕ぎ続けた。
ところで、僕は、このブログの記事でも、一つのテーマとして書いたことがあるくらい、サイクリングが好きだったりする。わざわざ3時間かけて池袋から横浜まで自転車を漕いだ。それもピザのLサイズくらいの小さな車輪の自転車で。きっとあのときの僕は人間界の中で一番ハムスターに近かった男だっただろう。
だけれど、あのときと違って、サンタモニカビーチをサイクリングするのはとても快適だった。はっきり言って、何時間でも漕いでいられた。ビーチには無数のビーチバレー用のコートが置いてあった。世界アマチュア大会でもない限りは決して埋まることのないだろうくらい無数にあった。途中で少し暑くなってきたから、Tシャツ一枚になった。僕の留学先では信じられないことだ。僕の留学先では、Tシャツになった瞬間両手が両肩から抜け落ちるくらいに寒い場所だからだ。

そういうわけで、きっかりと2時間サイクリングを楽しみ、自転車を返しにいった。遊んだら片付ける。まだ母親の声が耳に残っている。「どうだった?」と聞いてきたので、「え?」と僕は聞き返した。そうしたら笑いながらもう一度「どうだった?」と聞いてきてくれた。僕の周りには優しい外国人で溢れているのだ。

そのあとはまだ時間があったので、隣町のベニスに向かった。ベニスにもビーチがある。というより、サンタモニカとベニスはビーチでつながっているのだ。だけれど、僕は前もって、友達に「夜にベニスは行っちゃダメ」と固く言われていた。なんでだろう?と思いながらベニスを歩くと、早速背の大きな黒人に話かけられた。「コンニチハ?シェイシェイ?」と言われながら、僕は「こんにちは」と答えたら、「コンニチハーー!!」と言われ、CDを買わされそうになった。僕は挨拶を疑問系で使われたことに怒った。だけれど、そんな間も無く、左手に「薬用マリファナ」という看板が見えた瞬間、僕はこの街はダメだ。と直感した。「薬用」をつけたらなんでもいいのだろうか。「薬用ドメスティックバイオレンス」なら「仲がいいね~」というふうに片付けられるとでも思っているのだろうか。
タトゥー、フーカー、偽物ブランド品店、だとか、そんなしょうもないような露店が延々とビーチ沿いに続いた。
僕はそのとき、先ほどの黒人に、このCD聞いてみない?とイヤホンを渡されたが、これで聞いたら料金を取られるんじゃないかと思って拒否した。家々をつなぐ壁にはサイコな絵が描かれていた。どう見たって、常人が描けるレベルのセンスの絵ではなかった。色使い、構成、構図、全てが常軌を逸していた。僕は、これがいわゆる薬用マリファナの効果なんじゃないか、と思いながら歩いた。
だけれど、ビーチはやっぱり裏切らなかった。いろんな若者が音楽を流しながら、スケートボードに乗ったり、踊ったりしながら笑っていた。彼らを見ているだけでも飽きなかった。特にベニスで何をしたというわけではないけれど、治安を別にすれば、結構楽しい街だなあと思った。
そろそろ、夕飯の時間かな、と思ったので、サンタモニカに向けて帰ることにした。歩いて1時間くらいの距離だった。だけれど、僕は携帯音楽プレーヤーの電源を入れようなんてことは一度も思わなかった。一時間の距離だったけれど、一瞬も退屈しない美しい景色だったからだ。


こんな1日が毎日続くだなんて素敵だなと思った。恋人たちが、ベンチに腰掛けていた。その上を数羽の鳥が夕日に照らされた水平線に向かって飛んだ。恋人たちも、鳥に促されるように夕日を眺めていた。何もかもが鮮やかに彩られた、そんなサンタモニカの夕暮れだった。

LAついて3日目にユニバーサルスタジオハリウッドに行ってきました。ロサンゼルスにはUSHとディズニーランドがあるんですが、計画時点では、そんな日本にもあるテーマパーク死んでも行くかと思ってたんですが、世界まる見えのオヤジばりにノリノリで行ってしまいました。
だってやっぱハリウッドにあるんですからユニバーサルスタジオはどう考えたって行く価値ありますよね。ディズニーに関しては、ぶっちゃけ東京にあろうがフロリダにあろうがロサンゼルスにあろうがどこでもいいような気がします。気にするのは千葉県民くらいじゃないですかね。
ユニバーサルスタジオジャパンの方には一度行ったことがあるんです。12歳くらいのときですかね。あのときはまだディズニーランド童貞だったので、つまりはテーマパーク童貞ということになりやっぱりとても興奮しました。ディズニーシー行った後に思い返せば、USJもそこまでかな~みたいに思ったんですが、初テーマパークは僕にとってかなりテンション上がる体験だったのは間違いないです。でもディズニーシーが一番ですけどね僕の中で。
というわけで、本場ハリウッドのユニバーサルスタジオ。映画好きには脳汁出まくりの場所でした。
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まずこのハリウッドの光景ですよね。ユニバーサルスタジオ自体がとんでもなく標高高いとこにあるので景色が素晴らしかったです。
サンタモニカからバスで一時間、メトロで20分かけて8分坂を登ると、目的地。ジャンジャカ明るい音楽が鳴って、地球儀が予想通り水を噴き出しながら回っていました。
チケットなんですけど、ちょっと想像以上に高くてだいぶ痛かったです。92ドル。。えええ。。。しかも閉園6時なんですよ。ちょっといくらなんでもね~って思いました。でも中入っちゃえばそんなのすっかり忘れちゃいますね。僕はシングルライダーだったので、全てのアトラクションに一秒も並ぶことなく乗ることができました。一番怖かったのは、MUMMYってやつです。高低差はそんなないですけど、とにかく速いし、なんか変なゾンビとかゴキブリがうじゃうじゃしててマジで怖かったです。急なバック走行とかしだすし、ちょっと腹が立ちました。インディジョーンズの強化版っていったらわかりやすいですかね?

ジュラシックパークも良かったですし、トランスフォーマー3Dはめちゃくちゃクオリティ高くて大変楽しみました。ユニバーサルスタジオの3Dアトラクションはどのテーマパークよりも1番力入れてるんじゃないかなあ。
ウォーターワールドも、飛行機ダイブするとこのど真ん中に陣取ったんで、だいぶど迫力でした。しかも俳優さんたちはもちろん全員英語喋るんで、その点はよりリアリティあってカッコよかったですね。
スタジオツアーというのが、ユニバーサルスタジオハリウッド限定のアトラクションでして、実際に映画撮影しているところを見学したり、使用した撮影地がそのまんま残ってたり、あー知ってる知ってるの連続で楽しかった。時間も40分超えてたっぷりなんで、映画好きな人は絶対楽しめます。
スタジオツアーからも分かる通り、ユニバーサルスタジオハリウッドはアトラクションだけでなく、ハリウッド映画がどう作られてるのかを学ぶことのできる場所でもあります。CGエフェクトをどうやっているのかという解説のショーもあってね。目の前でお客さんつかんで生でCG作成してくれるんです。ワイヤーアクションと合わせて、宇宙飛行中みたいなCG作ったりね。
あとアニマルアクターっていうショーは簡単に言えば、動物ショーなんですけど、映画に出てくる動物たちの演技はこうやって仕込まれてるんだな~っていうことが学べました。
アトラクションはこんな感じで、1番きて良かったのは、テーマパーク内のあちこちにハリウッドキャラクターがうろちょろしてていっぱい写真を撮ってきました。
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ほんとにマリリンモンローとオードリーヘプバーンが可愛いくて美しくてね。写真とるときに、「ホエアアーユーフロム?」って聞かれて、「ジャパン」って言ったら、「エエーホントウニー!」って返ってきてまじで可愛かったです。こんなならマダムタッソーとか行く必要まったくないな、と思ってしまいましたね。

そんな感じで総括すると、映画好きなら絶対楽しめる場所でした。完全に僕はシングルライダー満喫してましたけど、別にシングルライダーじゃなくても大して並ばないですし、料金と閉園時間覗いたら、日本より楽しめると思います。なんてたって本場ハリウッドなんですから!
ただいま上空でブログを更新しています。便利になったものですね、上空でWi-Fiがつかえるなんて。だいたいいまネブラスカを超えたくらいですね。
本題ですが、いま僕はロサンゼルスに向かっているのです。今日から10日間の旅行です。出発は午前6時。実のところ一睡もしていない。だって僕といったら昼夜逆転がキーワードじゃないですか。そんな簡単に寝てられないですよね。というのは半分嘘で、実は寝ようと試みました。でも無理でした。なんでかといえば、不安と緊張で眠れなかったのです。何を隠そう、このLAの旅、僕にとって初めての海外一人旅なのです。飛行機の予約も宿泊先の予約も全て自分で管理する。それが一人旅。正直不安でいっぱいでした。
多分、直前になって実は航空券が買えてなかったというトラウマ的大事件に見舞われたのも大きな要因としてあると思うんですけどね。
ほんとにこれは面倒臭かった。手続きなんとかするために、電話をしなきゃいけなかったんです。あのね、アメリカの航空会社簡単に電話しろ電話しろいいますけどね、一番電話が英語伝わらないんですよ!
だってジェスチャーも表情も伝わらなければ発音も悪いと来てるんですからもうお互い終始え?え?の言い合いで本当に嫌だった。
それでもなんとか新しい航空券を手配して、予定もしっかり立てれたんですけど、まあ不安は超えてみない限りは払拭できないもので、ずっと飛行機に本当に乗れるのかどうかの不安でバクバクでした。
一旦バスでクリーブランドに行って、そこから電車に乗り換えなきゃいけないんですけど、その乗り換え口も知らなかったしね。目の前のらしき人についていったら偶然正解したみたいな感じでしたもん。切符の買い方もわからなかったし、どこで降りるのかさえもよくわからなかったですし、空港ついてからもゲートやら手荷物検査やらはちゃめちゃでした。
でもほとんどのことが優しい人の助けによってなんとかなるですよね。困ってたら、向こうの方から話しかけてくれて、パパッと切符も買ってくれるし。なんだか素敵だな、とね。
そんな感じでこちらが電車ですね。
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ほとんど人いなかったです。ただ、やっぱりこの電車である意味現実を見たといいますか、乗った瞬間、浮浪者の臭いがぷんとするんです。それで乗ってくる人も、僕が知らないタイプの外人ばっかりでした。明らかに豊かな感じじゃなさそうな。通り過ぎる街並みも、細々とした葉の落ちきった木に囲まれた小さな家がずっと続くだけでしたし、大学の範囲でしかアメリカを見れてなかったんだなと痛感しました。結構現実を見てしまってせつなくなりましたね、電車。
それでやっとこさ、空港について、まだ1時間くらい余裕あったので、スターバックスに寄って、グランデカフェラテを頼みました。
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そして読書。村上春樹。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』。洋書。完璧だ。。。
みたいな感じで酔ってました。やっとこさ一息つけた瞬間だったんでね。
それで丁度それくらいの頃に、ホストファミリーからメールが届いたんです。「これは何かあったときの電話番号だから覚えておいてね。ロサンゼルスに知り合いがいるから」的な内容でした。僕はそれを読んで涙しました。このブログではあまり書けてないんですけど僕のホストファミリーは本当に素敵な人たちでね。もう感謝しかないんですよ。いつか必ずホストファミリーをテーマにしたブログを書いて思いの丈をぶちかましたいと思ってますけどね。ただとにかく、そんなしんどい状態の中に、彼らの優しさが身にしみて思わずスターバックスで涙したわけです。スタバ読書。村上春樹。洋書。涙。満貫です。

それでね、無事飛行機も飛んでくれたみたいで、いまあと1時間くらいってところなんですかね。移動さえ終わっちゃえば、あとは楽しむだけだ。ロサンゼルス。映画の都、ロサンゼルス。

とりあえずロサンゼルスについたらさっさとサンタモニカに向かって、お昼寝したいです。

こんな感じで、なるべくLA旅行記、写真付きで書いていけたらなと思う、第一回でした。
アメリカというのは本当に厄介な国だ。もちろん僕は日本国民だし、父母双方から純粋な日本の血を受け継いで産まれたわけだし、お酒だって飲む。

僕はアルコールが大好きというわけではない。でも、バイト終わりとかに一人で飲むビールはやっぱり美味しいなと心から思うし、友だち何人かで酔っ払って、アツい言葉を交わすのも結構好きだ。
それに僕は飲みたての頃に比べれば、幾分か強くなった。今まで一度も記憶を無くしたこともなければ、吐いたこともないというのが僕の一つの誇りである。酔い方のマナーにはとても自信があるのだ。だけれど、お酒ビギナーの僕ときたら、大分面倒臭いものがあった。ほとんどのケースにおいて、3%の缶一杯で酔っ払って寝転んでしまっていたのだ。とんでもないやつである。そんなやつが飲み会にいたら正直「何しにきたんだ?」というレベルだ。「乾杯!」という掛け声の20分後くらいには寝転んでいるのだから。まだテーブルにはシーザーサラダくらいしか届いてないんじゃないか?
とにかく、当時の僕は本当にそういう意味でひどいやつだった。友達に聞けばわかる。
だけれど、人間は成長する生き物だ。アルコール耐性についても同様に。今となっては、僕はむしろ平均より強いくらいなんじゃないかと自負している。嘘だろう?と思うが、同じ量を飲んでも明らかに僕の方の様子の方が良好なのだ。相変わらず顔は誰よりも先に赤くなるのだけれど、それでも、もう人前でダウンすることは全く無くなった。
それはアメリカに来てから顕著に表れた。アメリカのお酒は日本のお酒よりアルコールが強めである。ビールも7パーセントくらいが主流だろうか。日本ではビールくらいしかお酒を知らなかった僕はこっちで平気でウォッカやらラムを飲む。もちろんスプライトかなんかで割るのだけれど。

というわけであの日も久々にみんなで飲み会でもしようかということで、お酒を買いに行ったのだった。行き先はウォルマートだ。天下のウォルマートだ。大型スーパーだ。アメリカでは結構バンバンCMが流れてるくらいに有名なスーパーだ。なんてったって安いからだ。それでも同時に悪名高いのもウォルマートのウリである。ウォルマートは好かれてもいるが、結構な度合いで嫌われてもいる。まあ、マクドナルドを嫌う理由と似たようなものだろう。客層が相当に悪いのと、労働条件が酷いことが挙げられる。
客層はたしかに悪い。20人に1人は、半ケツの客が歩いている。お尻の割れ目の5割を露出する。オフストリップとはなんと贅沢な、、、。とはならない大きさのお尻なのだが。それと、食料品の袋が開いてることも日常茶飯事だ。これ買おうと思って手に取っても開封済みなのだ。ひどい。また、全然関係ない棚に、オラフのぬいぐるみが急に顔出すこともあるからやっぱり笑っちゃう。わりに無法地帯である。
労働条件については結構男尊女卑とか、人種差別みたいなことが多いらしい。僕のホストマザーが言ってた。女の人は、幹部にあがりにくいそうだ。つまるところ、ウォルマートは内からも外からもヤバイのである。もちろん、僕はウォルマートと1年間しかお付き合いをしないから、あんなに安価で色んなものを買える分には、十分嬉しい存在なのだけれど。

とりわけ、僕はあの日に、ある種ウォルマートの犠牲にあったのである。
僕はウォルマートに入って、お酒のコーナーに行った。そしてジャックダニエルを手にして、会計に向かった。その途中、日本人の友達に偶然出会ったのだ。同じ国籍の人間と、アメリカの地で偶然出会うというのは結構嬉しいものだ。僕は挨拶をし、ちょうど彼女も会計をするところだからということで、一緒の列に並んだ。このチョコレート美味しそうだね、みたいなたわいの無い会話をしながら並んでいて、僕の順番が来た。お酒を買うので、年齢確認できるものを見せる。オーケー、アメリカは日本のように簡単にいかないことくらいハロウィンで学んだ。この国は相当に未成年飲酒に厳しいのだ。日本にいて罪悪感を覚えるほどに。というわけで、22歳のぼくは何事もなくお酒を購入できるはずだったのだが、店員の口からなんとも信じがたい一言が飛び出す。「一緒にいるその子もIDみせてくれないとダメだよ」と行ったのだ。「ファッ!?」どういうことだ!?まだ彼女は品物を彼女のカゴに入れてるから、明らかに僕たちは会計が別だし、何しろ僕は彼女と偶然ここで出会ったわけだし、もとよりなにより、僕が会計をするんじゃないか。そして、どうして僕がこんなに焦ったかといえば、偶然にウォルマートで出会った友達は未成年だったからだ。よって彼女のIDを見せることはできない。そして僕は店員にこう言った。「She is not my friend」。
店員は首を振る。見せなきゃダメだよ、売れないんだと首を振る。僕は、いやいや、と会計は別だし、彼女と僕は偶然出会ったのだ、と主張したが、まったく話を聞いてくれなかった。僕が買うはずだったジャックダニエルを取り上げ、ハイ次、と僕を押しのけた。あ~あ~、これはひどい。彼女は責任を感じて謝ってくれたが、僕たちの何が悪いのだろう?現に彼女はアメリカでは未成年だとしても、20歳じゃないか!
僕は怒って、この国はなんてダメなんだと手ぶらでウォルマートを出た。そして彼女と別れて、僕は別のスーパーを探した。どうしてもウイスキーが必要だったのだ。そこで、夜12時まで営業してる店を思い出し、そこまで、別の友達の車で向かった。おめあてのジャックダニエルは無かったが、似たようなウイスキーがあった。
僕と友達はどちらもしっかり成年なので、先ほどのような事は今度は起こらず、全てが順調かのように見えた。店員さんは、ウイスキーをビニール袋に入れてくれて、僕は代金を払った。「ついにだ」と僕は友達と話しながらウイスキーを手に提げながら店を出た。そして友達の車のところまで向かうのだが、そこには、階段一つほどの段差があり、もちろん僕は、一段降りたのだが、その瞬間、ウイスキーがビニール袋の底を突き破り、コンクリートに叩きつけられ、僕たちの汗と涙の結晶をぶちまけながら地面を転がり始めたのだ。僕は一瞬何が何だかわからなかった。ただ、僕はウイスキーの入ったビニール袋を手に提げて、階段一段降りただけなのだ。たったそれだけの重力でビニール袋を突き破るだと?僕たちが店を出たわずか1分後の出来事である。
友達はその光景をみて、頭を抱えながら、「Ohhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!!!!! Shittttttttt!!!!」と叫んだ。さすが外国人である。僕も、目の前をウイスキーをぶちまけながら、転がっていくウイスキーのあまりの画の強さに、腹がよじれるくらい笑い転げた。はっきり言って、この状況は面白すぎた。たしかに誰の目からみても、残念な状況であるのは間違いないが、この場合は残念さより面白さが勝った。そしてさらに、友達が「抗議に行くぞ。これはあいつらのファッキンビニール袋のせいだろ!」と息巻いて、僕たちは、この有様を店員に抗議するために、割れたガラスと、破れたビニール袋を集めた。そして僕はそのときに親指を激しく切った。不思議と痛みは無かったが、血はとても出た。僕たちは、亡骸を持って、店員に抗議しに行った。店員はアイムソーリーとは言ったが、「店の外で起きたことは何もできないんだ」と言うことだった。ヒドい。そして、僕はあたかもその瞬間に自分の手が切れていることに気づいたかのように、「オオオオオゥ、メーン、、、オオオオゥ」とハリウッド顔負けの演技を見せたが、もちろん無駄に終わった。

店員は「買い直すかい?」と尋ねたが、血だらけの客に向かってよくそんな残酷なことが言えるなと心の中で思いながら、「いやいいわ」と僕たちは言った。

僕たちは、久々に飲み会ができると息巻いていたから、今日の悪夢のような出来事の連続に絶望すると同時に、このアメリカという国にうんざりした。
あまり、自慢のようにいうものじゃないが、お酒に関しては、日本ほど緩い国は無いと思う。年齢確認なんか、よほど見た目がちびまる子ちゃんみたいでもなければ、平気で居酒屋に入れるし、外でお酒だって飲める。アメリカでは、野外で飲み歩くことはご法度だ。ほとんどの子供が、小学生ぐらいの頃に、親の影響で軽く一口くらいはお酒を飲んだことはあるし、その話を小学校の先生が話題にするなんて奇妙な出来事が平気で起きる。

こりゃあ、たまらん。この違いはたまらん。

もうその時間に開いているお店は一つもなかった。僕たちは静かに二人でジンジャーエールを飲んだ。そして、僕たちはウイスキーを買うべきじゃなかったのだ。これは間違いなく、運命だったのだ、という言葉で締めて、僕たちはそれぞれの家路についたのだった。




今の僕はとにかく哲学的だ。
それは今が深夜の2時にさしかかるからであるし、淹れたてのコーヒーを片手にハーシーズのキスチョコをつまんでいるからでもあるし、何より大きいのは先ほど、久しぶりにこれだ!という映画に出会えたからなのかもしれない。

その映画のタイトルは『Mr.Nobody』といった。
この記事ではこの映画の内容について触れるつもりはないけれど、それでもこの映画は僕にとってかけがいのない映画となった。

映画は面白い
僕が映画を本格的に見始めたのはほんの2年くらい前のことだ。きっかけは覚えていないし、これも村上春樹同様、当時好きだった子に影響されて見始めたのかもしれない。男の人生の多くは女の子に影響される。これはあくまで一般論だ。
映画を記録するアプリをダウンロードして、見た映画、見た映画に、自分のお気に入り度、そして軽く一言を添えて、記録していった。その作業が結構楽しくて、そして、映画自体もまたとても楽しくて、僕はどんどんと画面に吸い込まれるようにはまっていった。
僕は週に7本の映画を見て、月に5回映画館に行って、年に5回『インセプション』を見返し、累計30分間に渡り、『ワンデイ』を見て涙を流した。
気づけば、誰がする映画の話にも僕はついていけるようになった。誰かが映画のタイトルを言って、他の3人が、首をかしげる中、僕だけが息巻いて「いいよねそれ!!」と両手を挙げることが何度もあった。そして次第に僕の元に映画が好きな人が自然と集まってきた。いや、お互いに引き寄せあったのだ。そして僕たちは共に映画を観に行き、共感しあった。ポップコーンを取る手が何度かぶつかりあいながら。

「映画に出会う」というフレーズはよくいったもので、まさしく映画とは出会うものである。
それこそ、「運命の映画」に出会うこともある。そしてそれは、案外、「運命の人」に出会う確率と同じくらいだったりする。
映画だって、もちろん全てが良い映画というわけではない。人はいろんな価値観を持っているから、賛否両論ある映画もあれば、誰が見てもダメ映画だという代物だってある。そんなときは、この二時間は一体なんだったんだろうと考えざるを得ない。きっと忍耐力テストか何かだったのだろうと、半ば強引に首を縦に振ってみる。それなら僕はなんとか耐え切ったから、明日もまた頑張ろう、などと天井を見上げながら、目を閉じて、その一日を終える。もちろん翌日には忘却の彼方だ。
けれども、ごく稀に、これは素晴らしいじゃないか、という映画に出会うこともある。「まさしくこれは僕のための映画じゃないか」、そんな気さえ起きる。この映画が女の子なら僕は間違いなく結婚するべきだとまで思う。そういう映画は、人生を通して、なんども繰り返してみる。映画は二回目からがスタートラインだ。子どものころに、それこそアンディと同い年だった頃に、『トイストーリー』のビデオをこれほどかというまで繰り返して見た。占いおもちゃを手にとって言う、「望み薄?あ~あ!」というウッディのセリフが今でも耳に残っている。当時は「望み薄」という言葉の意味さえわかっていなかったにもかかわらず。それでも、こうして大人になって、久しぶりに「トイストーリー」を見てみても、やはり面白い。そして、子どもの頃に気づけなかったことがたくさん見えてきて、それもとても面白い。同じところで涙を流せば、不意打ちのように涙が流れてしまうところもある。

映画は出会うものだ。もしこの映画を手にとってないまま、人生を終えてしまったらどんな人生を歩んでしまうのだろうとまで思う。

人生は多くの選択で溢れている。
どこかで羽ばたいた蝶が、遠くで竜巻を起こす原因になったりするように(バタフライ効果)、ちょっとした選択の違いが、のちに大きな差を生むことだってある。だから、選択は慎重にしなければならない、と思うが、果たしてその塾考を重ねたその選択が正しいと誰が証明できるだろう?

例えば、僕が12月9日に行くはずのロサンゼルス行のチケットを今ここで破り捨てたら一体どれほどの人生が変わるだろうか。

「破る」「破らない」の二つの選択があったとして、どちらの選択が正しいと言えるのだろうか。

意外に思えるが、正解はないのだ。ロサンゼルスに行けば、ロサンゼルスで起きるシナリオが待っているし、そのままここに待機していても、オハイオで起きるシナリオが待っている。そして僕はそのどちらかしか体験することができない。ロサンゼルスに行って、そこで運命的な出会いをするかもしれないし、オハイオに待機して、ロサンゼルス行の飛行機が爆発するニュースを目にするかもしれない。

僕は大学受験に一度失敗したが、一発で受かっていれば、きっと今のこの状況は起こり得てないだろうと思う。もちろんそれもあくまで推測にすぎないわけだけれど。

僕はこの今の人生にとても満足している。心から満足している。これほどないまでに満足している。

でも、もしかしたら、もっと楽しい人生があったかもしれない。もしかしたら、恐ろしく酷い人生になるかもしれない。だけれど、「選ばなかった方の人生」をこの世の誰が体験できるのだろうか。

「こっちにしなければよかった」とはよく聞くセリフだが、本当にそうだろうか?選択に優劣なんてものはあるのか?

この記事で語ったことは僕の哲学であり、人生観であり、ライフラインでもある。
僕は後悔は死んでもしない。死んだとしても後悔はしない。
僕の人生は常に、幸せの絶頂のピークを突き進んでいる。僕は、僕がした選択の全てが最高の決断だと信じて疑わないし、たとえ、それで酷い目にあったとしても、これで済んで良かったと本気で思い込んでいる。もっと酷い目にあうかもしれなかったのだから。
「選ばなかった方の人生」に焦がれる必要がどこにあるのだろうか。そんなの宝くじが当たるまでの絵空事と何の違いがある。

人生というものは全て最善の方向で進んでいる。これ以上ないほどぐらい調子良く進んでいる。これは世の中全ての人間、全員共通である。

ただ、間違ってしまったことはしっかり反省しなきゃね。あんまりそこに馬鹿正直にならないように。

どっちやねん!!そう、これが哲学・・・・・・。


『Mr,Nobody』を見終えて。
本当に個人的なメモ書き程度の記事になってしまうのだが、いま英作文を勉強しているときに、たまたま閃いたことがあったので、ぜひこの記事に文章化しておきたいと思った。

僕は留学してからというもの、語学学校と日本の英語科授業を比較して、日本の英語教育の改善点を探してきた。どう、自分の授業に活かせるのだろうか、というように。
このブログでも、何度か書いてきたように、大事なことは、「英語を英語で理解する」ということである。いかに、日本語と離して英語を理解するか、ということである。日本語という非常に巧みな言語を使いこなせている我々は、どうしても、その巧みさに引っ張られ、英語を英語として理解することに苦労してしまうようだ。常に日本語の影が後ろを追ってくるみたいに。僕はもし、教員として働くことになれば、どのように英語を勉強していけばいいのか、ということを生徒に伝えていく責任がある。日本の英語教育のシステムが変わらないのであれば、少なくとも僕の担当クラスだけでも、何かしらの変化を起こさなければならない。

今回この記事ではタイトル通り、どう英作文を英会話に活かしていくかということである。ただ、残念ながら、この記事の内容は大学受験にはやや不向きである。その理由は後述する。

<日本語→イメージ化→英作文>
僕は『英文和訳を廃止せよ』という記事で、和文英訳についても言及した。和文英訳をやめて、自由英作文に重きをおくべきだという主張だった。たしかに、今でも和文英訳よりも自由英作文優先、という主張は変わらないのだが、訂正と、そして補足したいことがある。
和文英訳はやり方を間違えなければ、英会話に活かせる」のではないか。というのも、和文英訳において最も避けるべきことは、日本語をひとつひとつ丁寧に翻訳していく作業にある。つまりこういうプロセスは避けなければならない。

「彼は毎日サッカーをします」
彼は→Heだな。毎日→everydayだけど、これは文末。サッカーをしますは、play soccerだ!だからHe play soccer everyday.だな。あ、三単元だからplaysだ!!


これはもちろん極端な例だが、このようなプロセスを和文英訳でふんでしまうと、はっきり言って英語がうまくなるどころか、退化するのではないか、というくらいダメなやり方である。日本人の英語が喋れない大きな原因の一つは、英語と日本語をくっつけて考えることなのだ。頭の中で常に翻訳作業を繰り返すやり方で固まってしまうと、とにかく発信が遅くなる。ウィンドウズ8にウィンドウズ95で対抗するようなものである。

じゃあやっぱり和文英訳はダメじゃないか、となるかというと、実はそうでもない。これから書くプロセスをふめば大いに和文英訳を活かすことができる。

日本語→英語に訳すプロセスの間に「日本語をイメージ化する」ことを挟むのである。
「日本語→イメージ化→英作文」というプロセスだ。先ほどの例を使ってどういうことか説明すると、

「彼は毎日サッカーをします」という日本語を読んでまず、その状況を頭の中にイメージするのだ。妄想するのだ。当然だが僕たちは日本語は大得意だ。じっくり読まずとも内容を理解できる。なにせ、斜め読みで小説を読んでしまえるのだから。というわけで、毎日サッカーしている男の子を頭の中に想像する。
そして今度はそのイメージに集中する。元から日本語など無かったかのように。
最後に、そのイメージを外国人と会話する感じで、自分の英語として説明するのだ。
隣に外人の友達がいる気分で、「あいつ毎日サッカーするんだよ」とでも会話する感じで、自分の英語でそのイメージを英作文するのだ。

大事なのは自分の英語として、というところである。そして、自分の英作文と答えを照らし合わせて、訂正点があれば直す。そして、正しい英文を文章を見ずに、自分の英語として6回唱える。(6回という回数はなんだかマジックナンバーらしい。まあ6回にこだわる必要もない)

これで出来上がりだ。これで日本語をできるだけ排除して、英作文を勉強することができる。これで、もし同じようなシチュエーションができたら、その英語を喋ることができる。イメージ英作文なのだ。

例えば、
あの兄弟はラジオでニュースを聞いていました」という文も、その状況をまずイメージする。兄弟がラジオでニュースを聞いている状況を頭の中に想像する。そして、その絵を自分の言葉で説明する。
ところで、
on radio
in radio
on a redio
in a radio
on the radio
in the redio

のどれなんだろうか?
僕はわからない。わからないので、とりあえず自分の英語を考えた後に正解をみる。
結局The brothers were listening to the news program on the radio.で正解なわけだが、

もし、日本語→英作文の間にイメージ化を挟んでいなければ、
「『ラジオで』というのは『on the radio』なんだな」という理解にしかならないのだ!

そうじゃないだろう。英語を話すやつの誰が、「ラジオで」が「on the radio」という理解で英語を喋るだろうか?そうではなく、「ラジオでニュースを聞いている状況」を「on the radio」というのだと理解すべきだ。

これは母語習得のプロセスと非常に似ている。
おわかりだろうが、第一言語は全て真似っこで学んでいく。僕だって、北海道の人間が「なまら外寒い」なんて言っていなければ、「なまら」なんてダサい方言死んでも使わないだろう
つまり、アメリカの子供達だって、目の前に「兄弟がラジオでニュースを聞いている」状況があったときに、親が「on the radio」というから、「あ~こういうときにon the radioと言うんだなあ」と納得するから、真似っこして、次から自分の言葉で「on the radio」を使いこなせるようになるのである。

つまり僕が言いたいのは和文英訳は決してやり方さえ間違えなければ、すばらしい言語習得のプロセスをふむことができるということなのだ。

以上のことから、「イメージを英作文して、あたかも自分がその場で説明しているかのような感じで、何回か暗唱する」このプロセスが和文英訳勉強において非常に大事なことなのだと思った。


ということを先ほど英作文を勉強しているときに閃いて、これは世紀の大発見だ!と息巻いたわけだが、ネットを検索してみればやはり、同じようなことを書いている人がいた。「瞬間英作文」というやつであった。

瞬間英作文 効果的なやり方←ここに詳しく書いてある。

このサイトの中でも特に僕の意見と共通していたところがあったので、そこを抜粋させてもらう。

ただ、反復回数はあくまで目安で、もっとも重視すべきなのは、日本語トリガー文から、会話の状況をイメージし、そのイメージを英語で説明している、英語を自分の言葉で発している状態が理想。

大切なのは、妄想力。

状況をイメージしながらスラスラ言える英文だけが、瞬時に出てくる英文=実戦で使える(英会話などで使える)英文であり、リスニングやリーディング時にも瞬時に理解できる英文になります。



ただ、残念ながら、この勉強方は英会話には多大な影響をもたらすだろうが、大学受験には少し不都合な点がある。大学受験は未だに日本語を英語にしっかり翻訳することを学生に求めているからである。
例えば、「だけでなく、~も」なんて日本語があったら、もうそれは完全に「not only but also」を聞いているとしか思えないじゃないか。この場合は文法覚えているかを試しているわけだが、やはりどうもそんな受験問題必要ないんじゃないかと思う。やっぱり自由英作文でエッセイでも書かせて、そういうロジカルな思考を和文英訳ではなく自由英作文で問うべきだと思う。

やはり、現実は憂いである。
それでも今回この記事を書いたことで、将来的に授業を構成する上で、この記事が大事な基盤となり得るだろうし、その頃には英語教育がもう少しまともな状況になっていることを望む。英語教育にもまずイメージ化が必要なんじゃないかな。
いや~もうすぐ深夜と書いて「ゆうがた」と読む僕の時間がやってきたわけですけれども。昼夜逆転してしまってるのでね。授業がどう頑張ったって2時15分からしか始まらないわけで、自分の中では肯定的な昼夜逆転だと呼んでおります。
それにしても、「水曜どうでしょう」が最近面白くて面白くてしょうがないです。もちろん名前は知っていましたよ?だって僕生まれも育ちも道産子なんですから。だけどね、これが、一回も見た事なかったんですね、いままで。それがなんとこっちにきている日本人留学生とのほんのちょっとした雑談をきっかけに「水曜どうでしょう見てみようかしら」なんて気になっちゃったりしたら、もうどハマりもどハマりで、だいたい今の所腰まで浸かってる感じですね。留学終わる頃には、唇だけ出て、「すーはーすーはー」言ってるくらいにはハマってそうです。
こんな伝説的な番組が全国ネットっていう時点で本当素晴らしいですよね。だいたい、僕なんかにはまゆつばレベルの単語が番組中何回も出てくるわけですから。旧5号線、アスティ45、月寒グリーンドーム、三井グリーンランド、琴似。浮かんできますよ、故郷の情景が。
つまり、最近の僕の中で、最もすごい印象を受ける苗字ランキング第一位の小泉大泉が上回ったわけですね。小泉はちょっと前まで、本当に凄かったですからね。小泉って聞いて凡人の顔思い浮かべる人なんて一人もいませんから。でも、そんな小泉を大泉が抜くってわけでね、それぐらい大泉洋ってやつは面白いな~とかなんとか。もうすぐ番組開始当初の彼と同い年になってしまうわけで、なおさらそんな思いも募ります。

っていう話をしてる場合じゃなくてね。先ほど、翌週に控えてるTOEFLテストの対策をしていたんですが、ちょっとやばいぞ、と。やばかったですよ、やばかった。僕、TOEFL受けたことないんですよ。TOEICでさえ、一回だけというね。完全に、英検準一級に甘えて生きてますよね。でもまあ、その準一級をとったのももう1年以上前なんじゃないでしょうか、忘れましたけど。とりわけ、ちょっとできなさすぎて、さっきあたふたしてました。あたふたしながら、お腹すいたんでとりあえず得意のジャガイモを蒸しましたね。ほかほかのジャガイモをナイフで十字に切って、間にバターを落として軽く塩を振って食べるでしょ?これがとてつもなく美味いじゃないですか?ねえ?ただ、もちろんそれが毎日ってなると話はおかしくなってきますね?僕はね、気づきました。さすがに毎日ジャガイモ食べてれば、気付くことくらいあります。やっぱりね、ジャガイモって「穀物」なんだな・・・・・・ってね。もうね、こうまでジャガイモ食べてると、どうしても、「穀物感」をぬぐいきれないわけなんですよ。「穀物感」わかるでしょ?絶対に、動物性たんぱく質とは違いますよね。別の世界のものですよね。ジャガイモというよりは、「穀物」って認識になってからね、全然美味しくないです。それでもお腹はしっかりと膨れるんだから、人間の味覚というものはなんて贅沢なものなんだろう、とか思います。

また話がそれてしまいました。英語の勉強の話です。原因がひとつこれなんじゃないかな、なんていうのがありまして。留学という名に甘えて、自分はてっきりたくさん勉強していると勘違いしていた気がします。たしかにね、もう留学きて三ヶ月経つんですけど、一番の変化は、英語に囲まれる環境がとても自然なものとなったことですね。日常会話として、英語を喋る自分というのも、客観的にみても、なんの違和感もなくなりました。初めの頃はね、「英語しゃべってる自分」ってのがなんかまだ、こっぱずかしくて、違和感ごりごりだったんですけど、今はだいぶなくなりましたね。相変わらず英語じゃ冗談のひとつも言えないんですけど。思い浮かびはするんですけどね~。頭の中でパッと、こう返してみようみたいなの浮かぶんですけど、それ日本語なんですよね。日本語で面白い返しが浮かんでも、それをいったん頭の中で翻訳してから発信するわけですから、遅いのなんのって。面白い返しって絶対にテンポ大事じゃないですか。大体において、思いついた後にはもう次の話題行ってしまってるんでね。そんなときはなぜか心臓ドキドキなってます。自分から、面白い話をしていけば、とも思うんですけど、まあそれは日本語でも出来てないんでね

なんだか、毎日学校通って、たまに英語喋る友達と遊んだりしてたら、勉強してる気になってました。意外と、というか、全然勉強じゃなかったですね。当たり前ですよね、英語喋る友達と遊ぶことを勉強だなんて認識してたら、本当失礼ですし、そんなの絶対仲良くなれないですもんね。
いわゆる、勉強って感じの勉強をあんまり出来てなかったな~というのが、今更になって痛感しました。せっかく、こういう良い環境なんでね、やっぱり日本から持ってきた資格対策テキストくらいはしっかりこなさないとな、とね。コミュニケーションとしての英語とはやっぱりまたどこか違うみたいです。これまた、僕たち留学生にとってはひどく逆説的だとは思うんですが、アホでも英語は喋れるんでね。

とりあえず、もう月曜になってしまったんで、気持ち切り替えていけたらと思いました。全然今回生産的なブログ記事じゃなくなってますけどね。水曜どうでしょうについてようやく書けたんで楽しかったです。(なんだ)
今回は日本の英語教育について語ろうと思う。パート2だね。前回記事はこれ『日本の英語教育はしょうもないからやっぱり留学行ったほうがいいかもね』
この記事ではいつもよりまじめになろうと思う。冗談は多分言わない。僕はこのブログの大体においてふざけすぎる。
また、少しばかり専門的になるかもしれない。だけれど、このブログはある種、僕の個人的な備忘録のような役割を果たしているから、今ある程度形となって頭の中にあるうちになんとか言語化しておきたくなった。それと、この記事は僕が将来的に英語教師になろうと思っていることを考慮して読んでくれるととてもありがたいです。環境的に英語教育について考えることが比較的多いのです。生意気いうかもしれませんが、こんなこといえるのも今の学生時代の内だけなような気がして・・・・・・。

英文和訳というものがある。これは英語という受験科目の問題形式の名前である。数行の英文が書かれてあり、それを日本語に和訳せよ、ということである。大体、採点形式としては、文法を取り違えたり、単語を正確に訳せなかったりすると、その都度減点されていくという感じである。

いきなりだけど、入試に英文和訳いる?
なんてことを僕は数分前に急に頭の中に浮かんだのだ。やはり僕は選ばれし人間なのかもしれない。きっと僕以外の誰も、ボサボサの頭で部屋着にくるまれたまま、適当にコーヒーを飲んでいる瞬間に「英文和訳いらなくね?」なんて突然と思う人はいないだろう。

というわけでこの記事では僕が好き勝手に英語教育の改革案を提示していく。それではさっそく。

<英文和訳を廃止せよ>
一体全体英文和訳は誰にとって意味があるのかと本気で思った。もちろん僕は大学受験のときに何百という英文和訳問題を解いてきたはずだ。そのときはその存在意義についてなど一寸も考えたことはなかったが、立場が変わると考えも変わる。僕はこの先、教えられる側から、教える側につくからだ。
はっきりいって、英文和訳問題で得をするのは、将来翻訳者になる人間だけなのではないかと思う。それでは英文和訳の何がダメか述べていこう。

・日本語能力も同時に試されている点
英文和訳は日本語がうまくないと点数が取れない。これはもちろん採点形式にもよるだろうが、与えられた文章を正しい日本語にするわけだから、大量の日本語訳のストックが頭の中になくてはならない。「not only but also」でもなんでもいいが、そんな構文と呼ばれるフレーズに「~だけでなく、~も」と訳をまるで表裏一体のように当てはめる。英語の方を左足とするならば、日本語を右足の靴とするみたいに。
そんなことに果たして意味はあるのだろうか。意味があるのはやはり翻訳者だけなのではないか。
英語を読むことは、頭の中で日本語に直して読むということではない。これは英語教育にとって非常に大事なことであると僕は思っている。つまり、「This is a penはThis is a penでしかない」のだ。This is a penと言われたらThis is a penと理解するのが、英語を聞くことであり、英語を喋るということなのである。
ここまでのことを簡単にいえば、文章を読むときに必要なことは文意が理解できればいいというだけで、それをさらに正確な日本語訳に変換する必要は、まったくの無駄だということだ。「この文はこういうことを言っている」という理解が大切だと思う。
じゃあ、英文和訳で試せる技能を全て見捨てるのか?と問われたとしよう。確かに、英文和訳が試せる技能はいくらかある。「単語覚えていますか?」「この文法知っていますか?」「前後の文意に即して訳せますか?」などといったところだと思うけれど。僕の答えは「だから、日本語に訳す必要はないだろっての」である。単語、文法、文意の読み取りなんてものは、他の方法でいくらでも確かめられる。英文和訳を出すぐらいなら、その分長文問題で、これらを試せる問題を増やすべきだ。

・英文和訳が何をダメにするのか
これは、僕が先ほど述べた、英語日本語表裏一体論である。「not only but also」ときたら「~だけでなく、~も」みたいな型にはまった教育法ではいつまでたっても、「This is a penがこれはペンです」に聞こえてしまう。英語は英語なのだから、日本語から切り離さなくてはならない。英文和訳はまるでアロンアルファかのように、英語と日本語をくっつけて考える思考回路を促進するにすぎない。
さて、このように、日本語と英語を離そうと思えば、いくらでも改革案は出てくる。

・和文英訳をやめて、自由英作文のみにせよ
和文英訳を廃止する理由はまさしく、英文和訳を廃止するのと同様、日本語との繋がりをなるべく避けるためである。僕が留学して思ったのは、英語を喋るのは頭の中が英語になっていないと絶対にできないということである。「お腹が空いたので、ハンバーガーが食べたいです」と言いたいから、「I want to have a hamburger because I'm hungry」と言うのではなく、「I want to have a hamburger because I'm hungry」と思うから、そう口にするのである。「英語を英語のまま理解する」とよく言われるのはつまりそういうことなのだ。日本語とくっついたままではいつまでもたどたどしい遅い英語を喋ってしまうことであろう。
そこで大事なのが自由英作文である。生徒は日本語に縛られず文章を書くことができる。もし、文法も確かめたければ、「when, which, whatを用いた文を入れなさい」などと制限をつけてあげればよい。

・単語テストをdefinition(定義)の穴埋め形式にせよ
・英英辞典の必修化
本屋にいけば単語帳が何種類も積み重なって置かれている。あの単語帳をみているとやはり、日本人は英語とずっと付き合っていく意思はないのだなと感じぜずにはいられない。きっとほとんどの単語帳が、試験に受かればお役御免となってブックオフ行きなのだろう。
たしかに単語はとても大事だ。いや、英語と付き合うさいに、間違いなくダントツで一番大事だと思っている。だけれど、その単語の覚えていくさいにやはり、今のままではいくらか不都合がうまれてくる。僕が言いたいのは「英和辞書式単語帳の廃止」である。「apple」と書かれて、その横に「りんご」と日本語が書かれているようなタイプの単語帳のことである。もちろん例文もくっついていたり、5文字程度のフレーズが書かれていたり、語法上の注意などいろいろと単語帳は工夫を尽くしているわけだが、根本的に変えるべきところがあると僕は思っている。
definition(定義)である。appleの横に書くべきことは「りんご」ではなく、英語で書かれたdefinitionであるべきなのだ。そしてdefinitionの次に大事なのはsynonym(類義語)である。このdefinitionとsynonymが単語を覚える際にもっとも必要なことである。例えば、「repeal」という単語がある。英検一級レベルの単語である。
僕の思う理想的な単語帳の形式をこのrepealという単語を使って説明したい。こんな感じだ。

単語 repeal 定義to revoke or withdraw formally or officially 類義語 abolish

こんな感じで連ねるべきだ。

だが売れない。これではまったく売れない。そんなことはわかっている。なぜなら、定義に書いてある単語、類義語に書いてある単語をぼくたちは知らない場合があるからだ。その場合repealの意味は謎のままである。だからこそ、僕の考える単語帳では、日本語の意味も書く。だが大事なのは位置だ。定義、類義語の後に記載する。つまりこういう感じ。

・repeal to revoke or withdraw formally or officially/ abolish/ 廃止する

どうだろうか。これで、repealの意味が廃止するということが誰の目にもわかるだろう。(皮肉か)だけれど、廃止する、という日本語の前に僕たちは定義と類義語を先に読む必要がある。この順番が単語帳には大事だと思う。今市場に出ている単語帳でこの形式をとっているものは無いと思う。この形式をとることで、より一層英語を英語で理解することにつながると思う。

さて、というわけで、これを使った単語テストの話だ。学校に通っていれば、必ず単語テストを行うこととなる。だけれど、そのどれもが、「日本語が書かれていて英語が空欄のタイプ」もしくは「英語が書かれていて日本語が空欄のタイプ」ばかりだ。だから、何回も言っているけど、これだといつまでたっても「This is a penがこれはペンです」に聞こえてしまうんだっての!!
僕がやる単語テストではそういう形式をとらない。生徒には単語のdefinition(定義)を書かせる。もしくはsynonym(類義語)を書かせる。だけれど、現実的な話をすれば定義を書かせると文法がめちゃくちゃでしょうもないことになってしまうかもしれない。だから、その点を考慮して、definitonを書かせる場合には穴埋め形式の解答方法をとる。

こんな感じ。

・attitudeー(opinions) and (feeling)
・expandingー(increasing)
・constructー(create) or (build)

・strategyーa (plan) used to (achieve) a goal
・alertー(watching) and (listening) carefully
・imaginationーthe ability to (form) (creative) (ideas) in your (mind)

前半が類義語タイプで、後半が定義タイプである。
僕はこの単語テストを習慣化したほうが、確実に英語を読むスピードははやくなり、まともな英語をスラスラと喋れるようになっていくと思う。なぜならば、constructと言いたいときに、createといってもいいことがわかるからだ。いろんなチョイスを持つべきである。これは本当に不思議なことなのだが、createは「創造する」と多くの単語帳に書かれているのに対して、constructは「構成する」と書かれていたりする。よく考えれば、どっちでもいいような気がするが、誠に残念なことに、別の日本語で覚えてしまうと、まったく違う単語のように認識してしまうのだ。たしかに厳密には違うかもしれない。完全に同じ性質の単語なんてものは少ない。それでも、日本語で覚えるよりかははるかにマシである。createは「創造する」でconstructは「構成する」と頭に染み込んでしまっては、もう柔軟に英語を使うことは困難になる。
この単語テストを行うためにも、学校は英英辞典を必ず学生に持たせるべきである。絶対にそのほうがいい。そうすれば、前もってリストを作っておけば、定義の穴埋めテストも可能となる。

<現実を憂う>
こんなわけで、好き勝手語ったが、実のところまだ語り足りない。
それに残念ながら僕の主張は全て理想論に過ぎず、ほとんどが現実的に実現が難しい。「単語帳改革案」はなんとかなりそうだし、単語テスト改革もなんとかなりそうだけれど、システムを変えるのは相当に根気のいることである。長い文章を読ませて、それに対する意見を自由英作文で答えさせるのが結局のところ一番理想的な試験形式だと個人的には思っているのだけれど、採点にどれだけの負担がかかるのか、そしてそれに対策を行えるだけの力がいまの英語教師にあるのか、という点。本当にシステムというのは圧倒的なものなのだ。大人になるにつれわかってきた。

実のところ、僕がこの記事で語ったことのほとんどは留学先のESL(語学学校)の授業形式を参考にしている。自慢じゃないが、伊達に教師になろうと思って留学をしていない。単に英語を学ぶだけでなく、僕はなるだけ彼らの授業法も積極的に盗もうとしてきたのだ。
彼らの授業法は本当に目からウロコだった。この授業法を続けていれば、絶対に英語は伸びると思った。授業は全て英語だし、教科書も英語だし、単語の意味も英語だ。
じゃあ、真似しようと思って簡単にできるかといえば、まったくできない。
授業を英語で行える力を持つ教師はほとんどいないし、教科書は日本語だし、単語帳も「英和辞書式」だ。

はっきり言ってこのことに考えを巡らせれば巡らせるほどうんざりしてくる。いったい僕はプロジェクトXの出演者にでもなるつもりなのだろうか

それでも一つこのような形で考えをまとめられることができた時点で僕は留学に感謝している。少なくとも僕は胸を張って学生たちに留学をすすめられることができるからだ。「お前らすまんかった。これが限界なのだ。だからこそ君らは留学しなさい」そんなことを言って、みんなが首を縦に振る、そんな学級づくりなら、僕一人にもできるはずだ。


ふと僕が現在、一人暮らし何年目なのかということについて考えてみた。四年目だった。一人暮らしがどういうものなのかといえば、もう四年目にもなってしまったから、うまく説明ができない。人間の欲というのは、つまり、無い物ねだり精神で構成されているから、一人暮らしに慣れきってしまうと、僕がそれに何を望んでいたのかを思い出せなくなってしまうのだ。おそらく、つい最近まで実家暮らしだった人間が急に一人暮らしを始めるとなれば、それはそれは、どれほどの喜びを舌の調べに乗せてくれることであろうか。とはいえ、僕のように一人っ子だった場合は話がまた別である。だいいち、僕は小学生時代鍵っ子であった。ランドセルにチューブで鍵を繋ぎ、ジャラジャラと音を鳴らせながら登校をしたものだった。学校から帰ってきたら、母親がいる、なんて状況は僕にとって信じられない状況であった。学校が終わり、家の玄関のドアを開けても、何の音も聞こえないのが僕にとっての普通であった。もちろん僕はそのまま靴を脱ぎ、Tシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、ついでにパンツも脱いで、奇声をあげながら家中を走り回る、というのを帰宅時の恒例としていたわけだが、それでももちろん、誰も僕の行動を邪魔するものはいなかった。
つまるところ、一人暮らしの醍醐味を「自由」だというのであれば、僕はすでに小学生の時点から十分にそれを享受してきたのであった。仮病の演技力も同時に高めながら。親がいるときに、友だちが遊びにくること自体がとんでもなく珍しいケースであった。おかげで、僕の家にあったお菓子は全て僕がたいらげたし、ジュースも2リットルのものなんてほとんど買ったことがなかった。
そんな少年時代を送ってきたものだったから、僕が大学一年生になって、一人暮らしを始めたところでそれといって特に何が大々的に変わったのかというと、少しばかり考え込まなくてはならないはめになった。「自分が食べる物を自分で買う」というのが一番の変化だったかもしれない。僕は親孝行ものだったから、親が作った料理は必ず全てを平らげた。そして僕は親孝行ものだから、しっかりと親の遺伝子を正確に継いで順調に太った。そんな生活が一変して、全てを自分でやりくりするとなると、その色というものは、食生活に一番濃く反映することとなった。結局のところ、健康に支障をきたしさえしない限りは何を食べてもいいのだというテーマが僕の中に芽生えた。賞味期限はただの数字の羅列だと考えるようにした。きっとこれは円周率のどこかから引っ張ってきた数字かなんかだろうと思いながら僕は、よくわからない弁当を冷蔵庫から取り出して、鼻歌混じりでレンジの中に突っ込み、ほかほかのミートボールをおいしくほおばったが、もちろん下痢をした。僕はトイレに座り込み、さながらロダンの銅像かの如く体勢で、宇宙の哲学について思いを巡らせた。どうして僕は広い宇宙の中の、ちっぽけな惑星にある、宇宙の産毛でしかない島国に生まれ、そんな国にある6畳の部屋で、こんなにも苦しまなくてはならないのだろうと考えた。結局のところ、結論はあの弁当が腐ってたからだった。
だけれど、それは一人暮らしルーキーに待ち構えていた単なる洗礼に過ぎなかったわけで、僕の胃はそれからの三年間というもの、何の弱音も吐かず、順調に胃液を分泌し続けたのである。
そんな東京での一人暮らしが一区切りつき、今度はアメリカでの一人暮らしということになった。何が変わったかといえば、もちろん、これもについてである。はっきり言って、アメリカの食生活がおかしいのは、誰の目から見ても一目瞭然である。狂っているし、まさに字の如く、彼らの食生活は病気の域にある。これは有名な話だが、アメリカのファストフードで、「コーラひとつ」と注文すると、空のコップを渡される。ドリンクバーだから、ご自由に好きなだけ飲んでください、ということだ。自由の女神からの啓示である。増し方も基本的に自由である。アメリカのほとんどの店が「ラーメン二郎」のシステムを参考にして成り立っているのだ。それに彼らは基本的にどの料理にもチーズを入れなくてはならない、と法律で固く決まっているらしく、アメリカの料理は全てチーズの味がする。
スーパーに行けばもっと凄い。ショッピングカートは畳1・5枚分の大きさである。そして、ガロンというサイズが存在する。3・78リットルのことである。1ガロンのミルクが2.8ドルだったりするから、結構気前も良かったりもするのだけれど、どうも基準がおかしい気がする。
どうりであんなに太るわけである。我が物顔でバスの座席を2席覆う。日本では見たことの無い、超重量級の猛者たちが、アメリカではわんさか見受けられる。
そんなわけで、僕は初期の頃、この食生活にどうしてもうんざりした。日本が恋しくて仕方がなかった。僕は、夢に横浜家系ラーメンが登場した回数を記録し、その数が10回を超えたところでむなしくなってやめた。食べたいものが食べれない状況が存在することは人生初めての経験である。日本にいた頃はたいていの物はお金と、一駅分の移動手段さえあれば、なんでも食べることができた。
僕は諦めた。この世界に順応することにした。僕の部屋には炊飯器はないし、台所もないから、電子レンジを使った即席の料理しか作ることはできないのだ。そこで僕は「じゃがいも」をたくさん食べることにした。「じゃがいも」が恐ろしく安く、そしてとてつもなく美味しい食べ物だということは周知の事実である。僕は鼻歌まじりで電子レンジにそのジャガイモを突っ込み、ほかほかになったジャガイモをフォークで開き、その間にマーガリンを乗せて、軽く塩を振って食べた。電子レンジのボタンに「POTATO」があるぐらいにこのアメリカではポピュラーなジャガイモであるが、彼は僕の一人暮らしの生活を大いに助けてくれそうだ。ジャガイモさえあれば、僕はこのアメリカで生きて行ける、と本気でそう思った。
だけれど、よくよく考えてみると、僕にそこまでの思いを抱かせるアメリカの食生活というのはやはり異常なんだなと気づく。カウチポテト軍団め。ラーメンを食べる文化をなんとか習慣付けてくれないものかい。
なんて自分は幸せな人間なのだろうと、突然ふと思う。落葉散りばむ日曜の秋の昼下がりのことだ。10月という季節は僕にとってなにかとセンチメンタルな時期だ。窓を通して見えた、ゆるやかに揺れる色彩豊かな葉が、僕をまた感慨深くさせる。今朝10時頃に僕はゆっくりと目覚めた。ぼんやりとした夢の影に背中を追われながら。それから熱いシャワーを浴び、コーヒーを淹れた。ミルクは切らしていた。20分かけて1ガロンのミルクを買いに行かなくては。何をどうもってして、これを最寄りのスーパーと呼ぶのだろうか、僕は半ば憤慨しながら、デスクチェアーに座った。とりあえずiPadの充電が終わるまでは読書でもしようか、と『海辺のカフカ』を手に取る。まだ僕は完全に読み終えてないが、『海辺のカフカ』は15歳の少年の家出の話である。家出とは自由の獲得である。自分の人生の獲得である。残念ながら僕はカフカ少年と同時期の15歳の頃にこの本を手に取れてはいない。初めて手に取るのはそれから7年後のことである。だけれど、22歳の僕はこのカフカ少年と、自由の獲得という点で共通している。モラトリアムの享受。アイデンティティの確立。社会的責任の回避。自意識の過剰。

昨夜はハロウィンパーティであった。
若者の若者による若者のためのハロウィンだった。彼らの誰もが主役だった。若者が世界で一番強く、輝いていた。皆、日本では考えられないほどに凝ったコスチュームを着こなし、何か意味の無いようなことを叫びながらダウンタウンを練り歩いた。街をただあても無く歩くだけで良い。それだけで皆主役になれた。

それから12時間ほど経った今はもちろん嵐が過ぎ去ったかのように静かな時が流れている。

僕は5日間8時間働き続ける大変さを知らない。家族を持つ大変さを知らない。僕はいま、仕事を一つも持たず、家族からはなれて遠いアメリカで一人暮らしをしている。僕は一年間浪人をして、一年間休学をしている。周りより二年間多く与えられた時間を僕は、本を読み、映画を見て、人と話して笑って過ごす。

モラトリアムはもうとっくに折り返し地点を過ぎている。僕は立派な大人になれるのだろうか。「大人になりたくない」とはよく聞く台詞だ。大学四年生と、社会人一年生ではどれほど人生が変わってしまうのだろうか。僕が帰国をする頃は、僕の大好きな友だちは皆社会人としての一歩を丁度踏み出したばかりの頃である。

僕は英語教師になる。未来の話だが、mustが使えるほど確実に僕は英語教師になる。僕が四年間に渡って暖めてきた夢だ。僕は浪人したときにその夢を決め、「まず英語の免許がとれる学部」「一年目は個別塾講師のアルバイト」「二年目以降は集団塾講師のアルバイト」「英検の取得」「留学」と次第に、そして着実に英語教師への道のりを明確にしてきたのだ。僕が父親のラーメン屋の仕事を継いで、湯切りに勤しむことはきっと無いであろう。小学生の頃はそんなことも考えてみたものだが。

どうして僕が教師になりたいかといえば、本当にたくさん語ることはあるけれど、この記事に即して言えば、学生の人生に関わりたいからである。どうしても彼らの、そして今の僕の人生のような、自由で何でもでき、夢に満ちている人生に関わっていたいのである。大人たちしかいない職場なんてまっぴらごめんである。

そんなことを思う10月のセンチメンタルな季節。モラトリアム、若者、学生について深く考えてみた。(ちなみに僕は田村カフカ君が現実にいたら酒を飲みながら同僚に愚痴りそうです)