鳥が多かった。サンタモニカもベニスも、ビーチ際はとかく鳥が多い。上を見上げれば、鳥が飛んでいるし、下を向けば、鳥が地面をつついている。
四日目、僕は決して遠出をせず、身近なところを攻めようと決意した。ホステルで7時頃に起き(とはいえ、ケントでは10時なのだけれど)、ベーグル3つと、食パン3枚に、バターとチーズを塗って食べ、オレンジジュースとミルクを飲み、デザートに、ヨーグルトにシリアルをかけたものを食べた。もちろんホステルの朝ごはんは宿泊代に含まれていて、食べ放題だ。
ホステルからサンタモニカビーチまでは遠くない。歩いて15分もすれば、柔らかな砂を踏むことができるはずだ。その前に僕は、レンタサイクル屋を見かけたので、自転車を借りることにした。2時間20ドルだった。高いのか安いのかよくわからない。第一、日本でもろくに自転車なぞ借りたことがない。それに加えて、今の円相場もよくわかっていない。
そんなことを思いながら、クレジットカードを手渡す。僕のクレジットカードのデザインは、可愛い2匹の犬が座っているものだ。ちなみにこのカードはアメリカでつくったもの。理由は特にない。他の選択肢が随分アメリカアメリカしていたからかもしれない。
だけれど、意外とあのときの選択が功を制すことが多かったりもする。会計のときに、カードを出せば、「かわいい~」といってくれる女の子もいる。ホステルの会計のときも素敵なカリフォルニアガールに「sooo cute」と言われ、「えへへ」なんて鼻を伸ばしたりもする。
だけれど、僕のカードを受け取った腕は、七面鳥の足を三倍に相似拡大したものに限りなく近かったし、おまけに剛毛だった。だから僕は、「おう、お前のカードイカしてるじゃねえか」と言われたときにとても驚いた。「え?」と僕は言った。僕は英語が聞き取れないときも、聞き取れたときも、よく聞き返す。「動物好きなのか?」と言われたから、「はい」と答えた。「犬飼ってるのか?」と聞かれたから「はい」と答えた。「名前はなんというんだ?」と聞かれたから、「ケンです」と答えた。僕は強度の虚言癖があるに違いないと答えながら思った。生まれてこのかた、犬なんて飼ったこともなければ、まさかそれを音読みしたものを名前として提示するなんて浅はかな言動をした試しはなかった。それでも、理由はよくわからないけれど、「ケンです」と言ったら、彼はとても良く笑った。「種類は?」とまだ聞いてくるのか、と思ったので、適当に「ジャパニーズドッグ」と答えたら、これまたウケた。
こんなやり取りをして、とにかく僕は自転車を手にして、ビーチに向かった。二時間後に返却することを約束して。
ビーチは恐ろしく快晴だった。昔、僕の先生がカリフォルニアについて言っていた言葉をそのとき思い出した。「明日の空は今日の空」。天気予報なんて聞く必要ない、明日の空は今日の空と一緒なんだから、それぐらい天気がいいんだよカリフォルニアは、ということだった。間違いなく昨日の空は曇天だったが、当時の恩師の言葉なので、僕は珍しく怒らないでおいておいた。
さすが、あちらこちらで自転車を貸し出しているところがあるだけあって、ビーチには立派なサイクリングロードが出来上がっていた。僕はそのコースに沿って、右に左に自転車をゆったりとしたスピードで漕ぎ続けた。
ところで、僕は、このブログの記事でも、一つのテーマとして書いたことがあるくらい、サイクリングが好きだったりする。わざわざ3時間かけて池袋から横浜まで自転車を漕いだ。それもピザのLサイズくらいの小さな車輪の自転車で。きっとあのときの僕は人間界の中で一番ハムスターに近かった男だっただろう。
だけれど、あのときと違って、サンタモニカビーチをサイクリングするのはとても快適だった。はっきり言って、何時間でも漕いでいられた。ビーチには無数のビーチバレー用のコートが置いてあった。世界アマチュア大会でもない限りは決して埋まることのないだろうくらい無数にあった。途中で少し暑くなってきたから、Tシャツ一枚になった。僕の留学先では信じられないことだ。僕の留学先では、Tシャツになった瞬間両手が両肩から抜け落ちるくらいに寒い場所だからだ。
そういうわけで、きっかりと2時間サイクリングを楽しみ、自転車を返しにいった。遊んだら片付ける。まだ母親の声が耳に残っている。「どうだった?」と聞いてきたので、「え?」と僕は聞き返した。そうしたら笑いながらもう一度「どうだった?」と聞いてきてくれた。僕の周りには優しい外国人で溢れているのだ。
そのあとはまだ時間があったので、隣町のベニスに向かった。ベニスにもビーチがある。というより、サンタモニカとベニスはビーチでつながっているのだ。だけれど、僕は前もって、友達に「夜にベニスは行っちゃダメ」と固く言われていた。なんでだろう?と思いながらベニスを歩くと、早速背の大きな黒人に話かけられた。「コンニチハ?シェイシェイ?」と言われながら、僕は「こんにちは」と答えたら、「コンニチハーー!!」と言われ、CDを買わされそうになった。僕は挨拶を疑問系で使われたことに怒った。だけれど、そんな間も無く、左手に「薬用マリファナ」という看板が見えた瞬間、僕はこの街はダメだ。と直感した。「薬用」をつけたらなんでもいいのだろうか。「薬用ドメスティックバイオレンス」なら「仲がいいね~」というふうに片付けられるとでも思っているのだろうか。
タトゥー、フーカー、偽物ブランド品店、だとか、そんなしょうもないような露店が延々とビーチ沿いに続いた。
僕はそのとき、先ほどの黒人に、このCD聞いてみない?とイヤホンを渡されたが、これで聞いたら料金を取られるんじゃないかと思って拒否した。家々をつなぐ壁にはサイコな絵が描かれていた。どう見たって、常人が描けるレベルのセンスの絵ではなかった。色使い、構成、構図、全てが常軌を逸していた。僕は、これがいわゆる薬用マリファナの効果なんじゃないか、と思いながら歩いた。
だけれど、ビーチはやっぱり裏切らなかった。いろんな若者が音楽を流しながら、スケートボードに乗ったり、踊ったりしながら笑っていた。彼らを見ているだけでも飽きなかった。特にベニスで何をしたというわけではないけれど、治安を別にすれば、結構楽しい街だなあと思った。
そろそろ、夕飯の時間かな、と思ったので、サンタモニカに向けて帰ることにした。歩いて1時間くらいの距離だった。だけれど、僕は携帯音楽プレーヤーの電源を入れようなんてことは一度も思わなかった。一時間の距離だったけれど、一瞬も退屈しない美しい景色だったからだ。





