本当に個人的なメモ書き程度の記事になってしまうのだが、いま英作文を勉強しているときに、たまたま閃いたことがあったので、ぜひこの記事に文章化しておきたいと思った。
僕は留学してからというもの、語学学校と日本の英語科授業を比較して、日本の英語教育の改善点を探してきた。どう、自分の授業に活かせるのだろうか、というように。
このブログでも、何度か書いてきたように、大事なことは、「英語を英語で理解する」ということである。いかに、日本語と離して英語を理解するか、ということである。日本語という非常に巧みな言語を使いこなせている我々は、どうしても、その巧みさに引っ張られ、英語を英語として理解することに苦労してしまうようだ。常に日本語の影が後ろを追ってくるみたいに。僕はもし、教員として働くことになれば、どのように英語を勉強していけばいいのか、ということを生徒に伝えていく責任がある。日本の英語教育のシステムが変わらないのであれば、少なくとも僕の担当クラスだけでも、何かしらの変化を起こさなければならない。
今回この記事ではタイトル通り、どう英作文を英会話に活かしていくかということである。ただ、残念ながら、この記事の内容は大学受験にはやや不向きである。その理由は後述する。
<日本語→イメージ化→英作文>
僕は『英文和訳を廃止せよ』という記事で、和文英訳についても言及した。和文英訳をやめて、自由英作文に重きをおくべきだという主張だった。たしかに、今でも和文英訳よりも自由英作文優先、という主張は変わらないのだが、訂正と、そして補足したいことがある。
「和文英訳はやり方を間違えなければ、英会話に活かせる」のではないか。というのも、和文英訳において最も避けるべきことは、日本語をひとつひとつ丁寧に翻訳していく作業にある。つまりこういうプロセスは避けなければならない。
「彼は毎日サッカーをします」
彼は→Heだな。毎日→everydayだけど、これは文末。サッカーをしますは、play soccerだ!だからHe play soccer everyday.だな。あ、三単元だからplaysだ!!
これはもちろん極端な例だが、このようなプロセスを和文英訳でふんでしまうと、はっきり言って英語がうまくなるどころか、退化するのではないか、というくらいダメなやり方である。日本人の英語が喋れない大きな原因の一つは、英語と日本語をくっつけて考えることなのだ。頭の中で常に翻訳作業を繰り返すやり方で固まってしまうと、とにかく発信が遅くなる。ウィンドウズ8にウィンドウズ95で対抗するようなものである。
じゃあやっぱり和文英訳はダメじゃないか、となるかというと、実はそうでもない。これから書くプロセスをふめば大いに和文英訳を活かすことができる。
日本語→英語に訳すプロセスの間に「日本語をイメージ化する」ことを挟むのである。
「日本語→イメージ化→英作文」というプロセスだ。先ほどの例を使ってどういうことか説明すると、
「彼は毎日サッカーをします」という日本語を読んでまず、その状況を頭の中にイメージするのだ。妄想するのだ。当然だが僕たちは日本語は大得意だ。じっくり読まずとも内容を理解できる。なにせ、斜め読みで小説を読んでしまえるのだから。というわけで、毎日サッカーしている男の子を頭の中に想像する。
そして今度はそのイメージに集中する。元から日本語など無かったかのように。
最後に、そのイメージを外国人と会話する感じで、自分の英語として説明するのだ。
隣に外人の友達がいる気分で、「あいつ毎日サッカーするんだよ」とでも会話する感じで、自分の英語でそのイメージを英作文するのだ。
大事なのは自分の英語として、というところである。そして、自分の英作文と答えを照らし合わせて、訂正点があれば直す。そして、正しい英文を文章を見ずに、自分の英語として6回唱える。(6回という回数はなんだかマジックナンバーらしい。まあ6回にこだわる必要もない)
これで出来上がりだ。これで日本語をできるだけ排除して、英作文を勉強することができる。これで、もし同じようなシチュエーションができたら、その英語を喋ることができる。イメージ英作文なのだ。
例えば、
「あの兄弟はラジオでニュースを聞いていました」という文も、その状況をまずイメージする。兄弟がラジオでニュースを聞いている状況を頭の中に想像する。そして、その絵を自分の言葉で説明する。
ところで、
on radio
in radio
on a redio
in a radio
on the radio
in the redio
のどれなんだろうか?
僕はわからない。わからないので、とりあえず自分の英語を考えた後に正解をみる。
結局The brothers were listening to the news program on the radio.で正解なわけだが、
もし、日本語→英作文の間にイメージ化を挟んでいなければ、
「『ラジオで』というのは『on the radio』なんだな」という理解にしかならないのだ!
そうじゃないだろう。英語を話すやつの誰が、「ラジオで」が「on the radio」という理解で英語を喋るだろうか?そうではなく、「ラジオでニュースを聞いている状況」を「on the radio」というのだと理解すべきだ。
これは母語習得のプロセスと非常に似ている。
おわかりだろうが、第一言語は全て真似っこで学んでいく。僕だって、北海道の人間が「なまら外寒い」なんて言っていなければ、「なまら」なんてダサい方言死んでも使わないだろう。
つまり、アメリカの子供達だって、目の前に「兄弟がラジオでニュースを聞いている」状況があったときに、親が「on the radio」というから、「あ~こういうときにon the radioと言うんだなあ」と納得するから、真似っこして、次から自分の言葉で「on the radio」を使いこなせるようになるのである。
つまり僕が言いたいのは和文英訳は決してやり方さえ間違えなければ、すばらしい言語習得のプロセスをふむことができるということなのだ。
以上のことから、「イメージを英作文して、あたかも自分がその場で説明しているかのような感じで、何回か暗唱する」このプロセスが和文英訳勉強において非常に大事なことなのだと思った。
ということを先ほど英作文を勉強しているときに閃いて、これは世紀の大発見だ!と息巻いたわけだが、ネットを検索してみればやはり、同じようなことを書いている人がいた。「瞬間英作文」というやつであった。
瞬間英作文 効果的なやり方←ここに詳しく書いてある。
このサイトの中でも特に僕の意見と共通していたところがあったので、そこを抜粋させてもらう。
ただ、反復回数はあくまで目安で、もっとも重視すべきなのは、日本語トリガー文から、会話の状況をイメージし、そのイメージを英語で説明している、英語を自分の言葉で発している状態が理想。
大切なのは、妄想力。
状況をイメージしながらスラスラ言える英文だけが、瞬時に出てくる英文=実戦で使える(英会話などで使える)英文であり、リスニングやリーディング時にも瞬時に理解できる英文になります。
ただ、残念ながら、この勉強方は英会話には多大な影響をもたらすだろうが、大学受験には少し不都合な点がある。大学受験は未だに日本語を英語にしっかり翻訳することを学生に求めているからである。
例えば、「だけでなく、~も」なんて日本語があったら、もうそれは完全に「not only but also」を聞いているとしか思えないじゃないか。この場合は文法覚えているかを試しているわけだが、やはりどうもそんな受験問題必要ないんじゃないかと思う。やっぱり自由英作文でエッセイでも書かせて、そういうロジカルな思考を和文英訳ではなく自由英作文で問うべきだと思う。
やはり、現実は憂いである。
それでも今回この記事を書いたことで、将来的に授業を構成する上で、この記事が大事な基盤となり得るだろうし、その頃には英語教育がもう少しまともな状況になっていることを望む。英語教育にもまずイメージ化が必要なんじゃないかな。
僕は留学してからというもの、語学学校と日本の英語科授業を比較して、日本の英語教育の改善点を探してきた。どう、自分の授業に活かせるのだろうか、というように。
このブログでも、何度か書いてきたように、大事なことは、「英語を英語で理解する」ということである。いかに、日本語と離して英語を理解するか、ということである。日本語という非常に巧みな言語を使いこなせている我々は、どうしても、その巧みさに引っ張られ、英語を英語として理解することに苦労してしまうようだ。常に日本語の影が後ろを追ってくるみたいに。僕はもし、教員として働くことになれば、どのように英語を勉強していけばいいのか、ということを生徒に伝えていく責任がある。日本の英語教育のシステムが変わらないのであれば、少なくとも僕の担当クラスだけでも、何かしらの変化を起こさなければならない。
今回この記事ではタイトル通り、どう英作文を英会話に活かしていくかということである。ただ、残念ながら、この記事の内容は大学受験にはやや不向きである。その理由は後述する。
<日本語→イメージ化→英作文>
僕は『英文和訳を廃止せよ』という記事で、和文英訳についても言及した。和文英訳をやめて、自由英作文に重きをおくべきだという主張だった。たしかに、今でも和文英訳よりも自由英作文優先、という主張は変わらないのだが、訂正と、そして補足したいことがある。
「和文英訳はやり方を間違えなければ、英会話に活かせる」のではないか。というのも、和文英訳において最も避けるべきことは、日本語をひとつひとつ丁寧に翻訳していく作業にある。つまりこういうプロセスは避けなければならない。
「彼は毎日サッカーをします」
彼は→Heだな。毎日→everydayだけど、これは文末。サッカーをしますは、play soccerだ!だからHe play soccer everyday.だな。あ、三単元だからplaysだ!!
これはもちろん極端な例だが、このようなプロセスを和文英訳でふんでしまうと、はっきり言って英語がうまくなるどころか、退化するのではないか、というくらいダメなやり方である。日本人の英語が喋れない大きな原因の一つは、英語と日本語をくっつけて考えることなのだ。頭の中で常に翻訳作業を繰り返すやり方で固まってしまうと、とにかく発信が遅くなる。ウィンドウズ8にウィンドウズ95で対抗するようなものである。
じゃあやっぱり和文英訳はダメじゃないか、となるかというと、実はそうでもない。これから書くプロセスをふめば大いに和文英訳を活かすことができる。
日本語→英語に訳すプロセスの間に「日本語をイメージ化する」ことを挟むのである。
「日本語→イメージ化→英作文」というプロセスだ。先ほどの例を使ってどういうことか説明すると、
「彼は毎日サッカーをします」という日本語を読んでまず、その状況を頭の中にイメージするのだ。妄想するのだ。当然だが僕たちは日本語は大得意だ。じっくり読まずとも内容を理解できる。なにせ、斜め読みで小説を読んでしまえるのだから。というわけで、毎日サッカーしている男の子を頭の中に想像する。
そして今度はそのイメージに集中する。元から日本語など無かったかのように。
最後に、そのイメージを外国人と会話する感じで、自分の英語として説明するのだ。
隣に外人の友達がいる気分で、「あいつ毎日サッカーするんだよ」とでも会話する感じで、自分の英語でそのイメージを英作文するのだ。
大事なのは自分の英語として、というところである。そして、自分の英作文と答えを照らし合わせて、訂正点があれば直す。そして、正しい英文を文章を見ずに、自分の英語として6回唱える。(6回という回数はなんだかマジックナンバーらしい。まあ6回にこだわる必要もない)
これで出来上がりだ。これで日本語をできるだけ排除して、英作文を勉強することができる。これで、もし同じようなシチュエーションができたら、その英語を喋ることができる。イメージ英作文なのだ。
例えば、
「あの兄弟はラジオでニュースを聞いていました」という文も、その状況をまずイメージする。兄弟がラジオでニュースを聞いている状況を頭の中に想像する。そして、その絵を自分の言葉で説明する。
ところで、
on radio
in radio
on a redio
in a radio
on the radio
in the redio
のどれなんだろうか?
僕はわからない。わからないので、とりあえず自分の英語を考えた後に正解をみる。
結局The brothers were listening to the news program on the radio.で正解なわけだが、
もし、日本語→英作文の間にイメージ化を挟んでいなければ、
「『ラジオで』というのは『on the radio』なんだな」という理解にしかならないのだ!
そうじゃないだろう。英語を話すやつの誰が、「ラジオで」が「on the radio」という理解で英語を喋るだろうか?そうではなく、「ラジオでニュースを聞いている状況」を「on the radio」というのだと理解すべきだ。
これは母語習得のプロセスと非常に似ている。
おわかりだろうが、第一言語は全て真似っこで学んでいく。僕だって、北海道の人間が「なまら外寒い」なんて言っていなければ、「なまら」なんてダサい方言死んでも使わないだろう。
つまり、アメリカの子供達だって、目の前に「兄弟がラジオでニュースを聞いている」状況があったときに、親が「on the radio」というから、「あ~こういうときにon the radioと言うんだなあ」と納得するから、真似っこして、次から自分の言葉で「on the radio」を使いこなせるようになるのである。
つまり僕が言いたいのは和文英訳は決してやり方さえ間違えなければ、すばらしい言語習得のプロセスをふむことができるということなのだ。
以上のことから、「イメージを英作文して、あたかも自分がその場で説明しているかのような感じで、何回か暗唱する」このプロセスが和文英訳勉強において非常に大事なことなのだと思った。
ということを先ほど英作文を勉強しているときに閃いて、これは世紀の大発見だ!と息巻いたわけだが、ネットを検索してみればやはり、同じようなことを書いている人がいた。「瞬間英作文」というやつであった。
瞬間英作文 効果的なやり方←ここに詳しく書いてある。
このサイトの中でも特に僕の意見と共通していたところがあったので、そこを抜粋させてもらう。
ただ、反復回数はあくまで目安で、もっとも重視すべきなのは、日本語トリガー文から、会話の状況をイメージし、そのイメージを英語で説明している、英語を自分の言葉で発している状態が理想。
大切なのは、妄想力。
状況をイメージしながらスラスラ言える英文だけが、瞬時に出てくる英文=実戦で使える(英会話などで使える)英文であり、リスニングやリーディング時にも瞬時に理解できる英文になります。
ただ、残念ながら、この勉強方は英会話には多大な影響をもたらすだろうが、大学受験には少し不都合な点がある。大学受験は未だに日本語を英語にしっかり翻訳することを学生に求めているからである。
例えば、「だけでなく、~も」なんて日本語があったら、もうそれは完全に「not only but also」を聞いているとしか思えないじゃないか。この場合は文法覚えているかを試しているわけだが、やはりどうもそんな受験問題必要ないんじゃないかと思う。やっぱり自由英作文でエッセイでも書かせて、そういうロジカルな思考を和文英訳ではなく自由英作文で問うべきだと思う。
やはり、現実は憂いである。
それでも今回この記事を書いたことで、将来的に授業を構成する上で、この記事が大事な基盤となり得るだろうし、その頃には英語教育がもう少しまともな状況になっていることを望む。英語教育にもまずイメージ化が必要なんじゃないかな。