ふと僕が現在、一人暮らし何年目なのかということについて考えてみた。四年目だった。一人暮らしがどういうものなのかといえば、もう四年目にもなってしまったから、うまく説明ができない。人間の欲というのは、つまり、無い物ねだり精神で構成されているから、一人暮らしに慣れきってしまうと、僕がそれに何を望んでいたのかを思い出せなくなってしまうのだ。おそらく、つい最近まで実家暮らしだった人間が急に一人暮らしを始めるとなれば、それはそれは、どれほどの喜びを舌の調べに乗せてくれることであろうか。とはいえ、僕のように一人っ子だった場合は話がまた別である。だいいち、僕は小学生時代鍵っ子であった。ランドセルにチューブで鍵を繋ぎ、ジャラジャラと音を鳴らせながら登校をしたものだった。学校から帰ってきたら、母親がいる、なんて状況は僕にとって信じられない状況であった。学校が終わり、家の玄関のドアを開けても、何の音も聞こえないのが僕にとっての普通であった。もちろん僕はそのまま靴を脱ぎ、Tシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、ついでにパンツも脱いで、奇声をあげながら家中を走り回る、というのを帰宅時の恒例としていたわけだが、それでももちろん、誰も僕の行動を邪魔するものはいなかった。
つまるところ、一人暮らしの醍醐味を「自由」だというのであれば、僕はすでに小学生の時点から十分にそれを享受してきたのであった。仮病の演技力も同時に高めながら。親がいるときに、友だちが遊びにくること自体がとんでもなく珍しいケースであった。おかげで、僕の家にあったお菓子は全て僕がたいらげたし、ジュースも2リットルのものなんてほとんど買ったことがなかった。
そんな少年時代を送ってきたものだったから、僕が大学一年生になって、一人暮らしを始めたところでそれといって特に何が大々的に変わったのかというと、少しばかり考え込まなくてはならないはめになった。「自分が食べる物を自分で買う」というのが一番の変化だったかもしれない。僕は親孝行ものだったから、親が作った料理は必ず全てを平らげた。そして僕は親孝行ものだから、しっかりと親の遺伝子を正確に継いで順調に太った。そんな生活が一変して、全てを自分でやりくりするとなると、その色というものは、食生活に一番濃く反映することとなった。結局のところ、健康に支障をきたしさえしない限りは何を食べてもいいのだというテーマが僕の中に芽生えた。賞味期限はただの数字の羅列だと考えるようにした。きっとこれは円周率のどこかから引っ張ってきた数字かなんかだろうと思いながら僕は、よくわからない弁当を冷蔵庫から取り出して、鼻歌混じりでレンジの中に突っ込み、ほかほかのミートボールをおいしくほおばったが、もちろん下痢をした。僕はトイレに座り込み、さながらロダンの銅像かの如く体勢で、宇宙の哲学について思いを巡らせた。どうして僕は広い宇宙の中の、ちっぽけな惑星にある、宇宙の産毛でしかない島国に生まれ、そんな国にある6畳の部屋で、こんなにも苦しまなくてはならないのだろうと考えた。結局のところ、結論はあの弁当が腐ってたからだった。
だけれど、それは一人暮らしルーキーに待ち構えていた単なる洗礼に過ぎなかったわけで、僕の胃はそれからの三年間というもの、何の弱音も吐かず、順調に胃液を分泌し続けたのである。
そんな東京での一人暮らしが一区切りつき、今度はアメリカでの一人暮らしということになった。何が変わったかといえば、もちろん、これも食についてである。はっきり言って、アメリカの食生活がおかしいのは、誰の目から見ても一目瞭然である。狂っているし、まさに字の如く、彼らの食生活は病気の域にある。これは有名な話だが、アメリカのファストフードで、「コーラひとつ」と注文すると、空のコップを渡される。ドリンクバーだから、ご自由に好きなだけ飲んでください、ということだ。自由の女神からの啓示である。増し方も基本的に自由である。アメリカのほとんどの店が「ラーメン二郎」のシステムを参考にして成り立っているのだ。それに彼らは基本的にどの料理にもチーズを入れなくてはならない、と法律で固く決まっているらしく、アメリカの料理は全てチーズの味がする。
スーパーに行けばもっと凄い。ショッピングカートは畳1・5枚分の大きさである。そして、ガロンというサイズが存在する。3・78リットルのことである。1ガロンのミルクが2.8ドルだったりするから、結構気前も良かったりもするのだけれど、どうも基準がおかしい気がする。
どうりであんなに太るわけである。我が物顔でバスの座席を2席覆う。日本では見たことの無い、超重量級の猛者たちが、アメリカではわんさか見受けられる。
そんなわけで、僕は初期の頃、この食生活にどうしてもうんざりした。日本が恋しくて仕方がなかった。僕は、夢に横浜家系ラーメンが登場した回数を記録し、その数が10回を超えたところでむなしくなってやめた。食べたいものが食べれない状況が存在することは人生初めての経験である。日本にいた頃はたいていの物はお金と、一駅分の移動手段さえあれば、なんでも食べることができた。
僕は諦めた。この世界に順応することにした。僕の部屋には炊飯器はないし、台所もないから、電子レンジを使った即席の料理しか作ることはできないのだ。そこで僕は「じゃがいも」をたくさん食べることにした。「じゃがいも」が恐ろしく安く、そしてとてつもなく美味しい食べ物だということは周知の事実である。僕は鼻歌まじりで電子レンジにそのジャガイモを突っ込み、ほかほかになったジャガイモをフォークで開き、その間にマーガリンを乗せて、軽く塩を振って食べた。電子レンジのボタンに「POTATO」があるぐらいにこのアメリカではポピュラーなジャガイモであるが、彼は僕の一人暮らしの生活を大いに助けてくれそうだ。ジャガイモさえあれば、僕はこのアメリカで生きて行ける、と本気でそう思った。
だけれど、よくよく考えてみると、僕にそこまでの思いを抱かせるアメリカの食生活というのはやはり異常なんだなと気づく。カウチポテト軍団め。ラーメンを食べる文化をなんとか習慣付けてくれないものかい。
つまるところ、一人暮らしの醍醐味を「自由」だというのであれば、僕はすでに小学生の時点から十分にそれを享受してきたのであった。仮病の演技力も同時に高めながら。親がいるときに、友だちが遊びにくること自体がとんでもなく珍しいケースであった。おかげで、僕の家にあったお菓子は全て僕がたいらげたし、ジュースも2リットルのものなんてほとんど買ったことがなかった。
そんな少年時代を送ってきたものだったから、僕が大学一年生になって、一人暮らしを始めたところでそれといって特に何が大々的に変わったのかというと、少しばかり考え込まなくてはならないはめになった。「自分が食べる物を自分で買う」というのが一番の変化だったかもしれない。僕は親孝行ものだったから、親が作った料理は必ず全てを平らげた。そして僕は親孝行ものだから、しっかりと親の遺伝子を正確に継いで順調に太った。そんな生活が一変して、全てを自分でやりくりするとなると、その色というものは、食生活に一番濃く反映することとなった。結局のところ、健康に支障をきたしさえしない限りは何を食べてもいいのだというテーマが僕の中に芽生えた。賞味期限はただの数字の羅列だと考えるようにした。きっとこれは円周率のどこかから引っ張ってきた数字かなんかだろうと思いながら僕は、よくわからない弁当を冷蔵庫から取り出して、鼻歌混じりでレンジの中に突っ込み、ほかほかのミートボールをおいしくほおばったが、もちろん下痢をした。僕はトイレに座り込み、さながらロダンの銅像かの如く体勢で、宇宙の哲学について思いを巡らせた。どうして僕は広い宇宙の中の、ちっぽけな惑星にある、宇宙の産毛でしかない島国に生まれ、そんな国にある6畳の部屋で、こんなにも苦しまなくてはならないのだろうと考えた。結局のところ、結論はあの弁当が腐ってたからだった。
だけれど、それは一人暮らしルーキーに待ち構えていた単なる洗礼に過ぎなかったわけで、僕の胃はそれからの三年間というもの、何の弱音も吐かず、順調に胃液を分泌し続けたのである。
そんな東京での一人暮らしが一区切りつき、今度はアメリカでの一人暮らしということになった。何が変わったかといえば、もちろん、これも食についてである。はっきり言って、アメリカの食生活がおかしいのは、誰の目から見ても一目瞭然である。狂っているし、まさに字の如く、彼らの食生活は病気の域にある。これは有名な話だが、アメリカのファストフードで、「コーラひとつ」と注文すると、空のコップを渡される。ドリンクバーだから、ご自由に好きなだけ飲んでください、ということだ。自由の女神からの啓示である。増し方も基本的に自由である。アメリカのほとんどの店が「ラーメン二郎」のシステムを参考にして成り立っているのだ。それに彼らは基本的にどの料理にもチーズを入れなくてはならない、と法律で固く決まっているらしく、アメリカの料理は全てチーズの味がする。
スーパーに行けばもっと凄い。ショッピングカートは畳1・5枚分の大きさである。そして、ガロンというサイズが存在する。3・78リットルのことである。1ガロンのミルクが2.8ドルだったりするから、結構気前も良かったりもするのだけれど、どうも基準がおかしい気がする。
どうりであんなに太るわけである。我が物顔でバスの座席を2席覆う。日本では見たことの無い、超重量級の猛者たちが、アメリカではわんさか見受けられる。
そんなわけで、僕は初期の頃、この食生活にどうしてもうんざりした。日本が恋しくて仕方がなかった。僕は、夢に横浜家系ラーメンが登場した回数を記録し、その数が10回を超えたところでむなしくなってやめた。食べたいものが食べれない状況が存在することは人生初めての経験である。日本にいた頃はたいていの物はお金と、一駅分の移動手段さえあれば、なんでも食べることができた。
僕は諦めた。この世界に順応することにした。僕の部屋には炊飯器はないし、台所もないから、電子レンジを使った即席の料理しか作ることはできないのだ。そこで僕は「じゃがいも」をたくさん食べることにした。「じゃがいも」が恐ろしく安く、そしてとてつもなく美味しい食べ物だということは周知の事実である。僕は鼻歌まじりで電子レンジにそのジャガイモを突っ込み、ほかほかになったジャガイモをフォークで開き、その間にマーガリンを乗せて、軽く塩を振って食べた。電子レンジのボタンに「POTATO」があるぐらいにこのアメリカではポピュラーなジャガイモであるが、彼は僕の一人暮らしの生活を大いに助けてくれそうだ。ジャガイモさえあれば、僕はこのアメリカで生きて行ける、と本気でそう思った。
だけれど、よくよく考えてみると、僕にそこまでの思いを抱かせるアメリカの食生活というのはやはり異常なんだなと気づく。カウチポテト軍団め。ラーメンを食べる文化をなんとか習慣付けてくれないものかい。