熱血先生26歳の死、労災認定 授業や部活に追われ…
 2011年に26歳で亡くなった堺市の市立中学校の教諭について、地方公務員災害補償基金が公務災害(労災)による死亡と認定したことがわかった。「熱血先生」と慕われ、市教育委員会の教員募集ポスターのモデルにもなった。強い使命感の一方、授業や部活指導などに追われ、体がむしばまれたとみられる。多くの新人教諭らが教壇に立つ春。市教委は再発防止に力を入れる。(朝日新聞デジタル)



<教師の過労死>
いや~、笑えないですよね。僕にとって教師の過労死ほど、知人以外の人の死に対して他人事じゃないことはないというか。なんなんですかね、本当に。
それに特にこの過労死のニュースに関しては、なぜか、教師の顔写真掲載されてるじゃないですか。いや~、この写真見ると、本当にゾクってしましたよね。本当にいかにも、いい先生、って感じの人に見えるからですかね。さらに、年齢も近いと。26歳ですもんね。実際に僕も大学卒業してすぐ先生になれたとした場合、社会人2年目の年に26歳になるはずですから、この先生とまったく同い年になるわけですよね。
この記事書くにあたって、ぱぱっと、教師の過労死について色々調べてみたんですが、やっぱりネットにあがってるだけで、実に多い。いろんなケースありましたね。年齢も、バラバラでしたし。でもやっぱり心苦しいのは、自殺ですかね。この、ニュース記事としてあげた先生の死因は心臓の急激な機能低下ですから、自殺ではないため、きっと、彼は死にたくて死んだわけではないんでしょう。とても悲しい話ですけれど。その一方で、教師の自殺者の数は多いわけですから。自殺するにまで至った経緯とかも読んでみると、本当にね、辛くてね。やりきれない思いでいっぱいでした。
教師になるためには、免許を持ってないといけないわけです。免許を持つためには、ほとんどのケースにおいて、大学で、教職課程をクリアしていくわけです。約4年間かけて。わざわざお金払ってね。だから、僕は、教師として働いている人は、「なりたくてなった」職業だと思っている人が大半だと信じているわけです。4年間教職課程過ごすことでさえ、あんまり生半可な気持ちじゃできないですからね。
そんな職業に殺されるっていうのはやはりとても悲しいことだなと思います。


<熱血の是非。熱血=良い教師なのか?>
この先生熱血先生だったみたいです。実際にあったことないんで、字面だけを手掛かりに想像するしかないんですけど。
程度差はあれど、熱血先生と呼ばれる先生は学校に一人や二人いるもので、すごく面倒見がよかったりだとか、日誌に長文でコメント書いてくれたりとかね。毎日掃除手伝ったり。あげればキリないですけど。すごい客観的にわかりやすい愛といったらいいんでしょうか。だれからみても、この先生はしっかり生徒のこと考えてるな、授業のこと考えてるな、と思われるようなタイプ。保護者からもこの先生はいい先生だね~、と言いやすいタイプ。
それでね、僕このニュースみて、思ったんです。果たして、熱血であることが必ずしもいい先生であることにつながるのだろうかと。違うんじゃないかな、と僕は思うわけです。というのはね、熱血であることって、つまり、言い方変えれば、オーバーワークしてるってことですよね。もっと悪い言い方しますよ? 熱血先生って、給料に見合った以上のこと、つまり、しなくてもいいことをしてるってことですよね。極論、教師として与えられた職務をこなしてさえいれば、それはそれできちんとした教師といえるんじゃないでしょうか。別に学級通信なんて頑張って毎日書かなくたっていいわけですよ。授業だって、50分間を日々消化して、最終的にカリキュラムで定められたことを教えていればいいわけですよ。やることやってれば、定時退社したって何の問題もないわけですよね。それで給料を貰う。これの何がいけないんでしょうか?
ところがね、もちろんそんなことがまかる通るはずもない。誰もそんな教師認めないですよね。やっぱり、教師の職業としていえること、(人と接する仕事全般に言えると思うんですが)、尽くそうと思えばどこまでも尽くせるのがこの仕事の特徴です。だって、人を相手にしているのだもの。目の前のタスク黙々とこなす仕事じゃないですもの。コンピュータープログラミングしてるわけではまるでないですもの。今日はここまでやれば終わり!っていう区切りなんてないんですもの。
だからね、いい学級にしようと思えば、いくらでもやることはあるんだと思うんです。熱血先生と呼ばれる先生はつまり、そういう気持ちを持って、学級のためなら、生徒のためなら、と頑張ることのできる先生たちなんです。とても素晴らしい教師理念だと思います。
だけれども、話戻しますが、熱血を履き違えてしまうと少し危険なことになってしまうのではないかと。これから書くことはすごく微妙なことなので、もしかしたらまったく伝わらないかもしれません。でも僕の思うことです。生徒に好かれようとしてする熱血ならしない方がいい、と。そんな熱血おかしいと思います。つまりね、そんなこと思ってる時点で、教師の方が生徒より後手後手じゃないですか。そんな教師絶対ダメですよ。そりゃ人間ですから、せっかくなら、生徒に好かれたいですよ、できることなら。でもね、教師と生徒って、そんな単純な関係じゃないな~と思うんです。生徒の、先生に対する好きって気持ちってそんなに信用しちゃいけないと思います。はっきり言って、その気持ちってふとしたことで180度変わっちゃうくらい脆いものなんじゃないかなって思います。それくらい、教師と生徒の関係って難しいと思います。
それでね、ここからなんですけど、だからこそ、熱血は危険だと思うんです。つまりは生徒との距離の取り方についてです。
生徒と先生の関係、非常に難しいと言いましたが、それでも一つの人間関係です。そこで、僕はまたひとつこう思うわけです。「愛って、距離感関係ないな」って。なかなかクサいこと言いますが。つまりね、直接話さなくても感じる愛って存在するでしょう。もっというと、生徒にそんなに積極的にアプローチかけてなくても、生徒はしっかりと教師の愛を感じてくれると思うんです。「あの先生、そんなに生徒と関わるわけじゃないけど、ちゃんと僕たちのこと好きなんだろうな」って思うことあるでしょう。僕はありました。これはたしかに、熱血先生のように、客観的にわかりやすい愛ではないでしょうけど、それでも、ちゃんと伝わる愛に違いありません。
そうなったときにね、「生徒に好かれようとしてする愛」は負けますよ。言い方は違うでしょうけど、嘘熱血とでもいいましょうか。期限が切れるんですよ、そういうのは間違いなく。おそらく教師と生徒、お互いに。好かれよう、好かれようっていう気持ちは、初めの頃は嬉しいですけど、教育っていうのは長丁場ですからね。長期戦です。じっくり関係を育てていけばいいんです。そんなに無理に、生徒のこと手にかけなくてもいいんじゃないかなって思います。もちろん、ここぞというときに、手を差し伸べられる教師でありたいですけどね。
難しいですね、文章にするの。熱血を否定したいわけでは全くないんです。ただ、熱血先生の中に、嘘熱血先生がいそうで、つまりは、そういうの僕すごい苦手なタイプなんですよね。なんとなくわかってくれますかね。熱血であろうが、なかろうが、ちゃんと生徒のこと思う気持ちがあれば、しっかり伝わるんじゃないかと。目に見える形だけにこだわる必要はないんだと、そう僕は信じています。
だからね、べつにそんなに先生が生徒に手をかける必要もないんじゃないかと。生徒から、ちょっと話しかけずらい先生に見られてたって全然いいじゃないですか。むしろその点では、なめられない、みたいな感じでプラスポイントですしね。それで、生徒と一対一で話すようなときに、真摯に向き合って、教師の人間性みたいなのが垣間見えたら、それっていい先生なんじゃないかなと、僕は思っております。

<自分について>
僕はね~、やっぱり良い意味でも悪い意味でも教師に向いているとおもうんですよ。全然完璧主義じゃないんでね。塾講師としてアルバイトしてるときに、担当生徒で合格した子も、不合格だった子もいましたけど、特にこれといって心境変わらなかったですからね。いや、もちろん合格した子に対しては、めちゃくちゃ嬉しかったし、感謝もされて、ある種感動もしましたし、不合格だった子に対しては、残念だったな~って感じでやっぱり聞いて嬉しい話ではなかったですけど、それで、「自分のせいで落ちた」なんて一瞬も思わなかったですし。それに僕は「たかが合格不合格」って思ってるたちなんで。長い人生からしたら、受験なんて単なるサブイベントでしょう。それからどう生きるかの方が重要ですから。申し訳なく思うひまあったら、そういうことを語る方が教師のすべきことなんじゃないですかね。
溜め込まないし、追い込まないのが自分の教師に向いてるところなんではないかと苦笑しながら思います。だから、他人事ではないといっても、うつ病で自殺ってのは、あまり自分にかんがえたくないですね。何が起こるかわからないですし、まず第一に教育の現場に入ってすらいないわけですからなんともいえないですけど。実際に先生になったら、そりゃあもう想像を超えたことがたくさん待ってるわけでね。だけども、まあ、なんていうんでしょうか、生徒への気持ちさえ持ってれば、体が勝手に向かうべき方向に進む自信はあるんで、教師という仕事をしっかり楽しめたらなと思っています。それでも、まだ現実知らないですけど、たぶん教育現場の教師のプレッシャーって相当なものでしょうね。公的ブラック企業ですから。年々教師の立場も世間的に弱くなってる印象もありますしね。もうだから、もっと職場環境をなんとかして欲しいと。それは切に思っております。大変なんでしょうから。。。
こんにちは。絶賛風邪引き中の僕です。アメリカのオハイオ州から午後0時47分をおしらせします。

いきなりですが、五文型って覚えてますか。英文法のことなんですけど。そうです、あれです。SVとか、SVOCとかいうやつですよ。ちなみに4文型はなんですか?そうですね、SVOOですね。大学生活で、英語触れていないと、こういう理論は忘れちゃいますよね。実践はできたとしても。まあ、とにかく、五文型ってとてつもなく大事なわけです。というのは、英語のすべての文章は極論、五文型で全部説明がつくわけですから。どんなに長い文で、どんなに構文がくっついていたとしても、結局、最終的には五文型のどれかに行き着くわけです。
はい、というわけでね。アルバイトしてたぶりに英文法について語ったような気がするんですけども。
さて、実はですね、五文型を語るときに残念な存在であるのが、「副詞」君です。この副詞君は幼い頃に両親を亡くして、そのことがきっかけで、少し閉鎖的な子に育ってしまいました。だから、学校ではいじめられて、友達も一人もいなかったんですが、本だけはかかさず毎日読むような子でしたね。副詞君の好きな作者は村上春樹だそうです。
何が言いたいかというと、五文型に副詞って関係ないっていうこと覚えてます?
どんなに副詞が文中にあったとしても、それはカッコでくくられて、文型には何の影響も及ぼさないんですよ。だからね、英文法界で副詞が問題になることって実はあまり多くないんですね。
だけれど、留学して、僕は気付きました。
副詞こそ英会話なり。と。
たしかに、英文法で副詞は所詮日本語訳問題に登場するくらいのしょうもない存在です。たまに頻度を表す暴挙に出るので、そのときは注意が必要なのですが。
でもね、英会話における副詞って本当に面白いんです。はっきり言って、僕留学して副詞大好きになりましたもん。すべての副詞覚えたいくらいですよ。
どういうことかというと、副詞って会話をめちゃくちゃ彩ってくれるんです。
ちなみに、これ、日本語でも一緒なんで、わかりやすいように日本語で少し例を出してみましょうか。
「台風一過と、タイ風Pizzaって違うよね」

「台風一過と、タイ風Pizzaって完全に違うよね」
っていう女の子がいたら、僕は間違いなく、後者と付き合いたいです。伝わってますかね。
「完全に」があるのとないのとじゃ、やっぱりあるほうが会話してて楽しいですよね。
実は、ここにきて初めて紹介するんですが、僕の友達にマット君という男の子がいて、めちゃくちゃ仲良いですけど、彼は副詞マジシャンだと僕は思ってるんです。彼からいろんな副詞学びました。absolutelyとか、exactlyとか彼は好きなんですけどね。彼は言っていました。「副詞は会話をsmartにする」と。たしかにその人のオリジナリティーというか、喋り方ってのが顕著に出るのが、副詞なんじゃないかと思うわけです。個性ですよね。それにね、副詞は会話をスマートにするだけじゃなく、普通に応対において便利なんです。質問に対してね、副詞一語で答えることができるんです。
例えば、「英語しゃべるの難しい」っていう発言に対して、「absolutely」の一言で答えることもできるわけです。まあ、「間違いない」って感じでしょうか。長井秀和に「absolutely」連呼するネタやってもらいたくなってきました。
とりわけね、彼と英語を喋っていると、如実に影響を受けます。もちろん彼はネイティヴスピーカーなのでね。英会話は真似っこですから。僕、結構彼の話し方意識的に真似てますよ。「うわ~マットかっこいいこと言ってる!」って思ったときは、一生懸命自分の力で言えるようにしようって意識してます。なんか、最近彼は確信犯的なんじゃないかとおもうんですが、すごい段階的に話す副詞のレパートリーあげてってるような気がしています。笑 いっつも、「Probably」って言っていたところをこないだ、急に「assumably」って言いだして、かなり真似したくなりました。「evidently」とか、「obviously」とか大好きですね。ちょっと悪口っぽくなりますけど、太ってる人見て、「あいつピザ好きそうだな」みたいなのに、「obviously」って返すと、結構ウケますよね。
つまり、そういうことなんですよ。僕が言いたいことは。会話における副詞ってめちゃくちゃ大活躍するんです。「あいつピザ好きそうだな」に対して、「Yes, I think so」って返すことの何が面白いんですか。「I agree」って言ったら逆に面白そうですけどね。会話を本当に彩るんですね。英文法では本当に大したことないやつでしたけど、留学きて、副詞に対する評価がうなぎのぼりですよ。本当に。
結構思い出に残ってるのが、僕がまだ全然英会話で人を笑わせた経験がなかったときなんですけど。海外ドラマのfriends見てましてね。そこで、「vividly」っていう副詞が出てきて、僕それ気に入ったので、絶対日常生活で使ってやろうと、タイミングを今か今かと待っていたわけです。それからね、4日くらい経ったときです。ようやく、まさしく今!っていうタイミングが来てね。ローラっていう女の子なんですけど、彼女が、昨夜僕が酔っぱらってるときに撮っていたビデオを僕に見せてきたんです。それでね、「Do you remember this?」みたいなことをニヤニヤしながら言ってきました。「Yeah, vividly」って答えたらめちゃくちゃ爆笑してました。あのときのやってやった感は半端じゃなかったです。「おれかっこいい~」みたいな。まあ勘違いですけどね。でもね、やっぱりあのとき、「Yes, I do」って答えてたら、結局、そのニヤニヤ顏のまま、「へへっ」みたいな薄い反応で終わってたんだと思うわけでね。
とにかく、英語で人を笑わすっていう経験が本当に薄かったですから、あのときの記憶はまさしく鮮やかに僕の脳に刻まれてるわけですよ。

そんなこんなで英会話では副詞はすごい楽しいよっていう記事でした。
とりあえず風をしっかり治していきたいと思います。Completely!!

物事には何事も段階があるべきだ。
例えば、靴を履くときに靴下を履くみたいに。海洋生物がふとした拍子に陸に上がったときみたいに。水は0度にならなければ凍らないし、100度にならなければ、沸騰しない。物事には少なくとも通過しなくてはいけない段階がある。そして、その段階がときとして壁となり僕たちの前に立ちはだかるのもまた事実だ。そして、人によってはその壁を一生懸命汗水垂らして登り超えるものもいれば、はしごをどこかから見つけてきて登るものもいる。そして諦めて、別の道を探すものも。

留学生活がしばらく経って、僕自身の英語力に関して言及する機会がそろそろ訪れてもいい頃なのではないかと思った。ちょっとしたエピソードを交えて。主に会話の場面においてだ。
ここで、一人、ナイジェリア出身の女の子を紹介したいと思う。ノンソという名前の子である。おそらく年上だと思う。誕生日を聞きそびれた。実のところ、僕が初めて、外国人と英語で会話といえるものをしただろう相手が彼女だ。留学して1週間も経たない頃だったと思う。留学当初はまだ授業も始まっていないし、買い物などの準備に追われていたから、人と会話をする機会がほとんどなかったのだった。そんな中、急に一つのイベントが僕のもとに舞い込んできた。「フリーアイスクリームイベント」だった。イベント自体にははっきり言って、尻尾は1ミリも動かなかったものの、とりあえず暇だったし、勇気をもって行ってみようかという感じだった。
事前に待ち合わせがあった。五人組。僕をいれて日本人2人。外国人3人。女性4人。僕1人。(ここ4年間ほど、男の数の方が多いコミュニティーにいた記憶がないのだが、もうそういう運命だとして諦めるしかないのだろう)
とりあえず挨拶をする。あのときは「How are you?」に対してでさえ、どう答えればいいのかわからなかったので、きっと延々と玉ねぎを剥き続ける猿のような顔をしていたと思う。そうこうしながらそのイベント会場まで向かう。歩いていくうちに、だんだんと5人組が2対3のような感じでばらけて歩き始めた。そして僕は2の方だった。そして並んで歩いていたのが、そのノンソであった。ノンソは180センチ近い高身長でいわゆるモデル体型で、おしゃれで優しくてかっこいい、と今なら褒めるところは山ほど出てくるのだが、残念ながら当時の印象は「180センチ近くて怖い」のみだった。ともあれ、何か話さなければいけない気がしていた。後ろの3人組は盛り上がっていた。僕たちの構図はまるで四人組でタクシーに乗って、あふれた一人が助手席にのってしまったときのようだった。
何か話さなければ
そんな思いがますます僕から言葉を奪っていった。浮かんでは消え、そして二度と戻ってこなかった。だけれど、優しいノンソ姉さん。僕に話題を振ってくれる。
ノンソ姉さん「○!※□◇#△?
さすがに焦った。
何を言っているのかまったく聞き取れない。これは決してノンソにナイジェリアなまりがあるとかそういうことを言いたいわけではない。彼女の英語はとても綺麗だ。間違いなく綺麗だ。だけれど、そのときの僕にはまったく言語化できなかったのだ。
聞き取れなかったので、そのことを述べればいいのだが、いかんせん、それすらもどう表現すればいいのかわからなかった。「Pardon?」というのがあるのは知っていたが、それを使っていいのかがわからなかった。「Pardon?」を実際にこの耳でまだ聞いていなかったからだ
ノンソはそれを察して、もう一度繰り返してくれる。
だけれど、僕はまだ定かにわからない。
最終的に、BPM60ぐらいの超ロースピードでの発音になる。最悪の気分だ。どうしてこんなに気を使わせなくてはならない。
まあそれでもとにかく、何を言っているのかはわかったわけだ。次は返答だ。だけれど、返答もどうすればいいのかわからない。必死で頭の中で日本語を英語に翻訳する。時間がかかる。頭の中にできた英語を頭の中にある目で読みながら話すので、つっかかり、戻り、ゆっくりしゃべる。なんとかして僕が喋った言葉はこれだ。「○!※□◇#△
当然彼女は僕の英語を聞き取れなかった。
彼女にまったく非はないのだが、「○!※□◇#△」こんな言葉がいきかう会話に何も面白いことはない。なんとも苦痛な時間である。うまい具合に情報が向こうに渡っても、次の話題が出てこないのだから、沈黙が訪れる。まあ、泣きたかったです。
そんなこんなで、イベント会場につく。中にはアメリカ人ばかりいて、みんなアイスクリームを頬張っていた。怖かった。ありがたいことに、みんなフレンドリーだから、「How are you?」と「What's your name?」を連呼してくる。そしてさらにありがたいことに、ちょっとした世間話までセットでついてくる。マクドナルドのハッピーセットみたいに。全然ハッピーじゃないけど。
もちろん僕は全部聞き取れないので、全て愛想笑いをする。それで乗り越えられることもあるけれど、明らかに疑問系で質問されたときは、さすがに何か答えなければならない。質問内容を理解すればだが。
・・・やべえよ~、アメリカ人怖ええよ。あいつら、英語ゆっくり喋ろうなんて気遣い一個もしてくれないじゃないか。
そんなときに、耳元でゆっくりと何かが囁かれた。
「『ここにちょっと荷物置いていい?』って聞かれてるのよ。
ノンソだった。彼女は僕を助けてくれたのだ。何を聞かれているかを僕にわかりやすい英語で教えてくれた。
僕はその日の夜に、ひどく落ち込んでいたのと同時に、彼女の優しさにいたく感動していたから、思わず、メールを送ってしまった。きっと、「助けてくれてありがとう。僕は英語が下手だからつまらなかったかもしれないけど、あなたの優しさはすごいうれしかったです。」みたいなそんな感じだ。
今思えば、キモいと思われるギリギリのボーダーラインだが、本当に落ち込んでいたのだ。人間、あれほど落ち込んでいたらこれぐらい許してくれてもいいはずだ。

そんなやりとりのあったノンソ。いや、ノンソ姉さん。もとい、ノンソ姐さん
実はそのときから再会するまでに、4ヶ月もの期間が流れた
もちろん、すれ違ったことは何度かあったのだけれど、会話するほどの機会はずっとなかったのだった。だけれど、彼女は依然として僕にフレンドリーだった。
「久しぶり!」という感じで、始まって、最近のことについて色々話した。授業が大変だとか、ロサンゼルスにいったんだとか、ホストファミリーの赤ちゃんが可愛いだとか。そして彼女の家族がめちゃくちゃ多い話だとか、最近ファッションショーに出たのよ、みたいな話だとか。10分くらい。
ねえ、ところで、あなた英語とても上手になったわよ
・・・・・・お?
「だって私たち、会話ができてるじゃない!!」
おお、そういえば、自分のことだから意外と気づいてなかったけど、あのときの僕は酷かったし・・・。おれ、もしかして英語うまくなったのか・・・?
「本当にわたし、あなたが英語上手になって嬉しいわ!!」

僕だってうれしかった。涙が出そうになるほどに。
僕の英語の成長を認めてくれた初めての存在だった。日本とは違い、僕は留学中、一度たりとも自分の英語に自信をもった瞬間がなかった。このまま英語が下手なまま帰国するのだろうなとぼんやり考えていた。だけれど、そのとき初めて、僕の英語が褒められた。上手になったと言ってくれた。これほど嬉しいことはあるだろうか。

今では、どんな外国人であろうが、会話に関しては、まったく気負いしない。聞き取れないときや、伝わらないことも依然として多くあるが、単純な話だが、聞き返せばいいし、もう一度伝えればいいのだ。あの頃の僕はそれすらできなかったのだから。
英語を使って友達を笑わせることもある。個人的にこれが一番嬉しい成長点なのかもしれないけど。

なんだか、おれ、会話に関しては、もうあんまり心配ないんじゃないか・・・?

これが、僕の留学で得た今のところ一番の実感である。かなり嬉しい。自分の初期段階を知っているからこそ余計嬉しい。

しかしながら
これがアカデミックになるとまったく話は別物となる。授業ではみんな難しい単語を使うし、早いし、教科書超難しいし、宿題もバカみたいにめんどくさいし、提出したところで、死体に銃を乱射するみたいに、ボコボコにされる。
会話の段階を乗り越えたかと思えば、アカデミックの段階が現れる。この壁は相当に高い。結局のところ、僕は英語ができないやつなんだ、と思うしかないくらいに理解ができない。どうして人の会話は聞き取れるのに、授業は聞き取れないのだろう?相当に悔しいというか、なんでこんなに壁が高いのだろう?一段階超えたところで、ちょっと自分いけるかも、と思ったらまったくの勘違いだった。
でもそういうものなのかもしれない。
そうやって物事は成り立っているし、そうやって人は成長しているのだろう。
少なくとも、僕はちょっとばかり成長したのだ。証人がいるのだから間違いないだろう。だからこそ、もう少し、頑張ってみようかな。


現在朝5時35分です。昼寝をしようと思って、寝たので、このぐらいの時間に起きるのはとてもびっくりします。そしてしばらくブログを書いていませんでした。書くことはあったのでしょう。でもそれを書いて、文章とするまでに至らせる僕の能力がなかったのだと思います。
ここ最近毎日特別なことが起こっていなかったもので。
とはいいつつ、そんな特別でもなんでもないことを、なんとかうまいことブログに記事にしてきたのが、この僕自身。間違いなく、ここ最近の僕の書く能力が足りてなかったに違いありません。書くスランプみたいなものですかね。なんにも書きたいことが見つからないし、とりあえず書いてみようかと思ってブログ記事途中までは書いてみるんですが、やっぱりなんだこれ、ってなって消してしまいます。五回くらいありました。それでも一応、今ブログをなんとか書いているのはそれなりに書きたいことがあるからでしょう。何かは今の僕自身にもよくわかってはいませんが、書いてるうちに自然と書いていけそうです。
僕、今アメリカに留学しているんですが、実はあと3ヶ月しないうちに日本に帰国するのです。3ヶ月って短いです。もちろん、もうすでにこちらにきて半年経過しているということの方が驚きなのですが。早いです。
帰国する頃には、僕の友達第一世代はすでに社会人としてお金を稼いでおり、第二世代は就活真っ最中ということになります。きづかぬうちに、留学生活だけではなく、大学生活にも終わりが近づいていました。今思えば、もっといろんな人と会話しておけばよかったなと思います。多分就活中はお互い均等なスタンスで会話することはできないでしょうから。悲観的ではなく、実際にそうなるだろうと思っています。僕の人生はいつも後になってああしておけばよかったなあと思うことの連続みたいです。きっとこの今も、後に振り返ったらおかしなことしてるのでしょう。
留学中には思ったような量の勉強はもちろんこなせていません。まだ三ヶ月ありますが、そう簡単にこのペースが変わるものではないでしょう。とはいいつつも、たくさんの本と映画を読んだし、こちらにいる間にわりと、音楽にも詳しくなりました。洋楽、邦楽はもちろん。ショパン限定ですが、クラシックも少し強くなりました。好きな曲名を三つくらいいうことができて、頭の中でメロディーをしばらく流すことができるくらいです。村上春樹の英語訳を三冊読みました。海辺のカフカと多崎つくるくんを日本語で読みました。グレートギャツビーも読みました。村上龍を二冊読みました。映画もやはり週に3本くらいのペースでは見ていました。人生のバイブルにしたくなるような映画にもついに出会いました。たまに絵を描きます。本も映画もなんだか違うなと思う時に、絵を描くことがものすごくはまります。模写も好きですが、最近自分の観念的なものを絵にするのがとても楽しいです。そういう場合に自分の絵は下手だなあと思いますが、もともと自己陶酔しがちなので、オリジナルなものというだけで、ずいぶん満足します。

留学から帰ったら、どれだけのことができなくなるのだろう?と思った。
きっと将来への不安というのは大概にして、そういう不安からくるものなのだろう。今あるものを失うことへの不安だ。
留学に来てから変わった価値観の一つに、どうしてそんなに急いで仕事に就かなくてはいけないのだろう?と日本の就活スタイルに大きな疑問を持った。はっきり言って、みんな働きたくてしょうがないようにしか見えない。僕は目の前に2時間2千円の仕事と、一枚の映画チケットがあったら、間違いなく映画チケットをとる人間だ。僕はマクドナルドでバイトしていたとき、「自分なら間違いなく1時間900円以上の価値有る時間を送れる」と思って一ヶ月でやめた人間だ。
たしかにいろんな事情があるのはわかる。これ以上僕がこの自分の論を強めて突き進んでいったら、僕は多くのとても大切なものを失うような気がする。
だけれど、23歳で強制的に職場に駆り出されるような印象を受ける日本の就職スタイルはやはり僕には受け入れられない。新卒だろうが、なんだろうが、平等に人物評価できるシステムが作り上げられないものか。僕だって、年齢的な面で見れば、あと二ヶ月で社会人として働いている年齢だ。申し訳ないがそんなの信じられない。
大学生活中にずっと思っていたことだが、バイト忙しい報告みたいなものも僕はまったく理解できなかった。あるいは社畜報告とでもいうべきか。夏休みに何連勤しただとか、今月何時間働いただとか。たしかにそれで得るお金は大学生にしては比較的大きなお金なのかもしれないが、大学生活中に一ヶ月に140時間働いて、14万円貰うことが僕には非常にバカバカしく思う。(もちろんいろんな事情はさしおいてだけど)僕は、親からの仕送りの5万円だけで食費と電気水道ネットをまかなえることができるが、それではあまりに寂しい生活なので、さすがにあと3万円くらいは稼ごうと思ってバイトをしていた。一ヶ月に3万円余計に使えるお金があるというだけで、とてつもなく生活は潤う。それに僕は一週間に5時間ほどしかバイトをしなかった。残った時間は本と映画と勉強その他に費やした。だから毎日映画を見ることができたし、一ヶ月かけて恐ろしい数の本を読むことができた。その一方で、一ヶ月140時間バイトに費やす大学生もいる。急を要するなら話は別だが、夏休みに暇だからという理由でバイトをぶっこんでるように見える学生も多くいる。その人なりに言い分はあるのかもしれない。100時間を超えた瞬間から見えるものがあるのだ。、と死んだような目で言われたところで、僕自身も大学一年の夏期講習で100コマ担当したことがある分、「いや別に特に何も変わらないよ」と言い返すことができる。何を間違ったか、大学一年の夏期講習で100コマ以上授業を担当した僕、夏期講習期間の給料でいったら25万くらい。今思えば、その夏休み期間中にバイト以外に何もしなかった後悔しかない。記憶もほとんどない。楽しかったことは確かだけれど。それにその25万もそれから2年経ってしまえば、今あるどれが、25万の成れの果てなのかまったくわからない。あの時以来からかな、バイトの時間をグッとセーブしたのは。大学にいる女の子がバイト代で稼いで買ったルイヴィトンバッグ。大学で散々見受けられるものだが、大学生が背負っても全然似合わないよ。
お金を使う楽しさを知るのはきっと社会人として慣れた頃くらいの時期なんだろう。そうすれば、僕も少ない余暇で楽しむ方法を知ることができるはずだ。そして、大学生活中にできないたくさんの楽しいことを知っていくはずだ。長時間の仕事に縛られながらも、社会人にも楽しい面はたくさんあるのだろう。それはわかる。
だけれど、何も半ば強制的に、仕事に就かなければいけないなんてのはおかしな話だ。僕には直感的にわかる。自分はまだいろんなことを知るべきだと。きっとその一つがこの留学だったにちがいない。この留学に行く時点で少なくとも1年間卒業が遅れているのだから。まだ英語の力を集中的につける時間が欲しいし、たくさんの映画と本に触れたい。いろんな景色がみたいのだ。
きっと10年後の僕は、今の僕に向かって、「そこまで恐れることはないよ、社会人になってからも十分な時間がある」といってくれるだろうが、嘘だよ、全然時間ないじゃないか。少なくとも毎日2時間を映画に費やすことなんて不可能だろう?
「そうだね、だからこそ、人間は好きなことを仕事にするべきなんだ。少なくとも1日8時間は僕たちはこれから仕事に縛られる。もしかしたらそれ以上になるかもしれない。その8時間がおそろしくつまらないものだったらどうする?私立文系大学を受験する人間が、物理のテスト勉強をするときみたいに。はっきり言ってね、そんなの狂ってしまうよ。逆に、好きなことが仕事なら、意外と社会人だって悪くないもんだぜ?お金だって好きなように使える。まあ、もちろん家庭を持ったらまた話は変わるけれどね。それと、君は映画と本に費やす時間が減るのが怖いんだろう?」
「うん、とても怖い。今持っているこのペースを失うことがとても怖いんだ」
「たしかに、映画や本に触れる時間はグッと減るだろうね」
「やっぱり」
「でも。社会人の余暇というものは、大学生の余暇よりもグッと価値をもつ。まるでその時間が光り輝くように。君は映画や本にどっぷり浸かれる休日というものを、今とは比べ物にならないほどに価値をもったものに感じるはずだ。きっとそのときに触れる映画や本の楽しさもまた、今とはまた違った感じに思えるんじゃないかな」



社会人になるのも悪くはない。ただ、もうちょっとだけ待ってくれても欲しいなあ、って思う。大学生活中にしかできないようなことにまだ少しばかり未練があるんだ。今もまだ僕の時計は止まったままだ。

今回の記事は、結局のところ僕たちは、人生を楽しむために勉強してるんじゃないかっていう話。

たったさっき、ホストファミリーの人と、「the princess bride」っていう87年のコメディ映画をなぜか一緒に見てて、その映画に大柄の男が出てたんです。大柄の男が3人を実際にかついで綱登りするっていうシーンでね、お母さんが、「トシキ、アンドレザジャイアントって知ってる? この彼は実際のプロレスラーだったのよ」みたいな話をしてくれたんです。
それで僕、あ、アンドレザジャイアントって知ってる!って思って、僕プロレスとかになんの興味もないのに、なんでそんなましてや外国のレスラーの名前なんか覚えてるんだろうと思って考えてみたんです。

「あ、浦安鉄筋家族に出てたからだ」

浦安鉄筋家族っていう漫画が中学生の頃よく読んでて、その漫画に出てくる大柄の女の子のあだ名としてアンドレザジャイアントが使われてたんですね。
あー、それでか~なんて思って。浦安鉄筋家族読んでてよかったなあなんてあの漫画に初めて感謝しました。だってあの漫画読んでなければ、「アンドレザジャイアント知ってる!」って答えられなかったんですからね。

とまあ、何が言いたいのかといえば、やっぱり物事ってたくさん知っておいた方が得するなあっていう話です。
だって、「何々知ってる?」って聞いて、「ごめん知らない」ってなったら結構うんざりしちゃいませんか。そりゃもちろん知らないことの方が多いわけですから、「ごめん知らない」っていうこともあるでしょうけど、なんでもかんでも「ごめん知らない」って答えてしまうようじゃ、なんだか寂しい気がします。
だってそこから広がるはずの会話の可能性がいきなりゼロな訳ですから。もし、その物事に少しでも知識があって、「それってあのことでしょ?」って言えたら、相手も、それに少しの補足情報を付け足すだけで済むし、会話もスムーズだし、なにぶん、「あるあるネタ」かなんか返すことできたら、相手を十分に満足させることができます。

例えば、昨日で言ったら、「調子悪い」っていう話の流れで、「パワプロでいったら紫色だわ」っていう返しが友達の中で通じるかどうかじゃないですかね。多分、通じないのが普通なんでしょうけど、やっぱり通じたら、それはそれで嬉しいし、その人ともっと話してみようって気になるしね。

これって結構バラエティー番組でよく見られる、芸人たちのやりとりですよね。特に松本人志とかがこういう例えツッコミよくするじゃないですか。

着うたランキングなど、いろんなランキングで1位になっていると紹介された西野カナについて

「まー、『DHC』みたいなもんですよ」

って松本人志が返したときに、DHCがなんなのか知らなかったら何にも面白くない。
有吉とかおぎやはぎとかフジモンとかもそういうタイプのネタをひな壇からどんどんぶっこみますけど、それでもそれをわかってあげられて拾ってあげる人がいないとやっぱり面白くない。だから、ロンドンブーツの田村淳とか本当に凄いと思いますけどね。

少し、バラエティー番組の話にずれてしまいましたが、やっぱり会話という観点から見ても、物事は知れば知るほど会話が豊かになるんだなと思いました。
別にアンドレザジャイアントなんか知らなくても生きることになんの支障もないですけど、少なくとも、「ああ、トシキは、アンドレザジャイアントを知ってるんだ」って認識になるわけですからね。それって結構デカイんじゃないかなと思います。

例えば、昨日長谷部がPK蹴ってましたけど、そのときに「長谷部心整えてるな~」みたいな一言が、彼の著書に『心を整える』というのがあることを知らないと何にも伝わらないわけです。
まあ果たして、そんな会話をする必要があるのかって言われたら、盛り上がり方は人それぞれなのかもしれないですけど、でも、物事を知らないと笑えない、突っ込めない、というシチュエーションがあるという時点でしんどくないですか。
だから手広く、色んな物事を吸収していくのは大事だなって個人的にすごく思います。物知りな人と会話してると本当楽しいですよ。途中で一時停止するストレスないですし、自分がしたい話は全部聞いてくれるし。だからといって、頭の中ふんわりしてる人と話すのも、楽しくないわけじゃないんですけどね個人的には。笑 僕自身が教えるの好きな人間ですしね。
こう、本とか読んでいて、知らぬ間に、知識がたまっていってるんだな~って実感しながら生きてます。それが大人になることの楽しさなんですかね。
昔、色んな先生に「◯◯くらい読んどきなさいよ」とか言われますけど、(文学部教授は特に言うか)、ようやくその意味することがわかってきた次第です。そして先生たちがそういうセリフを言いたくなっちゃう気持ちもわかります。
とりあえず、どの知識がいつどんな風につながるかなんて全く未知数ですから、手広く、開放的に知識を得ていくのがいいかな、なんて。誰も中学生に読んでいた漫画に出てくるあだ名が、留学先での会話につながるなんて思いもしないですからね。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとは良く言うけれど、例えば僕がキリンだったならば、どうしてそんな馬鹿げたことわざを作るんだ、と動物界の国会審議で『人間撲滅案』に一票を投じるであろうし、怒った勢いそのままで首を猛然と振りながらアフリカの砂漠を走り回ることだろう。


新学期が始まった。
僕は日本の大学とアメリカの大学を比較して、さすがアメリカだな、なんていう気は毛頭ないし、その権利も僕には無いと思っている。確かにアメリカの大学の授業は日本の大学よりなんだか難しそうな気がするし、学生も、明らかに大変そうにしている。そういう面で見れば、日本の大学はなんだかヌルいなあ、だなんて思ってしまいがちだが、そんなセリフはそういうことが言える権利がちゃんとある人に限られるべきだ。
はっきり言って、僕なんて日本の大学では褒められた学生ではなかった。平気で休講するし、むしろその行動に美学を感じる日さえあった。ズル休みに美学を覚えるのは僕の小学校時代からの悪癖であることには間違い無いので、つまりはどうしようもない学生であるのだが、そんな僕のように、ろくに日本の大学の授業を真面目に活用できていない人間が、日本の大学と比較してアメリカの大学を賛美することなど土台無理な話である。そんな権利など1ミリもない。0.01ミリもない。サガミオリジナルに申し訳なくなるほどにない。
もちろん可能性なんてものは、自分で種を実にしていくようなもので、環境はオプションにすぎない。当たり前のことだが、日本の大学だって十分に勉強できるはずだ。日本の大学だと集中できなくて、アメリカの大学だとたくさん勉強できるだなんてそんな馬鹿な話はないだろう。
しかしながら。
僕が現在、日本の大学にいた頃と比べてももちろん、前のセメスター比べても、明らかに身の構え方が違うことは避けようもない事実である。
前のセメスターでは、僕はESLの授業しかとっていなかったが、今学期、僕はレギュラーの大学の授業を二つほどとった。
とりわけ、ESLの授業とレギュラーの授業で明らかに違いがあるのは、クラスの構成であろう。ESLはその名の通り、英語が第二言語の人間しかとらない授業であるが、レギュラーの授業は、そのクラスのほとんどがネイティヴスピーカーで占められる。そしてもちろん授業は彼らの英語力に応じて進められる。第一、英語喋れるし、聞けるよね、という前提である。
その前提時点で、つまづいて崖から転げ落ちてしまっている僕は、このレギュラーの授業をとることに幾分の抵抗はあったものの、このアメリカでしか、とれない授業を見つけ、どうしてもその授業を受講してみたいという思いに駆られたのだった。

というわけで、僕の現在の専攻は「TESOL」ということになった。
TESOLとはTeaching English to Speakers of Other Languagesで、英語を母国語としない人たち向けの英語教授法のことである。僕が積極的に調べてなかったのもあるが、この大学で、TESOLを受講することなんて考えてもいなかった。もちろんその存在は知っていたけれど、僕は勝手にTESOLは大学院で学ぶことだとばかり思っていたので、まったく注意を払っていなかったのだった。
あんまり専門的な話になるのは避けたいけれど、英語教師のハードルは恐ろしい速度でぐんぐん上昇中なわけで、求められる英語力の高さはもちろん、やがては英語で英語の授業をすることが求められている。第三者なら、うんうん、もちろんそうなるべきだ、と激しく首を縦に振る話ではあるものの、当事者になろうとしている僕にとっては、やはりいささか気苦労な話である。しょうがないことと受け入れるしかないけれど。
つまるところ、このTESOLの授業は、本場の英語教授法にあたる。僕が前学期教わってきたESLの先生たちがしてきたことを学ぶ。

ていうか、僕今学期も引き続きESLの授業とってるんですけど!?

ESLで教わる側として所属しつつ、ESLで教える側の立場の授業を同時にとるとはなんとも奇妙な話である。

というわけで、つい先日、さっそく第一回目の授業があった。
僕は最初本当に行くのがいやでいやでしょうがなかった。二つの授業の両方ともディスカッション形式だということを前もって知っていたからだ。その授業が行われるであろう、教室の前でベンチに座って、始業を待った。他にも待っている人がいたが、どうみたって全員がネイティヴスピーカーだった。そして教室のドアが開けられ、クラスメートが教室に入った。僕は、教室の端っこに座った。僕の意思とは関係なく、まるで排水口に吸い込まれるようにしてその場所に座った。僕は激しく萎縮していた。僕は再び周りを見渡した。やっぱり、僕のような人間は、僕以外に誰一人いなかった。僕がわざわざ赤白のボーダーを着なくとも、こんな簡単な『ウォーリーを探せ』はこの世にないだろうと思った。
結局その日は簡単な説明と自己紹介で授業は終わったが、ディスカッションが始まったらどうなってしまうのだろうと僕はうんざりした。いったいこれからどうなってしまうのだろうと今でもそのことを思えば眉が下がる。
ただ、確かに、ついていってやるという熱意が心にたぎっているのを感じる。どう考えたって、根本に戻ればそれは英語力に自信がないということに他ならないのだけれど、だからこそ、この気持ちは日本の大学では起こり得なかったことではある。

また、僕のとっているTESOLの授業について記事を書くと思うけれど、これからどうなっていくのかはまったくわからない。一つわかっているのは、僕がESLの授業のアシスタントをすること。ESLの生徒として所属しながら、ESLのアシスタントを任される。ひどい話だ、とは思うけれど、この経験を日本に持ち帰ってどう活かせるかを唯一の希望として、今学期頑張っていきたいとは思う。

まったくもって、しんどい学期になりそうな予感がする。一体、このしんどさが、僕の喉元を過ぎるのはいつになることなのだろうか。
アメリカに留学していて、宗教関連の質問をされることはよくある。
「あなたの宗教は?」だとか、単刀直入に、「クリスチャンですか?」だとか。「クリスチャンですか?」と聞かれた場合は、もちろんそれが、教会という場所であろうが、サンクスギビングデーにめちゃめちゃにタダ飯を平らげた後だとしても、正直に「いいえ、違います」と答えざるを得ないのだが、「あなたの宗教は?」と聞かれた場合は少し困る。

というのも、僕たち日本人に宗教はあるのだろうか?もちろん、ここでは僕は一般的な日本人を意味しているのであって、日本の中には、宗教を心から信じている人はたくさんいるのだけれど、それでも、「あなたの宗教は?」と聞かれたときに、「ありません」と答える日本人の声をよく耳にする。現に僕もそう答えた。
だけれど、僕たちに本当に宗教はないのか?

今日はまさしく、一月一日。「ハッピーニューイヤー、あけましておめでとう、今年もよろしくお願いします」とでも言ってこの記事を始めたいところだったが、アメリカで新年を迎えた瞬間、何か妙な違和感に襲われいたたまれなくなった。何か足りない、と。それはもちろん、僕たちが特にケント市から出るわけでもなく、一つ屋根の下で、ポテトチップスとクッキーとマウンテンデューという三本柱(ノンアルコール!!)のみで宴会をしていたというのもある。間違いなく、今日の僕たちのパーティにはいくつもの不備があった。少なくとも改善の点はあった。たくさんの来てほしい人たちがうまい具合に予定が合わなかったし、外は極寒だったし、おまけに僕たちの屁はとても臭った。日頃の食生活がついに祟ったのだ。とてもじゃないがタイムズスクエアを踏襲するような素晴らしいパーティを僕たちが作れるはずがなかった。
それでも僕たちは楽しんだ。十分に今日のパーティは楽しいものとなったはずだ。だけれど、僕はいまだに、ある一つの違和感に苛まれている。何か足りない。何かをし忘れている。何かが僕を内側から強く突き動かそうとしている。僕は間違いなくどこかに行かなければいけない気がしていた。僕には行かなければいけない場所がある気がしていた。毎年必ずしていたこと。

「初詣」だった。
僕はその違和感の正体が初詣だということに気づいた。僕は初詣をしていない。この場所ではできない。いったいアメリカのどこにいけば、二拝二拍一拝をし、5円玉を投げ入れ、鐘を鳴らし、お願い事を祈ることのできる場所があるのだろう?そんなのどこにもない。あったとしても、5セントを投げればいいのか?それならあの、「ご縁(5円)がありますように」はどこにいってしまうのだ。

実のところ、「初詣」というのは、れっきとした、宗教活動のひとつである。多くの日本人が、紅白歌合戦を楽しみ、それが終われば、しっかりと服を着込んで、神社に行き、お参りをする。おみくじを引く。一喜一憂をする。「待ち人来る」。少し嬉しくなる。甘酒を飲んだりする。おみくじを結ぶ。絵馬を書く。そういったことを一通りおこなった後は、なんだかとてもすっきりとしたいい気分になり、初夢に期待して、眠りにつく。



僕たちに本当に宗教はないのか?

僕たちは単に、宗教に無自覚なだけなのかもしれない。主に、仏教や神道と呼ばれるものが、日本の宗教にあたるのだが、たしかに他の宗教と比べてパンチが弱いという要素もあるかもしれない。どこかの宗教のように、決まった時間に決まった方角に向けて頭を地面につけてお祈りをする、だとか、食べてはいけない食べ物という決まりもない。一家に必ず、神の像が飾られているわけでもなければ、食事の際に手をつないでお祈りすることもない。
僕たちは他の国々の生活と比べ、ひどく普通の生活を送れているような気がする。だけれど、それは単に宗教の存在に気づいていないだけなのかもしれない。だから、僕たちは平気で自分たちには宗教は無いのだというのかもしれない。

もちろん、無宗教なのだと、言い切るぶんには十分、何の問題もないと思う。だけれど、宗教というものが、とても自然に生活の一部に入りこんでいることに目を向けてみてもいい機会なんじゃないかと僕は思うわけだ。

たとえば、これは少し話が変わるが、僕は一時期、いろんな宗教を持っている人たちに、「こいつらは本当に信じてるのか?」と少しいじわるな気持ちをもったことがある。もっと言ってしまえば、「豚が食べれない」というが、いやいや、そんなこと言ってますけどあなた、実際に食ってみたら美味しいって思うんちゃいますの、だなんて思ってみたりしたことがあるわけだ。いわゆる、誠に失礼な話ではあるのだけれど、そんなガチじゃないでしょ、ぐらいに思っていた。無知は愚かである。
だけれど、これは僕が身を持って体験した話なのだけれど、ESLの最終授業日に、最後だからってんで、ケーキが一人ひとり用意されたのだ。先生が用意してくれたのだっけな。それでジュースとかも飲みながら、半期お疲れ様、とか言いながらわいわいするわけなのだけれど、そのときの先生(アメリカ人)が、なんだかちょっとジュース注ぎたいだとかで、「ちょっと待ってて」とか言いながら、ケーキの表面にフォークを垂直にぶっ刺したのだ。
そのときの僕はこのような画を彷彿とさせられ、なんと非常に不快な気分になったのだ。

先生は本当に勢い良く、フォークをケーキの表面めがけてぶっ刺したのだ。その光景は僕になんともいえない、いやな気分をもたらした。なんだか体の内側からじわりと滲み出るような不快感だった。僕はお母さんに子供のころになんどもしつこく、箸でものを刺すな、と行儀が悪いと言われていたからだろう。葬式ですることなのよ!と。たしかにはっきり言って日本人でするものはほとんど誰もいない。だけれど、外国人はそんなこと知りもしないから、刺したければ平気で刺す。

このときに、僕は宗教ってこんな感じに人間に染み込んでるものなのではないかと思ったわけだ。幼い頃から刷り込まれたこと、っていうのは知らずのうちに絶対的なものになっていて、客観的な評価を飛び越えてしまう。「豚を食べてはいけない」と教わってきたものなら、たしかに豚肉料理に、僕がケーキに刺さったフォークを見たときと同様のなんともいえない不快感を味わうのだろう。
アメリカ人は平気で土足でソファーや机に足を乗っけたりする。僕はそれを見てやっぱり不快に思う。それは行儀が悪いと教わってきたことだからだ。もう僕の一部となっていることだからだ。

少し宗教的な話からはずれたけれども、なんだか、宗教のもつパワーってそういうものなんじゃないかなと思ったわけだ。まるで僕が初詣をしていないことに強烈な違和感を感じたように。

アメリカに住む以上、多種多様な人物、宗教に触れることはさけられない事実である。そしてそれを受け入れていく、というのもまたアメリカで学ぶべき大事なことでもある。そして、そんな風に、自国の文化と他国の文化を対照させながら、やはり僕は、初詣がしたいし、深夜三時くらいに帰ってきて、家族で年越しそばでも食べてみたいし、ゆっくり眠って起きた後は、おせち料理とお餅を食べて、楽しく正月番組を見たいなあと思った。そしてなんと日本の初詣という伝統行事は美しいのだろうと思った。
間違いなく、タイムズスクエアで花火が上がるような年越しは僕にはまるで興味が持てなかったのだ。

また一歩、自分の国が好きになり、自分が日本人であるのだ、と強く認識した新年一日目の明け方午前五時のことであった。

それでは。新年明けましておめでとうございます。今年もこのブログをよろしく御願いいたします。にこ。



お久しぶりです。このテーマいつぶりですかね。前回記事、四月とかだったりするんでしょうか。前回記事の締めに、また機会があれば書きます、みたいなこといった割にはかなり間空けてしまいましたが。

別に、書くつもりでパソコン開いたわけではなかったんです。だけど、ふらっとユーチューブで、僕が通ってた予備校、代々木ゼミナールの動画を見てね、なんだか色々思い出してしまって、久しぶりに書こうかなと思いました。

僕が浪人していたのは2011年度ですから、3年前のことになるわけですけど、この時期ってやっぱりそれなりにしんどかったのを覚えています。
僕は北海道に住んでいたのでね、朝起きると、基本的に無音なんです。もちろん、人や車もほとんど通らないってのもあるんですけど、雪がずっしりと地面を覆うことって、結構音を消すんですね。東京に住んでる人にはわかりかねる感覚だと思うんですけど。本当に、朝って無音なんです。
だいたい頑張って6時くらいには起きるわけです。それでお母さんが目覚めて朝ごはん作るまでの時間を目処に1時間半くらいまず勉強するわけです。足元が寒いので、電気ヒーターみたいなのを置いてね。眠気関係なく強制的に6時に目覚まし時計セットしてるわけですから、たまには死ぬほど眠くなって、机の上で突っ伏したりなんかしてね。壁には、早稲田大学合格、みたいな札張ってるわけですよ。懐かしい。
それで、朝ごはん食べて、シャワー浴びて、服着替えて、外に出るわけです。
この時期の北海道って、雪も降れば、風も強いってんで、顔面に強烈なものを浴びながら、バス停まで雪を靴ですくいながら歩くわけです。かなりしんどいですよ。
それで、なんとか札幌駅に向かって、予備校につきます。登録してる授業があれば、受けるし、なければ自習室にこもるわけですね。ちなみに僕は冬休みの間は、毎日予備校にいけるように、1日1コマ何か授業を入れてました。だから毎日あの鬼のようなコンディションの中予備校に通ってたわけです。

これ書きながら思うことですけど、やっぱり受験生って本当に強いですよね。別に、僕は周りと比べて誇れるほど頑張った方の人間ではなかったですけど、こんなに人間って頑張れるんだな、なんて思います。今、留学してるとはいえ、生活的には本当にヌルいんで、受験生時代を思い返すだけで、ものすごく身が引き締まりますよね。
でも、ほとんどの受験生が頑張ってる一方で、ダラダラと勉強してどんどん破滅の方向に向かってる受験生もいるわけですからね。いつか、受験戦争が必要か否か、について記事書いてみたいんですが、どちらにせよ、頑張った時期、っていうものの存在感ってその後の人生にすごい影響与えるんじゃないかなと思います。結局浪人しても、志望校には落ちましたし、100パーセントの力を出し切ったわけではありません。受験生活にも悔いはあります。でも僕、あのとき頑張った、って自分で胸張って言えますもん。浪人生の分際でふざけたこというなっていう人もいますけど、あれだけ一点に集中して人生送ってた時期なんて、確実にあの一年だけ、って僕声を大にして言えますよ。本当に勉強だけなんですよ、浪人生活って。現役生やっぱ羨ましかったですもん。予備校の中になんのドラマがあるんですか。自習室と食堂と教室とトイレの記憶しかないですよ。予備校でできた友達なんて一人もいませんでした。だいたい3ヶ月たったあたりからめんどくさくなってコンタクトじゃなくてメガネでずっと生活してましたしね。

でもね、僕、意外とあの一年間好きなんですよね
数字って残酷な面ももちろんありますけど、だけど、数字を追いかけることって結構楽しかったですよ。ようはだから、本当に大学に片思いしてたわけじゃないですか。恋愛においても僕ね、基本的に片思い大好きなんですよ。追うのが好きなのかもしれません。確かに、色々辛かったですし、もう一度やれって言われたら、いやいや今の大学でいいわ、っていうでしょうけど、それでもあの特殊な空間、時期っていうのはなかなか楽しかったです。現役生じゃ味わえそうで味わえない感覚なんですよね、浪人生活っていうのは。同じもの味わってるようで、全然中身違うもの食ってるみたいなね。

だいたいこの時期だと、なんの勉強するんでしょうかね。きっとセンター対策でしょうね。英語は好きでしたよ。英語ほど安定してくれてた教科はなかったですからね。どんなにふざけて解いても160切ることない教科ですから英語は。だけど、他教科にはとことん苦しんだかな。早稲田目指してたとはいえ、北海道大学も同時に目指してたので、ちゃんとセンターで8割とりたかったのでね。生物とか大嫌いでしたけど、とにかく過去問ばっかり解いてました。黒本ね。受験したことある人なら、あの質感きっと、みんな忘れないでしょうね。あのペラペラサラサラの紙。ツルツルと黒光りしたあの表紙。そしてどっしりとした重量感。

話は戻りますけど、昼ごはんとトイレ以外は自習室にいるわけです。それで、夜ごはんなんですけど、食堂開いてないんで、近くのコンビニで肉まんとかブリトーとかおにぎり買って食べるんですね。あのころ、全コンビニの肉まん食べ比べててね、結局ファミマが一番嫌いで、セブンイレブンが一番のお気に入りだったわけですけど、まあそれで、ちょっと小腹もたせて、自習室が閉まる時間まで勉強していきます。それで、予備校を出て、また恐ろしい雪の世界へ出て行くと。でもだいたいこのくらいまで勉強頑張れた日って、充実感でいっぱいで、帰路はかなりテンション高いんですけどね。それで、9時半とかですかね、家について、お母さんのご飯食べるわけです。
すごい嬉しかったことは、お母さん、僕が帰る時間に必ずご飯合わせてくれてたんです。メールでやりとりしてね。もちろんときには早めに帰る日もありましたけど、「今日は最後までいるわ」ってなった日は、お母さん9時くらいまで食べないで待ってくれてました。母子家庭ってのもあるのかわからないですけど、考えてくれてたんですね。こういうことって本当に当時は気付けないんですよ。大人にならないと親の偉大さって本当に理解できないもんなんですね、不思議なことに。

僕の家庭は食事中テレビ流して食べる家庭でしたから、そのときの一時間くらいの間が唯一娯楽、というか。連続ドラマとかね、録画してたのその時間に流して、見るのがすごい好きでしたね。当時は、香里奈と大島優子と吉高由里子のドラマでしたっけ?あの時期じゃなかったかなあ。すごい好きでした。
それで、残念ながら、それが見終わったらまた、勉強再開なわけです。1時くらいまでですかね。それで、また翌朝起きる、と。

本当に、今の自分が何も頑張ってないんじゃないかってくらい、当時不思議なくらい勉強できてたんですね。片思いパワーはすごいなあ、というか。

調子に波あれど、さすがにセンター二週間前ならがっつりやれますよね。どきどきしてましたね、かなり。良いイメージしか描いてなかったですけど。理論値計算大好きでした。100パーセントの力を発揮すれば、9割のりそうだな、みたいな。そんな宝くじ当たった時の妄想と似てますね。

まあ、前回記事と違って、ただ自分がどういう浪人生活を送ってたかを綴った記事になってしまいましたけど、僕が浪人したのも大きくありますけど、僕は浪人肯定派の人間ですから、こうやって、3年前の自分と向き合って、今のなまけた自分の尻を叩くことができるわけです。

こちらの大学も冬休みが開けるのは、ちょうどセンター試験の日にちくらいの頃です。さあ、3年前の僕が頑張っていたのだから、その3年後の僕も頑張らなくてはならないな、という記事でした。


ときに激しい思い込みが人を動かすことがある。たとえば、自分がやらなくては誰がやるのだ、といった激しい思い込みだ。それは言い換えれば、勘違いと言っても過言ではなかろう。それでも、その強い気持ちが人を動かすほどのパワーを実際に持つのであれば、それは、きっと素晴らしいことなのではないだろうか。

僕にとって、その象徴はハリウッドサインであった。



ハリウッドサインは僕の心をこれほどないまでに惹きつけた。まるで夜の雪の世界に光る家の明かりのように。僕はそこに行かなければいけない気がした。僕が行かなければ誰が行くのかとまで思った。
行き方も知らなければ、正確にどこにあるのかさえ知らなかった。だけれど、ロサンゼルスという街の近くにあるくらいのことは知っていた。だから僕は、この冬休みに、ロサンゼルスに旅行することを決めた。たった一つ、ハリウッドサインを見たいという思いだけをもって。

最終日だった。僕はロサンゼルスに6泊したが、その6泊目にハリウッドサインを見に行くことを決めた。ハリウッドサインが僕をはるばるロサンゼルスに運んだのだ、大トリを務めてもらわなくてはならない。
僕は朝7時に起きて、朝ごはんを食べ、「I ♥ LA」というふざけた観光客向けのTシャツに着替えた。首にタオルを巻いた。ガイドブックによると、結構な長い登山になるそうだからだ。
サンタモニカからは、一時間ほどバスに乗って、ダウンタウンの、ウィルシャーバーモントという駅にまず行かなくてはならない。この駅に、地下鉄があったからだ。もうすでに何度この駅を利用していたことだろうか。この駅は僕のロサンゼルスでの旅でのターミナル駅となっていたのだ。
地下鉄が来たので、乗った。もちろん乗って一駅目で、この車両は逆方向のものだということに気づいた。さすがに、何度も利用しているだけに、気づくのもはやい。慣れたものである。というわけで、またウィルシャーバーモント駅に戻り、今度はしっかりと車両を確認して乗った。すると、車内に二人の日本人の女性がいた。「ロサンゼルス」と書かれた観光雑誌を大きく広げ、日本語を話し、それでいて中国人だというオチになるわけがなかった。そこで僕は、「ねえ、君たち、日本人?」と話しかけた。すると彼女たちは飛び上がるように目を輝かせて、「え~!!そうです!え?こっちに住んでる方なんですか?」と僕に答えた。「そうなんだよ。もう住んで7年目かな」と僕は、カバンからベンティースターバックスラテをさっと取り出しながら答えた。「じゃあ英語ペラペラなんですね!」「アメリカ人の彼女とかいるんですか?」と矢継ぎ早に質問が飛んでくるので、僕は人差し指を立てた右手を彼女たちの前にそっと掲げ、一分間ほど、スターバックスラテの味を楽しんだ。コーヒーはとても芳醇な香りがしていた。不思議と地下鉄の揺れがまったく感じなくなり、車内に僕のコーヒーの匂いが漂い、何人かが目を閉じてゆっくりと上を向いた。その間彼女たちはずっと僕のことを見つめて待っていた。僕は、それまで閉じていた目をようやく開いて、「すまない。この駅なんだ」という言葉だけを残して下車をして、窓に張り付くようにして僕の姿を見つめる彼女たちを背中に颯爽と駅のエスカレーターを上がっていった。と、ここまでの話はその時僕が頭の中で想像していた話であって、実際のところはこういう話だった。実際には僕は、話かけるチャンスさえ無く、ただただ彼女たちから聞こえて来る日本語を頭の中で反芻するにすぎなかった。その代わりに僕は、その時ちょうど乗車してきたよくわからない背の高い外人に激しいタックルをくらい、わりと強めにドアにぶつかってしまった。その男はドアに張り付いた手垢を見るような目で、僕を一瞥し、のしのしと去っていった。僕はこれまで積み重なってきた孤独感と移動のストレスで心から泣きたい気分だったが、なんとか踏みとどまることができた。もし彼女たちが僕と同じ駅で降りるのなら話しかけでもしようかと考えたけれど、彼女たちは明らかにハリウッドサインを見るための駅よりも、ユニバーサルスタジオに行くための駅で降りるように見えた。「スポンジボブとはやく写真とりたーい」という声が聞こえていたからだ。僕は海綿質繊維にすら負けるのかと悲しくなった。もちろん僕の降りる駅についても彼女たちが腰をあげる気配はなかった。

そんな軽いドラマがありながらも、とりあえず第一関門の「グリフィスパーク」に到着する。
この場所がいわゆる、グリフィス天文台への玄関となっている。グリフィス天文台からも十分にハリウッドサインが拝めるということだから、僕はこの玄関から足を踏み入れることにしたのだ。
グリフィスパークに特にそれといった特徴はなかった。休日だったということもあって、たくさんの人が犬を連れて散歩していた。ところが、30分ほど歩くと今まで道を挟んでいた木々が少なくなり、斜面も急になり、登山のような道なりになってきた。その頃に僕はすでに息切れていた。「タバコだけは吸わなかったのになあ・・・」という三井の声が聞こえて来るようだった。それでも、登山の道のりはひどく単純で、ただ一本の道を歩んでいけばよかった。グリフィス天文台に到着した頃には、多くの観光客が群がっていて、何かと思えば、みんなハリウッドサインに向けカメラを持っていたのだ。
ついにか。と思う、僕の気持ちを裏切るほどに、なんとも意外なことに、グリフィス天文台から見えるハリウッドサインは恐ろしくちっぽけなものだった。今までなんども期待を裏切られてきた人生だったが、これほど、愕然としたことはなかった。たしかに、ハリウッドサインが初めて見えた瞬間であったから、それなりの感動はあった。だけれど、あまりにそこから見えるハリウッドサインはお粗末だったのだ。はっきり言って、得体の知れない魚の骨くらいだとしか思えなかった。僕はこんなわけがない、僕が求めているのはこんなものではない、となんども強く思った。僕は自分の目を、その強い意志とともに遠くにある魚の骨に向けた。必ずあそこにいってやる、と。

僕が満足のいく景色にたどり着いたのは、それから3時間経ってからのことだった。
このような道が延々と続いた。10分間に2、3人くらいとしかすれ違わなくなった。もう観光の範囲を超えた場所を僕は歩んでいるのではないか、と不安になった。目分量で、あの道をいけば着けそうだなといった漠然とした道筋でとにかく足を動かした。全ては、ハリウッドサインが僕を強烈に惹きつけた結果だった。
僕がたどり着いた場所は、期待通りの大きさのハリウッドサインが見える場所だった。壮観だった。僕はその場所で何枚も写真を撮った。10秒のセルフタイマーをセットして、画に移るところまで走り、思い思いにポーズをとった。中には、正直に言って、額縁に入れて飾りたいくらい好きな写真も撮ることができた。僕はそこでしばらく座ってハリウッドサインを眺めていた。まあまあの標高であるはずなのに、不思議と風はまったく吹かなかった。周りに誰もいなかったから、意味のない言葉を叫んでみたりもした。僕は自分が世界の中心にいるような感覚に陥った。

僕は映画が心から好きだ。僕の好きな映画のうちの何本ものがこの土地で製作されていた。このハリウッドサインへの旅は僕の映画に対する気持ちの証明であった。僕は実際にハリウッドサインをこの目で見たんだぞ、そういう経験とともに、これから映画を見ていけることにとてもわくわくした。

9時前から動き出したハリウッドサインへの旅は、下山する頃にはすでに日が落ちるぐらいのハードワークだった。僕を突き動かしたハリウッドサイン、それが夕日に照らされる。夕日が落ちていく。僕はその時再び、明日で僕はロサンゼルスを出るということを思い出した。沈んでいく夕日とともに、僕のロサンゼルスでの思い出が思い返されていった。サンタモニカ、ベニス、ユニバーサルスタジオハリウッド。ハリウッドサインを見ることができて心からよかったと思った。僕の6日間の旅を全て包括するほど素晴らしい経験だったのだ。

僕はその日の夜、ベッドの上で、少しばかりの時間、あのハリウッドサインをまぶたの裏に思い描いた。その景色は、僕の充実した足腰の疲れとともに、ゆっくりと湖の底に引き込まれるようにして、夢の中に消えていった。

今まで全然怒ってなかった人が、急に、というか、ついに怒り出すときってありますよね。結構ビビる瞬間ですけど、そういうときって、「たまってたものが溢れたんだよ」みたいな言い方しません?「たまってたんだね~」とか、「今までちっちゃいものが積み重なってたんだね」みたいなことよく言われますよね。
ニュアンスは八割そうだと思うんですけど、こういう考え方もできるんじゃないかな、と僕は思っています。というのは、僕は、そういうのって種まきに近いんじゃないかなあと思うわけです。例えば、「うわ~あいつないわ~」ってこといよいよ起きたとするでしょ。そしたら、だいたいにおいて、そのきっかけとなった出来事だけにむかつくこと少ないですよね。思い返せばあいつこういうこと多いよなみたいな。例えば、お金盗まれたとするじゃないですか。僕なら、それ友達にされたら、結構失望してしまうんですが、そういうときって多分、「あいつ、思い返せば、遅刻とかも多かったなあ」とか全然関係ないこと掘り返しちゃうこと多くないですか。絶対その人が遅刻したときは全然許されてたはずなのに、お金盗んだ罪と重ねてみたら、思い返してめっちゃ腹たってくるんですよね。そうなると、もう取り返しつかないというか。いままで、その人に対して、気になりはしていたけど、全然許せていたことが、全て驚異の変貌を遂げて、追加の罪というか、あいつなんて嫌なやつなんだと思えてきてしまいます。

これって種まきに似てないですか?

僕たちって、日々、種まきしてるんじゃないですかね。プラスの種もマイナスの種も。それが、とあるきっかけで今まで撒いてきた種が全て発芽するんです。撒いたときは所詮種に過ぎないですから、たいした影響ないんですけど、ちょっと大きな出来事があって、水とか肥料あげてみたら、一気にいままでのが突然一斉に発芽するんです。

だからね、僕は「いままで我慢してたのがたまってたんだよ」っていうのは、少しニュアンスが違うときがあるんじゃないかとね。
その説だったら、もしギリギリまできてたら、ちょっと変顔したぐらいのことでも、爆発しちゃう説のように聞こえるじゃないですか。そうじゃないですよね、人間ある程度の範囲のことなら我慢できます。種までのことなら我慢できるんです。もちろん人によりますけどね、どこまでが種なのかは。
とても怖いのは、ちょっとライン超えちゃったときに、今までセーフだった種、忘れ去られていたチクチクしたものが、一気に生命をもって思い返されちゃうことなんじゃないかな。いままでの種が一気に発芽して、力を持つんです。そうなると、当人が思っていた以上の怒りが起きるし、後を引くし、その信頼を回復するのってかなり難しい気がします。種が発芽して、実になってしまったら、それはそれは、手強いですよ。

だから、やっぱりライン超えるようなことってなるべく避けたいですよね。言い換えたら、できるだけ、種で抑えるというか。人間ですから、人に迷惑かけることは避けられませんしね。

僕とか結構、知らない間に突然失望してたりするタイプの人間なんでね。それが自分自身で苦手なところではあるのですけど。僕の価値観を大胆に踏み越えられてしまって、「ああ、こいつないわ」ってところが一箇所でもあると、結構失望してしまってね。「もうこの人とはまともに話できないんだろうなあ」だなんて思ってしまって。最近それ、教師として致命傷なんじゃないかと思ってまして、なんとかね。もう少し優しい心を持ちたいわけですけども。

とまあ、マイナスのことばかり書いてますが、もちろん、ぼくたち、プラスの種も撒くことができるわけですよね。
例えば、そのときは気付かれない、ささいな心遣いとか。僕、そういうのすごい大事だなと思います。「あいつ、全然気づかなかったけど、いっつも真っ先に俺たちの水用意してくれるよな」みたいな。そんなささいなこと。それも種まきなんじゃないですかね。それで、そういうこと自然とできる人になりたいですね。種まきというと、なんか腹黒い感じがしますから、言葉変えたいぐらいですけど。
そんな今まで撒かれたプラスの種も、ふとした大きなきっかけのときに、「あいつやっぱすげえやつなんだな」となるわけです。このときの好感度の上がり方って尋常じゃないですよね。もちろんそういうこと話してる時って、本人がいないときなんで、本人が実際に耳に聞けることって少ないんでしょうけど、見てるひとは見てるってことでしょうね。

YUKIじゃないですけど、喜びの種をたくさん撒いていきたいなあなんて思っているクリスマスです。