今まで全然怒ってなかった人が、急に、というか、ついに怒り出すときってありますよね。結構ビビる瞬間ですけど、そういうときって、「たまってたものが溢れたんだよ」みたいな言い方しません?「たまってたんだね~」とか、「今までちっちゃいものが積み重なってたんだね」みたいなことよく言われますよね。
ニュアンスは八割そうだと思うんですけど、こういう考え方もできるんじゃないかな、と僕は思っています。というのは、僕は、そういうのって種まきに近いんじゃないかなあと思うわけです。例えば、「うわ~あいつないわ~」ってこといよいよ起きたとするでしょ。そしたら、だいたいにおいて、そのきっかけとなった出来事だけにむかつくこと少ないですよね。思い返せばあいつこういうこと多いよなみたいな。例えば、お金盗まれたとするじゃないですか。僕なら、それ友達にされたら、結構失望してしまうんですが、そういうときって多分、「あいつ、思い返せば、遅刻とかも多かったなあ」とか全然関係ないこと掘り返しちゃうこと多くないですか。絶対その人が遅刻したときは全然許されてたはずなのに、お金盗んだ罪と重ねてみたら、思い返してめっちゃ腹たってくるんですよね。そうなると、もう取り返しつかないというか。いままで、その人に対して、気になりはしていたけど、全然許せていたことが、全て驚異の変貌を遂げて、追加の罪というか、あいつなんて嫌なやつなんだと思えてきてしまいます。

これって種まきに似てないですか?

僕たちって、日々、種まきしてるんじゃないですかね。プラスの種もマイナスの種も。それが、とあるきっかけで今まで撒いてきた種が全て発芽するんです。撒いたときは所詮種に過ぎないですから、たいした影響ないんですけど、ちょっと大きな出来事があって、水とか肥料あげてみたら、一気にいままでのが突然一斉に発芽するんです。

だからね、僕は「いままで我慢してたのがたまってたんだよ」っていうのは、少しニュアンスが違うときがあるんじゃないかとね。
その説だったら、もしギリギリまできてたら、ちょっと変顔したぐらいのことでも、爆発しちゃう説のように聞こえるじゃないですか。そうじゃないですよね、人間ある程度の範囲のことなら我慢できます。種までのことなら我慢できるんです。もちろん人によりますけどね、どこまでが種なのかは。
とても怖いのは、ちょっとライン超えちゃったときに、今までセーフだった種、忘れ去られていたチクチクしたものが、一気に生命をもって思い返されちゃうことなんじゃないかな。いままでの種が一気に発芽して、力を持つんです。そうなると、当人が思っていた以上の怒りが起きるし、後を引くし、その信頼を回復するのってかなり難しい気がします。種が発芽して、実になってしまったら、それはそれは、手強いですよ。

だから、やっぱりライン超えるようなことってなるべく避けたいですよね。言い換えたら、できるだけ、種で抑えるというか。人間ですから、人に迷惑かけることは避けられませんしね。

僕とか結構、知らない間に突然失望してたりするタイプの人間なんでね。それが自分自身で苦手なところではあるのですけど。僕の価値観を大胆に踏み越えられてしまって、「ああ、こいつないわ」ってところが一箇所でもあると、結構失望してしまってね。「もうこの人とはまともに話できないんだろうなあ」だなんて思ってしまって。最近それ、教師として致命傷なんじゃないかと思ってまして、なんとかね。もう少し優しい心を持ちたいわけですけども。

とまあ、マイナスのことばかり書いてますが、もちろん、ぼくたち、プラスの種も撒くことができるわけですよね。
例えば、そのときは気付かれない、ささいな心遣いとか。僕、そういうのすごい大事だなと思います。「あいつ、全然気づかなかったけど、いっつも真っ先に俺たちの水用意してくれるよな」みたいな。そんなささいなこと。それも種まきなんじゃないですかね。それで、そういうこと自然とできる人になりたいですね。種まきというと、なんか腹黒い感じがしますから、言葉変えたいぐらいですけど。
そんな今まで撒かれたプラスの種も、ふとした大きなきっかけのときに、「あいつやっぱすげえやつなんだな」となるわけです。このときの好感度の上がり方って尋常じゃないですよね。もちろんそういうこと話してる時って、本人がいないときなんで、本人が実際に耳に聞けることって少ないんでしょうけど、見てるひとは見てるってことでしょうね。

YUKIじゃないですけど、喜びの種をたくさん撒いていきたいなあなんて思っているクリスマスです。