ときに激しい思い込みが人を動かすことがある。たとえば、自分がやらなくては誰がやるのだ、といった激しい思い込みだ。それは言い換えれば、勘違いと言っても過言ではなかろう。それでも、その強い気持ちが人を動かすほどのパワーを実際に持つのであれば、それは、きっと素晴らしいことなのではないだろうか。

僕にとって、その象徴はハリウッドサインであった。



ハリウッドサインは僕の心をこれほどないまでに惹きつけた。まるで夜の雪の世界に光る家の明かりのように。僕はそこに行かなければいけない気がした。僕が行かなければ誰が行くのかとまで思った。
行き方も知らなければ、正確にどこにあるのかさえ知らなかった。だけれど、ロサンゼルスという街の近くにあるくらいのことは知っていた。だから僕は、この冬休みに、ロサンゼルスに旅行することを決めた。たった一つ、ハリウッドサインを見たいという思いだけをもって。

最終日だった。僕はロサンゼルスに6泊したが、その6泊目にハリウッドサインを見に行くことを決めた。ハリウッドサインが僕をはるばるロサンゼルスに運んだのだ、大トリを務めてもらわなくてはならない。
僕は朝7時に起きて、朝ごはんを食べ、「I ♥ LA」というふざけた観光客向けのTシャツに着替えた。首にタオルを巻いた。ガイドブックによると、結構な長い登山になるそうだからだ。
サンタモニカからは、一時間ほどバスに乗って、ダウンタウンの、ウィルシャーバーモントという駅にまず行かなくてはならない。この駅に、地下鉄があったからだ。もうすでに何度この駅を利用していたことだろうか。この駅は僕のロサンゼルスでの旅でのターミナル駅となっていたのだ。
地下鉄が来たので、乗った。もちろん乗って一駅目で、この車両は逆方向のものだということに気づいた。さすがに、何度も利用しているだけに、気づくのもはやい。慣れたものである。というわけで、またウィルシャーバーモント駅に戻り、今度はしっかりと車両を確認して乗った。すると、車内に二人の日本人の女性がいた。「ロサンゼルス」と書かれた観光雑誌を大きく広げ、日本語を話し、それでいて中国人だというオチになるわけがなかった。そこで僕は、「ねえ、君たち、日本人?」と話しかけた。すると彼女たちは飛び上がるように目を輝かせて、「え~!!そうです!え?こっちに住んでる方なんですか?」と僕に答えた。「そうなんだよ。もう住んで7年目かな」と僕は、カバンからベンティースターバックスラテをさっと取り出しながら答えた。「じゃあ英語ペラペラなんですね!」「アメリカ人の彼女とかいるんですか?」と矢継ぎ早に質問が飛んでくるので、僕は人差し指を立てた右手を彼女たちの前にそっと掲げ、一分間ほど、スターバックスラテの味を楽しんだ。コーヒーはとても芳醇な香りがしていた。不思議と地下鉄の揺れがまったく感じなくなり、車内に僕のコーヒーの匂いが漂い、何人かが目を閉じてゆっくりと上を向いた。その間彼女たちはずっと僕のことを見つめて待っていた。僕は、それまで閉じていた目をようやく開いて、「すまない。この駅なんだ」という言葉だけを残して下車をして、窓に張り付くようにして僕の姿を見つめる彼女たちを背中に颯爽と駅のエスカレーターを上がっていった。と、ここまでの話はその時僕が頭の中で想像していた話であって、実際のところはこういう話だった。実際には僕は、話かけるチャンスさえ無く、ただただ彼女たちから聞こえて来る日本語を頭の中で反芻するにすぎなかった。その代わりに僕は、その時ちょうど乗車してきたよくわからない背の高い外人に激しいタックルをくらい、わりと強めにドアにぶつかってしまった。その男はドアに張り付いた手垢を見るような目で、僕を一瞥し、のしのしと去っていった。僕はこれまで積み重なってきた孤独感と移動のストレスで心から泣きたい気分だったが、なんとか踏みとどまることができた。もし彼女たちが僕と同じ駅で降りるのなら話しかけでもしようかと考えたけれど、彼女たちは明らかにハリウッドサインを見るための駅よりも、ユニバーサルスタジオに行くための駅で降りるように見えた。「スポンジボブとはやく写真とりたーい」という声が聞こえていたからだ。僕は海綿質繊維にすら負けるのかと悲しくなった。もちろん僕の降りる駅についても彼女たちが腰をあげる気配はなかった。

そんな軽いドラマがありながらも、とりあえず第一関門の「グリフィスパーク」に到着する。
この場所がいわゆる、グリフィス天文台への玄関となっている。グリフィス天文台からも十分にハリウッドサインが拝めるということだから、僕はこの玄関から足を踏み入れることにしたのだ。
グリフィスパークに特にそれといった特徴はなかった。休日だったということもあって、たくさんの人が犬を連れて散歩していた。ところが、30分ほど歩くと今まで道を挟んでいた木々が少なくなり、斜面も急になり、登山のような道なりになってきた。その頃に僕はすでに息切れていた。「タバコだけは吸わなかったのになあ・・・」という三井の声が聞こえて来るようだった。それでも、登山の道のりはひどく単純で、ただ一本の道を歩んでいけばよかった。グリフィス天文台に到着した頃には、多くの観光客が群がっていて、何かと思えば、みんなハリウッドサインに向けカメラを持っていたのだ。
ついにか。と思う、僕の気持ちを裏切るほどに、なんとも意外なことに、グリフィス天文台から見えるハリウッドサインは恐ろしくちっぽけなものだった。今までなんども期待を裏切られてきた人生だったが、これほど、愕然としたことはなかった。たしかに、ハリウッドサインが初めて見えた瞬間であったから、それなりの感動はあった。だけれど、あまりにそこから見えるハリウッドサインはお粗末だったのだ。はっきり言って、得体の知れない魚の骨くらいだとしか思えなかった。僕はこんなわけがない、僕が求めているのはこんなものではない、となんども強く思った。僕は自分の目を、その強い意志とともに遠くにある魚の骨に向けた。必ずあそこにいってやる、と。

僕が満足のいく景色にたどり着いたのは、それから3時間経ってからのことだった。
このような道が延々と続いた。10分間に2、3人くらいとしかすれ違わなくなった。もう観光の範囲を超えた場所を僕は歩んでいるのではないか、と不安になった。目分量で、あの道をいけば着けそうだなといった漠然とした道筋でとにかく足を動かした。全ては、ハリウッドサインが僕を強烈に惹きつけた結果だった。
僕がたどり着いた場所は、期待通りの大きさのハリウッドサインが見える場所だった。壮観だった。僕はその場所で何枚も写真を撮った。10秒のセルフタイマーをセットして、画に移るところまで走り、思い思いにポーズをとった。中には、正直に言って、額縁に入れて飾りたいくらい好きな写真も撮ることができた。僕はそこでしばらく座ってハリウッドサインを眺めていた。まあまあの標高であるはずなのに、不思議と風はまったく吹かなかった。周りに誰もいなかったから、意味のない言葉を叫んでみたりもした。僕は自分が世界の中心にいるような感覚に陥った。

僕は映画が心から好きだ。僕の好きな映画のうちの何本ものがこの土地で製作されていた。このハリウッドサインへの旅は僕の映画に対する気持ちの証明であった。僕は実際にハリウッドサインをこの目で見たんだぞ、そういう経験とともに、これから映画を見ていけることにとてもわくわくした。

9時前から動き出したハリウッドサインへの旅は、下山する頃にはすでに日が落ちるぐらいのハードワークだった。僕を突き動かしたハリウッドサイン、それが夕日に照らされる。夕日が落ちていく。僕はその時再び、明日で僕はロサンゼルスを出るということを思い出した。沈んでいく夕日とともに、僕のロサンゼルスでの思い出が思い返されていった。サンタモニカ、ベニス、ユニバーサルスタジオハリウッド。ハリウッドサインを見ることができて心からよかったと思った。僕の6日間の旅を全て包括するほど素晴らしい経験だったのだ。

僕はその日の夜、ベッドの上で、少しばかりの時間、あのハリウッドサインをまぶたの裏に思い描いた。その景色は、僕の充実した足腰の疲れとともに、ゆっくりと湖の底に引き込まれるようにして、夢の中に消えていった。