人の目線が気になる

人の言葉が気になる

人の評価が気になる

 

普通、誰だって自分以外の誰かのコトを気にしながら生きている。

 

誰にどう思われているのか?

あの人は何を感じているのか?

私のことをどんな風に見ているのか?

 

気にしているから、自分の振る舞いに気を使うことが出来て

他人に迷惑が掛からないような言動が出来るようになる。

 

今のハラスメント社会で、他人に気を使うことは自分を守ることになる。

自分を守る為にも、周囲のことに気を配りながら生きていく。

 

鈍感に生きていきたい

 

繊細な気持ちで周囲に気を配って

鈍感な気持ちで周囲に気を使わせない

 

上手く立ち回って、誰も彼も楽しく過ごせる環境にしていく!

 

そんなの無理

そんな器用に生きて行けるほど、余裕のある人生じゃない。

 

自分のコトを守るだけで精一杯だし

自分の大切な人やモノを護るだけで手いっぱい

他の何かに気を使っていたら、自分のコトを守れなくてすり減っていってしまう。

人の事を気にしたら、自分のコトに気を使えない。

 

かといって、自分のことばかりに気を使って生きていたら・・・

身勝手な人間って言う評価をされる。

 

自分にだけ気持ちを使っていたら、周囲との軋轢になってトラブルに繋がることにもなるだろう。

周囲・・・会社や学校で「身勝手な人間」って評価をされたら、

逆に自分が生きにくい環境になっていってしまう。

 

それではきっと何の意味も無くなってしまうんじゃないかな?

 

全部が上手くいくことなんて無いから、誰の為に気を使ったって良い面と悪い面があらわれる。

だとしたら、ほどほどに鈍感で気を使わない生き方を選んでも良いんじゃない

  気を使う。気って言うのは気持ちで、思いで、心の余裕

 

気を使って生きていくのは正直疲れる。

他人に気を使っていても、大切な人に気を使っていても

 

結局は自分の気持ちを正直に表現できていない証拠。

 

だって、自分の気持ちを表現できないから、

気を使って誰かに合わせたり

気をまわして誰かを助けるような行動をする

 

自分が望んでいる事なのかもしれないし、自分の為になったり

下心や目的があるかもしれない。

 

だからって、自分の望む結果になるとは限らないし

望み通りにならなかったら、悲しい想いや辛い思いをすることになる。

 

自分のコトを後回しにして、誰かの為に行動するんだから

負担があるのは当たり前だし、犠牲にすることになるモノもあるだろう。

 

誰かの為に何かをしてあげようって言う気持ちはとても素敵だけど、

そのせいで自分が残念な気持ちになってしまったら意味がないんじゃないのかな?

 

気を使うって言うのは、とても繊細なことだと思うし、とても疲れる事。

気って言うのは自分の想い・・・

心の余裕を誰かに必死で渡している状態になるんじゃないかな?

 

優しさっていうモノが、心の余裕を渡してあげる事だと私は思うけど・・・

誰でも彼でも優しさを渡していたら、自分の心の余裕はなくなってしまう。

 

心の余裕が無くなってしまったら、気持ちはネガティブになるし、不安と心配に押しつぶされてしまう。

 

『大丈夫』って言うことも出来なくなるし、思うことも出来なくなる。

繊細な気持ち、気遣い、優しさ・・・

全部犠牲になるのは自分。

そして、自分の大切な何か・・・・

 

その先に幸せのカタチがあるんなら、きっと良い。

でも、少なくとも私には誰にで心の余裕を渡して、幸せになる自信は無い。

 

  鈍感で生きていくのは、バランスを自分よりにしている時

 

だから、欲しいのは鈍感な気持ち

 

必要以上に気付かない。

気が付かないから、気を使わない

気が付かないから、気を回さない

気が付かないから、気にならない!

 

なんでも気にして、気を張っていたら疲れた時に破綻してしまうから

私達にはほどほどに気付かない力が必要になるって私は感じてる。

 

気になることはあるかもしれない 「今日部屋の電気消したかな?」

でも、気にしない

気がつくと気もあるだろう 「これして欲しそう」

無理に行動しない

 

気になり始めたら、止まらないし終らない。

それが不安と心配の連鎖になって、苦しく生きにくい自分を縛る枷になる。

 

だから、気付いてないって自分に言い聞かせることも必要。

気を使わないで済むように、自分に気付いてない・気にする必要は無いって言い聞かせる。

 

気付いてしまうのは仕方ないし、気を使いたくなるのも分かる。

でも、いつでも・どこでも・誰にでも使う必要なんかない!

自分以外の誰かが何とかしてくれることもあるし、その人自身が何とか出来ることもある。

全部を自分が何とかしようなんて思う必要はない!

 

私達に出来ることは、自分に出来ることだけ

持てるのは、自分の両手に持てる分だけ

 

万能でもなければ、スーパーヒーローでもない。

程よく、気にせず、気を使わない。

それで気が付ないようにしていれば、自分の目の前のことにだけ集中することが出来る。

自分の大切なコトや人にだけ集中できれば十分幸せを見つけることが出来るし

最低限、心の余裕を渡すだけで済むんだから

 

もしね?目の前に困っている人が居たなら、それに気が付いたなら助けたらいいさ

出来ることをしたらいいさ

分かる範囲で答えたらいい

それ以上に気を使って、何とかしようとするから疲れて・・・出来ないからって自分を責めてしまう。

 

出来ることを出来る範囲で行動すればいい。

自分の気を使える範囲を知って、繊細な気持ちは使える範囲にだけ使えばいい。

 

出来ない事は誰かに任せたらいい

気を使ってあげられない人には、別の人が気を使えば良いじゃないか

 

もしある人に、誰も気を使ってあげる人が居ないんなら

私が気を使ってあげればいい

誰かが居るなら、その人に任せたらいい

 

自分の特別な人には全力で気を回せばいい

その人が受け取ってくれて、感謝してくれて、好意を返してくれるかなんて関係ない。

自分が満足出来たら良いじゃないか

 

自分に気を使ってあげたらいい

自分と向き合って、自分の気持ちを聞いて、余裕があって、元気があって、誰かに分けてあげたかったら

大切に出来る人に振りまいたらいい

何事もバランス

ちゃんと自分と自分の大切を知って、優先順位を付けて、自分のキャパを測りながら

出来る範囲で行動したらいいし、それで足りないなら

出来るようになる方法を探す!

自分になぜなぜ?をして、見方を変えて、考え方を変えて、本質を探していく。

それが程よい鈍感で繊細な気持ちの使い方なんだろうって私は感じてるよ。

 

 

連載形式での投稿をしてきました。

最後までご覧いただいた皆様本当にありがとうございました。

 

物語は終わりましたが、最後に『問い』とはなにか?

あとがきを通してまとめさせてもらいます。

『“わたし”に耳をすませる』

 

あとがき ── それでも問いは続いていく

「問い続ける」ことが、こんなにも孤独で、でもあたたかなことだと、
加代子の物語を通じて、私自身も再確認しました。

 

この物語は、
「自分の言葉を持ちたいけれど、どうしても信じられない」
「誰かの目線に揺れてしまう」
「“いい人”でいたいと思ってしまう」
そんな、どこかで立ち止まってしまった人へと、
そっと手渡す“まなざし”のつもりで書き続けてきました。

 

加代子は、最初から強くなったわけではありません。
ただ、問いを持ち続けた。
“正しさ”ではなく、“いまの自分が大切にしたいもの”を選ぼうとし続けた。

時に言葉に迷い、
言葉を信じられなくなり、
沈黙すら怖くなった時期もありました。

 

それでも、彼女は変わっていきました。
「変わった」のではなく、**「変わっていける自分を、少しずつ信じられるようになった」**のです。

そして、それは私たち誰にとっても、
どこかで静かに始められる、**“問いの営み”**です。

 


解説:加代子にとっての「問い」とは?

加代子にとって、「問い」は
自己否定のための“確認作業”ではなくなっていきました。

かつて彼女は、
「これで合ってる?」
「私、間違ってないよね?」
という“他者の評価”を前提とした問いに、囚われていました。

でも、物語の中盤以降、加代子は変わっていきます。

 

「選びきれなくてもいい。正しさよりも、今の自分が大切にしたいことを選んでもいい」

 

という言葉に代表されるように、
彼女の問いは、「自己承認」へと変わっていきました。

 

そして最終的には、
問いは「共に考えること」、
“わかり合えなくても、語り合える関係性”を育む道具へと昇華します。

 


わたしたちの「問い」とは?

問いは、すぐに役立つ“正解”を導くものではありません。


むしろ、問いを持つことで、わからなさや不安と向き合うことになります。

けれど、その**“わからなさ”を、誰かと共有できたとき**、
わたしたちは、孤独から少し解放されるのです。

「問いとは、わたしの中にある、まだ名前のない感情を、
そっと見つめるための、ランタンのようなもの」

誰にも届かないかもしれない問い。
言葉にすらならない想い。

けれど、それを大切にしようとする“姿勢”そのものが、わたしたちの哲学なのです。

 


最後に

この物語は、“問いの物語”であり、
“わたし”というひとりの人間が、“わたしたち”という関係性の中で変化していく物語です。

 

問い続けることを、怖がらなくてもいい。
答えられなくても、問いがあるだけで、
誰かと、あなた自身と、つながっていけます。

「あなたは、あなたを置いていかないでください」

そしてどうか、
今日も小さな“問い”とともに、
あなた自身の声を、忘れずにいてください。


🌿 加代子の「問い」一覧と語り


1. 私は、私を信じられているだろうか?

自分の言葉、自分の選択、自分の気持ち。
それを信じようとする瞬間が一番怖くて、一番自由なんだ。


2. 誰かにわかってほしいと思うのは、甘えなんだろうか?

いいえ、甘えではありません。
人は、誰かに触れてもらって初めて、自分の形を知っていくから。


3. 問いすら持てない夜は、どうしたらいい?

問えない夜もあっていい。
その沈黙こそが、あなたの深さであり、優しさかもしれない。


4. わたしは、なにに傷ついてきたのか?

忘れてしまったフリをしていた傷は、
実は「大切にされなかった」ではなく、「大切にできなかった」自分の感情だったのかもしれない。


5. なぜ、正しさを選びたくなってしまうの?

間違えることが怖かっただけ。
誰かに否定されることが、怖かっただけ。
「わたしが間違えたら、全部終わってしまう」──そんな思い込みが、苦しかっただけ。


6. 問いに“正解”は必要ですか?

問いの役割は、「答えること」ではなく「考え続けること」。
だからこそ、答えが一つじゃなくてもいいし、変わっていってもいい。


7. どうしてあの時、声をかけられなかったの?

優しさは時に、言葉にならない。
けれど、優しさは、ちゃんと相手に届いている。


8. “伝えようとする”って、どういうこと?

それは、あなたの“いまここにいる”を示す灯り。
相手のためじゃなくて、あなた自身が、自分の存在を確かめるための行為。


9. わたしは、誰かの問いに、どんなまなざしを重ねているだろう?

受け取るだけではなく、寄り添うこと。
“答える”より、“ともに考える”関係性へ。


10. いつから私は、自分に問いを持つことをやめていたのだろう?

きっと、「こうあるべき」に疲れて、
「こうでなきゃ」に支配されていたから。
でも、今ここから問いを持ち直していい。何度だって。

 

  ✉️ 手紙のように──問いの魅力を知っても、動けないあなたへ

 

きっと、わかっているんだと思います。
“問いを持つことが大切”だということも、
“自分らしく在ることが素敵”だということも。

 

でも、それでも変われない。動けない。苦しいまま。


──そんな日もありますよね。

人は、「わかっているから」変われるのではなく、
「わからなさ」と共に生きていけるようになって、
ようやく“変わっても大丈夫かも”と思えるようになるのかもしれません。

 

問いを持つことは、
すぐに日常を変える魔法じゃありません。

 

でも、問いを持つことで、
あなたはもう“あなたを見つめ直している”という事実だけは、たしかに残ります。

わたしたちが本当に欲しいのは、
「正解」ではなく、「安心して問い続けられる場所」なのかもしれません。

だから、
いま、すこしずつでも
「どうしたらいいんだろう?」と立ち止まった自分に、
「それでいいよ」と言ってあげてください。

 

問いを持ち続けること。
それは、自分に誠実であるということ。
そして何より、
**「あなたはあなたと一緒に生きている」**という証です。

 


最後に・・・

「あなたが今日、“問いたい”と思ったことは、なんですか?」

聞かれても答えられないと思います。

でも、それで良いんだと思う。

 

何を問うか?が、重要じゃない。

問いって言う選択と方法を使って、焦らない気持ち、決めつけない気持ち、勝手に振り回されない気持ち

っていう余裕を見つけて欲しい。

 

私達に必要なのは心の余裕って言う、自分への優しさだと私は感じている。

連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

友人:理子 遥

 

『“わたし”に耳をすませる』

最終章:それでも、わたしは問いながら生きていく

春の風が、静かに街を撫でていた。
公園の桜は、満開を過ぎ、地面に小さな花びらの絨毯を敷いている。

 

湊がその花びらを両手ですくいあげ、加代子に見せる。
「ママ、これってお花の“おふとん”だよね?」

加代子はふっと笑った。

「そうかもしれないね。お花たち、眠ってるのかな」

「じゃあ、また咲くの?」

「……うん。たぶんね。でも、たとえ咲かなくても、そのときに何か考えるのも、いいよね」

息子は首をかしげて、笑って走っていった。
その小さな背中を見つめながら、加代子は思う。

 


 

「問い」は、必ずしも深く賢くあろうとしなくていい。


ただ、いまの“わたし”で感じたことを、大切にしようとする営み

 

そしてそれは、自分ひとりの中だけで育てるものではなく、
時に誰かに語り、語り返され、響き合いながら、ゆっくり熟していくものだと知った。

 


 

ふと、誰かの言葉を思い出す。

「答えは出さなくても、問いを持っているだけで、ちゃんと誰かとつながれる」

あの頃の自分は、誰かにわかってもらいたくて、正しくありたくて、
間違えるのが怖くて、問いを飲み込んでいた。

 

今は違う。

問いを持つことが、「いまここにいるわたし」を感じることになった。
それだけで、十分だった。

 


 

職場では、相変わらず忙しい毎日が続く。
家庭では、笑い声の奥に、小さな不安や疲れが交差する日もある。

 

けれど今の加代子は、
「どうにかしなきゃ」と焦るよりも、まず立ち止まって“感じる”ことを大事にしている。

焦る日もある。
わからなくなる夜もある。

でも、そのすべてを否定しない。
だってそれが、今ここにいる「わたし」なのだから。

 


 

加代子はノートを閉じ、そっと息を吐いた。
今日は何も書かなくてもいいと思えた。

 

かわりに、こうつぶやいた。

「わたしは、わたしを置いていかない。
問いながら生きるって、そういうことかもしれないな」

 


 

湊が戻ってきて、小さな手で加代子の手を握る。

「ママ、また絵本よんでくれる?」

「もちろん。今日は湊の“どうして”をいっぱい聞かせて?」

「うん!じゃあ、ぼくが“問い”する番だね!」

そう言って笑った息子に、
加代子は、いま一番大切にしたい“ことば”を返した。

「うん。問いはね、心が生きてるってことだから」


 

◇ そして、読者のあなたへ ◇

ここまで読み進めてくださったあなたに、
加代子の問いと日々が、少しでも重なった瞬間があれば幸いです。

 

わたしたちは、
正解を出すことよりも、問い続けることに意味がある世界を生きています。

ときに誰かに届かなくても、
ときに自分自身すら見失っても、

「問いながら生きる」ことは、それだけで希望です。

「あなたは、あなたを置いていかないでください」


 

また、いつか。どこかで。
あなたの問いと、やさしくすれ違えますように。

Great Thanks

  独り言・・・

物語の最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

【独り言・・・】

では、私の感想や、物語ではこう表現しているけど、私は実際はこんな感じ。

のように、綺麗ごとや建て前を全部無視して、あくまで本心での気持ちを綴っています。

 

内容に若干の矛盾や流れの違和感はご容赦頂ければ幸いです。

 

「わたしは、わたしを置いていかない。」

 

私自身、発している言葉と本心の矛盾をいつも抱えています。

職場で、相手に合わせた会話をする時もあれば、

文章で綺麗にまとめようとするシンプルフレーズを演じる時もあり

配信を見たり参加する時には、楽しい盛り上げ役になってみたり

そのくせ、1人の時は自分を責め続けてみたり・・・・

 

それもこれも、全部私なんだと・・・受け入れられない時もあるけど、言葉に出来ない時もあるけど

全部の前に「問い」って言う間を作って、心の余裕を作ることが出来れば

とりま、今は乗り越えられるように感じてます。

 

その先のことは、これからでも良いかなって思うのは、私が自分い甘いだけなのかもしれないね。

 

連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

友人:理子 遥

『“わたし”に耳をすませる』

第43章:「でも、わたしは、わたしを置いていかない」

日曜日の午後。
子どもと夫が遊びに出かけた家の中で、加代子は久しぶりに静かな時間を手に入れていた。

 

窓のそばで、ノートを開き、ペンを手にする。

「問いって、なんだろう?」

ふと湧いたその言葉を、ノートの端に書いた。

 

以前の加代子だったら、こんな静かな時間さえも不安になっていた。
家族にとって役に立っていないと感じることが、焦りを生み、
「この時間をどう意味あるものにすればいい?」と自分を急かしていた。

 

でも今は——静かで、いいと思えた。

ノートの余白に、加代子は少しずつ自分の“変化”を書き出していった。

 


 

◇ わたしは、問いを怖がらなくなった。

かつては、問いが“答えの扉”であるように思っていた。
だから、問いの先に「正解」がなければ、不安になった。

 

でも今は違う。

問いとは、「答えの手前で立ち止まること」
そこに佇むことで、見える景色がある。
答えを見つけるためではなく、自分を生きるために問いを持っているのだとわかった。

「問いは、急がず、まわり道をして、わたしをわたしに連れ戻す」


 

◇ わたしは、人の目を恐れすぎなくなった。

「どう思われるか」ばかりを気にしていた。
ママ友の一言にぐらつき、職場の何気ない沈黙にビクビクしていた。
でも本当は、「人にどう見られても、自分が自分を見てあげる」ことの方がずっと大事だった。

今の加代子には、そんなまなざしが育っている。

「他人の声より、自分のまなざしが育つこと。
それが、“自分と共にある”ということ」


 

◇ わたしは、“選べない自分”も抱きしめられるようになった。

思えばずっと、「間違いたくない」と思っていた。
正しさを探して、選びきれない自分を責めていた。


でも、選びきれないのは、迷っている証拠じゃなくて、誠実でいたいという証だったのだ。

だから——

「わたしは、間違ってもいい。
選びきれなくてもいい。
正しさよりも、“今のわたしが大切にしたいこと”を選んでもいい。」


 

加代子は、ペンを止めて、窓の外を見つめた。
陽だまりのように、心の奥がじんわりとあたたかくなる。

 

けれどふと、こんな問いが心に浮かんだ。

「じゃあ、わたしはこれから、どうしていきたい?」

いまだに、自信を持って言えない。
人に何かを伝えるたびに、「本当にこれでよかったのか?」と自問する夜もある。

けれど、それでいい。

答えを出すことよりも、問いを手放さないことが、大切なのだと今ならわかる。

 


 

加代子は、ノートの最後のページに、こう書いた。

「わたしは、わたしを置いていかない」

誰かの期待に応えるためでも、過去の後悔を塗りつぶすためでもなく、
今ここにいる“わたし”の声を、ちゃんと聞きながら生きていく。
それが、変わった加代子の決意だった。

 


 

玄関が開く音がした。
湊と夫の笑い声が、リビングに広がる。

その声に包まれながら、加代子はそっと目を閉じ、心の中でつぶやいた。

 

「わたしは、あの頃のわたしが恥ずかしくない。
泣いていた日々も、誰かに追いつこうと焦った夜も。
ぜんぶ、ぜんぶ、ここにつながってる」

 


 

  ◆ あなたへの問い

 

あなたは、いま、どんな問いを持っていますか?
その問いに、急いで“正解”を与えようとしていませんか?

どうかその問いが、あなた自身への“やさしいまなざし”となりますように。
そして、どんな選択も、“あなたがあなたを置いていかない”ものでありますように。

 

 

  独り言・・・

 

私はまだ、加代子のように受け入れることが出来ていない。

 

でも、それでいいのかもしれない。って、この物語を通して感じている。

 

私は沢山の過ち・・・失敗と間違いの繰り返しをしてきた。

正解を求めているはずなのに、あえて正解以外の選択をしてしまう。

単純に性格の問題もあるんだろう・・・

みんなと同じが正解だとしたら、みんなと違う答えを選びたくなってしまう。

天邪鬼なのは自覚している。

きっと、それが・・・私を苦しめる理由で、私の私らしさなのだろう。

 

結果が今ですよ・・・後悔と懺悔の繰り返しの日々・・・

 

だから、言葉を綴っているんです。

過去に意味を持たせたいから。でも、簡単じゃないですね・・・。

 

スピリチュアルも自己啓発もマインドフルネスも私には合わなかった。

それは、答えと正解を求めていたからなのかもしれないって、最近感じてる。

 

「私は知らないことを、知っている。」

この言葉の深さにやっと気が付くことが出来た。でも、まだ分からない。

それで良いって思いたい。

そして、伝えたい。

 

全部、私の自己満で我が儘

 

『“わたし”に耳をすませる』の物語はあと数話で終わる・・・

 

私の物語はまだ終わらない。

私の独り言は、何一つ答えを出せていない。

 

シンプルフレーズは何を想い何を感じるのか?

私はシンプルフレーズなのか?それとも、中身の誰か?なのか・・・

 

次回:最終章:それでも、わたしは問いながら生きていく

 

連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

■ 加代子(かよこ)

  • 立場:中年女性、既婚、夫と子どもがいる家庭をもつ母親。

  • 家庭構成:夫・子ども

  • 性格・背景

    • 他者に合わせすぎて自分を見失いがちだった過去。

    • 自己表現が苦手で、正しさや共感を求めるあまりに「問い」を持てないことも多かった。

    • 哲学的な思考・内省を通じて、少しずつ「正解」よりも「いまの自分が大切にしたいこと」を選ぶようになってきた。

  • 現在の変化

    • 人間関係や自己表現において徐々に自信としなやかさを獲得。

    • 自分の経験を子どもや他者に伝えられるようになりつつある。

    • 読み聞かせ活動を通じて、子どもたちに「問い」と「想像の余白」の大切さを伝えようとしている。


■ 理子(りこ)

  • 立場:独身女性、OL(会社員)。

  • 家庭構成:一人暮らし。パートナーや子どもは登場していない。

  • 性格・背景

    • 感受性が強く、言葉に鋭く反応するが、内面はどこか虚無や迷いを抱えている。

    • 加代子とは図書館や哲学的対話を通じて出会い、少しずつ心を開いていく。

    • 加代子とは違う角度から「問い」と向き合っている存在。

  • 現在の変化

    • 加代子との対話によって、沈黙や葛藤を恐れずに言葉を選ぶようになっている。

    • “正解”ではなく“自分の問い”を持ち始めている。

『“わたし”に耳をすませる』 

 

第42章:言葉の灯を、ひとつずつ

金曜日の午後。
オフィスの窓際に射し込む光が、少しずつ春めいてきた。

 

加代子は、部署の若手メンバーたちと会議を終えた後、ひとりポットでお茶を淹れていた。
近くのデスクでは、後輩のひとりがため息をつきながら書類を見つめている。

 

「何か詰まってる?」

そう声をかけると、彼女は少し驚いたように顔を上げ、戸惑いながら微笑んだ。

「…なんか、“こう言えば正解かな”って探してる自分に疲れちゃって」

加代子は、湯呑をふたつ用意して、ひとつを彼女に差し出した。

「わたしも、ずっとそうだったよ。間違えたくなくて、正しくあろうとしてた。
でも、あるとき思ったの。“ことばを選ぶこと”って、“守ること”と、“寄り添うこと”の両方あるんだなって」

「寄り添う…こと?」

「うん。たとえば、“わからないね”って一緒に言うだけでも、
誰かにとっては大切な“正解”になることがあるのよ」

 

後輩は、小さく笑った。

「それって、答えじゃないのに、心がほどける感じですね」

「そう。ことばって、正しさより、あたたかさなんだと思うの」

 


 

その週末、加代子は久しぶりに友人と会う約束をしていた。
中学時代からの旧友・紗希。子育てと仕事の両立で、お互いしばらく会えていなかった。

ランチの後、静かなカフェに移動して、二人はカップを手にして向き合う。

 

「加代子って、昔は“無理してる”のがすぐ顔に出てたよね。今はすごく、やわらかい」

「うん。無理してないって言えば嘘だけど、“無理しなくてもいい”って言えるようになったかな」

「どうやって、変わったの?」

「問い続けるのを、やめなかったから…かな。でも、正解を求める問いじゃなくて、
“いま、わたしはどうしたい?”って、自分にそっと尋ね続けた感じ」

 

紗希がふと、寂しげな目で言った。

「私はまだ、問いすら持てないときがあるよ」

加代子は黙って頷いた。
自分もかつて、言葉にならない日々の中で立ち尽くしていた。
問いの言葉すら持てず、ただ疲れきって眠るしかない夜。

 

でも、その沈黙の中にも、小さな「願い」は生きていた。

「問いを持てなくてもいいんだよ。わたしもそうだった。
でも、“願い”は、どこかに残ってた。あたたかくなりたいとか、笑いたいとか、誰かと話したいとか…」

「…そっか。問いって、“希望の芽”みたいなものなんだね」

「うん。でね、それを見つけるのは、“誰かのまなざし”だったりするの。自分を見てくれる人がいるって思えたら、少しずつ、芽が出る」

 


 

帰宅すると、湊が笑顔で駆け寄ってきた。

「今日ね、せんせいに“やさしい想像、できたね”って言われた!」

「やさしい想像って、どんなの?」

「ともだちが泣いてたとき、“泣いてる理由はわからないけど、そばにいたらいいかな?”って思ったの」

加代子は、その言葉に胸がじんとした。


答えを探すより、想像する力。
正しさより、そばにいたいという思い。

 

“問いと想像”は、日々の中にあたたかく生きている。

 


 

夜、窓の外に目を向けると、遠くの家々の灯が静かに瞬いていた。
一つひとつの灯りに、誰かの「ことばにならない願い」が宿っているように感じる。

かつて、問いに怯え、答えに縛られ、正しさに溺れかけた自分がいる。


でも今は、それも“わたしの物語”だと思える。

そして、同じように
「問いを持てずにいる誰か」
「正しさを探して立ち尽くしている誰か」
「想像を失いかけている誰か」


——そうした人たちに、やさしく寄り添える自分でありたいと願う。

それは、ことばを渡すことではなく、
沈黙に、まなざしを添えること。


🔹次章予告:第43章:「でも、わたしは、わたしを置いていかない」

ラストの章に近づきながら、加代子の人生は静かに、でも確かに“ひと”と重なり始めている。
その姿は、読者の誰かの明日にも、きっと重なっていく。

 

「問いって、なんだろう?」

ふと湧いたその言葉を、ノートの端に書いた。

 

  あなたへの問い

 

「今のあなたが、大切にしたい“まなざし”は何ですか?」

誰かの正しさに合わせなくてもいい。
選びきれなくても、ことばにできなくても。
“今ここにいる自分”の小さな願いを、どうか忘れないで。

 

  独り言・・・

 

自分なんかダメだって

変われないって、何も出来ないって

言い続けている。

 

変われないんじゃない。変わろうとしていないんだ。

出来なかったんじゃない。やろうとしなかったんだ。

 

でも、それが言えて、伝えられるのは、相手が聞こうとしている時だけ・・・

 

私は大抵相手に合わせた話題を持って行って、その場を楽しく出来るようにする。

相手のニーズに合わせた対応をしようとしている。

でもさ、正直面倒なんですよ。

 

私は変わりたいし、進んで行こうとしている。

でも、隣にいる・・・職場でいつも横に居て話している相手は、自分はダメだって言っている。

別にいいんです。その人の価値観を否定はしない。

ただね・・・・だったら私の横で不満と愚痴と文句ばかり言うのを辞めて欲しい。

 

私も耳を傾けないんなら良いんだろう・・・

 

私も日々・・・帰ってきてから問いと自問自答・・・そしてゴールの無い迷路で楽しんでいる。

どこかで、「沈黙とまなざし」を使えるようになっていこうと思えていないのかもしれないな。