人の目線が気になる
人の言葉が気になる
人の評価が気になる
普通、誰だって自分以外の誰かのコトを気にしながら生きている。
誰にどう思われているのか?
あの人は何を感じているのか?
私のことをどんな風に見ているのか?
気にしているから、自分の振る舞いに気を使うことが出来て
他人に迷惑が掛からないような言動が出来るようになる。
今のハラスメント社会で、他人に気を使うことは自分を守ることになる。
自分を守る為にも、周囲のことに気を配りながら生きていく。
鈍感に生きていきたい
繊細な気持ちで周囲に気を配って
鈍感な気持ちで周囲に気を使わせない
上手く立ち回って、誰も彼も楽しく過ごせる環境にしていく!
そんなの無理
そんな器用に生きて行けるほど、余裕のある人生じゃない。
自分のコトを守るだけで精一杯だし
自分の大切な人やモノを護るだけで手いっぱい
他の何かに気を使っていたら、自分のコトを守れなくてすり減っていってしまう。
人の事を気にしたら、自分のコトに気を使えない。
かといって、自分のことばかりに気を使って生きていたら・・・
身勝手な人間って言う評価をされる。
自分にだけ気持ちを使っていたら、周囲との軋轢になってトラブルに繋がることにもなるだろう。
周囲・・・会社や学校で「身勝手な人間」って評価をされたら、
逆に自分が生きにくい環境になっていってしまう。
それではきっと何の意味も無くなってしまうんじゃないかな?
全部が上手くいくことなんて無いから、誰の為に気を使ったって良い面と悪い面があらわれる。
だとしたら、ほどほどに鈍感で気を使わない生き方を選んでも良いんじゃない?
気を使う。気って言うのは気持ちで、思いで、心の余裕
気を使って生きていくのは正直疲れる。
他人に気を使っていても、大切な人に気を使っていても
結局は自分の気持ちを正直に表現できていない証拠。
だって、自分の気持ちを表現できないから、
気を使って誰かに合わせたり
気をまわして誰かを助けるような行動をする
自分が望んでいる事なのかもしれないし、自分の為になったり
下心や目的があるかもしれない。
だからって、自分の望む結果になるとは限らないし
望み通りにならなかったら、悲しい想いや辛い思いをすることになる。
自分のコトを後回しにして、誰かの為に行動するんだから
負担があるのは当たり前だし、犠牲にすることになるモノもあるだろう。
誰かの為に何かをしてあげようって言う気持ちはとても素敵だけど、
そのせいで自分が残念な気持ちになってしまったら意味がないんじゃないのかな?
気を使うって言うのは、とても繊細なことだと思うし、とても疲れる事。
気って言うのは自分の想い・・・
心の余裕を誰かに必死で渡している状態になるんじゃないかな?
優しさっていうモノが、心の余裕を渡してあげる事だと私は思うけど・・・
誰でも彼でも優しさを渡していたら、自分の心の余裕はなくなってしまう。
心の余裕が無くなってしまったら、気持ちはネガティブになるし、不安と心配に押しつぶされてしまう。
『大丈夫』って言うことも出来なくなるし、思うことも出来なくなる。
繊細な気持ち、気遣い、優しさ・・・
全部犠牲になるのは自分。
そして、自分の大切な何か・・・・
その先に幸せのカタチがあるんなら、きっと良い。
でも、少なくとも私には誰にで心の余裕を渡して、幸せになる自信は無い。
鈍感で生きていくのは、バランスを自分よりにしている時
だから、欲しいのは鈍感な気持ち
必要以上に気付かない。
気が付かないから、気を使わない
気が付かないから、気を回さない
気が付かないから、気にならない!
なんでも気にして、気を張っていたら疲れた時に破綻してしまうから
私達にはほどほどに気付かない力が必要になるって私は感じてる。
気になることはあるかもしれない 「今日部屋の電気消したかな?」
でも、気にしない
気がつくと気もあるだろう 「これして欲しそう」
無理に行動しない
気になり始めたら、止まらないし終らない。
それが不安と心配の連鎖になって、苦しく生きにくい自分を縛る枷になる。
だから、気付いてないって自分に言い聞かせることも必要。
気を使わないで済むように、自分に気付いてない・気にする必要は無いって言い聞かせる。
気付いてしまうのは仕方ないし、気を使いたくなるのも分かる。
でも、いつでも・どこでも・誰にでも使う必要なんかない!
自分以外の誰かが何とかしてくれることもあるし、その人自身が何とか出来ることもある。
全部を自分が何とかしようなんて思う必要はない!
私達に出来ることは、自分に出来ることだけ
持てるのは、自分の両手に持てる分だけ
万能でもなければ、スーパーヒーローでもない。
程よく、気にせず、気を使わない。
それで気が付ないようにしていれば、自分の目の前のことにだけ集中することが出来る。
自分の大切なコトや人にだけ集中できれば十分幸せを見つけることが出来るし
最低限、心の余裕を渡すだけで済むんだから
もしね?目の前に困っている人が居たなら、それに気が付いたなら助けたらいいさ
出来ることをしたらいいさ
分かる範囲で答えたらいい
それ以上に気を使って、何とかしようとするから疲れて・・・出来ないからって自分を責めてしまう。
出来ることを出来る範囲で行動すればいい。
自分の気を使える範囲を知って、繊細な気持ちは使える範囲にだけ使えばいい。
出来ない事は誰かに任せたらいい
気を使ってあげられない人には、別の人が気を使えば良いじゃないか
もしある人に、誰も気を使ってあげる人が居ないんなら
私が気を使ってあげればいい
誰かが居るなら、その人に任せたらいい
自分の特別な人には全力で気を回せばいい
その人が受け取ってくれて、感謝してくれて、好意を返してくれるかなんて関係ない。
自分が満足出来たら良いじゃないか
自分に気を使ってあげたらいい
自分と向き合って、自分の気持ちを聞いて、余裕があって、元気があって、誰かに分けてあげたかったら
大切に出来る人に振りまいたらいい
何事もバランス
ちゃんと自分と自分の大切を知って、優先順位を付けて、自分のキャパを測りながら
出来る範囲で行動したらいいし、それで足りないなら
出来るようになる方法を探す!
自分になぜなぜ?をして、見方を変えて、考え方を変えて、本質を探していく。
それが程よい鈍感で繊細な気持ちの使い方なんだろうって私は感じてるよ。





