欲しいものってさ、

目指す理由になったり、
行動する為の力になったりするんだよ。

 

でも、欲しいものが沢山あったり、

あれも欲しい、これも欲しいって言っていると・・・

 

強欲だとか、
見栄っ張りだとか、
品がないとか、

そんな風に見られることがある。

 

だからなのかな?

 

欲しいものを隠したり、
最初から欲しくないフリをしたり、
諦めることが増えてしまうのは。

 

でもさ、

欲しいものは欲しい!

それで良くない?

 

「欲しい」は、そんなに悪いことか?

 

欲しいものがあるって、
私は素敵なことだと思う。

だって、それだけ魅力を感じる何かに出会えたってことだから。

 

良さが分かるから欲しくなる。

誰かに惹かれる。
何かに憧れる。
行きたい場所が出来る。
欲しいモノが出来る。
なりたい自分が出来る。

 

それって、
ちゃんと自分の中で何かが動いているってことでしょ?

 

願い事を書く時に、

「世界平和」

大いに書いたらいい。

 

でも、

もっと金が欲しい!

成功したい!

恋人が欲しい!

出会いが欲しい!

あれが欲しい!
これも欲しい!

って、もっとリアルな欲を書いたっていいじゃないか?

 

それが今を大切にして、
前を向いて進んで行こうっていう、
生きる意欲になるんだから。

 

  「必要だから」って、本当にそれだけ?

「お金が必要だから働いています」

って言うと、何となく聞こえがいい気がしない?

 

でも、

「お金が欲しいから働いています」

って言うと、急に欲深く聞こえる・・・

「遊ぶ金欲しさに」

って言ったら、多分ネタになる。

 

不思議だよね?

やっていることは大して変わらないのに。

 

必要って言葉には、

仕方ないから。
生きるためだから。
自分が欲しいわけじゃないから。

 

そんな逃げ道がある。

 

でも「欲しい」は、

私はこれが欲しい!

 

って、自分を主語にする言葉なんだ。

 

だったら、
欲しいって言えばいいじゃないか?

 

欲しいものがあるから、
その為に動ける。

欲しいから、
続けられる。

欲しいから、
失敗してもまた考える。

欲しいから、
もう一度やってみようと思える。

 

  欲しいものが叶うとは限らない

もちろん・・・
欲しいものが全部手に入るなんて話じゃない。

 

叶わないことなんていくらでもある。

手に入らないこともある。

欲しいものを追いかけた結果・・・
何もかも失ってマイナスになることだってある。

 

私だって、
マイナスからのリスタート中だ。

 

それでも欲がある。

成功したい。

金が欲しい。

出会いが欲しい。

いつか子供に会える自分でありたい。

欲望のままに進んでいる。

 

だから、その為に行動する。

今までの経験を使う。

人と繋がる。

新しいことを始める。

 

欲しいっていう思いがあるから、

まだ先に進みたいって思えるんだ。

 

  満たされているなら、それでもいい

今に満足しているなら、それはそれでいい。

 

同じことを繰り返して、
そこに楽しさがあって、
安心があって、
満足しているなら、

好きなだけ繰り返したらいい。

 

無理に変わる必要なんてない。

成長しなきゃいけない理由もない。

 

でも、

本当はまだ欲しいものがあるのに、

「強欲に見られるから」

「恥ずかしいから」

「どうせ叶わないから」

そんな理由で欲を隠す必要なんかない。

 

欲しいなら欲しい。

足りないなら足りない。

 

もっと欲しいなら、
もっと欲しいでいいじゃないか。

  幸せは、手に入れるものじゃない

私は、欲しいものを手に入れた瞬間が幸せだとは思っていない。

 

だって、これを手に入れたら幸せ。

って決めてしまったら、手に入らない今は不幸になってしまうから。

 

幸せは、
掴むものでもない。

与えられるものでもない。

手に入れるものでもない。

与えるものでもない。

 

目指すものなんだと思う。

そして後から振り返った時に、

「あの時は良かったな」

「若かったな」

「楽しかったな」

「辛かったけど、充実していたな」

って感じる。

 

その時に初めて、

あの時間は幸せだったんだな

って立ち上がってくる。

 

現在進行形で、
幸せかどうかなんて分からない。

 

苦しい時は苦しい。

辛い時は辛い。

上手くいかなければ、
普通に不幸だと思うことだってある。

 

でも、
その時に欲しいものがあって、

一生懸命だった。

必死だった。

もがいていた。

何とかしようとしていた。

前に進もうとしていた。

 

そんな時間を、
後から幸せだったと思えることがある。

私は、それでいいと思う。

 

  欲しいものがあるから、未来がある

欲しいものがあるから・・・
 

人は先を見る。

まだ見たい景色がある。

まだ会いたい人がいる。

まだやりたいことがある。

まだ欲しいものがある。

 

だから、
今日の先に行こうと思える。

 

欲を持つことを、
そんなに悪いことみたいに扱わなくてもいいじゃないか。

 

欲しいっていうのは、
願いなんだ。

願いは思いなんだ。

 

その思いがあるから、
行動出来る。

 

欲しいから、
私たちは前に進める。

 

手に入るかどうかなんて、
その後の話だ。

欲しいものがある。

それだけで、
まだ自分には「この先」があるってことなんだから。

 

欲は、未来に手を伸ばしている証拠だ。

欲しいがある限り、人生にはまだ先がある。

不安な時には、不安な行動。

考え事をしている時には、モヤモヤが現れる行動。

嬉しい時にも、楽しい時にも、悲しい時にも……

たぶん私たちは、自分が思っている以上に、
自分の「思い」を身体で表している。

それも、意識してではなく。

無意識のうちに。

想いはもうからだに現れている

想いは行動に現れる。

心理学で嘘かホントか・・・考え事をしている時には上を見るとか、体を触る時は不安なの時とか

言われてみたり、言われなかったり

ぶっちゃけ、それで他人の心理を推しはかろうなんて無理。

 

でも、自分のことなら多少は観察して知っていけるんじゃないかな?

  身体は、思いを先に表してしまう

私の場合、考え事をしている時には、
口の周りの髭を触ってしまう。

 

これはもう癖みたいなもので、
気付いたら触っている。

 

飽きてきた時。
つまらなくなってきた時。
手が止まって、何となく漫然としてきた時。

そんな時には、手首をクルクル回している。

 

そして、
相手の目線を避けたい時。

正面から受け止めるのが少ししんどい時。

何となく自分に自信を持てない時には、
髪の毛をくしゃくしゃしてしまう。

 

もちろん、

「髭を触る人は考え事をしている」

とか、

「髪を触る人は自信がない」

なんて話ではない。

 

人によって癖は違う・・・

 

でも、自分の行動を繰り返し見ていると、

私はこういう時に、こういうことをしているな。

って、だんだん分かってくる。

 

  行動を見れば、自分の状態が見えてくる

例えばスマホ。

スマホを持った時、

「何を見ているんだろう?」

と考えることはある。

 

YouTubeなのか?

SNSなのか?

ニュースなのか?

 

でも、本当に自分を知ろうと思うなら、

見るべきなのはそこじゃないのかもしれない。

 

私は、どんな時にスマホを持つんだろう?

 

暇な時なのか?

仕事で手が止まった時なのか?

考え事から逃げたくなった時なのか?

不安になった時なのか?

誰かとの会話の後なのか?

 

そういう、

行動が起きる瞬間

を見てみる。

 

一回だけでは分からない。

 

でも何度も繰り返し見ていれば、

「私はこういう時にスマホを触るんだな」

という自分のパターンが見えてくる。

 

そこから、

私はこういう状況が苦手なんだ。

こういう時に集中が切れるんだ。

こういう時に逃げたくなるんだ。

こういうものに関心が向くんだ。

って、自分の輪郭が少しずつ出来てくる。

  「思いが実現する」って、こういうこと

私はこれを、

思いが実現している

って言ってもいいと思っている。

 

ただし、

願えば夢が叶うとか、

強く思えば現実が引き寄せられるとか、

そういう話ではない。

 

もっと単純な話。

 

不安がある。

その不安が、身体の動きとして現れる。

 

悲しい。

その悲しさが、涙として現れる。

 

何かが気になる。

その「気になる」が、
視線になったり、
足を止める行動になったりする。

 

つまり、

頭の中にあった思いが、身体を通して現実に現れている。

 

それを私は「実現」と呼んでいる。

願いが叶ったわけじゃない。

でも、

思いは、ちゃんと形になって現れている。

  意志の行動とは少し違う

例えば、

「服を買いに行こう」

と思って店へ行く。

 

これは目的がある。

意志があって、方向性が決まっている。

店で服を見て、
どれを買おうか迷う。

これも、その目的の中にある行動だと思う。

 

でも、

服を買いに行った店の隣で、たまたま気になる商品が目に入って、思わず立ち止まった。

 

これは少し違う。

「立ち止まろう」

と決めたわけじゃない。

でも身体は止まった。

 

そこで初めて、

「あれ?私これ気になってるんだ」

って気付く。

 

買うかどうかは、その後の意志の問題。

 

でも、

立ち止まったという事実そのものが、関心が身体に現れた瞬間

なんだと思う。

 

  身体は、本音そのものではない

もちろん、

身体の行動を全部「本音」と決めつけるのは違う。

 

疲れているだけかもしれない。

習慣かもしれない。

ただの癖かもしれない。

 

だから、一回の行動だけで決める必要はない。

でも、

何度も何度も自分を見ていると、

「ああ、この時はいつもこうなるな」

っていうパターンが見えてくる。

 

その積み重ねが、

自分を知る

っていうことに繋がっていくんじゃないだろうか?

 

自分の好み。

自分が嫌がること。

自分が不安になる瞬間。

自分が惹かれるもの。

自分が考え込む時。

自分が逃げたくなる時。

 

そういうものは、
頭の中で一生懸命考えるより、

自分が無意識に何をしているのか?

 

を見た方が、意外と分かりやすいのかもしれない。

身体は、思っている以上に繊細で敏感だ。

 

だから昔から、

「体は正直」

なんて言葉があるんだろうね。

 シンプルフレーズ

「思いは、言葉になる前に行動という現実になっている。」

 

さて・・・

 

ため息をつく時って、どんな時か自分でみつめたことはありますか?

そのため息、無意識でしてるんじゃない?

 

初対面の会話って難しい。だから「環境」を使えばいいんじゃない?

初めて会う人との会話って、本当に難しい。

「相手の話をよく聞きましょう」
「目を見て、相づちを打って、質問しましょう」

 

……いや、それが出来たら苦労しないんですよ(笑)。

 

だって相手だって初対面なんです。

何を話していいのか分からない。
どこまで自分のことを話していいのか分からない。
相手がどういう人なのかも分からない。

 

お互いに緊張して、警戒して、自分のパーソナルスペースを守りながら話している。

 

そんな状態で、

「さあ、あなたのことを聞かせてください!」

なんて言われても、なかなか話せないですよね😱

  「話を聞く」だけでは関係は作れない

もちろん、相手に気持ちよく話してもらうことは大切です。

でも、それだけでも関係は作れないと思うんです。

 

自分のことも少しずつ開示していかないと、相手からすれば、

「この人、私のことばかり聞いてくるけど、自分のことは何も話さないな」

となるかもしれない。

 

かといって、自分ばかり喋って距離を縮めようとすると、それはそれで相手が置いてきぼりになる。

初対面って、この距離感が難しいんですよね。

 

だから私は、最近こう考えるようになりました。

「会話だけで何とかしようとしなくてもいいんじゃないか?」

 

  二人の間に「共通のもの」を置いてみる

例えば、初対面の人と喫茶店に入ったとする。

 

いきなり、

「趣味は何ですか?」
「休日は何をしていますか?」
「仕事は楽しいですか?」

と聞くより、

 

「このコーヒー美味しいですね」

くらいから始めてもいい。

 

「静かな場所ですね」

でもいい。

 

「人気のお店みたいだけど、何が有名なんでしょうね?」

でもいい。

 

これなら、いきなり相手自身に踏み込んでいない。

話題が二人の間ではなく、二人の目の前にあるんです。

 

すると、

「そうですね」
「私はちょっと苦いかな」
「ここ、前にも来たことありますよ」

なんて返事が返ってくるかもしれない。

 

そこから、

「へえ、こういう店好きなんですか?」

と、少しずつ相手自身の話に移っていけばいい。

  「質問」ではなく「感想を置く」

ここが結構大事なんじゃないかな?と思っています。

「このコーヒー美味しいですね」

 

これは質問じゃない。

だから、相手に答えを要求していない。

 

相手は、

「そうですね」

だけでもいい。

 

「私は苦いの苦手なんですよ」

でもいい。

 

「普段コーヒー飲まないんです」

でもいい。

 

つまり、相手が好きな方向へ話を広げる余白がある。

そして自分も、

「僕はこう感じました」

という小さな自己開示をしている。

 

その自己開示を相手が拾ってくれれば、そこからまた相手の話が始まる。

 

自分の感想を少し置く。
相手の反応を見る。
反応したところを拾う。

この繰り返しなら、無理やり話題を作らなくても会話が続いていくかもしれない。

  会話を「盛り上げる」必要なんてない

初対面だと、どうしても、

「会話を盛り上げなきゃ」

と思ってしまう。

 

面白い話をしなきゃ。
沈黙を作っちゃいけない。
相手を楽しませなきゃ。

でも、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないでしょうか?

 

初対面の目的って、別に漫才をすることじゃない(笑)。

「この人はこういうものが好きなんだ」
「こういうことを面白いと思うんだ」
「こういう話にはよく反応するんだ」

そういう小さな情報を、お互いに交換していけばいい。

 

その積み重ねで、

「なんとなく話しやすい人だな」

になっていく。

 

関係って、いきなり出来上がるものじゃないですからね💦

  ただし、「環境を使えば万能」というわけでもない

 

ここは注意が必要です。

「この店、静かですね」

と言ったからといって、相手が必ず話してくれるわけじゃない。

「そうですね」

で終わることもある。

それは相手が会話下手だからとは限らない。

単純に、その話題に興味がないのかもしれない。

 

だから大切なのは、

「環境の話をすること」ではなく、「相手がどこに反応したのかを見ること」

なんだと思います。

 

反応が薄ければ、無理に掘らない。

 

逆に、

「実は私、こういうお店好きなんです」

と急に話が広がったなら、

「へえ、どんなところが好きなんですか?」

と、そこを拾ってみる。

 

質問を用意しておくというより、相手の反応を次の話題にする。

そのほうが自然なのかもしれません。

  会話は「距離を縮める技術」なのかもしれない

考えてみれば、初対面の会話って、相手を楽しませるためだけのものじゃない。

 

お互いに、

「この人には、ここまで話しても大丈夫かな?」

と距離を測っている時間でもあるんですよね。

 

だから、いきなり深い話をする必要なんてない。

 

天気の話から始めてもいい。

店の話でもいい。

料理でも、コーヒーでも、景色でもいい。

 

ただ、そこにほんの少しだけ自分の感想を入れる。

「美味しいですね」
「僕はこういう店好きなんですよ」
「思ったより静かですね」

それだけでも、ただの世間話から少し変わってくる。

 

安全だけど、無個性ではない。

 

そのくらいの自己開示が、初対面にはちょうどいいのかもしれません。

 

そして相手が何かを返してくれたら、今度はその返事を拾う。

 

そうやって少しずつ、

「二人の間にあった緊張」

を、

「二人で共有している話題」

に変えていく。

 

会話が上手い人って、面白い話をたくさん持っている人じゃないのかもしれません。

 

目の前にあるものを使って、相手が話しやすい場所を作れる人。

そして、相手が一歩出てきたら、自分も一歩出る。

 

その繰り返しが、初対面の人との距離を測るということなのかもしれません。

結局、

「そんなの言葉遊びでしょ?」

って言われるかもしれない。

 

でも、私は思う。

だから何?

って。

 

だって、人は言葉に散々影響されながら生きているんだから。

自分を自由に出来る言葉を使ったらいいじゃないか?

 

好きな自分で生きていく。

好きなコトをして生きていく。

自分のやりたいように生きていく。

そんなことを言うのは簡単だけど、実際にやるのは難しい。

 

  頭では分かっていても、現実で実行するのとはワケが違う。

 

私達は一人では生きていけない。

人との繋がりを求めるし、誰かと関わる以上、その場に合わせたり、相手に合わせたり、自分の立場を守ったりする。

 

そうやって生きていると、いつの間にか増えていく。

「しなきゃいけない」

「ねばならない」

「そうしないとダメ」

こういう言葉が・・・

 

もちろん、必要な時もあると思う。

 

仕事なら仕事のルールがあるし、人間関係には人間関係の距離感がある。

好き勝手だけで生きていけるわけじゃない。

 

でもね。

必要だからって、ワザワザ自分の中まで拘束しなくても良くないか?

 

「しなきゃいけない」
「ねばならない」
「そうしないとダメ」

なんて言葉で、自分まで縛る必要なんかない。

 

だったら、

「こうしたい」

「それがしたい」

「それならしてもいい」

って言えば良いじゃないか?

  結局、ただの言葉遊びなのかもしれない。

でも、私達って言葉にめちゃくちゃ影響される。

 

仕事中に「疲れた」って言ったら、余計に疲れた気がする。

「帰りたい」って言い続けたら、意識はずっと帰りたい方向に向いていく。

「お腹すいた」って言ったら、急に腹が減った気がしてくるし、

「美味しそう!」って言われたら、何となく美味しそうに見えてくる。

 

他人の言葉にだってそうだ。

「あの人嫌いなんだよね」って言われたら、何となく悪い部分が気になってくる。

「この曲めっちゃ良いよ!」って言われたら、聞いてみたくなる。

「あの人素敵だよ」って言われたら、今まで気にならなかった人が少し魅力的に見えたりする。

 

悲しいかな、人は言葉に翻弄される生き物なんだろう。

 

だったら、その性質を自分のために使ったらいいじゃないか?

 

「疲れた」

で終わるんじゃなく、

「疲れたけど、あと2日」

「今日一日なんて、終わってみればあっという間」

「週末何しようかな」

って、その次に言葉を置けばいい。

 

疲れている事実は変わらない。

仕事の時間も変わらない。

 

でも、意識の向く方向は変わる。

「今つらい」

から、

「あと少し」

「終わった後」

「次の楽しみ」

に変わる。

 

これって、十分現実的じゃないだろうか?

 

何でもかんでも、

「なんとかなる!」

「私は元気!」

「全部うまくいく!」

なんて言えば良いって話じゃない。

 

そんな実感の無い言葉を並べたって、自分が一番信用してないんだから意味がない。

ちゃんとリアルに感じられる言葉を使う。

「疲れた。でもあと1時間」

「行きたくない。でも今日は行く」

「面倒くさい。でも終わったら楽になる」

それで良い。

事実を否定しない。

  でも、その事実の次に何を見るかは自分で決める。

昔から、

暑いストーブの上にいる時間は長く感じるのに、楽しい時間はあっという間に感じる。

なんて話がある。

 

一般にアインシュタインに帰される有名な逸話。

「楽しい相手と過ごす長い時間は短く感じ、熱いストーブの上の短い時間は長く感じる。それが相対性だ」

というもの。ただし、これは物理学として相対性理論を説明したものではなく、時間感覚の比喩として広まった逸話。

 

何と言うことでしょう!?

相対性だそうですよ!

時間は同じなのに、感覚は変わるらしいじゃないですか(笑)

 

だったら、同じ現実でも、使う言葉で感覚が変わるのは別に不思議じゃない。

「あと一時間もある」

と、

「あと一時間で終わる」

時計は同じ。

現実も同じ。

でも、感じ方は全然違う。

 

だったら私は後者を選ぶ。

「やらなきゃ」

じゃなく、

「今日はこれをやる」

「しないとダメ」

じゃなく、

「これにする」

「ねばならない」

じゃなく、

「私はこうしたい」

自分が発した言葉に自分が影響されるなら、

自分を縛る言葉を使うより、

自分を自由にする言葉を使ったらいい。

  ただの言葉遊びで良いじゃないか!

お金もかからない。

誰にも迷惑をかけない。

一人で勝手に言えばいい。

頭の中でも良い。

ノートに書いても良い。

独り言でも良い。

 

自分の世界くらい、自分で使う言葉を選んだら良い。

「しなきゃいけない」

しかなかった場所に、

「したい」

「やってみたい」

「今日はこれにする」

「それならしてもいい」

っていう言葉を増やしていく。

 

そうやって、少しずつ選択肢を増やしていく。

 

言葉を変えたからって、現実そのものが魔法みたいに変わるわけじゃない。

 

でも、自分が現実のどこを見るかは変えられる。

 

だったら、

自分を縛る言葉を使うくらいなら、

自分を自由に出来る言葉を使ったらいいじゃないか?

私は、そう思うね。

後悔で眠れない夜がある

苦しさと悲しみで終わらない時間がある

過去の時間はいつも私を追い詰める。

 

未来は見えないからこそ希望を込める

出来ない事でも想像する

未来の時間はいつも私を追い立てる。

今この瞬間に、すでに存在している。

 

未来は分からない。

分からないモノを想像する時、人は何を頼るんだろう。

過去は変えられない。

 

変えられない過去を思い出す時には、

「あぁしていれば」

「こうしていれば」

なんて、つい考えてしまう。

 

じゃあ、今は?

今この瞬間を感じる時には、何を見るんだろう。

 

  過去や未来ばかり見ていると、今が抜け落ちる

未来のために準備する。

勉強する。

貯金する。

資格を取る。

過去を振り返って、同じ失敗をしないようにする。

 

もちろん、大切なことだと思う。

 

でも、そればかりになった時、

今の自分が何を感じているのかを見失ってしまう。

 

未来のために今を犠牲にして、

過去の後悔のために今を苦しんで、

気付いたら、

今という、自分が実際に生きている時間を大切に出来ていない。

これって、結構あると思うんだ。

 

未来のことを考えれば、

「大丈夫かな?」

「出来るかな?」

って不安になる。

 

過去を振り返れば、

「もっと出来たんじゃないか?」

って後悔する。

 

でも、未来はまだ無い。

過去はもう変えられない。

 

だったら、今しかないじゃないか?

  今を大切にするって、自分の気持ちを見ること

私は、

「今を大切にしよう」

っていう言葉だけだと、ちょっと分かりにくいと思っている。

 

今を大切にするって、

ただボーっと今だけを見ることじゃない。

 

今、

何を感じている?

何が嬉しい?

何が嫌だった?

何が好き?

誰が大切?

その自分の感情をちゃんと拾うことなんじゃないだろうか。

 

この前、

「好きって思えること自体が幸せなんじゃないか」

って考えた。

 

好きな人がいる。

好きな音楽がある。

好きな場所がある。

好きな時間がある。

それって、自分の中にちゃんと「好き」があるってことだ。

 

そして、

好きが分かるってことは、

自分が何を大切にしたいのかが分かる

ってことでもある。

  大切なモノに、今の時間を使う

大切にしたいと思ったら、

私は時間を使うことが一つの方法だと思っている。

 

一緒にいる。

話す。

見る。

思い出す。

会えないなら、思い出せる何かを残しておく。

写真でもいい。

言葉でもいい。

スマホの壁紙でもいい。

思い出すためのスイッチを作る。

人間なんて、四六時中ひとつのことを考えていられない。

 

だから、

大切だから忘れないんじゃない。

大切だから、忘れても思い出せるようにしておく。

それも十分、大切にしていると思う。

もちろん、人を大切にするのは簡単じゃない。

自分が一緒にいたくても、

相手は一人でいたいかもしれない。

心配して声をかけても、

余計なお世話になることもある。

 

だから、

自分はどうしたいのか。

相手はどうしてほしいのか。

その落としどころを探していく。

人と人なんて完全には分かり合えない。

 

だったら、

分かり合えない間を埋めるために時間を使う。

 

それだって、

私は十分「大切にしている時間」だと思う。

 

  未来は、今をまとめたものでしかない

未来のために今があるんじゃない。

未来は、今を積み重ねた先にある。

 

今日の楽しい。

今日の嬉しい。

今日の好き。

今日の大切。

そういう瞬間を積み上げた先に、

自分の未来がある。

 

逆に、

不安と心配ばかりを積み上げていたら、

未来の自分が振り返る過去も、

不安と心配ばかりになる。

 

だったら、

今の自分の気持ちをちゃんと見て、

自分が好きだと思えるものを知って、

大切だと思えるものに時間を使う。

 

それでいいと思う。

好きがある。

大切なものがある。

その大切なものに、

今の自分の時間を使えている。

 

それって、

もう十分に幸せな現実なんじゃないだろうか?

私が思う、

今を大切に生きる

って、

きっとそういうことなんだと思う。