ピエール・ブルデューの「ハビトゥス」という概念

本人は、趣味や好み、振る舞いは個人だけで生まれるものではなく、

社会的な環境や経験の中で形成される傾向があると論じています。

 

ここから、「どんな髪型を『かっこいい』と感じるか」も、

社会的な影響を受けていると考えることができます。

 

髪型は自己演出である

髪を切るって、私は最高の自己演出だと思うんだ。

好きな服を着る。
アクセサリーを身につける。
化粧をする。
香水を纏う。

どれも素敵な自己演出だよね。

 

美味しいご飯を食べて写真を撮ったり、好きなアーティストのライブで思いっきり盛り上がったり、趣味に没頭したり…。

 

結局、自分で自分の時間を楽しんで、「今日は良い一日だったな」って思える時間を作ることも、

私は立派な自己演出だと思っている。

 

その中でも、髪を切るっていうのは特別なんじゃないかな?

 

例えば・・・

女性が長かった髪をばっさり切ったら、「えっ、どうしたの?」って思う人は多いよね?

 

もちろん、暑いからかもしれないし、お手入れが大変だからかもしれない。

気分転換っていうこともあるだろう。

 

理由は人それぞれ・・・。

でも、それくらい髪って印象を変える力があるんだと思う。

 

明るい髪色なら元気そうに見えたり

黒くて綺麗な髪なら落ち着いた雰囲気に見えたり

きちんと整えた髪型なら「しっかりした人なのかな」なんて思われたり。

 

もちろん、見た目だけで人は分からない。

でも、人って最初は見た目からイメージを作る生き物なんだよね。

 

だから私は、髪って顔の一部というより、その人の印象そのものを作っているくらい大切な存在なんじゃないか?

って思っている。

 

しかも髪って面白い。

伸ばすこともできるし、切ることもできる。

染めることもできるし、パーマをかけることもできる。

顔は簡単に変えられないけど、髪は何度でも変えられる。

 

だからこそ、自分らしさを表現しやすい場所なんだと思う。

 

私は、髪型って「本当の自分」を見せることもできるし、

「こう見られたい自分」を表現することもできると思っている。

 

営業マンらしく見られたい人。

ロックな雰囲気を出したい人。

流行を取り入れたい人。

自分らしさを思い切り前に出したい人。(自分らしく生きよ!って、AmazonのCM好きだな)

 

どれも、その人が「こんな自分でいたい」「こんなふうに見られたい」っていう想いなんだよね。

 

そして、髪を切ると周りが気付いてくれる。

「髪切った?」

たったその一言でも、なんだか嬉しかったりする。

 

褒めてほしいというより、「変わったね」って気付いてもらえることが嬉しいんだ。

 

自分で決めた変化を、誰かがちゃんと見てくれた。

その瞬間に、「よし、変われたな」って、自分でも実感できる気がする。

 

だから私は、髪を切るっていうのは、ただ髪を短くすることじゃないと思う。

「変わりたい。」

「ちょっと気分を変えたい。」

「新しい自分で過ごしてみたい。」

そんな気持ちを、一番手軽に、一番分かりやすく形にできる自己演出なんじゃないかな。

というわけで、私も夏仕様の髪型にしようと思います(笑)

シルバーヘアは色持ちが悪くて、さすがに諦めました(笑)

 

だから今度は、ちょっとイメチェンしてみようかな?って・・・

色も変えないと・・・

 

楽しいって、待っていたら来るものじゃない。

自分で作っていくものだと思うんだ。

髪を切ることも、そのための小さな投資。

せっかくなら、自分が鏡を見て「なんか良いじゃん」って思える髪型を楽しみたいよね(笑)。

あなたは、なんの為に働きますか?

頑張って、頑張って頑張って、休みなく頑張って、

 

あなたは満足できていますか?

 

自分のことを大切に出来ていますか?

 

自分の為に頑張っていると言えますか?

 

自分の望みを叶えるためには、必要なモノがある。

自分を満足させてあげるには、必要なモノがある。

自分の為に生きていくには、必要なモノがある。

 

その必要なモノは、

 

たぶん・・・

 

お金・金銭、ではないですか?

 

そして、そのお金を稼ぐために

頑張って頑張って、休みなく頑張って、お金を貯めている。

 

そして、お金を使うために、

頑張って頑張って、休みなく頑張って、働き続けている。

 

決して、それは間違っていませんし、

働く理由としては、とても大切なことだと感じます。

 

誰しも、お金の為に働くことが多くて、お金の為に生きていることが多いかもしれません。

そして、お金の為に働いて、お金の為に生きてきたいるのに、

お金を使っていく・・・。

 

最終的には、お金を使うことが目的になることが多いでしょう。

お金を使って、何かに代えていく・・・

 

それが、モノだったり

それが、経験だったり

それが、知識だったり

それが、目に見えないものだったり

 

することでしょう。

 

それは、とても大切なことですし、間違ってはいません。

その為に、毎日・休みなく働いているのだから・・・

 

でも・・・

 

 

あなたは、満足出来ていますか?

いつも、頑張って頑張って、休みなく頑張って、

無理して頑張って・・・

 

そして、あなたは・・・

自分自身は満足できていますか?

 

満ち足りていますか?

なかなか、そうはいかないでしょう。

 

足りない事ばかりに目が行ってしまっている。

 

次のやりたい事・・・

次の欲しいもの・・・

次の経験・・・

 

常に、新しいものを探して、見つけて、手を伸ばしたくなってしまう。

 

その繰り返しの中で、あなたは満足できることはありますか?

 

確かに、目的を達成した瞬間・・・一時は、満足できる瞬間があるかもしれません。

 

でも、次の日には?その次の日には?その、次の次の日には?

すぐに、違うものが必要になってしまっていませんか?

 

それは、

 

あなたが本当に望んでいるモノではないもの

 

では、無いからかもしれません。

 

今、あなたが望んでいるモノ・・・

今、あなたが欲しているモノ・・・

今、あなたが見ているモノ・・・

 

それは、他の誰かから影響されているからかもしれません。

 

誰かが欲しいと言っていたから、誰かが良いと言っていたから

誰かが持っていたから、誰かが経験していたから

 

他の誰かに影響されて、言葉に惑わされている

だから、あなたが手に入れることが出来ても、

あなたが、満足できていないのかもしれません。

 

確かに、人間は満足できない、欲望に限りがない存在かも知れない。

 

でも、あなたが本当に望んでいるモノは、

今、あなたが頑張って働いている理由のモノとは

 

違っているのかもしれません。

 

 

仕事柄・・・というか、経験柄・・・いろいろな人を見てきて思うけれど、

人間関係の始まりって、実はものすごくドライで切実だ。 

 

最初からそこに「信用」なんてものは存在しない。 

だって、初対面の相手を信用する材料なんて、本来ハナから一粒も持っていないのだから。

信用って、何から始まるんだろう?

 

人間関係って、何から始まるんだろう?

「信用です。」

……って言われても、初対面の人を信用なんて出来ないよね。

 

だって、その人のことを何も知らないんだから。

だから人は、最初に見える情報から相手を判断する。

 

笑顔だったり、挨拶だったり、服装だったり、プロフィールだったり、自己紹介だったり。

最近なら、SNSやマッチングアプリのプロフィール、レビューなんかもそうだ。

 

結局、人は開示された情報からしか相手を知らない。

 

だから第一印象って、思っている以上に大事なんだと思う。

ルッキズムなんて言葉もあるけれど、初対面で見た目が判断材料になるのは仕方がない。

 

だって、他に材料が無いんだから。

もちろん、見た目だけで信用されるわけじゃない。

 

でも、「この人と少し話してみようかな?」と思わせるきっかけにはなる。

私は、それで十分だと思っている。

 

  よく「人は見た目で判断するな」と言うけれど、初対面では見た目しか判断材料がないのだから、ルッキズム云々以前に無理な話である。

演出なんて嫌だ。

素の自分で勝負したい。

 

そんな意見もあるだろう・・・

 

でも私は思う。

演技で上等。

 

礼儀だって演技だ。

笑顔も演技だ。

敬語だって演技だ。

テーブルマナーだって演技だ。

 

全部、「私はあなたと良い関係を築きたいですよ。」という演出なんだから。

 

演出だから嘘なんじゃない。

関係を始めるための入り口なんだ!!!

 

だって、初対面で酔いつぶれてゲロを吐いている人と、「また会いたい」と思う人は少ないでしょ?

 

だから人は、目に見える情報から相手を推し量るしかない。 

プロフィール、笑顔、挨拶、清潔感のある服、言葉遣い。

 

まずは入口を作る。

そのための第一印象なんだ。 

  じゃあ、自己開示は何のためにするのか?

私は、自己開示には下心があると思っている。

恋愛でも営業でも同じ。

 

相手と仲良くなりたい。

仕事を任せてもらいたい。

信用してもらいたい。

 

だから自分の情報を渡す。

つまり、未来の信用を得るための投資なんだ。

 

予約もそう。

レビューもそう。

プロフィールもそう。

自己紹介もそう。

 

全部、「私はこういう人です。」という情報を相手へ預ける行為なんだと思う。

 

「私は怪しい者ではありません」という看板であり、

未来の信用を得るために最初に差し出す「手付金」みたいなものだ。

  全裸にならなくていい。大人の正しい「自己開示」のルール

でも、全部さらけ出す必要なんて無い。

 

そんな世界じゃない。

職場の同僚に、自分の人生を全部話す必要はないし、趣味で知り合った人に家族の事情まで話す必要もない。

小出しでいい。

 

むしろ、小出しくらいがちょうどいい。

関係性には濃淡がある。

恋愛と職場では違う。

親友と顔見知りでも違う。

だから、自分が必要だと思う分だけ自己開示すればいい。

第一印象というきれいな玄関を作り、

自己開示というドアを開け、

約束を守るという実績で部屋を整えていく。

 

そうやって時間をかけて積み上げた先で

ようやく「あいつって実はこういう不器用なところがあるんだよね」という

その人だけの味わいや「人間らしさ」が愛おしく見えてくる。

 

相手が何を知りたいかなんて、こちらには分からない。

だったら、自分の主観で「ここまでは話そう。」と決めればいい。

 

  人間関係は「手付金」と「約束の履行」でできている

そして、本当の信用は、その先で作られる。

約束を守る。

時間を守る。

言ったことをやる。

 

その積み重ねで、「この人は信用できる。」になっていく。

 

だから私は思う。

信用は、情報から始まる。

 

でも、

信用は、情報だけでは完成しない。

 

最初はプロフィール。

次は会話。

その次は約束。

そして履行。

そうやって何度も積み重なって、ようやく「あの人らしいね。」という個性が見えてくる。

 

人間関係は、最初から深くなるものじゃない。

第一印象という入口があって、自己開示という橋を架けて、約束を守るという積み重ねがある。

その先に、ようやく本当の信用が生まれるんだと思う。

信用とは、奇跡みたいに突然降ってくるものじゃない。 

相手を安心させる演出から始まり、誠実な約束の積み重ねの果てに、ひっそりと育つ未来への期待なのだ。

ジークムント・フロイト

防衛機制という概念では、人は耐え難い現実から心を守るために、無意識に注意を逸らしたり、否認したりすると考えました。

ただし、防衛機制は「悪いもの」とされているわけではなく、状況によっては心を守る働きとして理解されています。

 

「現実逃避保険」と「税金督促保険」、本気で作ってくれませんか?

 

本気で思う・・・

「現実逃避保険」と「税金督促保険」って、どこか作ってくれませんか?

即加入します。

多少保険料が高くても加入します。

 

……いや、その保険料を払うお金があったら税金払えよって話なんだけどね(笑)🤣

 

でも、本当に欲しいんだよ?

 

だって、人間って嫌なことがあると目をそらしたくなるじゃない。

 

ギャンブルで負けた。

投資で含み損が膨らんだ。

そっとアプリを閉じる。

 

嫌いな人が近付いてきた。

「あ、トイレ行こう。」

 

苦手な授業。

「保健室行ってきます。」

 

税金の督促状。

封筒を開けて……もう一回閉じる。

 

あるでしょ?

みんな一度くらいはやってるでしょ?

  目をそらしたっていいじゃないか?

自己啓発では、

「好きなことをしましょう。」

 

マインドフルネスでは、

「今に集中しましょう。」

 

スピリチュアルでは、

「使命を生きましょう。」

 

そんな話をよく聞く・・・

楽しいことを笑顔になれることが使命だって、楽しいに集中することが生きやすくすることだって、関係の中で自分をどう変えるのかが重要だって・・・

 

斯くいう私だって、そういう話を沢山されてきたし、言っている人の近くに居たし・・・

なんなら、言う側だった時期だってある。

 

だから私は、それを否定したいわけじゃな・・・。

むしろ、その通りであってほしいと思ってる。

 

でもさ……

好きなことをしたからって、税金は消えないんだよ(笑)

リアルな話しね?

投資のマイナスも消えない。

嫌いな人も職場にいる。

督促状も律儀にやって来る。

 

現実は、本当に真面目なんだ。

 

  それでも逃げて良い!に決まってる!

でもね・・・私は思うんだ。

目をそらしたっていいじゃない!

 

その瞬間くらい。

今この瞬間くらい。

 

ギャンブルの画面を閉じて、宝くじの列に並んだり

嫌いな人が来たからトイレに行ってみたり

投資の画面を閉じて漫画を読んでみたり

嫌いな授業、嫌いな先生の授業の時は保健室に避難したり

督促状片手にアイ◯ルに並んでみたり

お酒を飲みながら笑ったっていい

わざと失敗して話をかえてみたり

 

それで現実が消えるわけじゃないのは分かってる・

・・・そんなことは分かってる。

 

でも、今この瞬間を乗り越えるためなら、それは立派な選択だと思う。

  そこまで行けるなら、まだ元気

マインドフルネスをしに静かな場所へ行く。

スマホ開いたらどこでも同じなんよ・・・

 

図書館で自己啓発本を読む。

読んで満足するだけですけどね?

 

占いの館へ並ぶ。

何回目の来店ですか?

 

スピリチュアルな人に会いに行く。

半信半疑だと意味ないよ?本気で信じられる人に出会ったことある?

 

税金から逃れる為に海外へ逃亡する。

逃げても捕まるんですけどね?

 

……いや、そこまで行動できるなら、まだまだ元気じゃん(笑)

 

本当に何もできない時って、そこまで動けない。

だから私は、そうやって「好き」を探しに行ける人は、それだけでも生きる力が残っているんだと思う。

 

  距離を取ることは逃げじゃない

私は、現実逃避を勧めたいわけじゃない。

 

税金は払わなきゃいけない。

借金も返さなきゃいけない。

嫌な人とも、どこかでは向き合わなきゃいけない。

現実は消えない。

 

でも、

嫌なこととの距離を自分で決める権利くらいあっていいじゃないか?

 

今は近付きたくない。

今日は見たくない。

少しだけ笑っていたい。

少しだけ忘れていたい。

そんな日があったっていい。

 

それは弱さじゃない。

自分を守るための選択なんだから。

 

  保険、本当に欲しいんだよ

だから私は今日も願っている。

「現実逃避保険」

「税金督促保険」

どこか本気で商品化してください(笑)

 

もちろん、保険に入ったところで督促状は止まらないんだろう。

税金も待ってくれないんだろう。

代わりに謝って、交渉して、何なら代わりに税金相当額を補填してくれて

海外に逃避するチケットを用意してくれて、

それで・・・

「大丈夫です。今は少しだけ休んでください。」

そんな通知が一緒に届くだけでも、人は少し笑える気がする。

 

現実は逃げても追いかけてくる。

だったらせめて、逃げる時間くらいは自分で選びたい。

私は、それも立派な生き方の一つだと思っている。

 

逃げ切れるならそれは最高の結果だ!

教えて下さい。私も逃げ切りたい(笑)

「幸せになりたい。」

誰でも一度は口にしたことがある言葉だと思う。

 

「幸せになっていく」という言葉が好き

「幸せを掴む。」
「幸せになりたい。」
「幸せにしてあげたい。」
「幸せにしてもらいたい。」

どれもよく聞く言葉だよね。

 

もちろん、間違っているなんて思わない。
言葉のアヤでもあるし、人それぞれ価値観も違う。

 

でも私は昔から、この言葉たちに少しだけ違和感があった。

だって私は、幸せって後から気付くものだと思っているから。

 

夢中で生きている最中は、それが幸せなのかなんて分からない。

振り返った時に初めて、

「あの時間、幸せだったんだな。」

そう思えるものなんじゃないかな?って・・・

  人の欲望に終わりはない

人は一つ夢を叶えたら、また次の夢を見る。

欲しかった物を手に入れても、今度は別の物が欲しくなる。

隣の芝生は青く見えるし、他人と比べれば足りないものなんていくらでも見つかる。

 

もし幸せが「ここがゴールです」という完成形なら、人はずっと幸せになれない気がするんだ。

 

だから私は、「幸せを掴む」よりも、

「幸せになっていく」

という言葉の方が好きなんだよね。

  幸せに形なんてない

もし幸せに決まった形があるなら、

「これが幸せです。」

って誰にでも言えるはずだ。

 

でも実際は違う。

家族の笑顔が幸せな人もいる。

夢を叶えることが幸せな人もいる。

お金が幸せな人もいる。

社会的地位を求める人もいる。

人の数だけ欲望があって、人の数だけ幸せの形がある。

 

だから私は、「幸せとはこれです」なんて語れない。

 

  幸せだけは他人の評価じゃない

私は以前から、

「好きになっていく。」

「正解にしていく。」

という言葉を大切にしてきた。

 

好きは、時間や経験を積み重ねるから育っていく。

正解は、自分一人では決まらない。

仕事も人間関係も、周りとの関わりの中で初めて「良かったね」「成功だったね」と評価される。

 

だから正解は、自分で正解にしていくものなんだ。

 

でも、幸せだけは違う。

他人が決めるものじゃない。

他人から「幸せそうだね」と言われても、自分が違うと思えば違う。

 

逆に、誰にも理解されなくても、自分が幸せだと思えるなら、それはその人にとって紛れもない幸せなんだ。

幸せだけは、自分の満足であり、自分の価値観であり、自分のエゴで好きに表現していい。

  「幸せにしていく」じゃない

私が「幸せになっていく」という言葉を好きな理由はもう一つある。

 

「幸せにしていく」と言うと、どこか完成形を作ろうとしているように感じる。

レールを敷いて、その通りに歩けば幸せになるような響きがある。

 

でも、

「幸せになっていく」

と言った瞬間、自分が当事者になる。

 

誰かが作った幸せじゃない。

誰かに与えてもらう幸せでもない。

自分の足で歩いて、自分の価値観で、自分自身が少しずつ変わっていく。

その歩みそのものが、幸せへ向かう時間なんだと思う。

 

  幸せだった。そして、幸せになっていく

私は幸せが「何か?」なんて語れない。

 

でも、目指したいとは思っている。

「あの頃、幸せだった。」

そう思える過去がある。

 

「幸せになっていきたい。」

そう願える未来がある。

 

その二つがあるから、人は今日も一歩踏み出せる。

 

私は、その一歩を踏み出すことを「勇気」と呼べたら素敵だと思う。

 

誰かに幸せにしてもらう人生じゃなくていい。

誰かの幸せを羨む人生じゃなくていい。

 

一緒に幸せになっていく

そんな歩き方ができたなら、それだけでも十分に幸せなんじゃないかなって、私は思う。