こんにちは。
今日は、ちょっとだけ「ずるくて、美しい」生き方のお話を。
皆さんは、「自分のためだけに生きなさい」という言葉に、息苦しさを感じたことはありませんか?
「自分のために頑張る」 「自分を一番に大切にする」
それが正解だとわかっていても、私たちはそれほど強くはありません。
むしろ、自分のためだけだと、どうしても頑張りきれない夜がある。
そんな時、私たちは「言い訳」を探します。
私は、誰かを理由にしなければ生きられない弱さを知っている
『人は、自分のためだけに生きられるほど強くない。』
この言葉が、ずっと私の中に残っている。
まぁ、正確には少し違うのだけれども、同じような意味だと理解している。私はね・・・
「自分の人生は自分のもの」
「他人に依存するな」
そんな正論は、いくらでもある。
「誰かのせいにしないと、自分を正当化できない」という弱さも持っている気がするんです。
-
「あの子のために、今は踏ん張らなきゃ」
-
「あの人を悲しませないために、今は笑っていよう」
そうやって、誰かを理由にすることで、私たちはようやく自分を裏切らずに済むのかもしれません。
でも、正直に言えば・・・
私は、自分だけを理由にして生き続けられるほど、強くない。
人は利己的だ。でも、それだけじゃ生きられない
人は利己的な生き物だと思う。
自分が一番大事で、自分が可愛い。
本当はみんな、そうだ。
それでも私たちは、
誰かに必要とされたり、誰かの存在を理由にしたりしながら、
なんとか今日を生き延びている。
「誰のために生きてるの?」
「自分のためでしょ?」
そんな問いに、胸を張って答えられる人が、
どれだけいるだろう。
誰かの時間を奪うのが怖い。 自分のために誰かを巻き込むのは、もっと怖い。
だから「一人でいたい」と願う。
それは、相手への配慮に見えて、実は自分を守るための「清潔なバリア」なのかもしれません。
でも、それでいいんだと思います。
「人の時間を奪いたくない」
そう言って孤独を選ぶのは、あなたがそれだけ、他者の存在を重く、大切に捉えている証拠だから。
「他人の時間を奪いたくない」という言葉の裏側
私はよく、こう言ってきた。
「他人の時間を奪いたくないから、一人でいたい」
それは確かに本音だ。
人に期待しないし、干渉しないし、頼らない。
自己完結している時の私は、結構ちゃんとしている。
でも、ふと思う。
それって本当に、
相手の時間を気遣っているだけなんだろうか?
もしかしたら・・・
自分の時間を奪われるのが怖いだけじゃないか。
また傷つくのが怖いだけじゃないか。
そんな疑問が、頭をよぎる。
学ばなかった私、学べなかった私
過去に、「あなたは悪魔だ」と言った人がいた。
正直に言えば、それが私の“ハズレ”だったのかもしれない。
それでも、
何度やり直しても、
生まれ変わっても、
きっと私はまた、その人を好きになる。
愚かで、学ばなくて、同じところで転ぶ。
それが、私という人間なんだと思う。
「誰かのため」は、逃げじゃない。ただの生き方だ
「誰かのために生きたい」
それは、綺麗な言葉だ。
でも同時に、とても危うい言葉でもある。
誰かのため、を理由にすれば、
悲しみも、苦しみも、少しだけ誰かのせいにできる。
「私が弱いんじゃない」
「だって、誰かのためだったから」
そんな言い訳をしながら、
私たちは生きているのかもしれない。
それでもいい、と私は思う。
だから私は、こう生きたい
私は、誰かを理由にしなければ生きられない弱さを知っている。
だからこそ、誰かを理由にしてでも、自分を裏切らずに生きたい。
「自分のためだけに生きる」なんて、
格好いいことは言えない。
でも、
自分のために生きた結果、
その先で誰かの役に立てたら――
それで十分なんじゃないだろうか。
自分の身勝手が、誰かのためになる。
そんな奇跡が起きるには、相手が自分の「共犯者」でなければなりません。
それはとても難しいことです。 だからこそ、私はこう願ってしまうのです。
孤独という、静かな選択
「誰かのため」という言い訳を盾にして、まずは自分のために生きる。
その結果として、いつか誰かの光になれたら、それはなんて素敵なことだろう。
たとえそれが「自己満足」だとしても。 たとえ「学ばない道化」だと笑われても。
誰かを理由にしてでも、自分を裏切らずに生きていく。 その弱さを抱えたまま、一歩ずつ進んでいく。
そんな生き方も、案外、悪くないと思いませんか?
誰かの理解者や共感者、ましてや共犯者になることを、
無理に求めなくてもいい。
誰かの時間を奪わない。
自分の時間も奪わせない。
それは冷たさじゃなくて、
自分を守るための距離なんだと思う。
孤独は、敗北じゃない。
時には、ちゃんと考え抜いた選択だ。
最後にシンプルフレーズ
「誰かのため」は、時に言い訳で、時に支えで、時に逃げ道だ。
それでも私は、その言い訳を抱えたまま、今日も生きていく。
自分を裏切らないために。
そして、もし届くなら、その先で、誰かのためになれたらいい。
今日もお疲れ様でした。 あなたの「優しい言い訳」が、明日を少しだけ明るく照らしますように。


