皆様、ごきげんよう。
今日も「失うものがない」という無敵のカードを胸に、軽やかに生きていらっしゃいますか?
家を手放す。車を手放す。
かつての私にとって、それは世界の終わりを意味していました。
でも、いざその段取りが始まると、不思議なことに脳内は「人生の大掃除セール」を謳歌するお祭り騒ぎへと変わっていったのです。
失った先に、少しだけ光が見えた頃
相変わらず仕事と家の往復だった。
休日に、のほほん。
……なんて行くはずもなくて、生活は一気に「次の段取り」に入っていった。
家を手放す。
そのために不動産屋へ行き、売却の手続きを進める。
同時に、次の住まいを探す。
賃貸。
家族が多いから、それなりの広さが必要で、仕事に通える距離も考えなきゃいけない。
そして、避けて通れないのが子供たちのこと。
転校。
ここが一番大変なはずだった。
子供の気持ち、友達との関係、不安。
普通なら、問題だらけになるところだ。
不登校という絶望が、引っ越しの「免罪符」に
家を売りに出し、次の賃貸を探す。
家族が多い我が家にとって、それはパズルを解くような作業でした。
そして最大の懸念事項、子供たちの「転校」。
普通なら胸を痛める場面ですよね。
ところが、我が家の天使たちはもともと不登校気味。
学校というシステムに絶望していた彼らにとって、強制的な環境リセットは「最高のギフト」にすら見えました。
「あれ? もしかして、破産して家を追われるのって、家族の再スタートに仕組まれた神様の導き(笑)なんじゃない?」
失った空虚さを、そんな都合のいい前向きさで埋めていく。
因果なものですね。絶望のどん底で、私は初めて「これからが楽しみだ」なんていう、最高に皮肉な希望を抱いたのです。
「走れば官軍」の中古エスティマ
破産手続き中に車は持てるのか? そんな疑問もありましたが、答えは「一括購入でローンがなく、生活に必須ならOK」。
手放したピカピカの愛車の代わりにやってきたのは、格安の中古エスティマ。
「走れば、それは車である」 この悟りを開いた瞬間、私の価値観はまた一つ、高みへと昇華されました。
家具も家財も、思い出もろとも大半を処分。
身軽になった私を待っていたのは、山の中の、時間の流れが止まったかのような古民家
そして私は、心の中で叫んでいた。
『田舎暮らしサイコー!』
……と言いたいところだった。
「田舎暮らしサイコー!」の裏側に潜むもの
「人間関係を一新して、静かに、豊かに暮らそう」 そんな甘い幻想を抱いて飛び込んだ田舎。
そこには、都会の喧騒よりも遥かに強烈な「超・密着型コミュニティ」が待っていました。
草刈り、お祭り、地域の行事……。
もちろん参加しましたよ。郷に入っては郷に従え、です。
でもね、気づいてしまったんです。
地域の皆様は、そこに「想い」や「意図」を持って参加されている。
一方で、私たちはといえば、今日という不条理な一日を乗り越えるだけで精一杯。
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全員参加がデフォルトの草刈り。
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驚異的なまでの仲間意識。
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目に見えない、古くからのしがらみ。
「静かな暮らし」を求めて辿り着いた先は、別の意味で賑やかな、逃げ場のない小宇宙でした。
不登校の子供たちにとっては新天地でも、破産という業を背負った大人にとっては、
そこは新たな「修行の場」に過ぎなかったのかもしれません。
さて、憧れの古民家生活が、どのように私の精神を削り、あるいは癒やしていったのか。
「田舎のしがらみ」という名の迷宮のお話は、また次回。
皆様の今日が、草刈りのない穏やかな一日であることを祈っております。

