前を見て歩く。
足元を見て歩く。
そんな当たり前のことさえ、現代の私達は出来ない。
見ることが出来ないんだ。
自分の立っている場所も、進んで行く先も・・・
見ているのは、スマホの画面と周囲の他人の顔ばかり・・・
「見る」は、いつから“評価”になったんだろう?
人は毎日、何かを見ている。
街を眺める。
鏡を見る。
SNSを見る。
写真を見る。
レビューを見る。
でも、その「見る」は、本当にただ見ているだけなんだろうか?
今回考えたいのは、「眺める」と「凝視する」の違いだ。
■ 眺めるということ
例えば、街を歩いている時。
看板が見える。
人が通る。
空の色が変わる。
花が揺れる。
そこに強い意味は無い。
興味は流れ、視線は移動し、感情も変わっていく。
これは「眺める」に近い状態なんだと思う。
流動的で、固定されない。
ただ世界を受け流している状態。
鏡を見る時も、少しこれに近い。
髪を整える。
顔を見る。
なんとなく不満を持つ。
でも、次の瞬間には別の角度を見ている。
鏡の自分は固定されない。
常に変化しているからだ。
■ 写真になった瞬間、人は“凝視”を始める
でも、それが写真になると変わる。
切り取られた瞬間、意味が固定される。
- 顔の形
- 肌
- 年齢
- 表情
- 雰囲気
全部が「評価対象」になる。
つまり写真は、「見る」から「判定」に変わるんだ。
そして現代は、そこからさらに進む。
加工する。
修正する。
演出する。
動画になれば、動きまで整え始める。
それはもう、「自分」ではなく「見られたい自分」を作る作業だろう。
アイドルとは偶像だ。
つまり、「見られるために設計された存在」。
今のSNS時代は、その偶像化を誰もがやっている。
■ 人は、自分を直接見ることが出来ない
ここで面白いのは、自分を探そうとした時だ。
私は未だに「自分」が分からない。
適当に生きているように見られる。
別に不満だけではない。
でも、モテないのは悲しい。
なら、どうしたらいいのか?
結局、人は「どう見られているか?」を気にする。
ちゃんと考えていそう。
余裕がありそう。
誠実そう。
魅力的そう。
そういう“印象”で判断されるからだ。
つまり、人は自分を直接見ることが出来ない。
だからこそ、他人の目の中に映る自分を探し始める。
■ 「どう見られたいか?」の方が見つけやすい
本当の自分を探すのは難しい。
でも、
- 強く見られたい
- 優しく見られたい
- 面白く見られたい
- センス良く見られたい
こういう「どう見られたいか?」は、案外見つかる。
だから最初に探すべきなのは、「本当の自分」じゃなく、「見られたい自分」なのかもしれない。
ただ、その瞬間から人は迷い始める。
自分が見ている自分と、他人が見ている自分がズレるからだ。
そのズレが、他者依存を生み、「もっと自分を探したい」に繋がっていく。
■ レビューは、“他人の視線”の集積
そこで現代人が使うのがレビューだ。
レビューとは、単なる感想じゃない。
「他人がどう感じたか?」の記録だ。
- この店は映える
- この服は好印象
- この香水はモテる
- この場所はセンスが良い
そういう「他人の評価」が大量に並んでいる。
人はそれを見て、取捨選択する。
そして、その評価を自分の中に取り込み、「見られたい自分」を編集していく。
だから、「形から入る」は間違いじゃない。
内面を直接育てるのは難しい。
でも、形は真似できる。
服装。
場所。
話し方。
雰囲気。
外側を整えることで、後から内面が追いつくこともある。
■ 現代は、新しい規律訓練型社会なのかもしれない
ここで、私は思う。
これも一つの「規律訓練型社会」byフーコー なんだろう。
昔は、
- 学校
- 工場
- 軍隊
みたいな場所が、人を訓練した。
でも今は違う。
SNS。
レビュー。
アルゴリズム。
それらが、「どう見られるべきか?」を教えてくる。
しかも怖いのは、誰かに命令されているわけじゃないことだ。
人は自分から進んで、
- 加工し
- 修正し
- 空気を読み
- 好印象を作り
- 正解っぽい人格を演出する
つまり、他人の視線を、自分の中に住まわせている。
■ それでも、人は“見られたい”を捨てられない
でも、人は社会の中で生きている。
だから「どう見られるか?」を完全に捨てることは出来ない。
問題は、他人を気にすることじゃない。
「どの視線を採用するか?」なんだと思う。
レビューを見てもいい。
SNSを見てもいい。
でも、その全部を取り込めば、自分は他人の評価の集合体になってしまう。
だから最後に必要なのは、
「私は、どの見られ方を選びたいのか?」
という、自分なりの美学であり価値観なんだろう。
どうありたいか?
って言うのを知る時に、既にある他人の評価を参考にするのは決して間違いじゃないと思う。
シンプルフレーズ
「人は、自分を直接見ることが出来ない。
だから、他人の目の中に映る自分を探し続ける。」
次回はレビューっていうモノの使い方の可能性を模索したい
自分探しの一歩は、レビューっていう投稿にあるのかもしれないと私は思うから




