連載形式での投稿をしてきました。

最後までご覧いただいた皆様本当にありがとうございました。

 

物語は終わりましたが、最後に『問い』とはなにか?

あとがきを通してまとめさせてもらいます。

『“わたし”に耳をすませる』

 

あとがき ── それでも問いは続いていく

「問い続ける」ことが、こんなにも孤独で、でもあたたかなことだと、
加代子の物語を通じて、私自身も再確認しました。

 

この物語は、
「自分の言葉を持ちたいけれど、どうしても信じられない」
「誰かの目線に揺れてしまう」
「“いい人”でいたいと思ってしまう」
そんな、どこかで立ち止まってしまった人へと、
そっと手渡す“まなざし”のつもりで書き続けてきました。

 

加代子は、最初から強くなったわけではありません。
ただ、問いを持ち続けた。
“正しさ”ではなく、“いまの自分が大切にしたいもの”を選ぼうとし続けた。

時に言葉に迷い、
言葉を信じられなくなり、
沈黙すら怖くなった時期もありました。

 

それでも、彼女は変わっていきました。
「変わった」のではなく、**「変わっていける自分を、少しずつ信じられるようになった」**のです。

そして、それは私たち誰にとっても、
どこかで静かに始められる、**“問いの営み”**です。

 


解説:加代子にとっての「問い」とは?

加代子にとって、「問い」は
自己否定のための“確認作業”ではなくなっていきました。

かつて彼女は、
「これで合ってる?」
「私、間違ってないよね?」
という“他者の評価”を前提とした問いに、囚われていました。

でも、物語の中盤以降、加代子は変わっていきます。

 

「選びきれなくてもいい。正しさよりも、今の自分が大切にしたいことを選んでもいい」

 

という言葉に代表されるように、
彼女の問いは、「自己承認」へと変わっていきました。

 

そして最終的には、
問いは「共に考えること」、
“わかり合えなくても、語り合える関係性”を育む道具へと昇華します。

 


わたしたちの「問い」とは?

問いは、すぐに役立つ“正解”を導くものではありません。


むしろ、問いを持つことで、わからなさや不安と向き合うことになります。

けれど、その**“わからなさ”を、誰かと共有できたとき**、
わたしたちは、孤独から少し解放されるのです。

「問いとは、わたしの中にある、まだ名前のない感情を、
そっと見つめるための、ランタンのようなもの」

誰にも届かないかもしれない問い。
言葉にすらならない想い。

けれど、それを大切にしようとする“姿勢”そのものが、わたしたちの哲学なのです。

 


最後に

この物語は、“問いの物語”であり、
“わたし”というひとりの人間が、“わたしたち”という関係性の中で変化していく物語です。

 

問い続けることを、怖がらなくてもいい。
答えられなくても、問いがあるだけで、
誰かと、あなた自身と、つながっていけます。

「あなたは、あなたを置いていかないでください」

そしてどうか、
今日も小さな“問い”とともに、
あなた自身の声を、忘れずにいてください。


🌿 加代子の「問い」一覧と語り


1. 私は、私を信じられているだろうか?

自分の言葉、自分の選択、自分の気持ち。
それを信じようとする瞬間が一番怖くて、一番自由なんだ。


2. 誰かにわかってほしいと思うのは、甘えなんだろうか?

いいえ、甘えではありません。
人は、誰かに触れてもらって初めて、自分の形を知っていくから。


3. 問いすら持てない夜は、どうしたらいい?

問えない夜もあっていい。
その沈黙こそが、あなたの深さであり、優しさかもしれない。


4. わたしは、なにに傷ついてきたのか?

忘れてしまったフリをしていた傷は、
実は「大切にされなかった」ではなく、「大切にできなかった」自分の感情だったのかもしれない。


5. なぜ、正しさを選びたくなってしまうの?

間違えることが怖かっただけ。
誰かに否定されることが、怖かっただけ。
「わたしが間違えたら、全部終わってしまう」──そんな思い込みが、苦しかっただけ。


6. 問いに“正解”は必要ですか?

問いの役割は、「答えること」ではなく「考え続けること」。
だからこそ、答えが一つじゃなくてもいいし、変わっていってもいい。


7. どうしてあの時、声をかけられなかったの?

優しさは時に、言葉にならない。
けれど、優しさは、ちゃんと相手に届いている。


8. “伝えようとする”って、どういうこと?

それは、あなたの“いまここにいる”を示す灯り。
相手のためじゃなくて、あなた自身が、自分の存在を確かめるための行為。


9. わたしは、誰かの問いに、どんなまなざしを重ねているだろう?

受け取るだけではなく、寄り添うこと。
“答える”より、“ともに考える”関係性へ。


10. いつから私は、自分に問いを持つことをやめていたのだろう?

きっと、「こうあるべき」に疲れて、
「こうでなきゃ」に支配されていたから。
でも、今ここから問いを持ち直していい。何度だって。

 

  ✉️ 手紙のように──問いの魅力を知っても、動けないあなたへ

 

きっと、わかっているんだと思います。
“問いを持つことが大切”だということも、
“自分らしく在ることが素敵”だということも。

 

でも、それでも変われない。動けない。苦しいまま。


──そんな日もありますよね。

人は、「わかっているから」変われるのではなく、
「わからなさ」と共に生きていけるようになって、
ようやく“変わっても大丈夫かも”と思えるようになるのかもしれません。

 

問いを持つことは、
すぐに日常を変える魔法じゃありません。

 

でも、問いを持つことで、
あなたはもう“あなたを見つめ直している”という事実だけは、たしかに残ります。

わたしたちが本当に欲しいのは、
「正解」ではなく、「安心して問い続けられる場所」なのかもしれません。

だから、
いま、すこしずつでも
「どうしたらいいんだろう?」と立ち止まった自分に、
「それでいいよ」と言ってあげてください。

 

問いを持ち続けること。
それは、自分に誠実であるということ。
そして何より、
**「あなたはあなたと一緒に生きている」**という証です。

 


最後に・・・

「あなたが今日、“問いたい”と思ったことは、なんですか?」

聞かれても答えられないと思います。

でも、それで良いんだと思う。

 

何を問うか?が、重要じゃない。

問いって言う選択と方法を使って、焦らない気持ち、決めつけない気持ち、勝手に振り回されない気持ち

っていう余裕を見つけて欲しい。

 

私達に必要なのは心の余裕って言う、自分への優しさだと私は感じている。