卒業前の高校生が女子中学生を殺害し金を奪った。


 おじさんは胸が痛い。彼女は何をテーマにこの世に生を受けたのか。男は何をテーマにこの世に生まれてきたのか。それを見て心を痛めるおじさんは何を学び、何を改善すればいいのか。


 人生で体験するすべては自分が創り出したものである。気の毒だが、そういうプランの下に生まれてきたというしかない。殺す方、殺される方同意の下に生まれたのか、それともプランに齟齬をきたしたのか。彼女の魂に聞いてみなければ分からない。


 男は死をあまりにも軽く考えている感じがする。中学生の女子がいったい幾ら持っていると思ったのか。


 生き返る呪文が効くとでも思っているのか。高校生でこんな馬鹿が存在するのか。


 ゆとり教育を提唱した学者・官僚・実践した政治家殿、貴殿等の実験的お遊びはこういう人間を創り出しました。


 ご気分は、ご感想は如何?



 フィギュアスケートの女子ソロの部フリーで、浅田真央選手が自己最高得点を出したものの、前日のショートの低得点が響き、メダルに手が届かなかった。


 ジャンプ・ラージヒルの葛西紀明選手にしても、完全な逆転だと思われたが、僅かな差で2位になった。


 疑惑を招くのは特典が発表されるまでの時間が異様に長かった点である。審判は飛形点を入れるだけである。距離は別の審判がジャッジする筈だ。


 飛形は最高点と最低点をカットして合計する。また距離はK点を60点として、前後へプラスマイナスするようだ。


 他の選手は5秒ほどで得点がTV画面に出る。なのに何故、最後だけそんなに時間を要したのか。


 一つ推定されるのは、風による加減とスタート地点による加減であるが、これもプログラミングされている筈である。それが公平かどうかは別として、このたびの競技はこれで行くとなったら機械的にはじき出せばいいだけである。もしそれが実情と大きく異なるのであれば、終わってから見直せばいいだけである。それに全選手同一条件の筈である。


 見直しはお得意の筈だが……。


 ジャンプで日本の成績が良くなると、身長を基準にして一定の割合にお決めになった。その甲斐あって、日本のジャンプ人は極端に不振に陥り、多くの選手が選手生命を断たれた。



 おじさんは、その遠因はノルディック複合で萩原健司選手がワールドカップで優勝を重ねた事にあると見ている。



 ノルディック複合のチャンピオンというのは、日本人が想像できないぐらい欧米では尊敬されるようで、小柄の荻原が勝つのはジャンプが上手く、それで得た差で逃げ切るからだ。という理由で、距離の付け足しの感覚であったジャンプが見直されるきっかけになった。



 視点を変えれば、荻原を如何に勝たせないかに知恵を絞り、編み出した名案が身長との関係である。当然それはジャンプの方にも適用しなければならない。ジャンプも強くなってきたし、一石二鳥と言ったところか。


 その後、萩原は健闘はするものの、パタリと優勝は途絶え、ジャンプも今年葛西 紀明が優勝するまでW杯の優勝があったのかどうか、調べていないから分からないが、低迷を続けていたことは確かだ。


 言いたくはないが、人種差別がないと思っている人は、よほど感受性が鈍いか、お人好しかである。葛西が待たされたとき、ああ、これで葛西の勝ちはないとおじさんは思った。


 差別の事を頭に置きながら、冬期オリンピックを観るのもいいよ。結局、ヨーロッパスキー大会が北米を加えて競技をしていたものがオリンピックになったと思えばいいんだ。


 勝つまでは喜んで参加させてくれるが、優勝が続くと違う違うと規則を見直す。F1もそうだった。プジョーやフェラーリが何連勝してもレギュレーションの見直し論議はおきなかったのに、ホンダエンジンが1年間勝ち続けると、観客が面白くないからなどという理由で、すぐさま変更をしてきたものだ。


 まあ、どんな競技でも審判の主観は入り込む。やはり、諦めるしかないのか。


 しかし、ジャンプのテレマーク姿勢という不自然な形は怪我を生むと思う。今大会はテレマークに重点が置かれていた印象があるが、これはきっと、飛びすぎてテレマークをとる事が出来ない高梨沙羅選手の影響だと思う。


 もうその理由は改めては言わない。


 ※  公開したつもりだったのに、今見ると書きかけで残っている。
完全に時期がずれてしまったけれど、可哀想なので日付を  
新しくして公開させていただく。                    

 


 オリンピックが始まって1週間近くたった。



 前評判の高かったスノーボードのスロープスタイルの角野友基選手がいきなり期待を大きく裏切った。



 『楽しんだ』という会見に、竹田恒泰氏がツイッターで批判的な言葉を呟いたところ、賛否の意見が続出し、いわゆる炎上したとのニュースがネットで流れた。



 当初の予想に反して、メダリストがなかなか出ない。1個は確実と思われたスピードスケートの500mでも、二人ともコケてしまった。



 実は日本ではあまり知られていないが、期待権という権利があり、期待してもよいだけの相当程度の状況があり、もし期待通りならなかったら、期待権が侵害された、というように使われる権利である。



 おじさんも若い頃、期待権の侵害という言葉をある時、知人の法律家が使い、思わず笑ってしまったことがある。



 勝手に期待して期待通りにならなかったと怒り、期待権が侵害されたと訴えられたら、堪ったものではない、と思ったからである。しかし、よくよく解説を聞くと、権利の一種で法制化されている国もあり、医療行為などで使用されるそうだ。



 では、角野友基選手の場合はどうか。



 正直に言って、おじさんは期待していなかった。スノーボードについては、まともにゴール?にたどり着いたプレーを一度も観ていないからだ。



 だから、彼が一次予選に敗れたときも、さもありなん、そしてメダルもないと冷静に観ていた。



 竹田氏恒泰は氏の父君がJOC会長竹田恆和氏だから、オリンピックが如何なるもので、費用がどのように出捐されているかをよくご存じだったはずであり、そういった観点から苦言を呈されたと思われる。



 だから、期待権が侵害され、その怒りが選手に向いたと解釈するのは間違っている。国の代表なら代表の誇りと節度を持てと言うことだが、簡単に言えば、高梨沙羅さんの様に振る舞えということなのだろうね。



 ゆとり教育の利点として、10代のオリンピック選手がたくさん出たことを挙げている識者もいたが、企業で使い物にならない人物による損失は利点の何万倍にも上るだろう。



 提唱した文科官僚は今頃、何を思っているのかとも思うが、大して反省もしていないだろう。




 人を人とも思わない人間だけがこういう実験的な事を行いうるのだ。




 ゆとり教育だけではない。左傾教師による歪んだ教育も、JR北海道で立派に花開いている。



 我々は公共交通機関を安全に目的地に到着できると期待して乗車している。それを裏切った職員諸君、お前達は多くの国民の期待権を侵害しているのだぞ。




 船井幸雄氏――晩年、いつも病気と闘っておられる様子が著書の前書に記されていたが、ついに帰らぬ人になってしまわれた。


 大阪出身ながら、大阪人特有の押しの強さは感じられず、むしろ京都人のような物腰の柔らかさが感じられた。


 コンサルティング会社を設立し成功に導きつつ、この世の仕組に興味を持ち、氏の人望から次々と不思議系人間や不思議な研究の情報が集まり、それらを一つ一つ自身の目で確認し、『本物』と判断した人物・研究・商品を自著の中で紹介するという手法で、それらの企業や人物を有名にした。まあ、新手のコンサルティング手法と言えなくもない。


 口さがない連中の中には、幾らか払わなければ、即ちコンサルティング契約を結ばなければ紹介して貰えない、と言う者もいたらしい。しかし、それはおそらく船井氏に自分の商品をアピールしたが、商品が『本物』ではなかったか、あるいは本人が『本物』ではなかったため、当然、『本物』のお墨付きを貰えなかった人が放った怨嗟の声に違いない。


 おじさんなどは以前にも書いたが、船井氏の著書で新しい人物を知り、ひとしきりその人物の著書を読むというサイクルを続けていた時期があった。


 とても紹介された全ての人には手が回らなかったけれど、お陰で大きく無駄足を踏むという失敗も回避できた。


 管見だが、氏は最晩年、『聖書の暗号』と『日月神示』の研究に力を入れておられた様に思う。


 また、ご自身の意図ではなかったかも知れないが、オカルトに対する偏見の解消に一役買っておられたことは事実である。リアルビジネスで自分が成功し、顧客を成功に導いて来られたからこそ、おじさんなど一種の免罪符の様に船井氏のお名前を使わせていただいていた。


 これまで謦咳に接したこともなく、直にお姿を拝見したこともない。いずれ講演にでもと思いながら、ついにその機会を得られなかった。


 思えば、レトリックを極力廃した文体で、失礼にも最初、文才がない人かと思ったこともあったが、本当に暖かみのある文体だった。


 真似できそうで出来ない文体だと思う。おじさんの如き皮相浅薄で非才な凡人にはあの暖かみは出せない。


 この世とあの世の事も既に理解しておられたから、今更、ご冥福を祈るなどと陳腐な表現を使えば、氏のことを理解していない者と嗤われるだろう。


 ただ、今後、新著を読むことが出来ないのがただただ寂しい。



 2014年01月19日 08時00分
 提供:blogram通信

日本史の必修化、賛成?反対?

 今月5日、政府が高校での日本史の必修化を検討していることが明らかになり、ブログ上では賛否両論、様々な意見が飛び交っている。

 現在は世界史が必修で、選択科目である日本史。だが、海外で活躍する日本人が増える中、「自国の歴史を十分に学び、日本人のアイデンティティーを育てるために」、政府が指導要領の改訂に乗り出した。
続きはこちら

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 何とも面妖な話である。国家が国民に自国の歴史を教えるのに何の決議がいるのかと言う話である。



 コメントに花が咲いているようだが、実は読んでいない。賛成の方はおじさんの意見と似たり寄ったりだと思うし、反対派はかたかなサヨクのいつもの言説だと思うからである。



 そう言いつつ、やはり気になるのでちらりと目を通してみた。至極まともな意見が大部分であったことに正直面食らった。



 だいたい日本の左傾思想の人々は、

権力者 富者 昔 = 悪
庶民 貧者 今   = 善

という極めて単純な物差しで物事を判断なさるので、今の権力者(悪)が庶民(善)の無知をいいことに、昔(悪)の軍部(極悪)を正当化するために日本史を必修にしようとしていると、彼らの目には映る。だから、当然、反対なさるだろう。



 しかし、いつも思うのだが、社会主義・共産主義思想を基に造られた国家に、どれ一つとして素晴らしいと思える国がないのは何故か。



 それは誰でも解るように誤った思想だからである。それでも宗教のようにカルト的な陶酔できる要素があるらしく、今も多数の人々の拠り所となっている。



 いや、自分たちが国家を動かせばまだやりようがある、我々なら素晴らしい国家を造る事が出来ると思っているとしたら、何ともファンタジスタである。



 ゴミを寄せ集めて芸術作品として発表しているアーティストもいるが、思想のゴミは集めても悪くなるだけだとおじさんは考えている。



 今の日本は自由主義国家だから誰が何の思想を信奉しようととやかく言われはしないが、JR北海道の労働者諸君のように最も見えていなければならない、あるいは見ていなければならない利用客の安全すら一顧だにせず、己が利益、労働者の利益のみを主張し行動する。



 哀しいかな自由主義国家の中の左翼思想がこういう人間を育んでしまうことは、今もリアルタイムにJR北海道で証明されているということだ。



 おじさんは、幼少の砌(みぎり)から、人間の価値は精神的高低あるいは深浅で決まると信じており、左傾の書籍をほとんど読んだことがない。若い頃は、周囲に左翼の闘士が一杯いたし、ヘルメットをかぶり口元にタオルを巻いて見張りに立つ何々派と称する連中の本部の前をよく通っていた。だから、左翼思想にのめり込むのは環境ではなく、その人が持っている資質の問題なんだよね。



 百田尚樹が著した『永遠の0』で、祖父の人となりを辿る姉弟のフリーライターの姉が、記事掲載して貰っている出版社の男が、特攻の人間の精神状態について、もっともらしい見解を述べていたが、そんな解釈は後付の皮相な見解の一つに過ぎなず、そのことは作品全体を通して明らかになっている。



 人間は想像する以上に、恐ろしいほどの精神の高みに到達することが出来る存在なのである。



 多分、それが理解できれば、左翼思想など止めてしまうだろうし、出来ないから何時までも左翼思想を胸に屁理屈を捏ね続けているのだ。



 百田尚樹が緻密な取材と資料の読み込みの結果、歴史に残る作品を仕上げてくれたことに感謝したい。



 先に老害コンビによる都知事選の事を述べた時、余所の自治体のことでもあるし、おじさんは自分の見解を述べるのを控えた。しかし、もし誰を押すかと尋ねられたら、おじさんは田母神俊雄氏が一番適任なんじゃないかと答える。



 愛国の人であることは今更言うまでもない。防衛・安全保障に関しても確たる見識をお持ちである。それが東京オリンピックに向けた地方自治に反映されることは疑いない。



 様々な思惑があるにしろ、細川・小泉コンビは見るからに痛々しい。まさに老残という言葉がピッタリ来る風情である。ブログなど言葉を使用する人々は、通常、謙遜して自らに使用する事が多い『老残』なる言葉をしっかり銘記する機会に恵まれた。またこれを機に『老害』という言葉も覚えておこう。



 『愛国』という言葉をマスコミや歴史教科書と左傾教師によって、何か過去の戦争と結びつけて刷り込まれている人が大多数だと思うけれど、外国に行って初めて日本の素晴らしさを痛感し、妙な濁りのない愛国に目覚める事がある。



 おじさんにも、若い頃、少し外国へ行く機会があったが、既に行く前から国を愛していたし、行ったときも「やはりそうだった」と、日本の価値と愛国心を再確認しただけである。



 しかし、ネットに散らばる種々の書き物を拝見すると、相対的に年齢層が若いと推定されるにも拘わらず、ネット住人は素直で濁りのない愛国者が多い。そこにおじさんは大きな救いを見る。



 未だにマスコミ・大学その他の教育機関などに巣くう戦術的にしか物事を見ることが出来ない左傾人種などより、よほど澄んだ清々しさがある。



 そんな清々しい人々にお願いしたい。国家政策を材料に都知事選に打って出た細川・小泉コンビを間違っても当選させない為に、都民は投票会場に行き田母神氏に投票してくれ。ネットの連中は選挙にも行かぬ引きこもりで口先だけだと、左傾人種に反論されているぞ。今こそ奴らの鼻を明かしてやれ。



 都民じゃない人は、こちらの産経応援さんのブログに田母神氏の応援方法が書いてあるので、少額でもご寄付をお願いしたい。

 

 今、ものすごく好都合な本を読んでいる。


 何が好都合かというと、以前、このブログでヘミシンクのことに少し言及したが、そのヘミシンクを応用し、カジノに於いて、念力でサイコロを出すという試みが成功したという、いわばギャンブル実践記風な読物と見ることも可能な内容である。



 もちろん、おじさんが取り上げるのだから、そこら辺に出回っている競馬やロトの情報商材のセールスレターに書かれているような儲け話が記されているものとは違うよ。



 ただ、相当難しいだろうけれど、心(のチャクラ)を開いて周りを愛で満たし、同席者(セミナーの参加者)の応援があれば、かなりの確率でサイをコントロールすることが可能のようだ。


 
―ラスベガスとヘミシンクに学んだ― 富と成功の秘訣/ハート出版
¥2,625
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 著者はジョー・ギャレンバーガーという人で、日本でのヘミシンク実践伝導の第一人者、坂本政道氏が監訳している。



 著者はモンロー研究所で体験者の指導も行っている人物であり、基本的には研究者だから、面白い人には面白いだろうが、駄目な人にはまるっきり駄目な書物だと思われる。かなりな大作である。



 ゲームは2個のサイコロを用いるちょっと複雑なものだが、こんな現象が起きるということは、神はギャンブルを否定してはいないのだろう。これは、おじさんの見解にも一致する。



 ただ、目の前の人間からイカサマで財産を巻き上げる行為は神の説く愛とは相容れないという人もいるかも知れないが、神は一々評価しないのだ。自分の人生は自分が創り出したものだから、体験する全ての出来事に自分が責任を負っている。


 
 サイコキネシスとギャンブル――こんな事もあるという事を知れば、新たな気付きがあるかも知れないよ。



 ますます人生が面白くなってくるね。





 細川護煕元首相が東京都知事選に出馬なさるそうだ。



 首相時代、ポンと政権を投げ出し、リベラル衰退の一因になった御仁である。鳩山由起夫元首相にも相通ずるところはあるが、何と言っても、こちらは元大名の末裔である。家格が違う。



 さて、立派な家柄、立派な経歴をお持ちの細川公、何度でも言うけれど、かつて、まるで「飽きたからや~めた」と、言わんばかりの体で、ぽいっと首相の座を棄ててしまわれときは、さすがのおじさんも開いた口がふさがらなかった。
 


 もちろん殿は庶民の気持など斟酌しておられないので、理由は専らご自分のこと、つまり、うるさい金銭問題の追及回避だと推測されるが、この様に無責任極まりない御仁である。ただ、猪瀬前知事に比べ一種の潔さがあったことは認めても良い。



 それから月日は流れ、時折、週刊誌等で趣味の人として登場なさっていたのはチラリと見たことがある。



 それが此度、もう一人の老害、小泉元首相の説得?で、何と都には1基もない原発ゼロを争点に、都知事選挙に打って出られるようだ。



 「控えおろう!」 その発案者、小泉純一郎大先生は首相時代、歴代の何本指かに入る長期政権を築いた御仁で、郵政民営化の是非だけを争点に衆議院選挙を戦い、圧勝された実績をお持ちなのだ。



 郵政民営化など誰も望んでいなかった。当時、確かに旧国鉄と同様、赤字体質でその改善のメリットはあったものの、それに負けず劣らぬデメリットもあった。だが、きめ細やかな議論を為す暇もないまま、どっちなんだ? といきなり解散総選挙に突入してしまった。



 公が経営するか、あるいは経営に公が混じると、ものの見事に赤字になる。郵便事業などは、国家として、たとえ赤字になっても僻地・離島に各一料金で届けるというのが理念の筈だが、そんな土地の郵便局の一つ二つ消えても、他の大義の為なら致し方ないというのが保守層の大半の意見で、当時、大方のマスコミは反対に回っていた様に思う。



 結果は自民の大勝で、目出度く郵政民営化法案は可決された。その時の勝利の感触が忘れられないのか、また地方自治体の長を決める選挙で、AかBかの選択を迫るワン・イシュー選挙の手法を試みようとしている。



 おじさんに言わせれば、郵政民営化は100点満点で70点の出来である。安倍首相と比べるまでもなく、在任の長さから言っても、もっと何か出来そうなものだが、実態は、ただただアメリカべったりの国益に資する事は何もやっていないに等しい首相であったと断言する。



 一言で言てしまえば、小泉・細川コンビは、先の山本太郎と大した違いはない。



 思考課程も 原発 → 危険 → 全廃止 という単純思考なのだ。



 原発を全廃して、今の料金かそれ以下で電気がまかなえるなら、迷わず廃止だろうが、輸出産業の国際的競争力、家計の圧迫、環境への影響等々考慮すべきことは山のようにある。



 過去にパフォーマンスをしないというパフォーマンスの青島という知事がいたが、何をしたかというと、博覧会を中止しただけである。彼を高く評価する向きもあるけれど、買い被りすぎである。歳を取るに従い、この手の人々の欺瞞性が理解できるようになる。



 都民に警告する。細川は青島に似た空気をもっている。3.11大震災の瓦礫を青島ならどうしたかと考えると、まず保留して熟慮を装いつつ、横目でマスコミや世論の動向を窺い、結局、屁理屈をつけて断っていただろう。五輪までの大事な時期に都政を預けるに足る人物ではない。



 都民の有権者の皆様、どうか正しい選択を!!





 ウーマンラッシュアワーが昨年『THE MANZAI 2013』で優勝したのは、記憶に新しい。  



 そのウーマンラッシュアワーが『すべらない話』に招待枠で出場し、各回でMVSに輝いた猛者達に混じり、積極的に披露したのは結構だが、明らかに何の笑いもない話があった。



 過去にもかなり微妙な話は存在したが、うまく松本がフォローしたり、強烈なオチが無いことが奇妙な笑いを生んで、ぎりぎり助かった事はあった。だが、今回の村本はお笑いの人間として、先人達が築き、世間に知らしめたお笑い芸人の話芸の凄さというものを、甚だしく貶めた。



 初めから滑ってもいいという腹で話したとすれば、お前はお笑いを止めるべきだ。どういう舞台か分かっているのなら、厳選に厳選を重ねた話を練りに練って披露しなければならない。



 要するに芸のない者は出てくるな。お前よりもっと他の出演者の話が聞きたかった、と言うことだ。ダイアンの西澤も推薦で出ていたが、もっといい話を持っていた筈だ。相方のネタ話でも100個はあったろう。



 お前がしゃしゃり出て、松本は挽回のチャンスを与えたつもりだったろうが、それに答えられないばかりか、自分ネタばかりで、人間性の下劣さを世間に知られただけに終わった。



 この人選を誰がしたのか知らないが、本当に千原ジュニアが推薦していたとすれば、ジュニアの観察願が大したものではない事になる。もし優勝の副賞のつもりで局側が出したのだとしたら、プロデューサーかディレクターかは知らないが、『すべらない話』の何たるかを解っていない人間だったと言うしかない。



 フジの低迷の一因がここにある。ぎりぎりの舞台で芸人が脂汗をかきながら披露する緊張感が、時に通常とは異なる突き抜けた笑いを生むのだ。



 一流が集う場にのこのこ出てきやがって、相方の中川には気の毒だが、ウーマンラッシュアワーよ、早く消え失せろ。




 今年になって、おじさんは自分の笑いの感覚がずれているではないかと思う事があった。


 一つは、元旦に録っていた『レッドカーペット』を昨夜、観たところ、最優秀に選ばれたコンビの芸が少しも面白くなかったことだ。


 というか、どんなネタをやったのかさえ覚えていなかった。


 関根勤が選んだので、笑いの最低ラインが低い事もあるが、それにしても何をしたか分からないというのはショックだった。


 それと、狩野英孝が面白いと芸人が持ち上げているが、何が面白いの? アメトークで出川哲朗と比較して、事務所が同じだの、天然だの、突っ込まれてもそのままトークを続ける等々、共通点を幾つか挙げていたが、出川はリアクションを芸にした男である。体型や風貌を加味しなくても笑える要素は多い。


 一方、狩野は今何故芸能界にいるのか分からない程度の芸人に過ぎない。


 ところで、ガヤという芸種?があるのをアメトークで知った。要するにトークの中心ではない周りから、気の利いたものから利かないものまで、やじる芸人を『ガヤ芸人』というそうで、わいわいがやがやとした様子が目に見えるようで抜群の命名と感心した。


 ガヤを芸にまで高めたのは、ベテランお笑いコンビ、フジワラの藤本と言っていいだろう。知識が豊富で頭の回転が速くなければ成立しない芸だと、常々感心して観ていたが、近年、それが認められたのか、ロンハーでガヤの達人として扱われ出して、逆にちょっと鋭さが鈍った感がある。


 おそらく、今まで勝率でいうと1勝9分けぐらいだったのが、名人達人と扱われ出して、10割を目指してしまった。でも、それは駄目だよ。中心ではないところでこそ光る芸なのだから、普段は雑多な声の一つでいいんだよ。


 がやがやした芸人の騒音の中で、ときおり中心人物がトークを止めてまで突っ込み返すというのが、この笑いの持ち味なんだから、肩の力を抜け。ガヤは基本的に1勝もする必要はないんだ。


 今年もバラエティー中心にテレビを観ることになりそうだ。


 話は変わるが、極楽とんぼの山本は復帰しないのか。彼はそんなに悪いことをしたか?


 嬉しいことに、相方の加藤浩次は
極楽とんぼを解散したとは言っていない。


 誰か頼む。
どこかで救ってやってくれ。