前回、吉田調書の捏造・誤報を、おじさんは長年の分析から、朝日新聞の社是が日本を貶めることであり、記事はすべてそういうバイアスがかかったものが掲載され、調書もその方針に沿った解釈をしたことが誤報につながったと断じたところ、後に〝スクープ〟をものにした記者が朝日の社内報で自慢げに語っていることが週刊誌で報じられた。そこでおじさんは、あの無様な正反対の解釈が大真面目に読んだ結果だと知り、大いに驚いたということを書いた。



 大真面目だったとすると、おじさんの長年の分析結果である、彼らは何もかも承知の上で偏向報道をしているのだという見方は、かなり朝日を買い被っていたことになる。



 宗教やイデオロギーが人間を偏狭にする事はよく知られている。しかしジャーナリストの集合である新聞社にあって、イデオロギーにどっぷり浸かった記者がある問題を正反対に解釈したとしても、軌道修正する多くの人材が居るはずだとおじさんは考えていたが、それが出来ずに報道してしまったとすると、その組織は全体がイデオロギーに浸かってしまっているか、チェック体制が機能していないか、あるいはその両方であると考えざるを得ない。


朝日新聞社社旗 出典 アンサイクロペディア


 
 そう言えば、誤報がばれたときの対応を思い出すと、一連の朝日の〝謝罪会見〟は、検証自体がピント外れだし、人が聞きたい事がまるで分かっていない、という印象を受けた。初めはそれは何かの深慮遠望に基づいた謀の一つと考えていたが、実は今自分たちが厳しく責められている理由そのものを理解できていない、というのが真実の姿だったのだろうか。


 イデオロギーをバックに物事を行っていると、組織というものはそれに順応した人間が指導層を形成し、それに反発する者や修正しようとする者は排斥されるか、組織の下部を構成する地位に据え置かれる。つまり、社是に心酔し積極的に推進する者しか出世しない組織が出来上がる。


 それが長年続くと、一般人の感覚と乖離してしまい、組織の事業内容によっては取り返しがつかない事態を招来する。今度の朝日のケースではどうか。朝日の事業内容は新聞報道である。そして慰安婦問題は、これ以上ないほど取り返しのつかない事態と言える。捏造に基づく架空の問題を作り上げ、世界に発信し続けた罪を朝日はどう償うというのか。


 しかし、普通の感覚ではそうだが、朝日的真実によれば、吉田清治の捏造話も日韓談合による河野談話も、今世界で拡散している日本の軍部が大戦当時、性奴隷を大量に作っていたという謂れの無い汚名も、そんな事は関係ない、事実、慰安婦は居たでしょうという話になってしまうのである。


 天声人語=「天に声あり、人をして語らしむ」とは、民の声こそが天の声だという意味に解釈するが、朝日は自ら捏造したり誤解したものが天の声と考えているようだ。いや、朝日の意見そのものが天の声であると信じているようだ。今、我々に聞こえてくる天(民)の声は御社が右翼メディアどもが一斉に朝日バッシングをしていると捉えている声そのものである。


 こんな感覚の人間どもを新聞社に置いていてはいけない。総退陣しても、中にはミニ木村がいっぱいいる。朝日的真実を撒き散らすOBもいる。やはりこの会社は存続してはいけない会社だ。不買運動も効果が出るには一定の時間がかかる。かくなる上は、並行して朝日新聞に広告を載せている会社に注意喚起の電話をかけてはどうだろう。但し、大きい声はいけない。静かに紳士的に理路整然と、このような新聞に広告を載せているとかえって御社の信用に傷が付きますよ。あるいは御社の製品のイメージが落ちますし、悪くすればボイコットに発展するかもしれませんよ、と言おう。


 あるいはメールでもよい。朝日を読まないのでどんな会社が広告を出しているのか分からないという人のために、駅の売店でおじさんが買ってもいい。


 またご報告する。


 今日、喫茶店で最新号の『週刊ポスト』を手にとって目次を見ていたら、例によって朝日関連の記事が幾つか掲載されており、その中の吉田調書に関する記事を読むと、社内文書に担当記者が自慢げにスクープの裏話を書いていたようなのだ。


 おじさんは、朝日は体質的に反日じゃなければ記事を掲載しない新聞と考えていたので、ポストの記事は意外だった。二人の人間が懸命に読んであの結論にたどり着いたとしか考えられないからだ。後から応援に行った女性記者は、既に実績と定評のある一人の先輩記者が、丹念に黙々と資料を読み込む姿を見て、良い記事というのはこうして生まれるだと感動し、見習いたいという趣旨の事が書かれていた。  


 朝日の記者はいいとこの大学を出て、難関の入社試験を勝ち抜き合格なさった筈なので、一般的に頭の良い優秀な人材が揃っていると思われるが、その優秀な中堅以上の記者が二人がかりで読んで、間違った回答にたどり着くとは、これはまた別の問題を指摘しなければならないかも知れない。


 おじさんは仲間内の公式文書を読んだり書いたりする機会が多い方だと思うが、分量的にはA4サイズ1枚に収まる程度なので、論旨を間違えて解釈したりすることはまずない。


 つまり朝日的現象がおきるというのは、勉強が出来るおバカを採用しているからというしかない。

出典 MSN産経WEST



 過去にも組織が老朽化し崩壊するときには、必ず朝日的お馬鹿がトップから上部を占めていることが言われている。


 朝日の社是が反日だから、反日精神のおバカが出世する。基本的に彼らが好む反日方向へ向いて仕事をしている関係で、微妙なニュアンスを取り違えてしまう。


 そして、救いようがないのは、彼らが何処が悪かったのかを理解していないことなのだ。自分たちはエリートで頭は誰にも負けない、他の雑誌や右傾メディアの記者など、どうせ三流の聞いたこともない大学出に決まっている。読解力が彼らに劣っている筈が無く、自分の解釈が正しく、彼らの方こそ読み違えているのだ。だって、子供の頃からいつもいい点を貰っていたもの、という思考の流れが読み取れる。


 人情の綾とか機微というものを彼らは辞書で確認し理解したつもりになる。おじさんや皆さんは心で感じ、大なり小なりの心の痛みを乗り越えて、これが情の綾なんだな、これを機微というのか、と「綾」とか「機微」という言葉を知らなくても、現実や小説の中でそういう場面に出会ったら自然と理解するようになる。


 だから同じ小説を読んでも彼らがコラムなどで持ち出す場面は、おじさんはすっかり忘れている。記憶力がいいのか直前に読み直したのかは知らないが、とにかくおじさんは綺麗に忘れている。けれども、エッセンスは吸収して人生の何かに生かせていると思う。彼らは筋に拘り、どうでもいい解釈を披瀝しつつ、薄っぺらな何の感慨もない人生訓へと誘導する。


 上手く言えないが、詩を学校の授業風に解釈したら、肝心なものが抜け落ちていると感じるだろう? そういうことなんだ。彼らは詩をそのように読むと学び、文章もそのように読むと教わっている。


 だから、肝心要のエッセンスが抜け落ちるんだよ。凡人・俗人は誰に教わらなくても、上手く言葉に出来ないような、言葉にすると抜け落ちてしまうようなエキスをちゃんと汲み取っているんだ。筋なんかはすぐに忘れてしまうけどな。我々はおバカだけど、朝日的おバカじゃないから……。




 産経応援さんが『朝鮮民族が形成されるのはようやく李氏朝鮮時代になってから。』と題してDNAから見た日本人と朝鮮人の比較をしておらる。


 日本人は朝鮮から渡って行った者の末裔だとか、天皇すら朝鮮人などと好き勝手言っていたが、どうも遺伝子的に彼らの主張は違うということが判明した。


 それに加えて、こんな動画もある。『【長浜浩明】韓国人は何処から来たか[桜H26/4/15]』というものだ。韓国5000年の歴史がいかなるものであったかがよく分かる。




 Youtubeでご覧になりたい方はこちら  


 理科系の長浜氏がデータを冷静に分析した結論が、こうならざるを得ないということであり、朝鮮人を貶める意図など微塵もないことが分かる。架空や捏造のデータではなしに、真実のデータを元に友好を築きましょうとご本人も言っておられる。


 では、なぜおじさんは〝ご安心〟をとタイトルに入れたかというと、何か違うけれどなかなか確固たる論拠がないため言えずにいる人が多いと思うから、敢えて言っただけである。


 古代については、ちょっと言われっぱなしのところがあったので、この動画は胸のすく思いで観た。これは韓国の歴史学者がいうような、こうであったらいいな、という願望歴史学ではない。科学的帰結によるものである。悪しからず……。



韓国人は何処から来たか/長浜 浩明
¥1,620
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 この男は今の朝日新聞を象徴するような人間で、『中国の旅』という連載で《南京事件》を〝ルポルタージュ〟なさり世間に衝撃を与えた。


 各方面から数多の指摘を受けたが、朝日がしっかりガードしたのか、本人の弁明は聞こえてこず、逆に多くの賞をお取りになった。


 ところが、保守速報さんが紹介されている2ちゃんねるの投稿によると、本多が写真の誤用・捏造を認めたようだ。ただその弁明が、彼らしく中国が言ったことを書いただけだから、そちらに聞いてくれ的な発言をなさったようだ。ただ昔から誤用と分かり切っていた写真を誤用と認めた意義は大きい。これも朝日の〝検証〟の一環か。



『朝日新聞は南京事件でも捏造していた!!!元朝日新聞記者の本多勝一、写真捏造を認める!!!|保守速報』
  http://hosyusokuhou.jp/archives/40276448.html


 詳しくは記事をお読みいただくとして、今回おじさんが言いたいのは、この本多が日本語に関する著書を数冊出していることだ。


 わかりやすく相手に伝わるように書けとか、句読点のつけ方などにも目配りされているようだが、本多から何かを学ぼうとしても、能面制作に喩えれば、頬の曲線はこうだとか、この作業はこの鑿(のみ)を使うといった小手先の技術だけを知識として得ることが出来るだけであって、どうすればこの面に命を吹き込めるのかといった〔心〕や〔道〕については何も学べない。


 その理由は言わなくても分かると信じているが老婆心で述べておきたい。ルポならこの問題については、誰々はこう言った。誰々が出してきた資料ではこう書かれている。また誰々はこう言ったが、この人物はこの事件ついて偏った立場なので、額面通りに受け取ることは差し控えておく、といった自分の見解を添えて紹介してもいい。


 常に客観的立場に自らを置いて、資料に拠るときは資料が誰によって作られ、どういう経緯で自分の目に触れるようになったのかを自らの手で調査し、安全だと判断したものだけを用い、真実を追い求めていく姿勢が必要とされる。そうでなければ、小手先だけの、レトリックに満ちてはいるが薄っぺらな、誰かが言いたいことを代弁したような代物が出来上がるだろう。


 つまり本多が決定的に欠いているのは、誤った事を伝えてはならない、読者を誤誘導してはなら、誤って誰かを傷つけてはならないというジリジリとする責任感である。


 ご紹介した保守速報さんの記事でお分かりのように、本多が言ったことは、間違った写真をくれたのは中国である。もしその写真のキャプションが間違っているとしたら、中国が間違っているのだ。確かにこれは間違っているが、自分には責任はないということだね。


 資料はこちらで用意するから、こういう趣旨で書いてね、と言われて書くゴーストライターと同じじゃないか。どこが違うというのか?


 あなたが文章を学びたいなら、間違ってもこんな男を先生にしてはならない。もっとも、ゴーストライター専門になるのなら話は別だが……。


 おじさんは小説家の文章読本はほぼすべて読んだ。なかでも一番為になったのは、丸谷才一である。丸谷が師と仰ぐ石川 淳もおじさんの師だ。妙な文章上達本を読む前に丸谷の『文章読本』を推薦する。

文章読本 (中公文庫)/丸谷 才一
¥823
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 丸谷にとってはおじさんが勝手に弟子を名乗っているのはまことに不本意だと思うが、こんな本を上梓したからにはそれも想定済みと思って貰わなければならない。


 丸谷が逝去したときの新聞記事を紹介した際の拙稿があるので、お時間があればお読みください。

Yahoo Japan ニュースでこんな記事を見つけました。良い記事なので全文コピーします。

<司法の原則を踏みにじる中韓>米最高裁判所は慰安婦問題で「日本には謝罪も賠償も必要ない」と判決ずみ

Japan In-Depth 7月7日(月)22時34分配信     

慰安婦問題をめぐっての日本非難の動きがなお絶えない。

韓国を訪問した中国の習近平主席も朴槿恵大統領と共同で慰安婦問題をまた提起して日本を批判するような言動をみせる。一方、アメリカではなお韓国系勢力による慰安婦漫画展などという日本へのいやがらせも続いている。

しかし、アメリカではこの慰安婦問題は8年以上も前に最高裁判所によって、「日本側の謝罪も賠償ももう必要はない」という判決が出たことは、日本側ではあまり知られていない。司法には国際的に「一事不再理」という大原則がある。一度、裁かれて判決が出た事件や容疑はもう二度とは裁かれない、という原則である。だから日本側は米中韓などの各国に対し、いまこそこのアメリカ最高裁の判決を告げるべきなのだ。

2006年2月21日、アメリカ最高裁は第二次大戦中に日本軍の「従軍慰安婦」にさせられたと主張する中国と韓国の女性15人が日本政府を相手どって起こした訴訟への最終判決を下した。この訴えは在米のこの15人が「ワシントン慰安婦問題連合」という政治活動組織の全面支援を得て、2000年9月に首都ワシントンの連邦地方裁判所に対して起こした。

訴訟の内容は女性たちが日本軍に強制的に徴用され、慰安婦となったため、そのことへの賠償と謝罪を日本政府に求める、という趣旨だった。そんな訴えがアメリカ国内でできるのは、外国の国家や政府による不当とみられる行動はそこに商業的要素があれば、だれでもアメリカの司法当局への訴訟の対象にすることができるという特別な規定のためだった。

訴えられた日本政府は、戦争にからむこの種の案件の賠償や謝罪はすべて1951年のサンフランシスコ対日講和条約での国家間の合意や、1965年の日韓国交正常化での両国間の合意によって解決済みと主張した。ワシントン連邦地裁は2001年10月に日本側のこの主張を全面的に認める形で訴えを却下した。

原告側はワシントン連邦高等裁判所に上訴した。だがここでも訴えは2003年6月に却下された。そして訴訟は最高裁へと持ち込まれ、同様に却下となったのである。

アメリカの政府もこのプロセスで日本政府の主張への同調を示した。 だからアメリカでは司法も行政も、日本の慰安婦問題はすでに解決済みという立場を明確にしたという経緯があるのである。この点を日本は世界に向けて、主張すべきなのだ。

古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)


Youtube動画より


 この古森義久さんはおじさんには馴染みの人である。ミニ朝日新聞のような毎日新聞にお勤めだったが、かなり出世されてから産経新聞に〝移籍?〟されたことにより、論考がおじさんの目に触れるようになった。


 最初の寄稿がアメリカ関連のニュースだったためか、元毎日新聞のアクは一切感じず、スマートで分かりやすい文体だというのが第一印象だった。


 さて、少し裁判をご存じの方なら、何故、日本を訴える訴訟がアメリカで提起できるのかと思われるだろう。その答えは既に記事に書かれているが、そのお陰ではっきりと賠償の責任はないと判断された。これは早くから巷の「草の根保守」は主張してきた。


 ただ、一種の門前払いのような判決なので、その訴えの根拠となる主張が事実かどうかを争う機会はなかった。おじさんの推測では、国家の賠償責任はないと判断されただけで、強制連行された慰安婦そのものが否定されたわけではない、という手前勝手な論拠で韓国は未だにがやがやと言いがかりを付けていると思われる。


 しかし、韓国の様に敗戦まで日本人だったような立場の国じゃなくても、条約の締結そのものが、過去に何があったにしても互いに一切合切を許し、以後、過去の問題を持ち出さないという合意の証しである事を普通は知っている。それを謝罪していないだの賠償がどうたら、無知な人間と同じような話をする。彼らがいかに国際法に無知か、お里が知れるとはこの事だ。


 無数にある問題を何時までも相手国に主張できたら、条約の意味がない。そこで個々に賠償を求めようとするなら、条約批准後はたとえば韓国人なら、自国を相手取って訴訟をおこさなければならない。そういう事になっているのである。だから金も与え、借款に応じ、無償ODAで金を払い続けた。その上、韓国内の設備はすべて放棄している。これがどれほど異例で寛大な措置だったか分からないのだろうか。


 愚痴を言っても仕方がない。今後は某国のイージス氏の方針通り、助けない、教えない、関わらないの三原則で行きます。


 しかし、この話はニュースになったのかな? 記憶にないのだが……。



 まあ、皆さんはきちんとアメリカの司法が国際法に基づき、判断したという事実は記憶しておこう。よって、それ以後、韓国がアメリカで行っている慰安婦像の設置などは、日本の体面を損ね貶めるだけの意図であるという事がより明確になった。



 慰安婦問題というと、あの福島瑞穂大先生が思い浮かぶが、政治家であり社民党副党首である彼女の国家安全政策は噴飯物である。またご紹介する所存である。








 武田邦彦氏を知らない人は少ないのではないかと思われるが、おじさんが最初に見たのは、明石家さんまが専門家の説を聞く番組、今の『ほんまでっかTV』の前身と思しきその番組で、ダイオキシンなんか何も恐くないと発言したときである。番組名は失念したが、観客かゲストが驚いたらボタンを押して、専門家それぞれの前に置いてある木にとまった豚のおもちゃが、上に登っていくシステムだったと記憶している。感心(驚愕)の度合と登る高さが比例する訳だね。


 ちょうどその頃、ゴミ焼却炉の敷地でダイオキシンが検出されたといって、土壌の入れ替え工事をしているニュース映像が流れているような時期だったので、このおじさん、そんな事をテレビで言って大丈夫なの? と、心配になったくらいだ。


 考葦おじさんは早速、本屋へ行き武田邦彦氏の著書を捜してみたが、見つからなかった。そのあと、抜け目のない出版社が書かせたのだろう。半年ほどして捜したら、もう4、5冊出版されていた。


 結局、実態は武田氏の言うとおり、学術的に確定していない説を、マスコミがセンセーショナルに書き散らしただけだった。その証拠にそれからすぐにダイオキシン騒動は止んだ。


 詳しくは氏のHPで
 ⇒ http://takedanet.com/2008/09/post_bf59.html


 その武田先生が日本の反日的日本人について述べている。ちょっと時間が長いが、おじさんよりやさしく反日的日本人というものを捉えている。理科系の科学者でこれほどまともな見解をお持ちの方にお目にかかったことがなかったので、とても新鮮だった。



 東電の吉田昌郎元所長の所謂吉田調書を何処からか入手し、事実と正反対の趣旨で〝スクープ〟なさった朝日新聞社は、現代文を読解する能力がまるでないことが明らかになった。



 新聞社である以上、その社員の文章読解力は一般人より優れていなければならない筈だが、まるで正反対の解釈に到達するとは、あきれて物が言えない。


 記事が出たとき、すぐさま週刊ポストはこの問題の第一人者といってよい門田隆将氏に朝日の記事の検証を依頼し、門田氏はその誤りを『慰安婦問題』と同じ構図だと喝破された。そしてそれを記事にしたところ、朝日新聞社が門田氏とポストに訂正と謝罪を求めたことは、先に紹介した。


 聞き取りが関係者のほとんどに及び、吉田所長だけでも400頁とも言われているのだから、この『調書』を、1日で読了することは難しいだろう。


 しかし、これをもって間違いの原因と弁明させてはならない。例えば、5人が手分けして読んだとして、何処を押すと真反対の結論を導き出せるのだろう。


 そう言いながら、おじさんはその答えを知っている。それは彼らの人間というものへの理解度が極めて低く、浅いからである。


 人は物を読むときは、無意識に自分を当該人物に投影して読んでいる。この場合は吉田所長だ。そこで冷静に時系列を考え合わせ、この時期は水素爆発の前か後ろか等々を絡めながら読むと、それほど大きな間違いは犯さないものだ。


 ところが、朝日の連中は自身の人間力が低く、器が小さいものだから、英雄的行為を理解できない。自分なら一人でも隙を見て逃げ出したい、だから、所員も早くそんなところから逃げ出したい筈だ、という所で止まってしまう。


 だが人間は、そこで「待てよ」と踏みとどまって考えるのである。今、この原発をコントロールできる知識と技術を持っているのは自分たちしかいない。自分一人が逃げたとしても残りの技術者でなんとか出来るかもしれない。しかし、彼らが大量に被爆していき技術者がどんどん少なくなり、考え得る最悪の事態を迎えたらどうする。後で調査すると緊急事態の時に自分がある役割を果たせていたら最悪の事態は回避できていた事を知る。そうなれば、自分はおめおめと生きては行けないだろう。また、みんなが勇気をもって踏み止まる中、どさくさに紛れてこっそり逃げてきたと知った妻や子供は喜んでくれるだろうか。おそらくそうはならないだろう。それならば、今逃げ出すよりここで踏み止まり、たとえ死ぬことがあっても、その方がまだ人間としてましだと思い直す。


 そして冷静に事故後のシミュレーションをし、付近住民の安全、東北の安全、東日本の安全、日本の安全と推移し、駄目だ、今放置したら、日本が大変なことになる、未来も暗澹たるものになってしまう。たかだか自分の命一つと国及び国の未来を天秤に掛けるわけにはいかない、との結論に至る。結局、最初に思考を開始した時点に戻ってくるのである。但し、今度は己の使命を知り、はっきりとした決意と確信を携えて……。


 おじさんはそれこそが人間の人間たる所以であり、何者にも代え難い特質だと思っている。ところが、朝日はじめ左翼かぶれの連中というのは、そこを理解できないのだ。だから程度の低い自分に鑑みて低レベルの解釈をするのだ。それが本音だと。緊急時には本音が優先する筈だと……。


 吉田所長が未来に伝え、残したい言葉を見事に真逆に解釈し、大いに貶め、今ああだこうだと弁明と釈明をしている。そもそも、おたくらは人間の解釈が卑しいのだ。いや、正直と言ってもいいかも知れない。自分の胸に問うてみて、被爆しても付近の住民のため、東北の人のために外へ出て冷却水を掛けるなどということは絶対に出来ない。だから、逃げたという思いつきがストンと胸に落ちたのである。


 みんなが残りたいというので所長は困ったという趣旨の事を述べた箇所があるそうだが、たとえ食い止められないにしろ、被害を最小限に抑えられるのは自分たちしかいないと、決死の覚悟でそこに居たことが伺える。選に漏れて一時退避した者も、いざというときに代われるのは自分しかいないと、原発内に止まったのである。


 これは先の大戦の終盤、一撃必殺決死の特攻隊の隊員と共通するものがある。左翼の人士は、彼らは本音はいやだったに違いない。だから軍が有無を言わさず強制的に送り出しただの、極限の中で判断を狂わされただの、天皇を現人神と信じるよう洗脳されたなどと解釈し、史上最悪の馬鹿げた作戦の犠牲になったという薄っぺらな解釈しかできないのである。


 彼らの遺書を読んだことがないのか。心は澄み切って、妻やまだ見ぬ子に、あるいは両親に、僅かな言葉を残し、日本の未来を信じ、国家の礎とならんと飛び立ったのである。


 外国人でさえ、日本の強さはこの心にあると理解できるのに、礎の上に乗りながら、勝手気ままに薄っぺらな下衆の極みと言うべき解釈を並べ立て、皆が会おうと誓った『靖国』を否定するのが、朝日に代表される〝良心的〟反日知識人なのだ。


 菅元首相の原発事故時の電話が、非常に応対が面倒で対応や指示が遅れる原因となったと、述懐している箇所があるようだが、さもありなん、ゴミのような人間が首相の時に大災害が襲うとおじさんは予言している。先の阪神大震災の村山富市、東日本の菅直人……。彼らは卑怯なくせにプライドだけは高い。村山は恐くて天皇陛下よりもあとに神戸に来た。菅はご存じの通りである。


 朝日の慰安婦検証のあと、各メディアが一斉に朝日攻撃をして気持ちが悪いと『週刊ポスト』のあるコラムで、コラムニストが書いていた。〝吉田証言〟が虚偽でも慰安婦そのものが無かった訳ではない、と。


 歌舞伎でいう大見得を切ったつもりかも知れないが、誰も慰安婦がなかったとは言っていない。そんな奴が居たらおじさんが貴殿等の代わりに叩いてやる。それでは聞くが、当時の慰安婦の何が悪かったのか言ってみろ。公平ぶった書き方が気に入らぬ。これがポストの基本姿勢かどうかは知らないが、主張は朝日と同じ、本音は朝日びいきなのに、吉田調書でたまたま対立関係になったというところか。


 ポストのコラムニストが何と言おうとも、朝日追及の手は緩めぬ。
 


 今日、書くことは不愉快に思われる方も多いだろう。おかしい狂っていると思われた方はすぐに読むのを止めていただきたい。


 さて、朝日新聞の慰安婦問題検証記事や先に投稿した文藝春秋に掲載された朝日OBの若宮啓文氏の論調を見ていると、慰安婦が絶対的に人権を侵害された奴隷のような存在だという前提で議論が展開されている。


 総じて言えることだが、所謂左翼的人士の議論は浅く深みがないのが特徴である。まず、人生がそれほど思い通りになるのかと聞きたい。朝日の記者達は頭が良く学業にも優れ、就職も一流の新聞社という企業に採用され、おおむね順風満帆といったところと拝察するが、この世にはそうでない人の方が圧倒的に多いのである。


 戦時中、公娼制度は違法ではなく、娼婦は罪人だった訳ではない。自ら進んでなった者は少なかったかも知れないが、家族が飢えず、弟妹が普通の暮らしができるからという理由で娼婦になった事例は山のようにあるだろう。


 一方で、年頃の少女を拐かしたり、親を欺して売り飛ばした人非人も数え切れないほど居たに違いない。それが人間であり、人間社会だ。


 そういった背景の中、戦争が勃発した。軍には健康な兵士の性欲を処理してやる必要がある。そうでなければ暴走して付近の住民に強姦や暴行をはたらき、最悪のケースでは殺人・放火などの凶悪事件を引き起こす確率が高くなる。そこで、娼館を軍隊と同行させるというアイデアが生まれた。


 軍は最初は娼館の主に娼婦選定も運営も任せておいたに違いない。しかし、高齢であったり、病弱であったり、主が働かせ過ぎたり、不当に金銭を搾取するという事例が多々生じ、また娼婦の募集から軍を騙ったり、賄い婦と言って連れてきたりしたことは容易に推測できる。


 それを反省した軍は、娼館(経営者)も選定し、館主に募集に際して紛らわしい事を言ってはいけない、娼婦であるという事をはっきりと述べ、年齢の範囲を指定し、健康にも留意せと指示した。その代わり、安全は軍が可能な限り守り、帰還も安全な内に軍より先に帰すよう配慮したに違いない。また、行軍中の食料、医療、住居も軍が用意する事にしたと思う。


 そして何より館主には搾取、労働過多の事実があれば厳罰に処すと脅し、娼婦の稼いだ金銭の送付も軍が責任をもって兵士の郵便物と共に送っていたに違いない。戦地では娼婦は母であり恋人であり女神なのだ。娼婦の報酬は驚くほど高かった。それに見合う働きがあったからそれも当然である。


 もし途中で年期が明けて帰りたい者や、病を得た者は、館主に責任をもたせて無事帰還させたであろう。だから、戦後、多くの娼婦の誰一人、軍を恨んだり日本を恨んだりした者はいなかった。


 娼婦の戦後はどうであったろう。仕送りした家族が慎ましく暮らしていたら、生活は格段によくなったと想像する。自慢げに自分が娼婦であったと言いふらすような者はいないかわりに、近所の嫉妬深い連中が陰口を叩き、故郷に居づらくなったという事は容易に想像できる。


 娼婦は自分の身を嘆いただろうか。男が逆立ちしても稼げないような金を家に入れ、喰うや喰わずの生活から抜け出させたという誇らしい気持ちはなかったのだろうか。中には親が博打で使い果たし、また娼婦の生活に戻らざるを得なかった者も多くいただろう。そこに娼婦一人一人の様々な人間模様がある。国が悪い社会が悪いなどと言っている左翼的人士の遠く思い及ばない人の境地がある。


 だいたい朝日的な考えで薄っぺらな人間を仮想したとしても、実際にはもっと低俗な理由で身を破滅させた人間は5万といるし、逆に娼婦であっても朝日の記者よりもはるかに崇高な境地で生きた人間も5万といる。


 結局、人間理解の深浅に収斂されるのである。性欲の処理=人権侵害、ミスコン=女性蔑視、そんな薄い薄い理解で物事を語るから、誰の心も響かせることができないのである。


 おじさんが、当時生きていて、戦地で娼館に行ったとしたら、相手をしてくれた女(ひと)に言うだろう。有り難う、自分は明日死ぬかも知れないが、貴女は無事に日本へ戻り、幸せに天寿を全うしてください、と。


 実際に娼婦にそう言って帰らぬ人となった兵士は、数え切れないほど居たに違いない。娼婦も、ご武運をお祈りしますと、何人も何人も名前も知らない兵士を送り出した。そこに哀切と悲惨と勇気、恋心、母性……諸々の曰く言い難い感情がこもっている。国に帰ったかつて娼婦と呼ばれた女性は、時折、兵士の言葉を思い出し、誰に何と言われようとも、多くの青年の最後の相手となった事を誇りに思い、躰の芯でしみじみと感じながら、平凡な庶民としての一生を送ったことだろ。


 そういう娼婦を金で釣っておびき出したのが朝日のいう〝慰安婦問題〟なのだ。今、人権というアンタッチャブルなところへ問題を祭り上げ、反論をしにくくしているが、当時の慰安婦の何処が奴隷的だったのか。合法であった当時に高給を目的に危険を承知で赴いた女性が居たということではないのか。


 その人の人生を勝手に悲惨色に染め、そこからスタートして可哀想だ、同情を禁じ得ない、当時の社会が悪かった、国が悪いのだ、と言っているだけの話である。褒められる必要もないし、蔑まれる覚えもない。合法な一つの職業を選択しただけのことだ。


 朝日的人士は現在の感覚で70年近い昔を裁いているのである。江戸時代の武士が銃刀法違反だと騒いでいる図と何処が異なる。


 文藝春秋10月号は『「慰安婦検証記事」朝日OBはこう読んだ』と題して、朝日新聞の元お偉方3名に紙幅を与えている。


 中でも元主筆の若宮啓文(よしぶみ)氏が書いておられたので、これは何を措いても先に読まなければならない。なにせ竹島を韓国に譲り友情島と呼ばれるようになると夢想された御仁である。さぞかし斬新な意見が書かれているものと期待してページを捲った。


 するといきなり自慢話が始まった。吉田清治氏の証言報道を「勇み足」と自著で書いているように、17年前の政治部長時代に社内で吉田証言の扱いが〝課題〟となり、その時自分は怪しいので訂正した方がよいといったのだが、フィクションを交えたといっても全てが〝でっちあげ〟と認めたわけではなく、完全に取り消すことに抵抗がある勢力があったらしく、そのまま今日まで来てしまったということらしい。


 しかしその時、これを朝日新聞は大きな〝修正〟と捉え、それ以来、吉田証言に依拠するような報道や主張は一切していないのだそうだ。


 続いて、小見出しに『慰安婦問題はなくならない』と付しているように、慰安婦問題自体を取り下げる気はないようだし、さらに『日韓をつなぐために』と小見出しを入れ、「日韓関係はいまは最悪ですが、……」と他人事のように仰っている。


 勇んで読み始めたが、途中で阿保らしくなり止めた。これを時間の無駄遣いという。勝谷誠彦のような粘着質のアンチ朝日ファンでなければ、こんないかにも朝日的文章は読めない。一言で言えば、若宮氏に代表される朝日的なものの考え方が今、古巣朝日新聞を窮地に陥れているのだ。


 後輩に申し訳なさそうな口ぶりだが、腹の中はわからない。韓国で良心的日本人として厚遇されている今、わざわざこんな企画を引き受けることはなかったのに。


 ちなみにあとのお二方は、国正武重氏と伊藤 伉(つよし)である。この方々の意見は至極もっともなものであり、なおさら若宮氏の文章が鵺(ぬえ)のように捉え所が無く、肌にまとわりつくような気持ちの悪さが際だつのである。


 しかし、これで良かったのだ。文藝春秋の読者にも朝日購読者がいるだろう。その人が一人でも多く購読を中止してくださればそれに越したことはないのだから。