昨日、CMクリエイターの先輩と話をしていたところ、彼曰く

「タレントCMは復権するのではないか」と。


例えばNikonのCM。

キムタクがカメラを持って「やっぱいいわ、ニコン」と自画自賛するやつ。

あのカメラが売れているらしい。


カメラは本来、スペック勝負の商品。

もちろん買い手は事前にネットで調べたりするのだろうが、

今やどのメーカーも、スペック上は大差ない。

売場に行っても、ものすごい数のカメラが並んでいて、

もはや全てを比べることなんてできない。


情報洪水&成熟市場の中で、

「イメージによる差別化」が効力を発揮している、と。

そのイメージを作るために、タレントが再び重宝される、と。

確かに一理ある。


しかし、その方向へ進むと、映像としての日本のCMは、

時代の流れに逆行していく気がしてならない。


WEBサイトではいつでも、誰でも、海外の「カンヌクオリティ」のCMを見ることができる。

ディスカバリーチャンネルや、ナショジオや、素晴らしい映像コンテンツが

一般家庭のテレビで流れている。

言葉と違って、「国境を越える」力をもった「映像」が、普通に生活の中に

入り込んで来ていて、見る側の目は肥える一方で、その流れが止まることはない。


俺はCMを映像コンテンツの中の一つと捉えている。

映画や番組やPVと同じ土俵で勝負して、そこに勝って初めて

人の記憶に残り、話題に上るもんだと思ってる。


目が肥えた視聴者。

溢れる世界中のハイクオリティな映像コンテンツ。

その中で「届く」CMにするために、

アイディアや、ストーリーや、映像の力で勝負する。

タレントの力に甘えたがために、世界から孤立していた日本のCMが、

ビジュアルコミュニケーションとしてのCMに脱皮できる、今が千載一遇のチャンスなのだ。


「やっぱいいわ、ニコン」とキムタクが言ったところで、

カメラは売れるかもしれないが、外人の心には届かない。


「CM」としてはそれで正しいのだろう。

だけど、これだけボーダレスな時代。

同じ手間ヒマかけて「映像」作るなら、世界中の人が感動できるもの作らないと勿体なくね?




映像関係の人とメシを食いにいくとよく、「好きな映画ベスト3」の話題をする。


これが音楽だと、ジャンルが幅広すぎて、名前を聞いても知らない、わからない、

ってことが多く、話す方も説明できないから、いまいち盛り上がらない。


映画だとそこまでは広くないし、観てなくても中身を説明できる。

さらに個人の趣味嗜好が端的にわかる。

しかも映像関係者は半ば職業病的な見方をしてる人も多く(俺もその一人だが)、

視点がそれぞれ違って、マニアックで面白い。


「あそこのロケ地が良かった」

「あの監督のああいう編集が好きだ」

「画のアングルが普通のやり方ではない」

「あそこの合成はすごく上手い」

etc.


同じ作品を見ても自分が全然気づかなかった視点がたくさんあって、

本当に話をしていて飽きない。


ちなみに俺のベスト3は

1.コヤニスカッティ

2.2001年宇宙の旅

3.ディープブルー


共通しているのは、「とにかく映像が美しい」ってこと。

この3本は一家に一枚ずつあるべきだと思ってる。


みなさんのベスト3は?


映画館で見ようと思っていたのに結局見られなかった、

アル・ゴアの「不都合な真実」。もうDVDになっていたので早速購入。


温暖化による異常気象は、誰かに言われるまでもなく実感としてあって、

夏の暑さも、雨の降り方も、季節感も、俺が子供の頃とは明らかに違う。

ただ、なんか最近あちこちで言われる「温暖化」は、一種のブームに乗ってる

ようにしか見えなくて、いまいちピンと来なかった。


でも、やっぱり映像化されると、説得力が違う。

南極とグリーンランドの氷が溶けて、12m海面が上昇したシミュレーション。

川が干上がって、砂地となった地表に放置された船。

真っ白に死滅したサンゴ礁。


百の言葉よりも強い、一発のビジュアル。

映像でできること、映像だからできること、をとても考えさせられた。


しかしやっぱり、アメリカはすごいな。

アル・ゴアのような人が、政治家として存在するという事実がすごい。

彼は民主主義を心底信じている。

一人一人が力を持っていて、その力を合わせれば世界は良くなると、本気で思っている。

そしてそのために、自ら先頭に立って世界各地を回り、

絶望的なデータを提示しながらも、彼は決して、希望の言葉を捨てない。


彼を見ていると、自分の周囲10mぐらいしか見ていないような日本の政治家の、

その場しのぎにしか聞こえない言葉の、なんとちっぽけなことか。


もしアル・ゴアが大統領になっていたら、世界は今とは別の形になっていただろう。


しかし、そこでブッシュが勝ってしまうあたりに、人間のトホホな限界を感じてしまう

のは、俺だけだろうか。


ケーブルテレビのオンデマンドで、「ソウ3」を観た。


1、2を見たのが結構前なので、なかなか詳しい部分を思い出せなかったのだが、

3部作としてのプロットがすご~く良くできてると思った。


1の段階である程度構想があったのか、1が評判良かったので続編を作ったのか、

多分後者だろうが、、、ストーリー上の辻褄合わせがうまい。


映像的には「何もそこまでリアルにグロくしなくても」というシーンがそこかしこに

出てくるので、見ていて気持ちのいいものではないが、限られたシチュエーション

の中だけで、カメラワークと編集で飽きずに見せる技がうまい。


ここからは想像の話だが、きっと、シチュエーションを少なくして、プロットを

シンプルにすると共に、予算をジグソウの殺人装置に回したんじゃないかと。

あの装置が、物々しくて、アナログで、錆びついた金属の質感で、なのに

デザインされた形状で、人体実験用として説得力を持って表現されていた

からこそ、ソウの世界観やジグソウの狂気が伝わるんじゃないかと思った。


人の予想を裏切る「アイディア」と、高い完成度。

こういうどんでん返し系のシナリオは、やっぱり面白い。


iモードで角川映画を鑑賞 (asahi.com)


試みとしては面白いと思うが、どうなんだろう?


ケータイで映像が見られるようになった。

それは映像にとって、音楽におけるwalkmanのような革命に当たるとは思うが、

決定的に音楽と違うのは、映像は「ながら」視聴ができないこと。

歩きながら、考えごとしながら、何か書きながら、

「音楽」は聞けるが、「映像」は見れない。


すると、人が屋外で映像を見る機会は、限られる。

電車に乗っている間、誰かを待っている間などのスキマ時間。

つまり「一人」で「次のアクションまで」の「時間つぶし」という状況。

または、スポーツのように「リアルタイム」で見たい時。


先の記事によれば、レンタルDVD店に行かず通勤・通学の途中に

見る利用者が増えるとのことだが、ケータイの小さい画面で、

2時間の映画を途切れ途切れ見る人がどれほどいるか、甚だ疑問である。


一方で制作者の視点で言うと、

映像コンテンツをケータイで有料で見る習慣が広まれば、

作る側にとっては大きなチャンスが広がることになる。


通信速度と電池の問題で、ケータイ映像は現状、まだまだ身近とは言えない。

しかし数年後には確実に、普通に見られる状態になるだろう。

その時、どんな映像が求められるのか。


目が離せない分野ではある。






毎年行なわれているカンヌ国際広告祭の受賞発表が先週あり、

広告業界は今週、カンヌの話題で持ちきりだった。


TV-CMは終わったと言われている、と以前にも書いたが、

それは何も日本に限った話ではなくて、世界的にもここ何年か

CMの終焉が言われている。


でも、カンヌで受賞したCMを見ると、やっぱり面白いんだよなぁ。


ここで見られます。

http://www.canneslionslive.com/film/


画面の作り方、キャスティング、演出、編集、音楽、そして企画。

すべてが高いレベルで作られている。


飽きがこない程度の長さで。

人間のおかしみを描いた小話があって。


それだけなら驚くほどのことはないのだが、

その物語が、メッセージとともに商品に落ちてくる。

落ち方にきちんとツイスト(ひねり)があって、

思わず「なるほどね」と納得してしまう。させられてしまうのだ。


ただ面白いだけではなく、非常に計算された、知的なアイディアが

込められている、すごく高度なエンターテイメント。


さらに言うと、これが企業や商品のマーケティング戦略に則って、

クライアントを説得して、実際にTV-CMとして世に送り出している。

そこがすごい。


何故なら企業からしてみれば、CMによって商品が売れるかどうかが

プライオリティの一番目であって、表現としてどれぐらい面白いかは

その次の話だからだ。


特に日本の場合、企業の宣伝部が自ら全責任を持って、冒険に出ることは少ない。

そこまで独断で決められるのは、経営者である社長以外にいないから。

制作者が、直接社長とひざ詰めで話をして作れば、とがった表現は実現するかもしれない。

しかし日本の組織構造上、商慣習上、そんな環境は滅多にできない。


だからカンヌのCMを見ると、同じ「CM」という呼称ではあるが、

日本のそれとは同じものと思えないのだ。

映像表現のレベルとして、メジャーリーグと高校野球ぐらいの差を感じてしまう。


日本で売れるCM=タレントCMという構図が長い間浸透してきた。

それは流通やら、ターゲットやら、様々な理由でそうなっているのだが、

タレントに甘えてきたのが、日本のCMが効かなくなってきた一因になっていると個人的には思う。


いきなりメジャーリーグとはいかないかもしれないが、

せめて大学野球ぐらいまでにはレベルアップしたいものだ。

作り手の一人として、毎年、この時期は初心に返る。





映像の時間軸を変えると文脈が変わる。


ダグラス・ゴードンというビデオアーティストが

1993年に発表した「24時間サイコ」は、

2時間の映画を24時間に引き伸ばした映像作品。


見てないので想像でしかないのだが、

例えばサイコで有名な叫ぶシーンも、12倍のスローで見たら

「恐怖」とは違う印象になるだろうことはわかる。


スローにしたり、加速させたり、逆再生したり。

既存の映像の時間軸を操ることで、カットの意味性を変えていく。

そして元々のとは異なる音楽をつけることで、新たな作品へと変換する。


既存映像×既存音楽の時間軸をシンクロさせたマッシュアップ。

そんなコンセプトのビデオアートが「humanscratch 」。

面白いと思うのだが、どうか?


www.humanscratch.com



最初のエントリ で書いた、ラフォーレ原宿で開催中の「ShortShortsFestival」に行ってきた。


前回行ったのが確か3~4年前だったので、そこと比較しても仕方ないのだが、

とにかく、クオリティが上がっているのに驚いた。

「全世界から集まった2000本以上の作品の中から約90作品を上映」(HPより)

とあるが、さすが選ばれたものだけあって、完成度が高い。


でもなぁ・・・方向性が、ちょっと俺が期待していた方向ではなくなってきているのを感じた。


PFFと同じ、「長編映画の登竜門」みたいになっちゃってるんだよな。

クオリティも高いけど、制作予算も高い。時間と手間が相当かかっている。

監督が自分のポケットマネーを貯めて貯めて、ようやく3年目にして一本撮る、

ぐらいのオオゴトなものばかり。

それでは、カルチャーとして花開くような身近なものにはならない。


今、世の中がものすごいスピード感で動いている。

求められているのは、気軽に、手軽に見られて退屈しないコンテンツ。

ショートフィルムは、そんな今の時代に合う時間感覚の映像コンテンツだと思う。


長編映画を目指すのではなく、長編映画にできないことを目指す。

映像技術を競うのではなく、アイディアを競う。

そういう祭典にした方が、もっとアナーキーで面白いものになるのになぁ。


今は、CMだけでなくWEBで流す映像や、プロモーションイベントで流す映像など、

テレビという「箱」に縛られることなく作っているので、実感することがある。


それは、映像の出番がここ2~3年で増えているということ。

そして、出番の数に反比例して、制作予算が減っているということ。


出番が増えるのはありがたいことだが、予算が幾らで作っても、

企画→撮影→編集→音入れという作業自体の手間は変わらない。

そして、最終アウトプットのクオリティを、ある一定レベル以上に保つためには、

予算がない場合特に、企画の段階で出来ること出来ないことがかなりシビアになってくる。


産業としての映像制作は、「ハリウッドかインディーズか」二極化していく。

これはもう時代の流れなので、逆行することはないだろう。

一制作者としてその流れに飲まれないようにするためには、受注スタンスからの脱却、

つまりは自ら発信していく「作家」になるより方法がない。


逆に、これだけ流すメディアが増えているということは、自ら発信すれば流す場所はある、

イコール何らかの形で世に出る可能性は高まっているということだ。

蛙男商会 」や「やわらか戦車 」のように、ワンソース・マルチユースの映像コンテンツが

作れるクリエイターだけが、これからの映像業界を引っ張っていくのではないか。


「CMが効かなくなった」という台詞が、業界ではまことしやかに、
言い訳のように、語られている。

これはある意味ホントで、CMでモノが売れる時代は、終わった。

まぁ、商品のジャンルや価格帯にもよるので言い切るのもどうかと思うが、

少なくとも「CMをやってさえいれば売れる」時代は終わったと言っていい。


何億円もかけてCMを流している企業からすれば、

それで売れなければ割に合わない→やらなくなる、ということで、

さも「CMは終わった」みたいな風潮が、特にCM関係者の間で蔓延している。

でも俺自身は、制作者的に、むしろCMの「映像としての」可能性は広がるのではないかと思っている。


まず発信する企業側の視点で見ると、これだけ企業の不祥事が連日報道される中、

「どんなメッセージで、自らの存在理由を社内外に宣言するか」という

ブランディングの重要性が、今後ますます上がっていく。

その場合の旗印として、CMは未だに力を持っているということ。


そして受け手側の視点で見ると、これだけ情報を簡単に探せて入手できる時代になった現在、

CMに求めるのは「商品が良いかどうか」ではなく、「エンターテイメントしてるかどうか」だろう。

「あのCM見た?面白いよ。」そうやって友達とのネタにできれば、それでいい。


色々な意味で「クオリティの高い」映像コンテンツとしてのCMが、増えてくる。
希望も含めて、そう信じている。