ホントは、一番最初のエントリで書く類のものだが。

何故こんなブログを書こうと思ったかを書くのを忘れてた。


21世紀になってもう早7年が経つが、今世紀は間違いなく「映像の世紀」である。


NHKの、同タイトルの名作シリーズは知ってる人も多いと思うが、

20世紀は「映像」という、言葉だけよりも、音声だけよりも、情報量が多い伝達手段が

登場し、広まっていく世紀だった。


ただし、「映像」を作れるのは、一部の人たちだけ。

映画関係者、テレビ関係者、CM関係者など、狭き門を通り抜けて

マスコミに就職し、映像制作に関連する部署に行き、下積みを得てから、という一握りの人。

それ以外のアプローチは、金を集めて自主制作し、PFFのような登竜門で

芽が出るのを待つほかなかった。


それらの「壁」が、テクノロジーの進化で一気に崩壊した。

デジタルビデオカメラ、マック、編集ソフト。

映像制作に必要な機材全てが個人で買えるレベルになり、

YouTubeに代表されるように、流す場所も手間も簡単になった。


その結果、今まで「既得権」であった映像制作は、全ての人に開放された。


家のPCだけで映像が作れて、WEB上で、世界に向けて発信できる。

これがいかにすごいことか。

間違いなく、今世紀は、映像があふれ出る世紀。


なので、制作者の視点から映像の面白さや見方なんかを語っていくことで、

「映像」の持つ、深さと楽しさをわかってくれる人が増えてくれたらいいな~と

思い、このブログを始めたのだった。

僕が使う「映像」という言葉には、広義の「映像」と、狭義の「映像」がある。


広義の場合は、映画やテレビ、VJやらミュージックビデオやら全部含めた、

動画全般を指す「映像」。これは誰でもわかる。


狭義の「映像」とは、既存のジャンルでは当てはまる言葉がない動画のこと。

映画や番組のようにストーリーを伝えるものではなく、

CMやミュージックビデオのように何かを宣伝するためのものでもなく、

モーショングラフィックのような抽象イメージでもなく。


そういう「映像」があると初めて知ったのは、「コヤニスカッティ」を観た時。

台詞なし。主人公なし。ただ、映像と音楽だけ。

なのに、作者が何を言いたいか、そのメッセージだけは強烈に伝わってくる。

僕が「映像」にすさまじい可能性を感じ、その後の制作姿勢を変えた、衝撃の一本。


画面の作り方と、編集の構成と、音楽の文脈だけでメッセージを伝える、

言葉の壁を超えた「映像言語」。


それを自由自在に操れるようになるには、あとどれぐらいかかるだろうか・・・?

「映像」と「音楽」を組み合わせた時に、どちらかが強くなってしまうのには

理由がある、と以前のエントリ で書いた。


その理由とは、簡単に言えば「人種が違う」からだ。


それを強く感じたのは、一昨年のonedotzero。

以前までの開催地、青山のスパイラルから、その年は代官山のUNITになった。

それは、onedotzero日本のプロデュースを勤めるNさんが、

「スパイラルより音のいい環境で開催したい」と決断したからだった。


そして、前夜祭。ゲストは今や超メジャーなUVA

クラブサウンドにシンクロした、見たことのない映像空間が広がる、

素晴らしいライブだった。


でも途中でふと周りを見渡すと、踊っている人がほとんどいない。

すっごいカッコイイ音が鳴っているのに、ただ突っ立ったまま彼らのライブを見ているのだ。

そんな時、後ろに立っていたクラバー風の男が、周りを見てつぶやいた。


「映像の連中って何かダセーんだよな」


クラブ好きな人は、音を楽しみに来る。VJは、いわば場を盛り上げるオマケ。

映像好きな人は、画を見に来る。音楽は、画を盛り上げるアイテム。

両方を、同じぐらい愛している人の数は、意外と多くない。


それは、制作者にもそのまま当てはまる。

もちろん皆プロだから、偉そうな言い方だが、合格ライン以上のものを作っている。

だけど、「この音楽にしかハマらない映像と、この映像にしかハマらない音楽」という

レベルの映像作品には、なかなか出会えない。


その「境地」にたどり着けるのかどうか。目指す頂は高い。





映像制作者には「フィルム文化」の人と「ビデオ文化」の人がいる。


前者は映画やCMの人たち。

後者は番組やミュージックビデオの人たち。


フィルムの方が色調が細やかで、画面に空気感やトーンを表現することができる。

一方ビデオは、撮影時の機動力、手軽さにおいて、フィルムの比ではない。


で、映像を作る際には、一番初めに「フィルムかビデオか」の選択を

主には予算の問題で決めることになるのだが、近頃、第三の選択肢

「ハイビジョン」でやるケースが増えてきた。


視聴者からすると「何を今更」という感じかもしれない。

しかし制作サイドからすると、機材がまだ高い上に、ノウハウを持っているカメラマンが少ない、

編集時のデータ量が格段に重くて手間がかかる、など幾つかの要素があって、

なかなかカジュアルに手が出せる感じではなかったのだ。


しかし、ここ2~3年で、その状況は様変わりした。

ハイビジョンカメラが30万円台で発売され、ハイビジョンに精通したカメラマンも増えてきた。

使う人が増えたことで、クオリティも上がっていく。

フィルムでもビデオでもない、「ハイビジョンならではの映像」トーンを作れるようになってきた。


そして、そんなハイビジョンだからこそのコンテンツが、今面白い。

例えばディスカバリーHDの「世界の日の出」。


その名の通り、世界中の日の出が美しいスポットに行って、日の出を撮影するだけなのだが、

ビデオでは美しく撮れないし、フィルムほどお金をかけられる企画でもない。

鮮明な色と機動力を持ったハイビジョンだから、クオリティをキープして量産可能なコンテンツ

となっている。


この番組のスタッフのことを思う。

2~3人の少人数で、世界の色々なところに行って、

カメラ構えて、日の出を撮って、現地のおいしいメシ食って、

次の場所へ移動して・・・そんな日々。

もちろん楽ではないだろうが、同じ映像制作者として単純に羨ましい。


そんな仕事がしたいなぁ。。。


前回、画面サイズとコンテンツの関係を書いた。


もう一つ重要な視点としては、「どういう空間でその映像は見られるか」ということ。

見る人とスクリーンとの距離や、周りの明るさ、映像を空間の一部として見せる演出。


その辺まできっちり計算されているなぁと感じたのが、

お台場で開催中の"ashes and snow"。


購入したDVDを家のテレビで見るのと、

あのコンテナで作られた美術館の中で、

荘厳な静寂の中で巨大スクリーンで見るのとでは、

印象が全然違う。


YouTubeの登場によって、見たい映像がオンデマンドで見られる時代。

(ちなみにashes and snowも一発で出てくる)


その場に足を運ばないと本当に「見た」ことにならない。

これからの映像には、そういう価値が必要になってくるかもしれない。



ケータイ。

iPod。

PC。

テレビ。

映画館。


これだけ映像を見られる媒体が増えてくると、

「作品を何で見るか」という選択肢が増えることになる。


例えば今すでにあるものとしては、

「映画館で見るか、ビデオ出てからテレビで見るか」の選択。


最近は特に、映画公開が終わってからビデオが出るまでの

期間が短くなってるし、テレビが大画面時代になってきたこともあり、

「1800円払って映画館で見るべき作品かどうか」

の選別は、以前より厳しくなっている。


映像制作者には映画信奉者が多く、いつかは映画撮りたい、

映画をやるためにどうするか、などの声をよく聞く。

でも「映画館で見るべき作品になり得るかどうか」という視点の話は

あまり聞いたことがない。


昨今、邦画が絶好調のようだが、映画館で見たいと思わせるものは

ほとんどない。作る側も、興行収入ではなく、その後のDVD販売収入を

あてにしているケースが多いらしい。


そんなワケで、すっかり映画館から足が遠のいていた昨今。

久々に「映画のスクリーン」で見てこその作品に出会えた。


「300」。これはビデオ出てから見ても遅い。

こういうのが本当の「映画コンテンツ」なのだと思う。

どうせお金かけて映画作るなら、これぐらいのものを作ってほしい。

映像制作は楽しい。


企画を考えてる時も、撮影の時も、編集の時も。

気が合い、好みが合うスタッフたちと、

「いいものを作る」その一点に向かって作業するのは、

何度やっても飽きない。本当に、面白い仕事だと思う。


中でも一番好きなのは、音楽を充てる瞬間。


音楽は、映像の「文脈」を規定する。

その映像が、感動的な話なのか、壮大な話なのか、
エキサイティングな話なのか、etc.

見る人に「どういうモード」になってもらいたいかは、音楽で決まる。


「映像×音楽」が、すごく高いレベルでバッチリはまった時、

映像も、音楽も、それ単体で見る(聴く)よりも深く、心に入ってくる。

でも完全に上手くいくことは滅多にない。

常に「映像が強い」か「音楽が強い」かのどちらかであることが多い。

何故そうなるかには理由があるのだが、それはまたの機会に書く。


ただ、滅多に上手くいかないからこそ、

あの、1×1が100になる瞬間の感動を求めて、

作り続けているのかもしれない。




「CM」は15秒or30秒。

「PV」は1曲分、大体3分前後。

「番組」は30分or60分。

「映画」は2時間。


映像制作には、「時間の制約」がついてくる。


でも、これらの制約は、商業的な理由で決められたもの。

映像表現には本来、時間の制約などない。

映像で表現したいこと、伝えたいことを、最適な長さで作ればいい。


WEBで映像が見られるようになった時、

最初は「これで時間の壁が破れる!」と期待した。

しかしYouTubeの「1ファイル10分」は、スタンダードな感覚になってしまった。

確かに、WEB世界のスピード感の中では10分が限界かもしれない。


で、ショートフィルムの話である。


もっとも時間の制約を受けない映像ジャンル。

40秒でも良く、40分でも良く。

制作者の意図を必要充分な時間で表現した映像。

そして、時間の制約を受けないがために、

TVや、映画館ではなかなか触れることのできない映像。


そんなショートフィルムの祭典が、再来週から始まる。

今から楽しみだ。


http://www.shortshorts.org/2007/