しゅんの親バカな日々 -3ページ目

お休み、なので

17日㈬、休日だったのですが、最近遊び過ぎて心身ともに(お財布も)疲れていたので、一日ぐうたらと骨休みするつもりでした。

 

映画にもドライブにも行きたくないし、お花見ももう終わってるし、せいぜい近所のスーパーにお買い物…ぐらいのつもりでした。

 

数日前からそんな雰囲気を醸し出して「どこにも行きたくないオーラ」で身を包んでいるつもりでした。

 

妻も何も言ってきませんし、言い出す雰囲気も与えないつもりでした。

 

17日、朝刊を読みながらつい、

「こないだこの紙面の能登地震の義援金の欄に【宇山そば処 さわやか茶屋】が載ってたよね~」

と、つい口に出してしまったんです。

そんなつもりは全然無かったんですけど、すかさず妻が

 

「久々に行きたいねぇ…」と返してきましたので、お出かけする羽目になってしまいました。

 

11時開店にはまだ早かったので、先に福富の道の駅に寄り道して野菜などを買いました。

河内町宇山の【さわやか茶屋】についたらピッタリ11:00です。

夫婦とも『さわやか三昧』1150円を注文しました。(写真なし)

結構満腹になりました。

 

さて、帰ろうとしたら、妻が

「動物見に行かん?」とか言い出し始め、

「え?動物って、トムミルクファーム?上ノ原牧場?…まさか安佐動物公園?」て聞き返すと

「上ノ原牧場でいいよ」と言いました。

 

上ノ原牧場に着きましたが、妻、動物なんて見てません。

「あの子らに何かお土産要るかねぇ?」ってチーズケーキ小屋に直行です。

「酒粕入りティラミスだって。食べたこと無いよねぇ?」…買うしかなさそうです。

「4人で分けたら少ないかねぇ?」

じゃあ170円のチーズケーキ一つずつ追加で買いましょう。

 

「スイーツは別腹よね?」

上ノ原牧場名物のジェラートも食べるようですね…。

 

なんだかんだで結構な散財と、およそ100㎞のドライブで、身も財布もすっかり疲れ果てたのでした。

 

如何に俺が尻に敷かれてる…というかコントロールされてるかが良く分かる一日でしたね。

 

ちょす

 

 

 

 

かづゑ的、なので

10日㈬、横川シネマまで『かづゑ的』を妻と一緒に観に行きました。

 

10歳の時から岡山県の長島愛生園で80年も暮らす宮﨑かづゑさんを撮ったドキュメンタリー映画です。

(映画『砂の器』で本浦千代吉さんが入院してた所ですね。)

2017年から2020年にかけての90歳から92歳ぐらいのお姿の映画です。

 

「ハンセン病って云うのは嫌。らい病って云って。らい病ってのは仏典にも聖書にも出てくる。ハンセンなんて人が見つけた病気じゃないでしょ?だかららい病って云わなきゃ。これは神様がくれた病気なの」

「お風呂入ってる姿を撮って。いいとこだけ撮って悪いとこは隠すのはやめて」

「出来た映画を私に見せようなんて、急いで作らないで。」

「らい病患者を”可哀想な存在“とゆう前提で見るのはやめて。感性は普通の人と変わらんし、らい病にはらい病ならではのズルい所もあるの。」

 

 

90歳のかづゑさんは92歳の夫との生活を、若い時から振り返りつつ色んな話を積み上げていきます。

 

入園直後にもう病気の影響で右足は下肢で切断されています。

左足も指などは無いようです。

22歳で結婚した時は両手の指はありましたが、病気で曲がった指で家事を一生懸命続けた末、両手の指は今はもう全てありません。が、「家事を頑張った証拠じゃけ、後悔はないよ」。

 

子供の時も大人になった時も、軽症患者に比べてかなり重症だったかづゑさんは、周りの患者からかなりイジメられて生活します。

死のうと思った時もあるけど、時折訪ねてくれる母の存在に思いとどまります。

 

結婚するときは断種しなければなりませんでした。

 

「大きなケンカはしたこと無いよねぇ」と夫婦は仲良く70年支えあって生きてきた事が伺えます。

 

かづゑさんは78歳の頃にパソコンを始め、84歳の時に自叙伝かな『長い道』を出版します。

岡山市に第九のコンサートを観に行くと、『長い道』のファンだという女性オペラ歌手からファンレターを手渡され、著書にサインを求められます。

手指のないかづゑさんはペンを手に苦労して固定して、長い時間をかけてやっとサインをします。(この辺はオレ号泣です。)

 

岡山県英田郡(『砂の器』の三木巡査の故郷ですね)に母の墓参りに行き、墓石を抱きしめて「まさか母ちゃんが亡くなるなんてねぇ」といつまでも帰ろうとしません。

 

2020年7月29日に夫が94歳で亡くなり、島の納骨堂でかづゑさんは骨壺を抱いて号泣します。

納骨堂の骨壺は亡くなった順番で並んでおり、夫婦だからといって隣同士にはしてもらえません。

「隣は誰?」と聞き、「ああ、ええ感じの人と隣合わせで良かったねぇ…」

 

島の全景を見下ろせる場所で、

「なんなんかねぇ、この島は。天国でもあるし、地獄でもあるし…」と述懐して映画は終わります。

 

そう長島は美しい島なんです。工場や煙突なんか見えないし、なんなら海岸の人工物も最小限しか見当たりません。

が、島の歴史は地獄そのものでありました。

 

かづゑさんは96歳でご存命のようです。

 

観に来て良かったです。

 

 

でも妻がレストランでお高いメニュー頼んでさぁ。

こないだも家族4人でプチ豪遊したのに、俺のお財布が横川来る度にえらく軽くなるんじゃけど。

 

ちょす

 

 

 

 

 

 

 

オーメン:ザ・ファースト、なので

5日㈮、『オーメン:ザ・ファースト』妻と春休み中の晴日と一緒に3人で観に行きました。

まぁまぁ、の怖い映画でした。オリジナルの『オーメン』の前日譚でしたが、オリジナルの方が5倍は怖かったと思います。

 

なんちゅーか、怖さの文脈は解るのよ、「反キリストを何故生み出さねばならなかったのか」とかの理論とか構成とか。

でも、「恐怖映画の見せ方」が研究不足なのか、あんまし怖くないんだよなぁ。

 

妻は相当怖がっていましたけど。

晴日はどうだったんだろう。オリジナルのもまだ観てないはずだが。

 

グレゴリー・ペックの写真が終盤にチラリと出たのが嬉しかったですね。

 

 

映画終わってから、満開の鏡山公園にお花見に行きました。

公園のそばにある【やまきうどん】に初めて行って定食を先に食べたんですが、ビックリするぐらい美味しいんですねぇ、ここ。

量もたっぷりあったし、人気店なのも納得です。

妻が「ざるうどん+トンカツ」

晴は「ざるうどん+唐揚げ」

俺が「釜揚げうどん+唐揚げ」

と、ちょっとずつ違うメニューにしました。また来ようと思います。

 

ちょす

 

 

 

 

オッペンハイマー、なので

2日㈫、夜勤明けに一人で『オッペンハイマー』を観てきました。

色んな意味で、期待を裏切る、面白い映画ではありました。

まぁ、そりゃぁ社会派の映画ですから、楽しくはないですが。

 

要するに見どころとしては、

・原爆を作るにあたっての理論と実践の手探り感。

・オッペンハイマーが赤狩りに遭ったのは、元はといえば彼自身の乱倫に発する人脈が原因だった。

・原爆実験の成功がクライマックスかと思いきや、その後の延々とした政争が本編だった。

・『ダークナイト』のスケアクロウが主人公で、アイアンマンやポルカドットマンやフレディ・マーキュリーらが重要人物。

・あと『クワイエットプレイス』の主役一家のお母さんがオッペンハイマーの妻役。

 

ヒロシマの人間として一言

一部から「ヒロシマやナガザキの惨状が全然描かれていない」などと批判というか不満な声があるようですが、この映画はこれでよい。

映画の視点はあくまでオッペンハイマー(や登場人物)の主観。彼らが肉眼で直視していない場所まで描かなかったとしても、それは映画の論法として間違ってはない。

この映画は、根底に反戦・反核(または核への疑念)があり、米国からこのようなメッセージが発せられた事に意義があり、そしてその作品が本年度のオスカー最多受賞で世界に認められたことが重要なんである。

 

観るのにとても脳細胞を駆使する映画。

や、まぁクリストファー・ノーランはいつもその傾向はあるがww

 

疲れてない時に、覚悟をもって、観るべし。

 

ちょす

 

 

その鼓動に耳をあてよ、なので

3月29日㈮続き。

福屋で早めの昼食を摂った後、広島市内をブラブラとお散歩しながら移動します。

妻の昔の職場(映像文化ライブラリ)を眺め、新しいサッカー場ピースウィング広島を見物し、『孤狼の血LEVEL2』のロケ地でもある基町アパートを眺めつつ、歩いてまた横川シネマまで戻ってきて「はしご割引で4人」と4000円支払いまして、

 

『その鼓動に耳をあてよ』

 

という東海テレビ製作のドキュメンタリー映画を観ました。

名古屋にある掖済会(えきさいかい)病院という大きな病院の、救急科を舞台にしたドキュメンタリーです。

「断らないER」を掲げて「何でも診る」がモットーのERだそうで。

 

俺も救急病院の受付ですから観ていて事情は丸解りです。意見を言えば幾らでも出ますけど、出せませんけど(笑)

(※正直100行以上、ここに書けない感想があります)

何でも診るの「何でも」は病気やケガの事だけではなく、「どんな事情の患者でも」という意味があり、支払い不能で逃げたり消息不明になったりして医療費の回収が出来ない患者であっても「とりあえず助ける」方針だそうで。(素晴らしい、俺らぁだと支払う気のない患者は受けたくないもんな。)

 

36歳の蜂矢医師がERの中心人物としてその活躍が捉えられます。

「(色んな症例の患者が来るから)楽しいし、面白い」と明るく仕事をこなすのが清々しい人物です。

 

同期たちに敬遠される救急科の仕事に、自ら飛び込んできた櫻木研修医がレジデントに上がる時、やはり救急科を選んだところでは俺は泣きました。

 

救命救急センターの北川センター長は、専門医と救急医の間にある格差とかヒエラルキーを嘆きますが、最後、歴史あるこの病院で初めて救急科出身の院長へと昇格します。

 

この蜂矢・櫻木・北川という3人の、世代も地位も違う医師が主人公として救命救急センターを駆け回る姿が描かれています。

 

2020年からのコロナ禍で、600床超の病院でも遂に満床となって救急車を断らざるを得ない場面も正確に残されてます。

日本中の医療機関がパンクしていた時期があったのです。実感として記憶にはあるけど、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、ウソみたいな記憶です。

 

名古屋地区の救命救急の最後の砦、としてこの病院は続いていくのでしょう。

全国の救命救急の縮図ともとれる映画でした。

たくさんの人に観てほしいですね。

 

とりあえず映画のチラシをウチの病院にも掲示してやりました。

 

ちょす