もし、義務教育の頃にADDの診断が下りていたら。
自分はどうしたいと思っただろうか?と最近考えました。

多分、「薬を飲みたい」と言っただろう、と思います。


小・中学生の自分は、ものすごく視野が狭く
興味のないものには全然触れようとしませんでした。
体育が大嫌いでした^_^;
いつも物をなくし、いらない物を捨てる考えもなく
常に「どこに押し込めようか?」と思っていました。
テストは良いものの復習はせず、夏休みの宿題は終わったことがありませんでした。

この頃、11時に寝て8時に起きていました(^o^;


高校に入ると、得意不得意がはっきり。
暗記が必要な科目(数学、世界史、日本史)が駄目で赤点を取り続け、
国語、英語、倫理など自分の興味のある科目はそこそこの点数でしたが、単語は全く覚えず…
センター試験の自習は一週間前にやっと始めました。

(数学や歴史は単なる暗記科目ではないですが、先延ばしによって暗記するしかない科目にされていました。)


追い詰められるのは自分のせいなのに、いつも辛くて
「やるべき事が出来ない」に支配されていた
この時の自分に、診断があったら
何か対応があったかもしれない。
と思うことはあります。
そういえば、はっきり書いていなかったことに今更気づきました。

今私は、学生と社会人の二足のわらじを履いてる状態です。
温情で学校に通わせてもらっており、
早退もさせてもらっています

そこまでして雇ってもらっているのに、
なかなか役に立てないことが非常にもどかしいです…。


同期に比べてミスや迷惑なことをおこしまくっているので、

「甘えている」「頑張りが足りない」
と言われないように、自分でできる工夫をどんどんしていこうと思います。
こんにちは、ししゃもです。


先生に色々を鑑みてもらい
コンサータ増量しました。
具体的には27mg一錠→36mg(18mgを二錠)になりました。
目の冴えるのがはっきり分かるようになりました。
(横になっても眠らない)


食欲出す薬を無しにしてもらいましたので
二錠飲むのは変わらず、特に苦ではないです(^.^)

それよりも、
先日注文したトゥルーフォーカスが届き、そのカプセルのでかさに驚いています(@_@)
なんとか飲めましたが…慣れるまでは大変かも。
さすがアメリカって感じです…

コーヒーに角砂糖入れて一緒に飲みはしたものの
空腹時に飲むのが基本らしいので、多少食べたあとに飲んでしまった私には
効果はまだわかりません(^_^)


今年度は今までで一番忙しい一年になりそうで、
ADDの自分がスケジュールについていけるか心配ではありますが…

たまにはのんびりしつつ、頑張りたいな~と思います。

お久しぶりです。
ここ最近更新しませんでしたが、読んでくださる方があるみたいで嬉しいです。
ありがとうございます。


最近の記録です(^.^)

3月にコンサータが27mgになり、しばらく継続して飲んでいます。
副作用は特に感じず、
眠気が覚める実感があります。
ただ、寝起きは薬を飲む前なのでひどいもんです。


今月から新入社員となりまして、研修で頑張っています。
口頭の説明を一発で理解出来ないことが多いので、
とにかく分からないことを聞く!というスタンスでやっています。
そんな訳で今のところはなんとかなってます。(多分)


あとは、チロシン系のサプリを同居人と一緒に注文しました。
何かしら効くといいな~ってところです。

また効果のあるなしなど、書きに来たいと思います。

ADHDの子どもに対しての

「ありのままの個性を認める」「のびのび育てよう」(だから薬は要らない)という意見や、

「薬が切れたとき余計に自尊心を失うから、薬は要らない」という考えを目にして思ったこと。


私は不注意ばかりで多動は無かったのでちょっと近いところからの憶測になってしまいますが

だいたい同じことが言えると思うので書きます。

薬を闇雲に推奨するわけではありません。



あくまでADD(という診断)の一人である私の感覚では、


この障害(と呼べるレベルの極端さ)で

自分の思うとおりに動けない「もどかしさ」を現に感じている、

その状態をもって「ありのまま」と呼ばれ、持ち上げられることに絶望感を覚えます。

(実際「ありのまま」ではあるのですが)



いくら親が褒めてくれても、好きなことをしている間が楽しくて集中できても、

学校や仕事場、人と交わるシーンで思うように役に立たず、からかわれ、迷惑をかけ、

やらなければいけない、と思っていることにすら集中できない。

もっとやりたい事があって、周りの活躍する人のように格好良くなりたくても、

自分にはどうにも出来ない「個性」に振り回される。


そうして自尊心を失っているときに、

「そのままのあなたで良い」「自信を持って」

なんて言葉を身内からかけられて、嬉しさよりも惨めさが勝つこともあります。

人並みに社会に出ようとする限り、「つまづき続ける」という個性を一生背負わないといけないのは苦しい事です。



生きてれば素晴らしい楽しい、とはなかなか思えません。

衣食住が安定すれば次は自己実現をしたいと思うのが自然だし、

周りの人が成功してる様子は嫌でも目に入ります。

苦労は成長に大事なことかもしれないけれど、

その間にも他の人は自分より高い次元で一歩先行く苦労をしている現実は変わりません。



悩んだ末に薬を使う、使わせる人までも「安易」「薬に逃げている」と言ってしまうことは

非常に乱暴だと思います。

ADHDの良いところばかり見ていると、いずれ本人が傷つくのではないでしょうか。


ただそれだけで食べていけるような才能は滅多にありません。

生活、進学、就職で本人が困っているのにも関わらず「障害」を「個性」と呼び続けるくらいなら、

今属する社会ではそれが「障害」であると受け止めた上で、

社会に認められる人間を最大限目指す方が有意義と思います。

そのような意味で薬を必要とする人はいるし、責められたことではないと思います。

(勿論、薬以外にもやることはありますが)

(1)のつづきです。


療育やその他の療法で状況が改善し、薬を飲まなくても本人が“多少楽に”生きていけるなら勿論それが良いです。


ただ、優先するものは人や家庭によりますから、
ADHDの子どもやその親に対して、
一概に『薬は身体に悪いから飲んではいけない』『薬を飲ませる親はひどい』と言ったり、
『薬がなければお前は出来ない奴なんだ』とか『薬は飲んで当たり前のもの』と言ったりして、
子ども自身に選択肢を与えない教育をすることは、一番その子の視野を狭め、可能性を奪うのではないでしょうか?


ちなみに私がこの『飲まなくても死なない薬』をわざわざ飲むのは、
“やりたい・やるべき事を実現するため”です。
集中できず、行動できず、浮かんだまま立ち消えていくものがあまりにも多すぎて、何も成せずに疲れます。
しかし一生遊んで暮らせるなら多分飲みません……。
自分がADDかもと思い始めた頃から、当事者と周囲の方の文章やブログを興味深く読んでいますが、
『ADHDと診断された子どもに薬を飲ませるか?』という議論は、よく見かけます。
私の見た中では特にコンサータに厳しい意見が多いです。

私自身は成人してから自分から診断を受け、薬を使っています。
そして、コンサータを飲むことも自分で決めました。

しかし当事者が幼い場合、
〇本人の性格かも?
〇副作用・身体への負担は?
〇個性を消してしまう?
などの不安は当然ですし、
これらの要素が『薬を使わない』理由になるのも自然だと思います。

またコンサータ等に副作用がある一方で、
ADHDは『他の人に比べて集中・注意などができないために、日常生活に支障が出て本人が困る』障害ですから、
コンサータを使うことで『落ち着いて生活でき、本人が安らぐ』のであれば
ADHDにとっては薬です。

“皆出来るのに出来ない”苦しみを感じていて、薬が体質に合う子なら
メリットとデメリットの両方が確実にありますから、子どもに薬を飲ませる飲ませないという判断は、
“(飲むかどうか)本人が判断できるようになれば本人に任せる”前提で、自由にされるべきだと思います。

今私が病院で処方されている薬は
コンサータ18mgと、ドグマチールを1錠です。


治療が始まってしばらくは、ストラテラと吐き気止めを貰っていました。
だんだん増量し一日に90mg飲むようになりました。

しかし治療期間が3ヶ月になり、90mgを1ヶ月飲んでも、効果が見えませんでした(^_^;)
副作用も特に感じられず。
10mgで効果がある方もいらっしゃるようなので、多分自分に合っていないんだと思います。


さすがに感覚が全く変わらないので最近コンサータに切り替えて貰いました。

実感としては、日中の眠気が収まる感じがします。(寝ようと思えば寝られる)
今までは頭にもやがかかったような、すぐにクラクラする状態だったので、
比較的すっきりして快適です。

これから量が増えるか分かりませんが、とりあえずストラテラのように無反応ではないので安心しました。


ところでコンサータにある食欲不振の副作用を緩和するために、ドグマチール(胃が働いて空腹になる作用がある)が処方されています。

ドグマチールを飲む事には抵抗は無いんですが、
そもそも自分の体型がストラテラを90mgまで出してもらえる程度に太っている(つまり食い意地がはっている)ので、本当に要るのかな?と思い、
今朝はコンサータだけで飲んでみました。

結果、いつも通りに食べてますので、食欲不振は特に出てないようです。

しかしながら、出してもらってるお薬なので明日以降は飲みます。
ドグマチールを飲んでドカ食いしたわけでもなし、低用量ではドーパミンを刺激するという説もあるそうです。
果たしてADHDは遺伝するのか?

医学的に遺伝するって言われているみたいですが、当事者から見ても遺伝はあると感じます。

うちの実家は三人家族です。
私と母は似ています。
(性格は全然違います)

その実家は長年のツケでゴミ屋敷と化しているのですが
私・母二人とも掃除が嫌いで、好きな家事はする。忘れ物や手違いのミスが多くて、部屋はめちゃめちゃに汚いです。

実家が汚いことは、母も掃除・片付けをしないし私は手伝いをさぼって何もしなかったので当然だと思います。
※父は結構激務なので除外されます

自分も掃除をしないのに、長い間被害者意識がありました。

掃除のやり方を教えて貰ったことはなかったですが、分かったところで面倒臭くてやらなかったので、
ADD関係なく『汚い家に住んでたから』片付けられない子に育ったのか?というと、ちょっと違う気がします……。
綺麗な家で暮らす感覚はわかりませんでしたが。


片付けに関しては母の方が重症ですが、先延ばし・社交性のなさ・努力できなさに関しては私の方が酷いかもしれません。

通院するに思い至った過程を記録がてら書こうと思います(^.^)


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私は大学に通っており、昨年春からは卒業論文などにとりかかる次第でした。


その春から実家を出て大学の相棒とルームシェアを始めましたが、
バイトもしていなかったので
必要なのは、就職活動と学業を両立させて生活することだけ。

渋っていた就活を5月に始めます。
運よく夏休み前に内々定を貰ったのですが、そこからは駄目人間振りが炸裂。

提出の期限は迫るけれど、
授業もまともに出られずただ時間が過ぎ、趣味と食事だけはしてる状態でした。
自分が『非合理』『ありえない』と思うことが止められない。
(内々定が取れたらきっと制作にも身が入る、とか思っていました…)


そして先延ばしに先延ばしを重ねて、もう駄目だという頃に、大人のADHD/ADDという概念を知ります。
その時ADHD自体はほんのり知っていましたが、多動のないADDは知りませんでした。

同居人について行った心療内科にて目についた冊子を見て、これはもしかしたらもしかする、と思ったわけです。


情報収集の後、診てもらったのが大学四年生の11月末。
そしてトントン拍子に診断され、治療(テコ入れ)に至ります。


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私の場合、病院の予約がすぐに取れたのがすごく幸運でした。
中核都市未満の市中心部ってところです。