大碓命 | あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

神様の言霊・神様イラスト・神様アート
神社仏閣巡り・神様カードリーディング・占い
料理・紅茶・お菓子作りや二人の日常など
好きなことを好きなように好きなだけ綴るブログ

ようこそ!!

好きなことを好きなように好きなだけ発信してます。

新地亜紀と同居人みっちゃんです。


いつもご訪問ありがとうございます。

 

*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*

 

大碓命ーおおうすのみことー

 

父 第12代 景行天皇
 針間之伊那毘能大郎女

 

同母兄弟

櫛角別王ーくしつぬわけのきみー

  『日本書紀』には記載なし。

小碓命ーをうすのみことー

  別名 倭男具那命ーやまとおぐなのみことー(大和国の少年の意味)

  後の倭建命ーやまとたけるのみことー

  『日本書紀』では、日本武尊

  別名 日本童男ーやまとおぐなーと表記。

  大碓命とは、双子。

倭根子命ーやまとねこのみことー 

  『日本書紀』では、稚倭根子皇子ーわかやまとねこのみこーと表記。

  『日本書紀』では、八尺之入日売命の御子になっている。

神櫛王ーかみくしのみこー

  『日本書紀』では五十河媛の御子になっている。

 

『記紀』共に、あまり良い書かれ方をしていないのですが、
『古事記』と『日本書紀』では内容が違うので、
それぞれ紹介したいと思います。
 

 

『日本書紀』
神骨ーかむほねーの娘の兄遠子ーえとおこーと、
弟遠子ーおととおこー姉妹が美人であると聞き、
妃に迎えようと、景行天皇は、大碓命を使者に立てます。
しかし、大碓命は、姉妹のあまりの美しさに、
二人を自分の妃に迎え、父の元には戻りませんでした。
この事を、大層恨んだ景行天皇でしたが、
特に、何か処罰を言い渡す訳ではありませんでした。

 

時は移り、景行天皇が、蝦夷平定を行う為に、適任者は誰かと群臣に問うと、
西征を終えた日本武尊が、大碓命に任せることを進言しました。
しかし、大役を畏れた大碓命が逃げ隠れた為、
使者に捜し出され、天皇に引き渡されました。

天皇から責められた大碓命ですが、
どうしても東征に行くのは嫌だと言い張ったので、
美濃国に封じられてしまいました。
結局、東征は、日本武尊が行く事になり、
大碓命は、美濃の開拓に力を尽くしましたが、
猿投山ーさなげやまーに登る中途でに噛まれ、毒が回り、
42歳で亡くなったと言います。

猿投山に葬られた大碓命は、現代墓所近くの猿投神社で、主祭神として祀られています。

 



『古事記』

大根王ーおおねのみこー日子坐王の御子、神大根王の事)の娘の、
兄比売ーえひめー弟比売ーおとひめーの評判を聞き、
妃にと望んだ景行天皇は、大碓命を使者に立てますが、
大碓命は、二人に一目惚れをし、どうしても自分のものにしたくて、
景行天皇には、別の姉妹を送り付け、二人を寝取ってしまいました。

景行天皇は、一目見て偽物だと気づきますが、
二人の姉妹を送り返す訳でもなく、大碓命に何か言うでもなく、
ただ、送られた姉妹を毎日眺めては、溜息をつくだけで、
二人を妻にすることもしませんでした。

しかし、朝食にも顔を出さなくなった大碓命に思うところがあったのか、
小碓命に、
「何故、お前の兄は、朝食にも顔を出さないのか?
ちょっと行って、ねぎ教え諭せ」
と言いました。
ところが、5日経っても、一向に大碓命は顔を出しません。
訝った天皇は、小碓命に、ちゃんと教え諭したのか尋ねると、
「既に、ちゃんとしております」
と言います。
どのようにしたのか尋ねると、
「朝、厠に入るところを捕まえて、掴み潰し、
手足をもいで薦ーこもー(むしろの事)に包んで捨てました」
と答えました。



天皇は、「ねぎ」と言いましたが、「ねぎ」には二通りの意味があります。
一つは「神の加護を願う」。
もう一つは、「ねぎらう・いたわる」。

当時の天皇家と言えば、日本各地を平定する為、
戦いに明け暮れていた戦闘集団のようなものでした。
朝食時に、戦いの作戦を練ったり、団結を深めたりと、
今でいう、ブレックファーストミーティング的な事を行っていたようです。
まぁ、もっと任侠の世界に近く、
朝食に参加しないという事は、反旗を翻したと、捉えかねられない事でした。

そんな時代背景の中、いくらバツが悪かろうと、
天皇の御子が、朝食に参加しない事は問題でした。
そこで、天皇は、
「ねぎ教え諭せ」=「丁寧に言い聞かせなさい」
と言ったつもりだったようです。
しかし、小碓命は、もっと荒々しく、
「その体に教え込んで来い」
と捉えてしまったようなのです。



双子とは言え、何だかあまり仲の良くなかった雰囲気の二人、
大碓命は、小碓命の言う事に耳を貸さなかったのでしょう。
溢れる力を持て余し、上手に使う方法を知らない15歳の少年を、
導いてやれる技量は、残念ながら、景行天皇には無かったようです。

若くして亡くなった大碓命ですが、二人の御子を残しています。

兄比売とは、押黒之兄日子王ーおしぐろのえひこのみこーを、
弟比売とは、押黒弟日子王ーおしぐろのおとひこのみこーを儲け、
押黒之兄日子王は、三野之宇泥須和気ーみののうねすわけーの祖に、
押黒弟日子王は牟宜都君ーむげつのきみー等の祖になったそうです。
 

 

猿投神社のご祭神になっていますが、

ご神徳は見つけられませんでした。

ただ、古代、双子は、必ず片方が左利きであると信じられており、

大碓命が、左利きだったと伝えられているため、

猿投神社では、全ての祈願に、左鎌を奉納する風習があるそうです。

 


大碓命と、小碓命の名前の由来
当時、無事の出産を願って、産屋の周りを、
父親が臼 ( 臼を人名用の漢字にすると碓になる ) を抱えてクルクル回る風習があったそうです。
一人目が無事に生まれた時に、
やれやれと、重い臼を置こうとすると、
「もう一人いる!」
と言われ、
「何だと?! えーい、チクショウー!!」
と臼に向かって叫んだ。というエピソードが由来となっているそうです。

この事から、穀物を引く臼の名前を持つ大碓命と、小碓命は、
「穀物神」の性質を持っているとも考えられています。

 


 

ここからは亜紀がお送りします。

大碓命。

確かに神話のエピソードではあまりいいイメージがないですな。

 

どんな方なのか、

早速コンタクトを取ってみましょう。

 

古事記と日本書紀では、

亡くなった理由も時期も大分違いますが、

少年のような青年のような姿で見えます。

 

大碓命は兄にあたるのでしょうが、

小碓命の方が何かと目立ったのかな。

それで周りは小碓命ばかりに、

目線が向いている。

 

「どうせ」

とかさみしい思いをしたのじゃないかと思う。

 

「欲しいけどいらない」

と言うか、

もっとお父さんに気持ちをむけて欲しかったんだね。

 

弟よこすんじゃなくて、

父自ら怒りにでもいいから来てほしかった。

そんな本心が隠れているのかもしれないな。

 

 

*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*

 


【YouTubeチャンネル】

【登録してね!】

 

 

友だち追加

1:1トークで

メッセージ
と入れて送ってみてね。
カードでリーディングした

ミニメッセージがトークとして返ってきます。

更新は毎週土曜日です。

 

ご契約サービスのご案内

ことほぎ会
 

 

 

 

ご予約はこちらから ▶

 

 

 

★メルマガ★