本物の科学者であった関英男先生の業績については多くあるのだが,その一部についてはこれまで幾つか既に述べて来た.

 

 

 

 

 

 

 

 今回は関英男先生がおそらく世界で初めて金星人の知性を学術論文の中で引用されたものを紹介する.この論文は昭和61年のものであるが,内容については決して古くない.一方,2024年になっても世の科学者と称するお偉い先生方は未だに地球人だけの知識を参考にして物事を論じて居られる.将に,「井の中の蛙大海を知らず」の状態から抜け切れていないのである.真の科学とは「真の科学をより深く理解している進んだ文明を持つ惑星に住む人間から謙虚な姿勢で教えてもらうこと」である.この謙虚さがないからこそ,地球人は愚かで我欲が捨てきれず,真の宇宙文明との交流が未だに許されていないのである.
 では,心して読んでみるべし.

              サイ科学 Vol.9, No.1 March 1986

      統 合 科 学 へ の 道 (1)

      関 英男 (統合科学大学)

Abstract 略

1.はじめに
 在来の自然科学は客観性のある事実の積み重ねの上に成立した.従って,その記述は全て普遍妥当性のあるものばかりであった.しかし,冷静に反省してみると,その理論は①数学的厳密性に包まれていながら,必ずしも明快に理解されずに,恰も理解されたかのような錯覚に陥っている例もあると思う.
 吾々サイ科学に携わる者も常に反省を怠ってはならないが,サイ現象を理解することには努めて重点を措いて来た積りである.それは「サイ科学寸言」の中にも述べたように(2),「サイ科学をある程度理解しないでは,本当の健康も,本当の幸福も得られないであろう」と明言したことにも理解という語が含まれている訳である.また,サイ科学の世界では超常現象や霊能力者の言を謙虚に受容した後,十分に検討した上で,その事実や説明を採用することにも吝かではない.その点,②在来の科学・技術関係者の多くは初めからこれらを敬遠し,甚だしい場合には,これらを無視したり,否定してかかるのとは大きな距離がある訳である.筆者自身も在来流の電気・電子技術者である為,厳しく反省しているものであるが,その中でも,電子そのものの本質に関するビオ・サバールの法則やアンペアの法則はその発生機構を証明されない儘,鵜呑みにして今日に至ったことを恥ずかしく思う者である.勿論,電気磁気学に関するファラデーやマクスウェルを始め,③多くの先人の業績は高く評価されるべきであり,これをマイナス科学だなどということは間違いである.マイナス科学とは在来科学そのものの波及効果をマイナスと言っている訳で,理論そのものまで誤りと断定している訳ではないと思う.但し,在来科学は不完全だということは出来よう.その意味で,それは半科学であり.丁度,電子計算機が半加算器だけでは完全な演習が出来ず,桁上げの機能を具えた全加算器の採用によって初めて完全な演習を可能にするようなものである.つまり,④半科学にプラス・アルファが必要な訳であるがそれがサイ科学だと言いたいのである.諄いようだが,在来科学とサイ科学とを組み合わせた統合科学になって,初めて全科学と言い得るのだと確信する次第である.
 この論文が統合科学の全貌に亘ることは勿論不可能であるとしても,取り敢えず,ビオ・サバールの法則を完全に理解することだけでもやってみたいと思う.これは電流の周囲に発生する磁界の強さを定量的に表現した法則である.また,アンペアの法則では,右ねじの法則を前者に追加したものである.これらの法則を便宜上,「アンペアの法則」と簡単に纏めて呼称することもある.
 次節では,先ず順序としてアンペアの法則を一通り簡単に述べるが,一体,導線に電流が流れると何故周囲に磁界が発生するかとの説明がなくて,唯,電流があれば磁界が出来ると教えるのは,まるで⑤宗教的信仰を押し付けるのと大差がない.電気工学の教育ではそれを繰り返し繰り返し教えられて,何千何万とも知れない電子技術者は信じ切って来た訳で,これこそ驚異的超常現象としか言いようがない.偶々筆者はこのことに気付き,小著「電気磁気学」の中で「正直に言って,電流が流れると何故その周囲に磁界が発生するか,という訳はよく分からない.唯,そういう現象が実験的に確かめられているというに過ぎない.」と書いた.教室で講義中にこれを口にすると学生は爆笑する.それは先生の無知を笑う訳であるが,多くの先生は決してそんな告白をしないから,学生の信仰は益々深まる訳である.学問がこの一点から一歩も前進しないのは,このような謝った信仰に基づくのではあるまいか.
 ここから一歩前進する為には,どうしてもサイ科学の力を借りなければならない.その為には,⑥在来の科学が拒否して来たような文献を頼りにしなければならない.その点を第3節以降の記述によって理解して頂きたいと同時に,筆者も凡人である以上,多くの誤りを犯しているかも知れないので,読者諸賢の御叱止をお願いする次第である.(続く)


Shinmoedake2011による解説

① 本論文のみならず関英男先生の言説において,数学的厳密性については地球の科学では崇高なものとされている.しかし,御神示では次のように全く本質に到達しない手段として厳しく咎められている.

 

 

「人間の思念力と三次元的質量の多寡とは程度の差は有れ,計数的概念に基かざるなり.」

② 在来の科学者のこういった甚だしい態度は2024年今日に至っても改まらず,殆ど進歩していない.情けない.
③ このように関英男先生は地球の科学の発展に寄与したここ数百年間の科学者の貢献を讃えていらっしゃる.しかし,御神示ではノーベル賞受賞者は悉く死後の霊界で厳しい境遇に置かれていると語られたことも銘記すべきである.

 

 

「地球物質文明の発達に貢献度の高かりし者達の死後の有様は,…其の貢献度に正比例して苦痛の激しきなるを.其の最たる者の名は…科学者,アルフェルド・ノーヴェルなり.」

④ 関英男先生は在来の科学にプラスアルファとしてサイ科学を合わせるといった意味合いで「統合科学」という語を用いていらっしゃる.
⑤ 現在の教育制度が宗教的信仰の押し付けであることは正に言い得て妙である.生徒の「何故そうなるかの疑問」も許さず,「昔からそう言われている」として世の先生方は子供達に半端な知識を強引に押し付けている.
⑥ その文献とは後に説明するが金星人からの通信を記録したものである.金星人の方が地球人よりも遥かに高度の科学的知識を有している.このことは関先生だけでなく宇宙学教室の田原澄女史の通信でも明らかであるし,足立育朗氏の著書にも明記されている.

 以上のように,関英男先生は生前暗い堅い雰囲気の地球科学の世界に一石を投じようと努力していらっしゃったのである.このことを世の大学教授の先生達は深く認識すべきである.

文献
(1) 関 英男: 統合科学への道,「サイ科学」,日本サイ科学会,第9巻,第1号,pp.18-24,(1986-3).
(2) 関 英男:サイ科学寸言,「サイ科学」,日本サイ科学会,第8巻,第1号,pp.3-5,(1984-12).