英語教育関係者で、英文法の扱い方について苦心している人は多いと感じます。実際に使われる英語に詳しい人ほど、つまり研究熱心な人にその傾向が強いのです。次の記述は教育関係者の葛藤をよく表しています。
「言語変化のような言語の動的な側面を研究するにあたっては、「言語は、こうである」とする「記述文法(descriptive grammar)」の立場がとられる。一方、言語を教育する場(具体的には教育という場面)においては、「言語は、こうあるべきだ」という、いわゆる「学校文法(school grammar)」「規範文法(prescriptive grammar)の立場がとられる。以上のように、同じ言語を扱うものであっても、言語分析と言語教育という立場の違いにより、言語に対する捉え方は異なる。
わが国において言語分析を生業とする研究者は言語教育に携っていることが多いが、分析者としては「言語は変化していくものである」という性質を受け入れつつ、教育者としてはその前提をひとまず差し置いて「言語はこうあるべきだ」と教授せねばならない。記述文法・規範文法の間にみられるような、言語研究者が同時に立脚する分析者・教育者としての矛盾、即ち「英語学と英語教育の乖離」という問題があるのである。」
林 智昭『文法指導における品詞導入の試み』
記述文法は言語変化を受け入れて説明する法則を見つけます。規範文法は言語変化を嫌って抑止する規則を創ります。記述文法が描く現代英語は語順と機能語で文法性を示す言語です。規範文法はラテン語に準じて屈折で文法性を示すことを重視します。この相反する文法の有り様が、規範と実際に使われる慣用との乖離を生み、研究者と教育者の立場の違いに反映されることが葛藤の原因です。
しかし、そもそも学校文法は言語変化を前提とした文法を「ひとまず差し置いて」規範文法に偏重し続ける必要があるのでしょうか。学習文法は、記述文法か規範文法かの二者択一で1つの正しい答えを求めなくてもいいと思います。言葉が伝わる根本原理に基礎をおいて、より広い視野でとらえれば、記述文法と規範文法を取り込んだ学習文法を構築することは可能でしょう。
規範も慣用も変化する言語の一過程を切り取ったものです。規範も慣用も刹那の言語現象に過ぎないので、言語変化の中に位置づけることができます。
Sweetは言語変化について次のように記しています。
言語は歴史的に絶えず変化しているという事実が重要であると明言しています。語順を変えたりストレスやイントネーションを変えたりすることで語句や文章の意味が変化するとしています。そして時にはそれを構成する単語の意味からは推測できないほど変化する場合もあると記しています。
Sweetは言語の文法手段として、(a)語順あるは配置、(b)ストレスの位置、(c)イントネーション、(d)形式語(機能語)の使用、(e)屈折(語形変化)の5つをあげています。現代英語は(e)屈折という文法手段を失った代わりに、他の(a)~(d)の文法手段を駆使して、文法性を示し意味を変える言語ということになります。
ラテン語と比較すると、英語は語の配列や機能語の利用によって文法性(品詞、格)などがを変化せる仕組みの言語であることが分かります。
ラテン語のaudioは、語根" audi-"と語尾"-o" という形態素から成ります。"-o"は一人称単数現在能動形の語尾です。英語では I listenという意味になります。
ラテン語のauditus (聞くこと)は、動詞語幹" audi-"と語尾"-tus"から成ります。"-tus" は単数・複数の主格、単数属格の第4変化の語尾です。英語ではa listenにあたると言えます。
ラテン語の語尾"-o"は主語の人称・数・時制という意味内容を、語尾"-tus"は格・数・性という意味内容を示しています。同時に、audi-oは動詞、audi-tusは名詞というように、語尾の屈折は単語の品詞を示す標識という機能を持っています。このようにラテン語の単語は、その語自体が屈折するので単体で品詞が分かる仕組みになっています。
一方、屈折を失った英単語listenには品詞を示す標識がありません。無標の英単語listenは, 発話する時に、I listenと語を配列すると動詞、a listenと配列すると名詞というように、他の語と配列、機能語によって品詞が決まる仕組みになっています。
英語の人称代名詞 I は人称・数という意味内容を、冠詞aは数(可算)という意味内容を示します。他に、人称代名詞 I は後置する語が動詞であることを示し、冠詞aは後置する語が名詞であることを示す標識という機能を持っています。
Sweetの文法観がそれ以前の伝統文法と異なるのは、代名詞や冠詞がその単語自体の意味内容を示すこと以外に後置する他の語の品詞を示す標識となることを指摘したことです。これらの語は本質的に、意味内容を示すよりも、他の語の文法性を示すために形式的に置かれる語form-word(形式語)であると言い切っています。
ストレス、イントネーションを文法手段の1つとしていたことから分かるように、音と意味や文法が密接にかかわっているととらえています。それまでの伝統文法に無かったこの発想は、今日の記述文法に生きています。
2音節以上の英単語ではストレスを受ける音節と受けない音節に分かれますが、単語が結び付いて文になってもストレスを受ける語[●]と受けない語[・]に分けられます。文中でストレスを受ける語は、意味内容に情報価値がある語です。一般的には「内容語」と呼ばれますが、名詞、動詞、形容詞、副詞などは内容語としてストレスを受ける傾向があります。
ストレスを受けない語は、意味上は重要ではなく、文法機能を担う語で「機能語」と呼ばれます。人称代名詞、冠詞、be動詞、助動詞、関係詞などは一般にストレスを受けない傾向があります。Sweetはこれらの語は本質的に、語の配列(文型)を構成するため形式的に置かれることから形式語form-wordである言ったのです。
近年の論文の記述から引用します。
「例えば My father will buy a Japanese car. の文に強勢を与えると(1) のようになる。
1) My father will buy a Japanese car.
・ ● ・ ・ ● ・ ・ ・ ● ●
もし(1)の文において、 My (人称代名詞)や will (助動詞)に強勢を与えて発話すると、強調や対比といった特別な意味が生じてしまう恐れがある。
都築正喜・神谷厚徳『英語イントネーションとリズムの連動性に関する一考察』
ここに挙げられた(1)の文では、代名詞my、助動詞will、冠詞aは形式的に置かれる機能語で、ふつうはストレスを受けない語[・]になります。一般的な文は機能語を抜いても、残った内容語を並べるだけで大意は通じます。(1)の文中の内容語はfather、buy、Japanese carです。これらの語はその語自体の意味内容に情報価値があるのでストレスを置きます。
普段の日常的な日本語の会話で「とうさん、アメリカ車買うんだよ」というのは自然な表現です。身近な間柄での会話であれば、ふつうは語外の情報が多いものです。「だれの」とうさんか、買うのは「ふだん」なのか「これから」なのかは身近な間柄ではたいていは了解されます。「わたしのとうさん、これからアメリカ車買うんだよ」とまで言わなくても言いたいことは伝わります。
言外の文脈から了解できる情報は意味上重要ではありません。ふだんの会話では、自明の代名詞所有格myやこれからを意味する未来標識willは、ふつうはストレスを受けないのです。「My (人称代名詞)や will (助動詞)に強勢を与えて発話すると、強調や対比といった特別な意味」が生じるのは、ふつうはストレスない機能語に、ストレスを置くと意味内容に情報価値があることを意図すると解されるからです。
ストレスを置いたMYは「あの父が」というニュアンスになったりします。また、ストレスを置いたWILLは「確実に」「絶対に」と強調するように聞こえたりします。未来表現とされるwillは、ふつうはストレスを置かず、時に'llのように弱音化、連接化、短縮化します。これは機能語の意味内容が希薄化することに伴って起こる縮約と言われる現象です。
ストレスを置くと「確実に」という意味になるのは、文法化によって漂白化する前のwillの元の意味内容が「確実に」であったことを示唆します。willは昔の聖書では神の意思を示す語として使われていたので、「確実に」「絶対に」実行されるというイメージがあるのです。現在形の確定した未来と異なるのは、神の意思は人との契約で、人が改心して神の意思に沿えば、実行が回避されることです。「条件次第で100%起こる」というwillのコアイメージはそこからきているのでしょう。
未来標識willの意味と機能は、ストレスの有無と不可分です。現代語では、単語の意味と文法機能は、ストレスやイントネーションと密接に関係しているのです。
Sweetが指摘しているように、現代英語ではストレスを置く単語をかえることで文の意味を大きく変えることがよくあります。例えば、you said it.という表現は、文字通りの意味は「あなたがそう言った」です。伝えたい意図はストレスの置き方で変わります。
(2a)はyouにストレスを置いた場合で、(2b)はsaidにストレスを置いた場合です。
2) a. YOU said it. 「あなたでしょ」
b. You SAID it!「その通り!」
(2a)は、詳しく言えばYou're the one who said it, right?「あなたでしょ、言ったのは」というような意味になります。誰が言ったのかに焦点があるのでyouにストレスを置くわけです。これは文字通りの「あなたがそう言った」という意味に近いと言えます。
一方で(2b)はExactly what you said!「まさにあなたの言うとり」というように「言ったことが的確」ということを意味し、強く同意することを伝える意図で使います。I strongly agreeなどでも言い換えることができるように、文字通りの意味を離れて「それを構成する単語の意味からは推測できない場合」ということになります。 一般的にはイデオムと言われるものです。単語の配列は同じでもストレスという文法手段によって異なる意味を生むという言語変化は、Sweetが口語を重視したことをよく表しています。
リズムとイントネーションと意味との関係についての論文の記述を紹介します。
「概略、下降調[\]は陳述文,疑問詞で始まる疑問文,命令文,感嘆文などで用いられ,上昇調[/]は yes か no を求める疑問文,柔らかな要請の気持ちなどを示す文などに用いられる。下降上昇調[∨]は言外の意を含む平叙文,いたわり,要請,警告に用いられる。
部分否定(3a)と全否定(3b)の区別も音調核の違いによって引き起こされる。
3) a. ∨All cats don't like water. (下降上昇調が用いられることが多い)
b. All cats don't like\water. (下降調)
遠藤 裕一 『英語の音声─リズムとイントネーション─』2012
All … notを含む(3a, b)の解釈は、それぞれ次のようになります。
(3a)「すべての猫が水を嫌うわけではない」(部分否定)
(3b)「猫はみんな水を嫌うものだ」(全体否定)
受験英語の影響から、「All … notは部分否定」は規則で、他の解釈法はないと思い込んでいる人は結構多いと感じます。Sweetが指摘しているように、文の意味はそれ自体では決まらず、言の意味を含む文脈などによって変わることはありえます。
同じ文字列の文を、伝えたい意図によってストレスやイントネーションという文法手段を使って表現するのです。文字通りの意味から派生的な意味を生じるという言語変化の観点は「部分否定」という文法事項のとらえ方のヒントになります。
遠藤2012では、「下降上昇調[∨]は言外の意を含む平叙文」とし、(3a)を部分否定で「下降上昇調が用いられることが多い」と説明しています。このことから、いわゆる「部分否定」は文字通りの意味ではなく「言外の意を含む」派生的な用法であることが分かります。All … notという表現を把握するには、文字通りの用法と派生的な用法を区別して、個々に使われる文の解釈がどの用法なのかというとらえかたをすればいいはずです。
まず、論理的に考えます。不定数量詞を大雑把に分けるとall、some、noととらえることができます。allをnotで否定するとき、文字通りの意味はallの否定なので、単にallではないことを意味します。つまり、all以外のsomeかnoかは問わず、言語学的にはsomeとnoのどちらの解釈もあり得るわけです。このAll … notの文字通りの用法をとりあえず単純否定と呼ぶことにします。そうすると、All … notは言語学的(論理的)解釈として、次の3つの用法が考えられます。
① 単純否定用法「すべてではない」(someかnoかは問わない)
② 部分否定用法「すべてが~とは限らない」(≒some 該当するものとしないもの
がある)
③ 全体否定用法「すべて~ではない」(=no 該当するものは全くないzero)
では、順に各用法を説明していきます。
① 単純否定用法はall or not allということを焦点とする文脈に適し、反語疑問などで使われます。
4)a. Why not all options were considered in the decision-making
process?
(どうして決定プロセスで全ての選択肢が考慮されなかったのですか?)
b. Why not all members of the team were informed about the changes?
(どうしてチームの全員がその変更について知らされなかったのですか?)
(4a)では「全てではない」ということを指摘しています。例えば、ある事を実施して不具合が起きた時、1つの問題が見つかったという場面です。このとき、指摘を受けた人が「それ以外の選択肢はすべて考慮したんだけど…」と答えたとしたら、元の話し手は「いや、いくつ考慮したか全然考慮しなかったかは問題じゃない。すべての選択肢をもれなく考慮したかどうかの話をしているんだ」という思いになるでしょう。「すべてではない」ことを意味し、someかnoかは問わないのです。
(4b)も、発話者はチーム全員に知らることに意味があると言っています。一人でも知らせていなけらばnot allであり、一部の人に知らせたsome members、誰にも知らせなかったno membersを問うわけではないのです。
この文字通りの用法は、使う場面が限定的で意図が明確です。文字通りの意味は単純否定で、派生的意味として部分否定、全体否定があり構造だけでは決まらないと柔軟に捉えることが大切です。単純否定の用例は従来の学参英文法書などには取り上げられていないのではないかとも思います。学習者には、単純否定という概念について分かりやすい具体例を示すのもいいかもしれません。
例えば、会話の話題にする人の足取りや日頃の行動から、その人が東京、名古屋、大阪のどこかにいることは分かっていて、そのうちのどこかは特定できていない場合を想定します。このとき「あいつの居場所は東京ではない」というのは、所在地として東京を否定してるだけです。notによる否定の基本はこの単純否定です。名古屋にいるのか大阪にいるのかは言及していません。名古屋にいるか大阪にいるかを明確にするには、他の手掛かり(情報)が必要になります。
② 部分否定用法は、「some、いくらかは有りいくらかは無い」ことを意味します。
派生的な用法なので聞き手が文脈から部分否定と推定し解釈できるときに使われま
す。Allで始まる否定文では、意味を正確に伝える工夫として、Allにストレスを置き
文末を上昇調にすることで部分否定用と分かるようにすることもあります。
5) a. All that glisters is not gold.――The Merchant of Venice
(光っているものがすべて金だとは限らない)
b, Not all the students passed the exam.
(生徒全員が試験に合格したわけではない)
(5a)が部分否定に解されのは、この文の構造からではなく、他に手掛かりがあるからです。
部分否定用法を=someと考えると「光るものの中には光るものも光らないものもある」という文意に解せます。全体否定用法を=noと考えると「光るものはみんな金ではない」という意味に解せます。このとき、シェイクスピアはどちらの意味で使ったのかを考えます。
この文は「外見で人を判断してはいけない」という意味で使います。文脈からして②の部分否定用法として使っていると判断するのが妥当ということです。(5)が部分否定用法に解されるのは、文の構造によってではなく「常識」によって妥当だと言えるからです。
(5b)のようにNot allの2語から始まる文は、英語者の使用実態を調査した論文では、ほぼ一致して部分否定用法に解されていると報告されています。これは論理的理由というより、慣用として定着しているのでしょう。
文法史を研究すると、言語学的な理由以外に「規範的規則が普及したから」や「大部分の人が使うから」という社会科学的な理由で定着した文法事項は実際にあることが分かります。Sweetは、言語変化では、特定の地域で誰かが解釈したことが同世代に広がっていくという現象について述べています。
言語は自然科学ではないので、すべて論理的に説明できると考えるのは無理なことです。十分な根拠が見つからない限り、無理に論理的な理由を付けるよりも、変化に対応できるようとらえ方をしておく方はいいと思います。
③ 全体否定用法は「=no 全くない」を意味します。派生的な用法なので、聞き手が
文脈から全体否定と推定し解釈できるときに使われます。
6) There was hardly anybody in the lobby any more. Even all the the
whory-lookig blondes weren't around any more. ――J.D. Salinge,
(The Catcher in the Ryer)
矢口 正巳『現代英語におけるPartial Negation―英米小説等にあらわれた用例を中心として―』
(ロビーにはほとんど誰も残っていなかった。あのけばけばしい金髪の女たちさえ
も、もういなかった。)
この一節は、J.D. サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』からのものです。主人公ホールデン・コールフィールドの視点で、彼がニューヨークのホテルのロビーで感じた雰囲気を描写している場面です。この中のall … notは文脈から全部否定として解釈した方が自然です。
小説のようにストーリーがあるものは、言外の手掛かりは多いので派生用法のうちどちらかを特定しやすいと言えます。これは否定表現に限ったことではありません。You said it.のような短い文でも意味は1つではないのです。意味を決めるのは言外の情報ということになります。
Sweetは言葉は揺らぎがあるもので、一貫して単語や文の意味は変化するものであることを述べています。
The meanings of words change because the meaning of a word is always more or less vague, and we are always extending or narrowing (generalizing or specializing) the meanings of the words we use — often quite unconsciously.……(513)
「言葉の意味が変わるのは、言葉の意味が常に多かれ少なかれ曖昧であり、私たちは使う言葉の意味を常に拡張したり狭めたり(一般化したり専門化したり)しているからだ — しばしば無意識のうちに。」
一方で、現代英語本来の言葉が伝わる仕組みの変化は個々の表現の移り変わりと比べて緩慢です。本来の言葉が伝わる仕組みとは(a)語順あるいは配置、(c)機能語の利用という文法手段のことです。この仕組みは1500年ごろに成立して以来、500年以上変わっていません。
例えば、言語名は一般的には不可算です。英語はEnglishと表現します。しかし、近年では人々の価値観が変わり英語は1つじゃないと多様性をみとめるようになります。そうするとそれまでになかったEnglishesという複数の表現が現れます。
言葉は、人のイメージを表現するもので、生きているのです。単語の用法は時代とともに変化しています。これに対して、(a)語順あるいは配置、(c)機能語の利用という言葉が伝わる仕組みは簡単には変わってはいかないのです。変化する現象をとらえるには、論理的に変わらない枠組みを基礎にして、個々の現象を位置付けていくという手はあるでしょう。
Sweetが指摘した「時にはそれを構成する単語の意味からは推測できないほど変化する場合もある」をに基づけば、言語変化の在り方として、文字通りの用法から派生する用法があると言えます。この変化を枠組みとして、それぞれの用法を位置付ければ、規範と慣用を体系的に見渡せます。
not … allで使った枠組みは、not … bothに横展開して、その用法を体系的に捉えることができます。
【not … both】
both(2つとも可)の否定には、①単純否定「両方(同時)は不可」、②部分否定「一方は不可」=either、③全体否定「両方とも不可」=neitherの3つの用法がありえる。
①単純否定用法
"I didn't pass the test because I wasn't holding the steering wheel with both hands."
(私は両手でハンドルを掴んでいなかったので、試験には通らなかった)
この用例では、両手ではない(単純否定)を意味し、片手だけ掴まない(部分否定)、両手とも掴まない(全体否定)かは不問である。
[数学] not both equal to zero は「両方同時に0ではない(少なくとも一方は0ではない)」の意味で用いられる。
例)The condition a²+b²≠0 is true when a and b are not both 0 at the same time. (a²+b²≠0は、aとbの値が両方同時に0ではないときに成り立つ) このとき、not both 0は「a=b=0ではない」(単純否定)を意味する。a, bのどちらかが0ではない(部分否定)、a, bがともに0ではない(全体否定)の場合はどちらも等式が成り立つので含意しない。
②部分否定用法と③全体否定用法は派生用法なので、語外の情報を含む情報や、慣用によって解釈する………
以下省略
…というような具合にそれぞれの用法を体系的に位置づけて示します。このように捉えていれば、生きた表現に接したときにそれを体系の中に取り込めます。 それぞれの用法の扱いは、時代や階層によって異なるので、注釈に入れて変化すれば情報更新すればいいということになります。
bothの否定の用法は、今現在で言えば、英米の規範は①単純否定だけを正用として認めています。②部分否定用法、③全否定用法は文脈により変わり、慣用としても定着していません。
語感や解釈には地域などによってばらつきがありますが、英語話者 の間では実際にはどちらの用法も使われています。
not bothの解釈について、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語を母国語とする5カ国で、質問形式の筆記によるアンケートと聞き取り実地調査の結果を紹介しておきます。
宮畑 カレン『英語用法における部分否定の問題(III)』
I don't eat both fish and meat. について、(a)Partial部分否定用法、(b)Total全体否定用法、(c)Both部分/全体両用法のそれぞれの解釈は英語ネイティブの間でもばらついています。USAでは(a)4人(b)16人(c)3人と全体否定と解釈する人が多く、New Zealandでは(a)10人(b)8人(c)3人と部分否定用法に解釈する人が多いなど地域差も見られます。現状は、文脈次第で解釈が変わるということです。
和製の英文法は、英米の規範とも実用とも異なり、斎藤秀三郎の示したnot both=someが受験英語として残っています。日本独自のルールですが受験英語界隈では結構広まっているので①~③の用法の1つとして押さえておけば受験には対応できます。
その現状が分かる論文の記述を引用しておきます。
「わが国では、否定が特にall、both、everyなどの代名詞、形容詞、あるいはalways、quite等々の副詞を伴っている場合を、部分否定とよび、nothing、none、not ~ at allなどの語句を伴っている場合を全否定とよんでいる。…この方面の研究では、なお現代の英米の小説等にあらわれている使用例について見ると、従来の文法家の諸説ではまだ尽くされていない点がある。
主なものを挙げると、次のようになる。
(1) all, every, whole, both, each. (2) always, necassarily, exactly. (3) quite, altogether, entiely, completely, perfectly, utterly, awfully, fully, thoroughly, wholly, absolutely, (4) particularly, specially. (5) very, too, greatly
not~absolutelyが全否定を意味する場合も少なくないようである。
But he has something he does. I mean he doesn't absolutely beg his bread from door to door. (A. Powell)
矢口 正巳『現代英語におけるPartial Negation―英米小説等にあらわれた用例を中
心として―』
(でも彼にはやることがあるんだ。つまり、彼は決して家々を回って物乞いをしているわけではないんだ。)
いわゆる部分否定は100年以上前のわが国独自の見解が今日までたいして検証もされないまま一般に伝わっているのが現状です。研究が進み一般に成果が反映されるのはこれからでしょう。
以上のように、言語変化に対応しながら、規範や慣用あるいは試験に対応する学習文法は構築可能だと思います。
ポイントは、一見論理的に見える説明その場限りの説明は避け、基本的枠組みは一貫した原理で多くの現象を体系的に説明できるものを採用すること。今回の例では同じ配列の文でも文字通りの用法と派生用法がありえるという言語変化に対応した原理を採用することです。
また、無理に1つの正し答えを求めようとしないこと。規範文法の規則は正用として安定することをよしとするので1つの答えを示す傾向があります。慣用は変化するものなので現状の用法がずっと同じとは限りません。規範も慣用の変化していくものです。規範と慣用は現時点の社会的な位置づけと使用実態をおさえて、都度情報を更新すればいいのです。
最後に言語現象の説明をするときに言語学的な理由と社会科学的な理由を分けること。個々の文法事項を精査していくと、この2つを混同していることが本当によくあります。言語学的な理由の根本はSweetが示した文法手段に基づいているかどうかを基礎とすればそうぶれるkとは無いでしょう。
今回改めてSweetの文法書を読み返して、新たに得た知見もあり、とても勉強になりました。この記事は個人的な解釈をしているだけなので、興味があれば原書を読むといいと思います。面白いことがいっぱい書いてありますから。