助動詞willをどう位置付けるかは、標準化が始まった18世紀以来の論点「英語に未来時制はあるか」に関わります。当時Lowthの3時制論に対して2時制論を唱えるPriestleyの英文法書に次のような記載があります。

 

「少し考えれば、だれにでもわかることだと思うが、英語がラテン語の法と時制からなる全体系を備えているなどということはあり得ないのと同じように、われわれの言語には「未来時制」などに用はない。なぜなら、それと一致する動詞の変化形はない。そして、仮に他のいくつかの言語に未来時制があることを一度も聞いたことがなかったとしたら、do、have、can、mustなどの助動詞に特別な呼び方を与えないのと同じように、助動詞shallとwillの組み合わせだけに、未来時制という特別な呼び方を与えることなど、考えもしないはずだ。」(しんじ訳)

 

  18世紀当時は、ラテン語の動詞形に基づいて6時制が一般的でした。それに対してLowth、Priestleyは他とは異なる英語独自の時制モデルを示します。特にPriestleyはトマス・クーンの『科学革命の構造』に名前が出るほど当時の一流の化学者でした。

 酸素の単離に成功するなどの功績があり、後に質量保存の法則を発見したラボアジエに実験を指南したと言われています。Priestleyは当時としては珍しく、自分の周りにいる一般の人たちが使っている言葉から用例を採取して文法書を書いたと記しています。産業革命を主導した科学者としての立場から実証的な英文法記述を目指して2時制論を唱えたのです。自分が書いた英文法書を後世の人が評価するだろうと書き残しています。

 

 科学的文法では、英語の時制tenseは実際の時間timeとは別の概念と考えます。述語動詞を時間軸上に割り振る必要はありません。またwillは、他の法助動詞mayやcanと同じく本動詞から文法化した語です。時制からwillを取り出して法助動詞体系に組み込むと、言語変化の法則という一貫した原理に基づいてとらえることができます。

 

 未來時制と法助動詞の通時的な変化についての記述を引用します。

 

「未来を表す際に用いられるwillやshallなどの「助動詞」と呼ばれるものが、かつては動詞であったという事実を見逃してはならない。

 OEDによれば、canはもともと‘to know, know how, be mentally or intellectually able’であると考えられる。同様にmayは‘to be strong or able, to have power’で、「…の力がある」「…の権力がある」。よって「~できる」となるが、この意味をcanがもつことになり、新しく「許可」「可能」の意味を持つに至ったと考えられている。

 shallは古代ゲルマン語skal(skilaの直説法過去)で、skal「人を起こした」→「罰金を払わなければならない」「負債を持ち」→oweとなった。この原義ゆえに、今でも米英を問わず法律や契約でよく用いられる。 

 willはto desire、want、wishなどの意味で、現在でもこの用法は見られる。

   He willed him to go. (Shearer 2002: p.112)」

            山田正義『未来表現の指導に関する一考察』2009

 

 ここにあるcan、may、shall、willは、元々内容語としての動詞が文法化して法助動詞という機能語になったと考えられています。その過程で元の意味から広く一般化した意味に派生します。概ね下のような用法を持つととらえられます。

 

 ① 内容語(動詞)の時の具体的な意味

⇒②想いを表す機能語になった根源的(root)用法

⇒③主観的な判断を示すようになった認識的(epistemic)用法

 

 この意味変化を各法助動詞に当てはめると、概ね次のようになります。共通語が存在せず、記憶媒体の制約があった昔のことなので歴史的な細かい経緯には諸説ありますが。

 

【can】①やり方を知っている(to know how)

⇒[根源的用法]②やればできる(潜在的可能性としての)能力

⇒[認識的用法]③できるはず(知的な推論による論理的)可能性

 

【may】①力をもっている(to have power)

⇒[根源的用法]②(力によって)想いを実現させる(可能・祈願・許可)

⇒[認識的用法]③半々程度の実現性(推量) ※譲歩(事実は~かもしれないが…)

 

【shall】お金を支払う義務がある(to owe(money)

⇒[根源的用法]②(背けば罰則があるような強い)義務

⇒[認識的用法]③(避けがたい強い)必然性

 

【will】意向を持っている(to intend, to desireなど)

⇒[根源的用法]②(~を実行するという強い)意思

⇒[認識的用法]③(状況が変化しなければ結果的に実現する)確実性

 

 以上のうち認識的用法のshall「必然性」、will「確実性」が将来のことを指すとき、義務や意思の意味が漂白化して「高い確率で実現する」ことから「未来標識」と認識する人が出てきたと考えられます。

 この未来のwillの説明をするのに、日本語の「だろう」「でしょう」という推量の余地はなく「確実に実現する」と主張する英語のネイティブが少なからずいます。その1つを紹介します。

 

「次は英和辞典で見られるような例文ですが、日本語訳が全部間違っています。推量の「だろう」「でしょう」を消して、[よ]とか「のだ」にすれば、より英語に近い日本語になります。

  We will be in New York next month.

  「来月ニューヨークにいるでしょう」

  You won’t pass the exam unless you study harder.

  「もっとしっかり勉強しないと試験に通らないだろう」

  You will get well soon.「すぐ良くなるでしょう」

  We will be very busy tomorrow.「明日はとても忙しくなるでしょう」

 

 多くの英和辞典や英語の教材が教えているのと違って、英語の未来時制will doとbe going to doそのものには「だろう」のような「推量」の意味が伴わないのです。未来に関する意見や確率性を表したければ、I thinkとかprobablyなどの語をつけたり、別の助動詞を用いたりする必要があります。

 英語の未来時制のbe going to do、will doはただ「これから未来にする」という意味しかありません。「するつもり」という解釈は、また英語の形に相当する日本語の形がないといけないと勝手に決め付けた文法学者が勝手に考えたものにすぎないのです。」

            テルキ デイブ『過去、今、未来の話を英語で』2016

 

 同論文では、英語のネイティブ・スピーカーが未来のことを述べる感覚について次のように記しています。「未来の話はすべて「意志」「つもり」。人間としてわかっていることですから、いちいち口にする必要はない」(デイブ2016)。つまりwillは単に未来のことを示す標識で意味内容を失っているということです。

 これは文法化の過程としての意味の漂白化という現象によって用法が広く一般化すると説明できます。一般化とはもともと具体的な意味を持っていた語の解釈が変化し広く使われるようになる現象です。

 

 例えばwantの元の意味は「欠けている・無い」です。仮に、話し手が「水がない」と言ったとします。それを受けた聞き手は想像力を働かせて「水が欲しい」と解釈することができます。さらに「欲する」対象を具体的なものから抽象的な行為へと拡張するとwant to doになります。

 現代ではDo you wanna ~?という文は話し手が「~しようよ」という依頼や勧誘をしていると解釈されます。この文にある「youが欲する」という意味は形骸化しほとんど消失しています。

 このように広く使用するにしたがって言葉の意味が抽象化し、やがてほとんど意味が消失していく現象が意味の漂白化です。

 

未来表現とされてきたshall、willにも意味の漂白化が起きたと考えられています。

 

「今日の英語に置いて未来を表す助動詞と称せらるるshall及びwillは、元来夫々“owe”および“intend”を意味する動詞であった。…夫々の原義が弱められて“Future Tense”の助動詞になったのはshallの方がwillよりも古い歴史を有するので、その結果shallの方がwillよりも原義消耗の程度が進んでいることになる。…叙想の力があるが故に未来になるのであって、未来を表すが故に叙想の力が生じたのではない。」 

                     細江逸記『動詞叙法の研究』1932

 

 細江の著作を読むと分かりますが、その多くはHenry Sweetの影響を色濃く受けています。この指摘の元になったと思われるSweetの記述は、現代英語の文法的仕組みを知るうえで示唆に富んでいます。その一部を紹介します。

 

2198. As regards the origin of these forms, it is to be observed that in Old-English the future is generally expressed by the present, as in the other Old Germanic languages. But the auxiliaries will and shall are used to express not only futurity combined with the ideas of wish and compulsion respectively, but also, in some instances, pure futurity.

 

2199. In Middle English shall and will+ infinitive are used as pure futures, shall being at first much more frequent than will, will afterwards came into more general use, till at last in many dialects— such as the Scotch—it has completely banished shall. 

 

2200. In Southern English, on the other hand, the originally unmeaning fluctuation between will and shall has gradually developed into a fixed system of complicated rules, which speakers of the other dialects have great diflficulty in mastering.

   Henry Sweet『NEW ENGLISH GRAMMAR』1898

 

2198 これらの形式の起源に関して、古英語では未来は一般に現在形で表されることに留意すべきである。これは他の古代ゲルマン諸語と同様だ。しかし、助動詞のwillとshallは、それぞれwishや強制compulsionと結びついた未来性futurityを表すだけでなく、場合によっては純粋な未来性も示す。

2199 中英語では、shall/will+不定詞が純粋な未来として使用されている。当初はshallの方がwillよりもはるかに頻繁に使用されていたが、後にwillが一般的になり、多くの方言—例えばスコットランド語—では最終的にshallを完全に追いやってしまった。

2200 一方、南部英語では、当初は無秩序に揺らいでいたwillとshallが徐々に複雑なルールに固定化したシステムへと発展した。そのため他の方言の話者は習得するのに苦労することになった。(しんじ訳)

 

 この記述から分かるように、英語とその同系のゲルマン語ではもともと未来形はなく、未来のことは現在時制で表していました。現在形といっても屈折をほぼ失った現代英語では実質的に原形です。

 今日、和式の仮定法未来とされるif S+should+原形の型の法助動詞shouldは後から発達して加えられたもので、当初は原形だけであったことがわかります。

 

  また、規範的規則として知られる「条件を示すif節中は未来の代わりに現在形を用いる」という説明について、ほとんどの人はよく勘違いしています。「未来のことはwillなどの助動詞を使うのが基本でその代用として現在時制を使う」というのは事実誤認です。正しくは、未来形が無かった時代からif節中では現在形が使われていたのです。 

 法助動詞shall、willが未来標識として発達したのはずっと後ですから、法助動詞の代用のはずはありません。この現象について説明した昔の文法書では、未来形がなかったとした上でinsteadという表現を使っていました。後に「未来形がなかった」を記述から外してinstead「代わりに」といういう表現だけが伝わります。こうして「未来を示すwillの代用で現在時制をつかう」という誤解がさも事実であるかのように言われるようになったのです。このことは、先行研究と称してたいして検証しないで文法書の記述が、それおを真似て似て非なる文法説明に変わって伝わることを象徴しています。

 

  もともと英語には無かった未来を示す表現は、compultionを意味していたshallが文法化する過程で意味が漂白化してその代表格になります。遅れてwishを意味していたwillが同様に漂白化して未来標識として加わります。ただしSweetの記述にあったように、標準化が始まった18世紀より以前は、地方によって多様な表現がありました。一本道で変化したわけではありません。

 複雑な未来時制のシステムとは、主語の人称と文の種類に応じてshallとwillを使い分けるというものです。その上未来時制を「意思未来」「単純未来」という2つに分けてshallとwillを組み合わせるという複雑なシステムだったのです。20世紀の後半になってもわが国の学校では「未来時制」として丸暗記させていました。

 

 スコットランドなど地方では、shallの退潮が先行していました。地方語は標準語として定められた未来時制システムに矯正されたのです。今日から見れば、willに一般化した地方語の方が簡易で合理的です。イェスペルセンは、主語の種類、文の種類、意思・単純未来を複雑に組み合わせた標準語の未来時制のシステムを意味のないものと批判しています。

 今日でも、その経緯を知らずに「意思未来」「単純未来」という奇妙な用語を使っている人がいます。事実は、もともとwishという主語の意思(願い)を示していたwillが意味を漂白化させて単に未来を示すと認識されるようになったのです。意思/単純未来なる用語は複雑なシステムが廃れた今日では全く意味を成さないのに、使い続ける人もいるのです。

 一般の学習者はともかくとして、英文法を教えるような人でも、歴史的経緯について知らずにおかしなことを言っていることがあるので注意が必要です。

 

 法助動詞のような機能語は、基本的に意味内容をもった内容語が文法化していく過程で意味を漂白化させます。意味内容がほぼなくなったからこそ、広くこれからのことを示す未来表現とみなされるようになったわけです。今日のbe going toも元々は、「~へ向かって行く」という意味だったのが、意味を希薄化させて単なる未来を示す表現へと変わっていきます。

 下の表はshall、will、be going toの時代ごとの用法の推移を示しています。

 

 この表中のsimple futureが未来標識として用法です。shallは16世紀に未来標識として認識されています。一方でwillはModEで未来標識と認識されています。細江が指摘している「shallの方がwillよりも古い歴史を有する」「その結果shallの方がwillよりも原義消耗の程度が進んでいる」(細江1932)というのは、文法化の時期のずれとそれに伴う漂泊化の時期のずれを指しています。

 

 be going toは「~へ向かって事態が進行している」という元の意味から当初は、すでに兆候がある未来を指していました。現在では意思を示すという新たな用法うが発達しています。これはwillが意思から無意志の未来標識へと発達したのとはぎゃくになっています。元々無意志としての傾向が強かったbe going toは未来標識と見られるようになっているということは意味の漂白化が進んでいることが分かります。

 いまだに、多くの文法書ではbe going toを前から決まっている未来と説明しています。前から決まっているというのは漂白化が進む前の元の意味に過ぎません。歴史的経緯を知っていれば、元の用法を離れて「その場で決める」ことに使われたとしても不思議ではないのです。

 

 現行英文法は標準化規則が根底にあるので言葉の変化を嫌い、固定化したルールを好みます。かつての標準語で採用されたshallとwillを組み合わせた未来時制システムはその象徴です。標準語のルールが合理的で、地方語が遅れているというのはまったく根拠がありません。

 このブログが英語本来の文法的仕組みとしているのは、Sweetがその豊富な歴史的認識から導いた「現代英語は屈折を失い機能語と内容語を配列して文法性を示す」ことに基づいています。いまだにSweetを超える文法観にはいたりませんから、その著作は大いに学ぶところがあります。歴史的経緯を検証し、言語が変化するメカニズムに基づいた科学的な見地から、現行の文法ルールの理解を深めていきたいと思います。

 

 未来標識として認識されていたshallが退潮したのは、漂白化が進み意味を成さなくなったからだということです。現代では、shallの後発で未来表現として認識されるwillにも漂泊化が進行しています。英語のネイティブ感覚からすると「意味はない」ということになるのでしょう。

 しかし、表面上意味は消失したように見えても、言葉には使われてきた歴史の痕跡が残っているものです。現代用法では、canは「知的、論理的な推論」で使われる傾向があり、shallは「背けば罰則がともなうような」法律の条文や契約文書に使われています。これらは元の動詞の時の意味を受け継いだ用法です。

 

 法助動詞willは、広範に使用できるといっても未来のことなら無条件に使えるわけではなく、一定の制約があります。この現代用法にある制約を、歴史的経緯から探ることは十分可能です。

 英語の標準化は18世紀ごろで、それ以前は英国には標準語は無く、各地域・各階層で多様な変種が使われていました。その状況にあって、英訳聖書は14世紀からあり、聖書にある表現は当時から社会に広く流布していました。英国のグラマースクールは、聖職者の教育のために最初はラテン語の文法(grammar)を教える学校として設立され中世から存在しています。聖書の記述は、現代の標準英語の文法にも大きく影響しています。

 

 1611年に初版が出版された聖書(King James Version, KJV)の記述について主語別の法助動詞の使用頻度を調査した論文(Wang2014)のデータによると、法助動詞willはGodを主語とする場合が62に対してMosesは4とあります。聖書では法助動詞で意向を示す主体は「神」で、「人」はそれを受ける立場になっています。この実態からwillの用法を読み解くことができます。

 

 (Wang2014)では、聖書で使われるwillについて、次のように述べています。翻訳して紹介します。

「(1) I will watch over it and protect it for all time. (2 Chronicles 7:16)

(2) But I will bless the person who puts his trust in me. (Jeremiah 17:7)

法助動詞「will」の後に続く動詞は、「watch」「protect」「bless」などだ。したがって、「will」は、神が自分の民に対して約束と責任を果たすことを表現する。神が「will」を使用するとき、強調のために主語「I」を追加し、これは明らかに神が選ばれた人々を守り、祝福することは外部の要因の圧力に従っているのではなく、神自身の自由意志であることを示している。

 

(3) But of the tree of the knowledge of good and evil you shall not eat, for in the day that you eat of it you shall surely die. (Genesis 3:17)

(4) If it gores a man‟s son or daughter, he shall be dealt with according to this same rule. (Exodus 22:31)

一方で、「shall」または「shall not」の後に続く動詞は、「eat」「die」「be dealt with」だ。これは「shall」または「shall not」は神の権威と至高性を示している。一方で、神は何かを禁止するためにより強い「must」や「must not」を選ばない。その目的は、神の民に対してより多くの選択肢と自由を提供すること。神が提供するものは単なる規則や基準であり、人間がそれに従うか違反するかは確かに人々自身にかかっている。したがって、神は実際には人間を尊重し、彼らに天国または地獄に行くための選択肢を提供しようとしていることがわかる」

  Xi Wang『The Mood and Modality in the Bible: A Systemic Functional

       Perspective』2014

 

 ここに述べてあるのは、willとshallの根源的用法である神の「意思」と神の課す「義務」です。ここから認識的用法へ広がっていくと考えられます。

 

 認識的用法は[法助動詞+be]の型で多用されます。この型は根源的用法から認識的用法へと拡張する意味変化を検討するのに適しています。聖書の一節を引用し、これをもとに考察します。

 

 But this is what I commanded them, saying, 'Obey My voice, and I will be your God, and you shall be My people. And walk in all the ways that I have commanded you, that it may be well with you.'

 ただわたしはこの戒めを彼らに与えて言った、『わたしの声に聞きしたがいなさい。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。わたしがあなたがたに命じるすべての道を歩んで幸を得なさい』と。

          ――――Taiyaku.jimdofree.com (KJV Jeremiah 7;23)

 

 この一節には、will be、 shall be、may beというbeが後続する3種類の法助動詞が使われています。根源的用法ではそれぞれ「意思」「義務」「許可・祈願など」になります。この一節では、それぞれwillは「神の意志」、shallは「神の課す義務」mayは「神があたえる恩恵」をのべていると言えます。

 一方で、この一節は条件とそれを満たすと結果として約束が果たされるという契約になっているとみなせます。‘Obey My voice’が条件で、この条件を満たせば、結果としてI will be、you shall be…、it may be…が起こるという構造です。このときwillは「条件を満たせば必ず起こる(実行される)こと」、shallは「条件を満たせば必然的に起こること」、mayは「条件を満たせば与えられる選択肢の1つ」と解釈することができます。

 このように根源的用法が認識的用法に解釈された経緯が現代の標準語の語感に反映されていることは十分あり得ます。この一節に限らず、聖書では、神の人との契約というロジックで記述されているのは一般的だからです。

 

 以前の記事でmayは、二者択一をコアとすると各用法につながるという指摘をしました。それは神が与えるか与えないかの二つの選択肢と関連しているように思います。根源的用法では「許可」か「不許可」か、「可能」か「不可能」か、祈願が「成就する」か「成就しない」という選択肢が想定されます。

 その神が与える2つの選択肢が認識的用法に反映すると「起こる」か「起こらない」かという半々くらいの確率になります。また、譲歩は「たまたま一方のことが起こったけれども他方もあり得た」という文脈で使います。

 

 shallは「神が課す義務」から、前提条件がみたされれば結果として必ず起こるということが認識的用法に反映し「必然」を含意するととらえられます。

 willは認識的用法では、「確信」していること、「確実」であることを示します。これは未来標識として認識されるwillにも反映していると考えられます。日本語の「だろう」「でしょう」のような推量の余地がないという英語ネイティブの感覚(デイブ2016)は、神との契約は必ず実行あるいは実現するということに関連しているということです。

 

 この神の絶対性は次の聖書に使われる副詞にも表れています。

 

Xi Wang『The Mood and Modality in the Bible: A Systemic Functional

     Perspective』2014

 

 この副詞の使用頻度について、次のように分析しています。

「聖書に存在する副詞は「always」や「never」のようなすべてが高い通常性を示す表現だ。これは、規則は守られなければならないと示唆している。規則は神によって作られており、それらは黒か白か、正しいか誤っているかのいずれかであり、その間の条件は存在しない。従順さは確実に神からの祝福を得るが、反抗は間違いなく罰せられる。」(Wang2014)

 

 法助動詞willを未来標識として認識する英語ネイティブの語感は、聖書で使われる神の意志から生じた認識的用法が漂白化したものであるとすれば納得できます。will自体に推量の余地はなく、余地を与えるにはmaybeやprobably等の副詞を加えるなど別の語句が必要になるという感覚は、神の規則にはalwaysやneverしかないということに通じます。

 

 shallは元は主語に対して課す義務なので基本的には I 以外の主語が置かれます。その中には無意思の主語も含むので認識的用法へ移行しやすいでしょう。一方、willは神自身の意思としてI will…の型で多用されています。「意思」という根源的用法から認識的用法への移行は一人称以外で起こるります。無意志の主語では「意思」をwillを使うのは抵抗があったでしょう。

 shallの方が早い時期から一般化がすすんだのはそのためではないかと思います。その分後発のwillよりも漂白化が早く進行したのです。

 

 もともと根源的用法では意味に違いがあったshallとwillは、認識的用法では意味が一般化して「条件が満たされれば結果として必ずおこる」という同じ文脈で使われるようになります。そうすると、旧表現のshallの意味領域を後発のwillが侵食するようになります。それは地域や階層でばらつきますが、長いスパンで見ると結局は新旧の表現が交替していくことになります。

 聖書は原典を翻訳したものなので、同じ個所を比較すると、言語の移り変わりを目にすることができます。以下に創世記第3章の同じ個所を、現代英語訳3つのバージョンを紹介します。

 

And I will put enmity Between you and the woman, And between your seed and her Seed; He shall bruise your head, And you shall bruise His heel."

「わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう」。

             ――Taiyaku.jimdofree.com(KJV Genesis 3:15)

 

And I will put enmity between you and the woman, And between your seed and her seed; He shall bruise you on the head, And you shall bruise him on the heel.

           ――New International Version(NIV:1973)創世記3:15

 

And I will put enmity between you and the woman, and between your offspring and hers; he will crush your head, and you will strike his heel.

――New American Standard Bible(NASB: 1971) 創世記3:15

 

※NIV、NASEは成田 修司『英訳聖書各主役にみるリーダビリティの違い』2011より

 

 3つのバージョンとも主語の意志であるI will…は共通です。それに対して、他の2つのバージョンでhe shall…、you shallとなっている箇所がNASBではhe will…、you will…に置き換わっています。神の意志によって実行されることが I will…で示され、その結果としておこることはhe shall/will…、you shall/will…と2つの別の表現が併存しています。

 後者の用法で、shallとwillはどちらも意味の一般化が進行して置き換わりが起こっているとみるとみることができます。旧表現shallから新興表現willへの交替は意味の接近するところから起きます。漂白化が進んだ未来標識では意味の区別がなくなっているので置き換わりが進みます。一方でshallの根源的用法「罰則を伴う義務」はwillが含意するものではないので使い分けができます。結果としてこのshallの用法は法律や契約文書として文語に残っているというわけです。

 

 では、今回の主題である未来標識とされる法助動詞willの本質的な意味を深堀りしましょう。「ノアの箱舟」として有名な創世記第6章から、現代語訳と、同じ個所のアニメの記述を比較します。

 

And behold, I Myself am bringing floodwaters on the earth, to destroy from under heaven all flesh in which is the breath of life; everything that is on the earth shall die.

「わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう。」

                ――Taiyaku.jimdofree.com(Genesis 6:17)

 

God:“Look! I am about to cover the earth with a flood that will destroy every living thing that breathes. Everything on Earth will die.”

                   ――Superbook | Noah and the Ark

 

 現代語訳版ではこれから「神の意志によって洪水を起こす」ことをam briningという現在進行形を使っています。アニメ版では同じことをam about toを使って表現しています。

 この神の意志による行動が、結果として「命あるものを破壊」し「地上に在るものすべてを死滅させる」ことになります。この結果として起こることは、訳版ではto destroy、shall dieという表現を使っています。アニメではwill destroy、will dieという表現を選択しています。

 このとき、神の意志を具体的な行動に移そうとすることは現在時制を使い、その結果として確実に起こることを表現するときには動詞の原形destroy、dieに機能語を前置詞した型を使っています。

 

 未来のことでも、起点となる現実に起こる事態には現在時制を使い、その前提条件が満たされた結果として起こることには法性を帯びた語句に原形を後置した型を使っています。未来標識と言われるwillも後者の型です。

 willの用法のうち根源的用法「意思」は起点として使うことができます。これに対して認識的用法とそれが漂白化した未来標識willは「確実」だけれども「未確定」ということが用法の核であり制約だと言えそうです。「未確定」というのは条件を満たせばという前提があるということです。

 

 前提条件と結果として起こることを述べるロジックは、現代では、典型的な時・条件を示す副詞節と主節の述語の型で見られます。

 

 If heavy rain occurs, significant damage will occur.

「大雨が起きれば、大きな被害が起きます」

 

 前提条件では起点として起こることを現在形で表現し、主節では結果として起こることをwillを使って表現しています。未来表標識とされるwillは、結果として起こることから発達した認識的用法が漂白化したものなので、主節で使うことに適しているのです。

 条件のif節では、現在形ではなくても、「意思」を示すwillを使うことは容認されます。それは聖書で、神の意志が起点となることと同じでしょう。条件のif節中の動詞形は時間とは関係なく、意志に基づくことならwillを使い、実際に起こることなら現在形を使うわけです。未来標識willが結果を示す主節に現れやすく、前提となる条件節を示す節中には現れにくい理由はこの歴史的経緯にあると思います。

 

 漂白化するということはそれだけは汎用性が高いということを示しています。現代の認識的用法のwillは、前提条件が神の意志のような絶対的なことではなくても、「経験則によれば」とか「特に変わったことが起こらなければ」というような場合などに広がっています。

 ただし、条件次第で変更する可能性がある、つまり「未確定」であるという状況で使うということに変わりはありません。法助動詞は広い意味で叙想法「想い」を表すThought Moodに属します。時間に関係なく「確定」しているという心的態度は「現実味」realityを表すIndicative Moodの方か相応しいということでもあります。

 

“Pedro will be asleep. Sick people do a lot of sleeping.”

                       ――Peppa Pig about Town

「ペドロは、きっと眠っているわ。病人はよく眠るもの。」

 

 これは入院している友達のペドロのお見舞いに行くところです。この用例は認識的用法のwillを使っています。実際には眠っているかどうかは「未確定」です。「眠っている」と確信している根拠は「病人はよく眠る」ということですが根拠は弱くても発話者が確実だと思えばいいのです。

 確実という認識が無ければmayやmightなど他の法助動詞に言い換えたり、probablyなどの副詞を添えればいいということです。確実性の程度は話者が選択して決めればいいのです。

 

Moodの違いは発話者の心的態度です。基本的にはある事柄が「確定」と「未確定」のどちらと見るかは発話者の選択によります。

 

Mr. Dog:“Hello shopkeeper.”

Peppa: “Hello Mr. Dog.”

Mr. Dog:“Can I have some biscuits, please?”

Peppa: “Susie have we got any biscuits.”

Susie: “No. But we've got a toy telephone.”

Mr. Dog: “How much will that be?”

Peppa: “That will be a hundred pounds, please.”

                     ――Peppa Pig | Work and Play

Mr. Dog「こんにちは、店主さん。」

Peppa「こんにちは、Mr. Dog。」

Mr. Dog「ビスケットをもらえますか?」

Peppa「Susie、ビスケットはある?」

Susie「いいえ。でも、おもちゃの電話はありますよ。」

Mr. Dog「それはいくらですか?」

Peppa「100ポンドになります、お願いします。」

 

 「いくらですか?」と価格を尋ねるときと、「100ポンドになります」と価格を答えるときにどちらのwill beを使っています。つまり価格は「未確定」であることを示しています。現代社会では定価販売はふつうになっているので価格は「確定」していることが多いのですが、昔は取引交渉で価格を決めるものでした。今でも業者間の商取引では交渉次第で価格は変わります。

 定価であればwill beを使わないでisでもいいのですが、実際に定価販売の店舗でも使えます。それはwillを使うことで、「双方が取引に納得すれば」という前提条件が含意されるからだと解せます。現在形が事実として決まっていることを表すのに対して、will beを使うことで変更の余地が含意され提案のようなニュアンスになると考えられます。だから、売る側の人がwillを使うと丁寧な響きになるのです。 

 

Dentist:“Okey, ah yes, there it is. You have a small cavity.”

Brother:“I do.”

Dentist:“Nothing to worry about really.”

Brother:“So it'll go away on its own.”

Dentist:“Oh, a cavity doesn't go away.”

                                                  ――Berenstain Bears | Visit the Dentist

歯医者「オーケー、ああ、はい、それですね。小さな虫歯がありますね。」

Brother「そうですね。」

歯医者「そんなに心配することはありません。」

Brother「それなら自然に治るんですね。」

歯医者「いや、虫歯は自然に治るものではありません。」

 

 この用例では「虫歯が治る」ということに関して、自然に治るか治らないかは「未確定」という認識があるBrotherはwill go awayとwillを使って表現しています。一方は医者は自然に治る余地はないという認識があるのでdoesn't go awayと現在時制で言い切っています。

 

Mama:“Losing your baby teeth is a sign that you're growing up.”

Sister:“It is.”

Papa:“Before you know it you'll have a new grown-up tooth in its place.”

Sister:“But I don't want Dr. Bearson to yank it out with his big yankers”

Mama:“Big yankers? Who told you that?”

Brother:“I was only kidding. I didn't think she'd believe me. Sorry, Sis.”

Mama:“Dr. Bearson isn't going to yank out your tooth with yankers.

           Your tooth will fall out on its own”

                                                       ――Berenstain Bears | Visit the Dentist

ママ:「乳歯を失うことは、成長のサインなのよ。」

妹:「そうなんだ。」

パパ:「知らないうちに、新しい大人の歯が生えてくるよ。」

妹:「でも、ドクターベアソンに大きなヤンカーで引かれるのは嫌。」

ママ:「大きなヤンカー?誰がそんなことを言ったの?」

兄:「冗談だったんだ。Sisterが信じちゃうとは思わなかったよ。ごめんね、Sis。」

ママ:「ドクターベアソンはヤンカーで歯を引き抜くわけじゃないの。歯は自然に抜け

      るのよ。」

 

 この用例では、永久歯(grown-up tooth)は自然に生えるもの、乳歯は自然に抜けるものということを、willを使って表現しています。何か変わったことがなければ確実に起こるこという含みがあると解せます。

 何か変わったことが無ければ必ず起こることは、「ふつうによくおこること」ですからwillを「習性」に使うのに適しています。Accidents will happen. (事故は起こるもの)などです。このとき、事故なんて起きないことはないとrealityを感じるならAccidents happen.と表現してもかまいません。Moodは話者の心的態度を表すのですから。

 

 以上のように法助動詞willは、根源的用法の「意思」と認識的用法の「確実性」ととらえ、「未来標識」は漂白化した認識的用法とすると、法助動詞の体系におさまります。英語使用国では、そのようなとらえ方をする文法書はよくあります。

 

「WILL+原型 を未来時制とみなす文法もあるが、我々はこの見方をしない。その理由は、WILLは純粋に未来を意味することはほとんど無く、典型的に、法性の意味として働く。つまり、意味上、法動詞に属する。文法上もまた法動詞に属する。」 

         Bas Arts『Oxford Modern English Grammar』2011 

 

 「確実である」ことが法助動詞willの本質ですから、過去のことについて確実にあったはずと言えるときには使うことができます。PEUの記述を引用します。

 

Will have+past participle refers to the past 

 We can't go and see them now.――they’ll have gone to bed. 

 

       Michal Swan『Practical English Usage 3ed.』2005(616頁)

 

  また「確実である」ことが法助動詞willの本質ですから、条件を示すif節中で「確実だと分かれば」という場合は無意志であってもwillを使います。

 

If the price comes down in a few months, I'll buy one.

 

If the price will come down in a few months, I’m not going to buy one.

 

     ――Huddleston他『Cambridge Grammar of the English Language』2002

 

 「ここ数か月で価格が下がったら、買うよ。」

 「ここ数か月で価格が下がのが確実なら、今は買わない。」

 

 現在時制は、起きる可能性に関係なく「現実に起きたら」と仮定して前提条件に使います。これに対して法助動詞willは「確実に起きることが分かれば」という条件に使います。つまり、if節中でも無意志の未来標識willを使うことができるのです。現在時制は未来の代用として使うわけではありません。

 

 実際に現代英語の動詞形の違いPresent Tense、Past Tenseは時間timeとは別の概念なので、法助動詞willを特定の時間と結びつける必要は特にありません。willは過去・現在・未来のいずれのことでも述べることができます。それは他の法助動詞mayと全く同じです。「時」timeから解放し法助動詞willを自由にして、活きた用法にあたるのもいいのではないでしょうか。

 

 

 条件を示すif節中の時制については、下にリンクした記事にまとめています。

時・条件節中で使う未来標識will―特別ルールから体系へ― | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)