【生成AIの回答】

●動詞 seeは基本的には「状態動詞(stative verb)」として扱われ、「知覚」や「理解」の意味では進行形(be seeing) にしません。意味が「見える」以外になるときは、進行形で使える場合もあります。

「見える・目に入る」     使用不可  I see a bird.

「会っている/付き合っている」使用可   I'm seeing someone.

「会いに行く/見に行く」   使用可   I'm seeing a movie tonight.

  ――ChatGPT

 

●「目に入る」「見える」という意味の see は、状態動詞(stative verb)なので進行形にしません。

"I see the mountain from here." (Not: "I am seeing the mountain from here.")

see が「会う」「付き合う」「面会する」などの行動を表す意味になると、進行形が可能です。

I'm seeing a doctor tomorrow. 「明日医者に診てもらう予定です」(予定・面会)

She's seeing someone. 「彼女は誰かと付き合っている」(交際中)

We're seeing a lot of progress. →「私たちは多くの進展を見ている」(変化を観察している)

もし「seeの進行形が使えるかどうか」で迷ったら、「それは目に入ってくる自然な知覚か?それとも意図的な行動か?」を考えると判断しやすいですよ。

  ――Copilot

 

※seeに限らず、hearなど外から入ってくる「知覚」を表す時は動詞はstative verbに分類し進行形にはできないされ、例外として「行為」を表すときは進行形にできるというのが通説。

 

【事例研究】

●アニメの用例

If you're seeing two of me, you'd better sit down for a while.

 ――The Berenstain Bears | Hug and Make Up

 「わたしが2重に見えているのなら、少しの間座っておいた方が良いよ。」

 

“What are you seeing what I'm seeing? There are two of them”

“My boys are identical twins.”

 ――Kongsuni and Friends | Twin Trouble

「私が見ているものを、みんなも見えてる?同じ人が二人いるわ。」

「この子たちは一卵性双生児なのよ。」

 

"Whoa. I've seen pictures of this place. Never thought I'd be seeing it this close."

 ――The Berenstain Bears | Car Trip

 「おう。この場所写真で見たことあるよ。まさかこんなに近くで見れるなんて思わなかったよ。」

 

"all we've been seeing are trees and rocks for the past hour and a half. "

 ――The Berenstain Bears | Car Trip

 「ここ1時間半の間、ずっと木と岩しか見てないよ。」

 

●文学作品での使用例

‘Am I seeing things?’said Willie.

 ――H. Wouk: The Caine Mutiny

 「‘これは幻覚なのか’とウィリーは言った。」

 

 …、as if he were seeing things other people didn't see.

 ――B. Plain: Evergreen

 「彼は、まるで、他の人が見えていないものが見えているかのようだった。」

 

 By the time I killed that guard and ran away, he was seeing ghosts every night.

 ――Richard Blake: The Curse of Baylon

 「わたしがその護衛を殺して逃げるまで、彼は毎晩、幽霊を見ていたんだ。」

 

●メディアでの使用例

“I couldn't believe I was seeing it, ”…

 ――Time

 「それを見ているなんて信じられなかった」

 

 At first, I couldn't quite believe what I was seeing…

 ――The New Yorker

 「はじめは、自分が見ている光景を全く信じることができなかった。」

 

 Plenty of people now are seeing icebergs, …

 ――The New York Times

 「多くの人々が、今まさに氷山を目の当たりにしている。」

 

【参考資料】

●論文の記述から

「17世紀までは、他の多くの現代欧州言語と同様、進行の意味は英語でも専ら単純形が担っていた。進行形の出現頻度は1726年のSwiftのCulliver's Travelでも非常に低く、作品全体でも25例しかない。それが1814年のJane AustenのMansfield Parkでは106例となる。

 英語の単純形が進行の意味を表せなくなったのは比較的最近のことで、現代の進行形は、その確立が18世紀初頭と一般に言われる、英語史上でもかなりの新興構文である。しかしその割にはその由来・経緯や理由についても未だ諸説紛々としており、深い謎のベールに包まれている。」

  樋口万里子『英語の進行形構文の謎』2009

 

「進行形の歴史的成立過程については諸説紛々としている。古英語期の進行形にアスペクト的意味はなかったとする見方が有力説の一つにある。Shakespeareが “What are you reading?” (Troilus: Ⅲ-3)と“What do you read my Lord?”(Hamlet: Ⅱ-2)のように進行形と単純形とを併用したことは、英語の進行形の歴史を語るとき、よく取り上げられる事例である。英語の進行形は、歴史上いずれの時代にも使用頻度が低く、近代英語期に一般化したとされる。」

  永尾 智『近代英語進行形の文法化』2011

 

※英語史からみると、進行形の発達は比較的新しい。Shakespeareの時代は進行形の黎明期で、単純形と進行形に用法の区別が明確ではなかったとする説がある。新興表現に対する語感が世代によって変わることは周知の事実。発達が遅れた状態動詞は、単純形との区別がつきにくいことから規範によって「使えない」と禁止されたのだろう。しかし、相の区別が明確に意識されるようになったことから状態動詞進行形は英語話者の間で容認されるようになってきていると考えるのが妥当。

 

●PEUの記述の変遷

[1996年出版のPEU邦訳版]

ふつう進行形では用いられない動詞が多くあり、またいくつかの意味では進行形には用いられない動詞がある。(文法書では、しばしばこのような動詞は状態動詞stative verbと呼ばれ、ふつう進行形になりうる動詞は動作動詞dynamic verbと呼ばれる。

 remember、doubt、like、see、hear、want………他

Swan『オックスフォード実例現代英語用法辞典』1996

 

[2016年出版のPEU]

時として、変化や推移を意味を強調するために、「進行形にできない動詞」(non-progressive)が進行形で使われることがある。

 I’m remembering less and less.

(だんだん思い出せなくなってきている。)

 I’m liking it here more and more as time goes by.

 (時が経つにつれて、ここがどんどん好きになってきている。)

need、want、meanは、未来や現在完了進行形で使われることがある。

 Will you be needing the car this afternoon?

(今日の午後、車を使う予定ですか?)(※丁寧な表現)

 I’ve been wanting to go to Australia for years.

(何年も前からオーストラリアに行きたいと思ってきました。)

   Swan『Practical English Usage』2016(しんじ訳)

              

※20世紀に「使えない」としていた状態動詞進行形の使用について、今世紀には容認に転じている。新興表現は一般に次のような経過をたどる。

 英語話者の間で使用が広がる⇒英米の規範が使用を規制する⇒さらに使用が広がると英米の規範が使用を容認する⇒入試に出ると和製の学参が遅れて追従する

 変化する言語に対して、「言葉の乱れ」を嫌う標準語の規範が規制する。禁則は試験の採点基準の根拠にし易く和製の学校文法が禁止規則を「文法」に取り込む。過去問基準の学参は言語変化に追いつけず未来を見ないから情報が遅れがち。

 

【しんじの見解】2025年現在

 動詞を動作と状態に分類して進行形の使用の可不可を決めるのは実践的ではない。

例えばwalkについて、

a)     I walk to school.   b) I am walking to school.

このとき(a)のは徒歩通学していること、つまり現在形は「いつもこと」を含意し、(b)の現在進行形be walikingには「いつものことではない」という含意から一時的行為などに使う。

「(外の光景)が目に入る」seeもこれと大差ない。、ふつうは目を開けていれば外の光景が目に入ってくるのは「いつものこと」だから現在形が適する。ただし、「いつものことではない」光景が目に入ってくる場合は現在進行形を使う。

 英語ネイティブの間で単純現在形と現在進行形の使い分けが一般的になってきているのではないかと思う。動作か状態かという分類は粗雑過ぎて意味がない。現在形は「いつものこと」、現在進行形は「いつものことではない」という基本に基づき、各動詞ごとの語法として1つ1つ用例を丁寧に扱えばいい。