現代英語の過去形にはdidしかなく語形変化によって数を示すことは不可能だと書きました。でも、be動詞のなら過去形でもI was…とかThey wereのように数に応じて変化するのでは?と疑問に思う人はいるでしょう。それはもっともなことです。ただし、was、wereと使い分けるのは標準変種に限ればの話です。それは規範として決めたことであって、現代語の伝わる仕組みではありません。
アメリカの文学作品にある地方変種のbe動詞の用例をいくつか紹介しましょう。
“Maybe I is , and maybe I ain’t. Who want to know ?”
―――Saul Bellow, Looking for Mr. Green.
Is they any girls in this here camp?.
―――Eugene O’Neill, The Emperor Jones.
“You was a saying.”
―――Charles Dickens, Great Expectations.
They was bones ever’ place.
―――John Steinbeck, The Grapes of Wrath.
後藤 弘樹『現代アメリカ口語英語の文法と言語思想史的歴史的背景』2016
後藤 弘樹『現代アメリカ口語英語に見られる発話不一致の諸相』2021 より
地方変種では、be動詞も主語の数や人称には関係なく、現在形はis、過去形はwasで通用していることが分かります。動詞を「語形変化」させて主語の人称・数を示すというのは、現代語の伝わる仕組みではないのです。英語母語話者は動詞の「語形変化」で主語の人称・数を判断しないのは不思議なことではありません。
学校では誤りと習った表現を英語母語話者が使っていると知って、だから英文法は役に立たないと疑う人がいます。逆の立場で、外国の学校が日本語を教える場合を考えてみましょう。
日本人はみんながいつも標準語しか使わないなんてことはありません。地方変種には、「~やねん」「~だがね」「~じゃけん」のように述語の語形によく現れます。日本人が実際に使うという理由で、これら地方変種を学校が扱うのは現実的ではないでしょう。
外国語として英語を学ぶのに標準語を中心に扱うのは妥当です。英文法は標準語の規範的規則集ですからそれを学ぶこと自体は意味があると思います。ただ、問題なのは、規範的規則から外れた表現を「文法的誤り」と教えることです。
「You areが標準語の正用」というのは確かですが、だからといって「You isは文法的誤り」というのは問題があります。地方変種として実際に使っている母語話者がいるからです。「公の場で使う表現としては標準語法のyou areが相応しい」と丁寧に教えるべきです。そのように教われば、英文法や学校英語を不審に思うことはなくなるでしょう。
標準変種は、人為的に創作し公教育によって普及させた結果、広く通用するようになった変種です。使用者人口が多い言語には多様な変種があります。標準変種を広く通用させる過程で、標準から外した変種を排除する必要があったのです。つまり、非標準の表現は「使えない」のではなく、実際に使う人がいて十分伝わる表現だということ。これは英文法以前の言葉としての常識です。
標準語を持つ言語の事情は同じですから、日本語で考えればいい。標準日本語は、明治維新後に近代国民国家として国を統一する一環として創作されました。地方変種は「~たい」「~ぜよ」「~べ」など述語の語形によく現れますが、それらをすべて認めていては標準化は出来ません。
現在、標準として認められる述語の語形が「~だ」「~です」などいくつかに限られています。それは非標準とされた他の変種を排除した結果です。非標準とは実際に使われている表現だということは、日本語のことを考えれば分かるでしょう。
英語の述語の語形が地方によってバラつくのは、日本語の述語と変わりありません。英国の地方は元々独立した王国ですから、強い地域性があります。ワールドカップのサッカーやラグビーでは、イングランド、スコットランド、ウェールズがそれそれ代表として参加することがそれを象徴しています。地域によって使用する言語に違いがあったことは想像に難くありません。
18世紀の中頃のことです。英国で、多様な地方変種を人為的に統一して標準変種が創作されます。標準変種の規範は、複数の類似表現が使われていれば、正用を規則で定めます。標準化を進めるために、そこから外れた表現を排除するのです。19世紀の英語使用国の文法のテキストでは、規範から外れた表現をfalse(誤り)と教え、あわせて誤文訂正問題を数多く載せていました。その中に主語の人称と数に動詞を一致させるものもあります。当時は、地方変種を教養が無い人の言葉使いとして排除していたのです。
英文法がfalse(誤り)として禁止するのは、実際に一定数の母語話者が使い十分通用する表現なのです。非標準とされる表現の中には、一時的な流行で終わるものもあります。しかし、現代語の伝わる仕組みに根差した表現は、いくら禁止したところで英語母語話者は使い続けます。
アメリカ口語英語の変種には、英国の標準化を免れた人々がもたらしたものも多く含まれています。英国では、1500年頃までに伝える仕組みのスタンダードが「語形変化」から「語の配列」に移行しています。つまり、アメリカ口語英語には、規範的規則の影響を受けない現代語が伝わる仕組みが純粋な形で残っているともいえるわけです。
英文法以前に、言語についての健全な常識を持つことが大切です。地方変種の多様性を知れば、軽々しく「文法的誤り」などと言うのは無知からくるものだと分かります。地方変種では人称に関わらず現在形の語尾にSが付くこともあります。再び、後藤2016、2021から引用します。
I has a grandson. ―――DARE
I hearn(=heard)what you says.
――JohnSteinbeck,The Grapes of Wrath.
地方変種の動詞形が人称・数を無視するは、「語形変化」は失われた古典文法の仕組みだからです。言ってみれば、日本人が室町時代の古典文法を使わないようなもの。そう考えると、母語話者が語形変化を厳密に守らないのは不思議なことではなくなります。
標準英語の述語形は、古典語のラテン語の動詞を手本として規則が創作されました。「語形変化で主語の人称・数を示す」というのは古典文法の仕組みなのです。そうはいっても、外国語として身に着ける上で標準語に準じた方がいいでしょう。ただし、現行英文法の規範をそのまま受け入れるというのは再考の余地があります。
ラテン語の動詞は一、二.三人称と、その単数・複数という6種類に変化します。この主語を6分割する枠組みに、現代英語の動詞を当てはめて標準語の規則が創作されたわけです。しかし標準語で最も変化形が多い現在形でもam、is、areの三つしかないのですから、6分割の主語を想定する必要はありません。
amは主語 I だけに対応するので、残り5種類の主語に対してis、areの2つが対応します。その使い分けは単純で、単数扱いする主語にはis、複数扱いする主語にはareが対応します。つまり、I だけを例外とすれば、すべての主語は人称は全く考慮しないでいいのです。
youが単数と刷り込まれた人のために言っておきますと、we、you、theyはどれも単数・複数を指すことがありますが、複数扱いするareが対応するのです。youはもともと二人称目的格の複数として使われていたからその名残として規範的規則でもareを対応させるのです。英語母語話者が気にもしない「人称」を学習者が気にする意味は全くありません。
ラテン語に義理立てするのを止めて、「人称」という余計なモノを取り除けば、標準語の規則はシンプルに理解できます。I だけを唯一の例外とすれば、後のすべての語は単数・複数だけ区別すればいい。これは標準語のbe、do、haveの動詞変化の規則にも対応します。
例外 am / was / do / have I
単数 is / was / does / has He、She、It 他
複数 are / were / do / have We、You、they 他
6分割モデルは、ラテン語の動詞用に創作されたオートクチュールに過ぎません。スリムな体系の現代語の動詞にそのまま当てはめれば不具合が出てしまいます。標準語でも枠組みは3つで十分。
標準語の動詞形規則は、現代語の伝わる仕組みではないので母語話者でも矯正して身に着けることがあります。学習者はシンプルに理解をした上で、何度も口に出して身に着けることが必要だと言えます。ただし、主語の数と不一致でも地方語で使う表現ですから、初学者が「誤り」を気にするほどのものではないでしょう。
文法規則は現代語の伝わる仕組みとは違う。これを文法を読み解くための基本にします。