英文法参考書では「時・条件を表す副詞節内の時制について次のような説明をしてきました。

「未来の『時・条件』を表す副詞節中では、現在形は未来時制の代用をする」

          『MY BEST よくわかる英文法』学習研究社2008年(p.53)

 

「『時』『条件』を表す接続詞が続く副詞節の中では、未来のことでも現在時制を用いて表すのが原則。文全体が未来のことを述べているとわかるので、従属節で現在形を使っても誤解が生じないのである」

      『デュアルスコープ総合英語』数研出版株式会社 平成28年(p.78)

 

 この従来の文法説明について指摘する英語のネイティブ2者の記述があります。要約して紹介します。

 

「(学生に未来形の使い方を教えていて)質問の時間に「われわれは、“if…”の条件節には、未来形は使わないと教わりました。“If I am late, I will call you.”と言えば文法的に正しいが、先生の“If I will be late, I will call you.” という英語はない、と教えられているのですが、いかがなものでしょうか」と言われてびっくりした。

 実は2つの文はいずれも存在する。

 

  “If I am late, I will call you.”

   (遅れてしまったら、電話する)

  “If I will be late, I will call you.”

  (遅れることになったら、電話する)

 

 ただ、意味が大分違うだけで、文法的に正しいかどうかというような問題ではない。

 たいてい文法書のページをめくるたびに、腹が立つものを見かける。上述の「“If”の条件節には、未来形は用いられない」という問題を調べたときもそうであった。やはり、その受講生の言うように「未来形は無い」とされていた。」

              マイク・ピーターセン『続日本人の英語』1990

 

「次回日本に来たとき電話ちょうだい」を英語で言うと:

  Call me the next time you come to Japan.

「次回日本に来るとき電話ちょうだい」は英語で言うと:

  Call me the next time you are going to come to Japan.

 

 副詞節全体が未来の時を表すから、時・条件の副詞節中の動詞も、たとえ現在時制でも、未来時制だという説はウソだったのです。現在形を用いる場合、その動作が「終わった」「完了」ということを示しています。一方、中の動詞が未来時制の場合、その動作がまだ「未完了」「これから」ということを言っています。」

           テルキ デイブ『過去、今、未来の話を英語で』2016

 

 2者の指摘は同じで、時条件を示す副詞節中では、「現実に起こったら」というときには現在形、「(未実現でも)起こることが確実とわかったら」というときにはwillを選択して使うとしています。 

 ただし、従来の文法説明は日本人の学者が言い出したことではありません。20世紀当時の文法説明の状況が分かる記述を紹介します。

 

条件節中の時制については、「条件を表す副詞節中では未来を指す場合にも現在形が用いられる。willが用いられるのは未来ではなく意思を表す場合のみである」という規則が学校文法その他の文法書に記述されている。しかし、実際には無意志のwillが条件節中にあらわれることは広く知られており、数々の議論が行われてきた。これらの議論には、willを伴った条件節が統語的に主節より独立したものが多い事への説明に終始たものが多い。(Allen1966, Haegeman&Wekker1984, Fujimoto1985参 照)。Declerck(1984/1991)は様々な用例を集め議論しているが、彼の議論では、いつwillを用いるべきか、いつ単純現在を用いるべきかがはっきりしない。

                 松村瑞子『条件節のwillと現実味』1995

 

 従来の学参の説明は、元は英語のネイティブの文法家の説です。実は、わが国の文法説明は、海外のEFL用の学習文法書から取り入れたものが多いのです。20世紀当時は今のように情報インフラが発達していなかったので、実証研究ができていなかったのです。

 しかし、今は当時とは情報環境が違います。英語のネイティブが言っているからというだけで、それを正しい理由にすべきではありせん。事実と論理に基づいて文法説明の真相を探ることは可能です。

 

 まず、和製の文法書から抜け落ちている事実があります。それは[will+完了]は「過去」を「現在」「未来」のどの時点でも表すことができるということです。英英辞書や和製の辞書、内外の文法書・学習書に載っていますし、子供を対象にしたアニメにもでてきます。そのうちいくつかを引用しておきます。

 

 She‘ll have left yesterday. 彼女はきっと出発しただろう

                 ――『ウィズダム英和辞典』2003

 

 He will have left already.

    ――『The Cambridge Grammar Of The English Language』2002

 

 Gorge, you forgot to close the door. Paulie will have flown away.

                  ――Peppa Pig’s Holiday in Australia

  (ジョージ、ドアを閉め忘れたのね。パウリーはきっと外へ飛んで逃げてるわ)

 

Rebecca: “Daddy, did you see the easter bunny.”

Father: “No. But I'm sure the easter bunny will have been by now”

                   ――Peppa Pig | Easter Bunny 

 「パパ、イースターバニーを見た?」

 「いいや。でも、イースターバニーはもう来ていると思うよ。」

 

 法助動詞willは根源的用法の「意思」、認識的用法の「確実性」に使いますが、学習文法では「確実性」の意味が漂泊化したものを未来標識とします。元は「確実だ」という認識を示す用法なので時間に関係なく「過去」「現在」「未来」のいずれのことを述べることができます。学習文法では[will+完了]の型を便宜上、未来完了と呼んでいるだけで、未来のことだけに使うわけではありません。

 他の法助動詞[may+完了]も同様に認識的用法でとして、「過去」「現在」「未来」の時点で完了していることを述べます。つまりwillとmayのはどちらも未確認の事柄に対する実現性の認識を示し、その違いは「確実」か「半々」かという見込みの程度です。

 100年以上前の日本の辞典にも載っています。また、海外の文法書でも説明されています。

 

 多分、大方、確か。He will (=may or must)have forgotten me, it is so long since we met. 彼には久しく逢わないから僕を忘れたらう。

          ――斎藤秀三郎『熟語本位英和中辞典』1918(1542頁)

 

 Will have+past participle refers to the past――Swan『PEU』2016

 

 これを踏まえて、次の論文記述から文法説明の妥当性を検証します。

 

a. If there is a strike the day after tomorrow, we'll have worked in vain                                                                                           tomorrow.

  (あさってストがあると、あす働いても無駄になる)

 

b. If there is a strike tomorrow, we'll have worked in vain today.

 (あすストがあると、今日働いたことが無駄になる)

 

c. If there is a strike tomorrow, we'll have worked in vain yesterday.

 (あすストがあると、昨日働いたことが無駄になる)

 

 未来完了は、未来時を基準時としてそれより前の時を表す。どの程度前であるかは指定しない。現在時より以降(a)、現在時と同時(b)、現在時より以前(c)、そのいずれであってもよい。

                    久保田 正人『英語の時制をめぐって』1996

 

 これらの例文では主節の述語はすべて['ll have worked]です。時を示すのはそれぞれの副詞tomorrow、today、yesterdayです。条件節はすべて現在時制を使って未来(明日またはあさって)のことを述べています。

 ここからわかるのは、主節の述べる時間と条件節は関係ないということです。つまり「文全体が未来のことを述べているとわかるので、従属節で現在形を使っても誤解が生じない」という従来の文法説明は実態に合いません。

 もっとも、時・条件の副詞節中が現在時制で主節が未来時制という型の文は数あるconditionalの1類型に過ぎません。単文の説明になっているだけで、英文全体の体系にはなっていないということです。その場限りの説明なら何とでも付くものです。

 

 また、時・条件の副詞節中には現在時制も未来時制もどちらも使え、意味の違いによって使い分けるのです。だから「未来の代用」という説明は成り立ちません。

 未来標識willを時・条件を表す副詞節中で使う用例は先ほど英語ネイティブの説明にもありましたが、文法書・論文でも取り上げているので紹介しておきます。

 

 If the price comes down in a few months, I'll buy one.

 

 If the price will come down in a few months, I’m not going to buy one.

 

     ――Huddleston他『Cambridge Grammar of the English Language』2002

 

 「ここ数か月で価格が下がったら、買うよ。」

 「ここ数か月で価格が下がる見込みなら、今は買わない。」

 

 現在時制は、「現実に起きたら」ということを意味します。法助動詞willは「確実に」起きるけれども「未実現」であることを意味します。現在時制と法助動詞willは適する方を選択して使います。ふつうは、「実際に起きたら」という文脈の方が多いので現在時制を使うということです。

 

 法助動詞willは「確実に起きる」という判断を示すので、起きる前に行動するときに使うわけです。次のような場合に使うとする文法書があります。

 

 If the lava will come down as far as this, all houses must be evacuated.

                                                                                   ――Close1980

「もし溶岩がここまで降りてくるようなら、すべての家は避難しなければならない」

 

 溶岩が人家に達することが確実だと判断したときに、避難するということを表しています。仮にwill comeを現在時制のcomesにすると、溶岩が人家に達してから避難するという意味になってしまいます。実際に起きてからでは手遅れです。

 現在時制は「現実になる」という心的態度を示します。未来標識willは未確認のことについて「確実」であるという認識を示します。文脈により相応しい表現を選択していると考えられます。英語ネイティブが不合理と感じるような規則に基づいているわけではないのです。

 

 この用法を説明している文法書は他にもあります。説明と用例を引用します。

 

We use will with if when we are saying ‘if it is true now that...’ or ‘if we know now that...’.

 

If Anna won't be here on Thursday, we’d better cancel the meeting.

 

If prices will really come down in a few months, I'm not going to buy one now.

                         ――Swan『PEU』2016

「アンナが木曜日に来れないのなら、会議は中止にしなきゃ」

「価格が数か月で確実に下がるのなら、今は買わない」

 

 今の時点で (確実な見込みが) 本当だと判断したらif節中でwillを使うということです。この未来標識willをif節中で使うという説明は、『PEU』第3版には見当たらないので、『PEU』第4版で採用されています。CGEL2002の用例を採用したのでしょう。

 Swanは論文のインタビューで他の文法書を参考にすることはあると答えています。また、『PEU』第4版の序文には、以下のように記しています。和訳して引用します。

 

「私が借用した完全な記録として、直接または間接に引用した過去約100年間の学者すべてを挙げるのに十分なスペースがありません。しかし、少なくとも現在の世代の2つの記念碑的な参考文献に敬意を表さねばなりません。Quirk、Greenbaum、Leech、Svartvikによる『Compre hensive Grammar of the English Language』(Longman、1985)と、Huddleston、Pullumなどによる『Cambridge Grammar of the English Language』(Cambridge University Press、2002)です。彼らの英語の構造と用法の事実に関する権威ある説明は、今日文法教材を執筆するすべての人にとって欠かせない情報源です。」

                Swan『Practical English Usage』2016

 

『PEU』は第3版までは規範文法をもとにした用法・語法の正用の規則集という趣でしたが、第4版では記述文法の要素を取り入れています。時制に関する記述は伝統的なtense=timeを基本としながら、記述文法のtense≠tenseということも記すという、両論併記しています。

『PEU 4th Ed.』では以下のような説明になっています。

「We normally use a present tense with if (and most other conjunctions) to refer to the future.

  I'll phone you if I have time. 

But in certain situations we use if... will.」

                       Swan『PEU 4th Ed.』2016

 

 かつては規範的文法の立場で先行研究中心だった英米の学習文法書は、近年では言語コーパスを使った実証研究にもとづく記述文法を取り入れるようになってきています。

 Swanが参考にして取り入れたとするCGEL2002では未来時制を認めず、2時制モデルを基本としています。次のように記しています。

 

「われわれが本書において伝統的文法から離れた見方をする最も顕著なことの1つは、英語に未来時制を認めないということである。

[1]   PAST    PRESENT    FUTURE

    took      take        will take  [traditional tense system]

 従来から未来時timeに対して多くの非難があったが、その言葉に反して、結局はここに示したように、時制を直線とする伝統的な見方をとっていた。ここで言っているのは、そうではなく、時制の中に、未来時制tenseという文法的範疇にはないということだ。よりはっきり述べると、will(あるいはshall)は、法性を表わす助動詞であり、時制には含めないことを主張する。」 

Huddleston他『The Cambridge Grammar Of The English Language』2002

 

 法助動詞will、shallは未来時制ではなくmayなどと同じ法助動詞であり、英語は2時制であるという見方は、18世紀にはPreastlyが英文法書の中で明言しています。19世紀終わりごろから20世紀のにかけて、科学的文法の立場をとる文法家の間では3時制モデルよりも2時制モデルの方が大勢になっています。

 我が国でも20世紀初頭頃には英米の科学的文法に習い、2時制モデルを取り入れようとする動きはありました。「所謂Future Tenseは時の現在と未来とに関せず、ある事柄に対する話者の想像、推測を表わすのであって、「想像(推測)叙述」の語形と称すべきである。」細江逸記『動詞時制の研究』1932

 

「未来のことでも現在時制で表す」という規則は、未来時timeと時制tenseが一致しないこと特別視する伝統文法の発想です。「未来のことでも」というのは「未来はwillを使うのが基本で、その基本に反して」という意図でしょう。時timeと時制tenseが一致していないというよくある現象を特殊扱いして言っているだけで、言語学的な説明にはなっていません。

 未來のことを述べる時に、スケジュールに組み込まれた確定した予定を述べるのに単純現在時制を用いたり、個人的に約束したことなら現在進行形を使ったりと、文脈に応じて述語の形態を選択します。とても起こりそうにない未来のことなら過去時制を使うこともできます。

 細江やHuddelstonらが示しているように、記述文法では時timeと時制tenseは別の概念であり、必ずしも一致しないというのは時制の基本的なとらえ方です。未来という時timeにおこることを述べるのに、未来時制tenseを以外の時制を使うことを不思議がるという発想はありません。英語話者はどのように表現を選択しているのかというコードを読み解き説明するのが文法記述の基本になります。

                      

 記述文法は実際に英語話者の間で広く使われている表現を認めて、それを言語学的な論理によって説明します。実践的な学習文法にするには、これまで学習文法書になかった用例を取り上げて体系的な説明にしていく必要があります。

 

 条件のif節中で使われる表現を掘り下げていきましょう。デイブ2016では、他の用例を挙げて説明しています。下に引用します。

 

1) I’ll go if Jerry goes. 

  「ジェリーが行ったら、ぼくも行く」 

 

2) I’ll go if Jerry is going to go. 

  「ジェリーが行く(予定)なら、ぼくも行く」 

 

3)  I’ll go if Jerry will go. 

  「ジェリーが(よし)行く(と言う)なら、ぼくも行く」

 

                         テルキ デイブ『過去、今、未来の話を英語で』2016

 

 それぞれの例文のif節中について、用例1「現実に行くなら」goesを使い、用例2「行く予定なら」is going toを使い、用例3「行く意思があるなら」willを使っています。それぞれの動詞形(法・時制)は、それぞれ文脈に相応しい型を選択しているように思います。 

 法助動詞willは「意思」の他に「結果として確実に起こると予測できること(未来)」というコアを持ち、過去時・現在時・未来時のいずれにも使います。単純現在形は「現に起こっているように感じる」というコアをもち、過去時・現在時・未来時のいずれのことを述べることができます。

 if節中であっても述語の動詞はコアに基づいた型を選択して使います。「実際に起これば」という意味を示したいなら単純現在時制を用い、「結果として起こることが確実なら」と言う意味を示したいなら助動詞willを使います。

 

 従来の文法説明のような個々の現象を特別視するのを止めるには、英語という言語を体系的に見ることが必要です。ここでは法・時制といった概念をもとに英語という言語の全体像を描き、その中に位置づけていくという作業が必要になります。

 

 このブログでは、これまでの記事で法・時制について検討して来ました。その中の1つには今回取り上げているCGEL2002の2時制モデルも視野に入れています。法・時制体系の概要をうまく説明している論文を見つけたので、少し長くなりますが要約して紹介したいと思います。

 

「そもそも英語において、現在時制と過去時制という2つの時制の範疇は、屈折接辞によって表される。未来時制には屈折接辞を用いず、助動詞を用いて迂言的に表される。そのことから考えて、英語の時制は現在時制と過去時制の二項対立で考察するのが適当であると思われる。現在時制は、2つの時制のうち無標のメンバーであるから、過去時・現在時・未来時のいずれをも指示することができるのである。

 時制の議論でよく見かける「時の数直線」は、時という抽象概念を数直線というより具体的な空間概念に置き換えている。つまりメタファーを用いて、われわれは時を認識していることを裏付けるのである。

 

 言語の概念としての「現在」はこの発話時を含む話者の「今・ここ」を感じさせる過去と未来を広く含むことになる。基本的にこの「今・ここ」と認識できるものが単純現在でカバーできる範囲である。

 未来に対しては基本的にその対象は断定できない内容なので推量を含意する法助動詞を用いたり、まだ実現していないことを示すto不定詞が好まれて使用されたりする。そして、「今・ここ」と認識できず、話者からの距離を感じ、事態を外から眺めることに対して「単純過去」を用いている。

 

 この言語経験が現在時制のように事態の内部に入り、事態に自ら関わり、主体的に「感じる」といった、より主観的な用法に対して、過去時制は事態の外部に主体が存在し、事態そのものを客体としての外部から客観的に眺めることになる。現在形と過去形の持つ意味の特徴をまとめると次のようになる。

 

   現在形:主観・近い・感性

 

   過去形:客観・遠い・悟性

 

 過去形のイメージを的確に捉える鍵概念は「隔たり(distance)」である。The‘past’is a form specifying‘remoteness’and the‘distance’(Kilby1984)。過去形の本質的な意味は「現実・リアル」から距離を前面に押し出すことである。叙想というunrealな対象を記述する機能をもつ。一方、単純現在形は、なんらかの意味で発話時と関連付けられているだけでなく、より主観的で記述対象の物理的にも心理的にも接近した場面に適応する用法である。」

              木内 修『単純現在時制:認知意味論的接近』2007

 

 この論文の主旨は、法・時制に関して、現代英語の全体像をうまくとらえていると感じます。体系的説明とは、このような根源的な見方から個々の用法に展開していくことです。

 この記述に中から、時・条件を表す形として今回は現在時制と未来表現とされる語句を中心にポイントを押さえておきます。

 

 時制tenseが現在と過去の2つであるということは、実際には現代英語の時制は現在(近い)と遠在(遠い)という距離感をもとにした遠近の二極構造が根底にあるとみることができます。

 現在時制(単純形)をは「いま・ここ」(このブログではpresent realityと呼ぶ)を表すこと、過去とは異なり無標(unmarked)であること、主観的であることです。

 一般に過去形はplay-edは、現在形playに文法性を示す標識-edが付いたものとみなせます。標識markerは道路標識と同じで使用を制限します。現在形は使用を制限する標識が無いunmarked無標なので使用制限が緩く汎用できると考えます。「現在」という時間による縛りは緩く、話者が「今・ここ」present realityを感じることに使うと考えます。

 主観的というのは、実際に述べることが事実factかどうかにも関係なく、話者の心的態度として「今・ここ」と感じることに使うということです。つまり客観的に見て事実であることを述べる必要はないということになります。

 

 あともう一点、未来に対しては断定できない内容なので法助動詞を用いることが多くなるとことです。上記の論文では「推量」という語を使っていますが、「想い」を表す表現と考え根源的用法と認識的用法を広く含むと考えてもいいと思います。とくにwillについては、認識的用法は「確実性」ということと、未来標識はその漂白化したもので「未確定」であり前提条件を満たした結果として使うことが相応しいことがポイントになります。

 

 実際に使われている言語事実を集めて検証していきしょう。以下の用例はアニメで使われているものから採りました。

 

4) When it rains, this field just becomes mud.

                    -――Peppa Learns Dance

  「雨が降ったら、地面がいい感じのぬかるみになるね。」

 

5)It’s true. Cows sit down when it is going to rain.

          ―-―Ben and Holly’s Little King Kingdom | Cows

  「本当よ。牛たちは、雨が降りそうになると、横になるのよ。」

 

6)I’m sorry. Cows never get up when it’s raining.

  「気の毒だけど、牛たちは雨が降っているときは、決して起き上がらないの。」

           ―-―Ben and Holly’s Little King Kingdom | Cows

 

 用例4は、雨が降れば地面がぬれるという一般的なことを言っています。when節中では「いま・ここ」で雨が降ったらということを述べています。無標の現在時制は時間にとらわれることなく現実になるという前提条件に適します。事実として降っているかどうかも関係ありません。事実であろうとなかろうと広く使用できるので、これを学習文法では解放条件と呼ぶことがあります。

 これに対して、過去時制は、「いま・ここ」から距離をおいたことを示します。「いま」という時間からの隔たりとしての過去の事実、あるいは「ここ」という空間的な隔たりとして「非現実」であると認識していることを表すのです。過去形は-edがついた有標の形なので、現実か非現実かを客観的に判断できるときに使用すると言えます。

 つまり現在形は、「いま・ここ」で現実になったらいう主観的な判断で広く使える形ということです。客観的に雨が降りそうもない状況で、そのことをを認識していることを示したいなら過去時制を選択してもいいのです。いわゆる「仮定法」は客観的な事実認識ができている場合に使うわけです。

 

 用例2は、雨が降りそうになったら牛は横になるという民間伝承に基づいています。要するに天候が変わる予兆です。だからまだ雨が降っていないけれども、降りそうなことを含意するis going toが選択されています。

 仮に、ここで現在時制にしてしまうと、現実に雨が降ってから牛が横になるという意味になり、伝承に基づく内容とは異なってしまいます。だから、この文脈に相応しい型として「未定」でこれから確実に起こることを含意するis going toが適するわけです。

 

 用例3は、民間伝承を信じていなかったOld Wise Elfが、横になった牛の下敷きになった場面です。そのときに声をかけたセリフです。雨が降っている間は起きあがらないという牛の習性に基づいて言っています。is rainingは今まさに雨が降っているという意味なので、この場面に相応しい表現として選択しています。

 

 時を表すwhen節中では、雨が実際に降ればという解放条件では単純現在形rains(用例4)を選択し、雨が降りそうなときにはis going to rain(用例5)を選択し 雨が降っているときにはis raining(用例6)を選択して、それぞれ使います。時timeと時制tenseが一致するという伝統文法の見方を離れて、記述文法の法・時制の体系に基づいて選択すれば、時を表す節だからと特別扱いする必要はないと思います。

 

 willは前提条件として「現実に起きたら」という文脈では、用法が合わないので使いません。しかし、「意思」「確実に起こるという見込み」と他に「結果として確実に起こる」という場合は条件節でも使います。

 

7) “If that will make you happy, then OK.”

    「もし、そうすることでみんなが幸せになるんなら、それでいい?」

 

 この用例は、ジョン・レノンが、宗教上のことで失言をしてしまい、1966年に釈明会見をした際に使った表現です。失言を訂正することが前提で、その結果としてみんなが幸せになるのなら、という意味でwillを選択して使っています。

 仮にwill makeをmakesに替えると、「(前提条件として先に)みんながしあわせになったら」謝罪するということになってしまいます。

 

 このように、if節中でwillを使うと、その内容は、前提条件ではなくて結果としてという意味になる場合があるのです。

 

8)MarillaIf we decide not to keep Anne, I’ll send her over tomorrow.”

     Anne“Can I really stay at Green Gables?”

     Marilla“We decide tonight. You might go to Mrs.Blewett.”

     AnneI’ll be anything you want if you will keep me.”

                            『Anne of Green Gables』

   マリラ「もし、わたしたちがアンを引き取ると決めなかったら、明日この子を送り

     届けます。」

  アン「わたしは、本当にグリーンゲーブルズにいられるの?」

 マリラ「今夜決めるわ。ブルーウェットさんのところへ行くことになるかも。」

  アン「わたし、あなたの望むような子になるわ。もしわたしを引き取ってくれる

     ことになるのなら。」

 

 孤児になったアンの引き取り先を決めようとしている話です。

まず、最初のマリラのセリフは、引き取り先にするか考慮中のブルーウェットさんに対して言っています。if節中は、前提条件になるので、decideという現在形を使っています。マリラたちがアンを引き取らないということが決まれば、結果としてブルーウェットさんのところへ送り届けることになるのです。if節中は前提条件だから現在時制を選択し、主節は前提条件が満たされたときに結果としてそうすることになるからwill sendを選択して使っています

 

  最後のアンのセリフでは、if節中にwillを使っています。つまり、結果として引き取ってくれることが確実になるのならということを含意します。引き取るということを前提条件にしないでも、どんな子にでもなると言っているのです。

 実際にマリラは、アンに対して引き取るとは言わずに様子を見ます。アンは引き取ってもらえるかどうか不安を抱えながらも、いい子でいようと家の用事を頑張ってこなします。その後の顛末では、if節中にあった「このままアンを通り引き取る」という彼女の望みは結果として実現することになります。

 

   if節中が現在時制で、主節がwillなら、if節中のことが先に満たされ後に、その結果として主節で述べたことが起きるという順に推移することになります。「現実にある」ことを示す現在時制と「結果として起こることになる」willはそのコアに従って使われているということです。

 それに対して主節をwillにする場合でも、if節中でwillを使うと未実現を含意する「意思」「確実であるという見込み」「結果として確実に起こる」という別の文脈になります。このとき「(未実現でも)そうする意思がある」「(未実現でも)見込みとして確実とわかる」というのは前提条件にはなります。しかし「結果として」という意味に使うとif節中のことは前提ではなくなり、主節のことが先に起こるということがあり得るわけです。

 

 言葉は規則に従って機械的に使うものではありません。伝えたいことを表すのに適する表現を選択して使います。選択の基準を示すのが学習文法の在り方です。そのとき、特殊な現象を説明するよりも、一貫した原理で体系的に説明する方が効率が良いことは言うもでもないでしょう。

 ここで紹介した法・時制体系は見方の1つに過ぎません。学習文法は、学習者が生きた表現を獲得していくためのツールです。文法は学習者が自分で育ていけばよく、活きた表現に出会って上書きすれば、それが最善なのだと思います。

 

   最後に、もう1例、どうしてその動詞形が選択されたかを感じてみてください。

 

9)Remember papa please. If we forget him, he’ll be gone forever.

                        ――『Remember Me』

  「お願い、パパのこと思いだして。みんなが忘れてしまったら、おじいちゃんは

  永遠に消えてしまうんだ。」