中華文明最古の神話にある三皇五帝の一人、黄帝は日本人の祖先であった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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三皇五帝(さんこうごてい)という言葉があるが、これは中華文明最古の神話・伝説の時代における8人の帝王のことである。諸説あるが、伏羲が最初の帝、天皇(てんこう)とされ、その後に黄帝や堯帝が続く。

最初の伏羲は考古学的には解明されていない伝説上の始祖神であるが、縄文時代の日本列島から中国大陸に移住した日本人の祖先の縄文人(Y-DNAハプログループD)であると古史古伝の一つ宮下文書の中の徐福が著した支那震旦国皇代暦記に書かれている。

これに対し、最近、黄帝に関連すると見られている約4000年前の陝西省の石峁(シーマオ)遺跡が発掘され、出土資料から日本人の祖先(縄文人と同族)が生活していたことが証明された。すなわち、黄帝も日本人の祖先であったことになる。そして、彼らは時代が下って殷につながり、次いで日本列島に渡来して来たのであった。

堯帝については、今後の考古学的発見が待たれる。


注1:

殷王朝の前の夏王朝は揚子江中下流域の水稲稲作農民の王朝であり、日本列島に最初に水稲稲作をもたらした弥生人(Y-DNAハプログループO2)になると推測される(参考)。


注2:

漢民族(Y-DNAハプログループO3)は殷王朝の次の周王朝から中国大陸の中原に姿を現したのであった(参考)。


注3:

黄帝(こうてい、コトバンクより)


中国,古代伝説中の帝王。姓は公孫,名は軒轅であるといわれる。諸侯を攻める炎帝を阪泉(河北涿鹿(たくろく)県北西)にやぶり,反乱を起こした蚩尤(しゆう)を涿鹿で殺し,帝位につく。四方を平定し,天地自然の運行を調和させ,養蚕・衣服・舟運・牛馬車・文字・喪制・音律・医学など,すなわち人類文化を創造したと言われる。戦国時代の老荘学派の始祖ともされる。伝説中の帝王であることは言うまでもないが,戦国時代の斉国の青銅器銘文では,黄帝を高祖と呼んでいるから,東方地域の人びとの間には,黄帝を始祖とする伝承があったことは明らかである。

---- 戦国時代の東方の地域(東夷)の人々は日本語を喋っていた(参考)。


参考

① 『黄帝と堯帝は実在した ―その遺跡と伝説』出版されました!!

yukiotokoのブログ(2019.11.5、参考)


渡辺義一郎編著 出版されました!!
CAアーカイブ出版 電子ブック226㌻ 1,342円 

【紙本】A5変形版 224㌻ 2,180円

黄帝(こうてい)も堯帝(ぎょうてい)も古代中国の伝説の皇帝といわれてきた。三皇五帝(さんこうごてい)という言葉があるが、これは中国最古の神話伝説の時代に8人の帝王を現わした言い方である。誰が最初の帝王だったかは諸説がある。黄帝は三皇の中の3番目で、五帝の中の1番目とか3番目といわれている。堯帝は中国で4番目の皇帝という説が多く、2番目とか5番目という説もある。

黄帝は4600年以上も昔の人といわれる。そして古中華民族連盟の首領である。堯帝は、約4千年前の人で古唐国(今の山西省臨汾市)の人。中国上古時代の集落連盟の首領で後に皇帝となる。

本書はこの黄帝と堯帝について最新の情報を紹介するものである。黄帝は伝説の人と考えられていたが、陝西省北部で大きな遺跡が発見され、それが黄帝とその一族に関連したものであることが判ってきた。しかもその民族は北方にいた“狄・てき”につながることも見えだした。

黄帝とその一族の活動していた時代は4千年以上も前であるが、出土文物を見るとその文化はかなり質の高いものであり、石造りの高度な城を築いていた。当然、近隣諸国(大集落)との交流があり、そこにはシルクロードならぬ最早の“北域道”や“西域道”ができていたのである。

堯帝についても同じことがいえ、その最初に封じられた領地であった陶寺遺跡からは、甲骨文字以前の文字が発見され、また天文観測遺跡が発掘され冬至、夏至を見定め、暦を作っていたであろうことが分かってきた。

この文化はまたほぼ同時に進行していた黄帝とその一族の文化とともに、中国最古の王朝である夏(か)につながっていったといわれている。

黄帝も堯帝も伝説だけでなく、古典籍の中に多くの記述と関連資料があり、また伝説も多い。そして黄帝に関わる陝西省の石峁(シーマオ)遺跡と、堯帝ゆかりの地といわれる山西省陶寺遺跡が発掘されている。

本書では、古典籍と伝説と遺跡の三つの情報を紹介しながら、黄帝と堯帝という伝説の二人の皇帝の時代が、実在したことを多くの資料によって解き明かすものである

注: 北狄と呼ばれた民族は黄帝の一族や殷人の末裔で日本語を喋っていた(参考)


②  陜西省の石峁(シーマオ)遺跡の住民は日本人の祖先(縄文人)だった(参考)

③ 日本語の起源(参考)

④  日本人(縄文人)と同族の殷人は滅びることなく日本列島に渡って来た(参考)

⑤  中華文明の始祖神の伏羲は縄文人であり、天皇家のルーツかもしれない(参考)