縄文の耳飾りは渡来品か! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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日本列島が縄文時代であった頃、縄文人は東アジアに広く活躍していた。

例えば3600年前からの殷は漢字の元となる甲骨文字を発明したが、殷人は縄文人と同族で原日本語を喋り、同じ趣味、例えば漆や宝貝の文化を発達させていた。

だから、縄文時代の中国大陸と日本列島の間には交流があり、漆や宝貝の他にも、大陸の物が日本列島から出土してもおかしくない。

中華4000年の歴史と言っても縄文人と同族の人々によるものであり、現在の漢民族の祖先については高々3000年程度の歴史しか無かった。


参考

①-1 縄文の耳飾りは渡来品か 群馬・下鎌田遺跡

共同通信(2020.6.9、参考)

縄文時代の装飾品「☆(王ヘンに決のツクリ)状耳飾」(群馬県下仁田町提供)

群馬県下仁田町は9日、同町の下鎌田遺跡から出土した縄文時代の装飾品「☆(けつ)状耳飾」の成分を分析した結果、透閃石を主成分とするネフライト製だと発表した。町によると、当時の日本では確認されていない鉱物で、中国や朝鮮半島からの渡来品の可能性があるという。 

耳飾りは直径約11.5ミリの半円形で、1987~90年の調査の際に出土した。昨年12月に蛍光エックス線分析をした結果、成分が判明した。同様の耳飾りは福井県あわら市の桑野遺跡でも発見されている。 ☆は王ヘンに決のツクリ


①-2 国内にない材質 中国や朝鮮から渡来か 下仁田・下鎌田遺跡で出土 7000年前の縄文時代耳飾り

上毛新聞社(2020.6.10、参考)

渡来品である可能性が判明した縄文時代の装飾品「●状耳飾」

1987~90年に群馬県下仁田町馬山の下鎌田遺跡から出土した約7000年前の装飾品「●状耳飾(けつじょうみみかざり)」について、下仁田町は9日、中国や朝鮮半島からの渡来品の可能性があると発表した。主成分をX線で解析し、日本国内にはない材質と判明した。縄文時代の渡来品が科学的に証明されるのは国内でも珍しいという。町は、縄文時代にアジア大陸と何らかの交流があった可能性を示す貴重な資料だとしている。

◎ネフライト製 「外国産判明 初の可能性」

耳飾りは乳白色で、直径約11.5ミリの半円形。1987~90年に同遺跡から出土し、同町下小坂の町歴史館に展示されている。昨年12月に台湾の中央研究院の飯塚義之研究技師が同館に来館し、蛍光X線分析をした結果、耳飾りがマグネシウムと鉄を含む「透閃石(とうせんせき)」を主成分とする鉱物「ネフライト」製と判明した。

会見で研究成果を説明する町自然史館の中村由克館長

飯塚技師と共同で研究に携わった町自然史館の中村由克館長(明治大黒耀石研究センター・客員研究員)は、「『●状耳飾』は国内でこれまで出土した他の耳飾りに比べ、ネフライト中の鉄の含有量がとても少ない」と説明。こうした材質は東アジアに産地があり、中国や朝鮮半島から渡来してきた可能性があるとしている。

その上で、中村氏は「国内でこれまで発掘された耳飾りのうち、外国産と判明したのは今回が初の可能性がある」と指摘。今後は福井県あわら市の桑野遺跡で発見された同様の耳飾りなど、他の遺跡の出土品の調査も進め、縄文時代の日本とアジアとの関連性を研究していく方針。

群馬県立歴史博物館の右島和夫特別館長によると、土器や石器の製作技術の分析といった考古学研究から、7000年ほど前の日本に大陸との交流があった可能性は以前から指摘されていたという。「(今回は)自然科学的なアプローチで裏付けられたなら興味深い。今後の研究の展開に期待したい」と評価した。

考古学のうち玉文化について50年以上研究する日本玉文化学会の藤田富士夫会長(敬和学園大客員研究員)は「日本列島での出土品に渡来品がある可能性があるとは思っていたが、今回の発表でその可能性が高まった。画期的な成果であり、興奮している」と話した。

※●は王へんに「決」のつくり。


② 殷は縄文時代の日本から漆の文化を受け入れていた(参考)

 

『中国の古代国家の殷は縄文時代の日本から漆の文化を受け入れていた!』漆も漆器も漆工芸も縄文時代の日本から中国大陸に伝わったようだ。縄文時代と同じ年代の中国大陸には縄文人の同族が生活し、歴史を下ると殷、宋、秦を経由して再度、日本…リンク日本の歴史と日本人のルーツ 



③ 殷(商)人は日本の縄文人と同じ趣味を持っていた(宝貝の文化、参考)

 

『殷(商)人は日本の縄文人と同じ趣味を持っていた』中国大陸では、殷、周の時代から、貝、特にタカラガイを貨幣として使っていたことが知られている。貨幣に関する漢字に貝が付属するのは、その為である。そのタカラガイは…リンク日本の歴史と日本人のルーツ 



④ 日本語の起源(参考)


原日本語は日本列島の他、東アジアで広く喋られていた。

 

『日本語の起源』日本語は他によく似た近縁の言語が無く、どの語族にも属していない孤立した言語であると言われている。wikiに日本語の起源について多くの説が紹介されているが、どの…リンク日本の歴史と日本人のルーツ 



⑤ 漢字の元となった甲骨文字を発明した殷人は縄文人と同族であり、時代を降って唐の時代頃までに日本列島に渡来してきた(参考)

 

『殷人の末裔は滅びることなく日本列島に渡って来た』日本列島の旧石器時代から縄文時代の民、すなわち縄文人は東アジアの大陸にも居住したが、この民は漢字のルーツである甲骨文字を発明した殷民族であり、古代の日本語を喋…リンク日本の歴史と日本人のルーツ 



⑥ 徐福が書いたと言われる「支那震旦國皇代暦記」によると、縄文人が東アジア全域に広がって、中華文明の始祖神の伏羲になった(参考)

 

『徐福が書いたと言われる「支那震旦國皇代歴記」の重要性の指摘』秦、新羅、百済、高句麗は原日本語を喋った同族である(参考)。春秋戦国時代の秦、羌族、斉なども同族である(参考)。漢民族は3000年前に中原に侵入してきた(参考…リンク日本の歴史と日本人のルーツ 



⑦ 日本語の起源と契丹古伝(参考)


契丹古伝によると、契丹民族のルーツは東アジア全域に広がって活躍しており、日本列島の縄文人とも同族であった。中国大陸の争いの歴史、例えば春秋戦国時代は縄文人の同族の人々と侵入して来た漢民族との争いであった。

 

『日本語の起源と契丹古伝』日本語の起源について、DNA分析などによる科学的な日本人のルーツの考察を基にして検討を行なってきた。そして、かつて東アジアに広く分布し、春秋戦国時代に活躍した…リンク日本の歴史と日本人のルーツ 



⑧ 漢民族の祖先は3000年前に黄河流域の中原に侵入し出来た(参考)

 

『漢民族の祖先は3000年前に黄河流域の中原に侵入して来た』秦の始皇帝が中国大陸に初めての統一帝国を樹立する前の多くの国々が互いに争いあっていた春秋戦国時代の一時点、春秋時代、紀元前500年での漢民族のルーツ周と同族グ…リンク日本の歴史と日本人のルーツ 



⑨ 3800年前の縄文人は大陸にも生活していた!(参考)

 

『3800年前の縄文人は大陸にも生活していた!』国立科学博物館などのグループにより、北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘されたおよそ3800年前の縄文人の女性の臼歯から核DNAを抽出して詳しく分析出来たと報告があ…リンク日本の歴史と日本人のルーツ 

 


10 中国大陸の新石器時代は縄文文化だった!(参考)

 

『中国大陸の新石器時代は縄文文化だった!』著者は、12000年前頃から始まった日本の縄文時代は内陸の狩猟採集民の縄文人(D2)と漁労民の海人族安曇氏(C1)によると想定しており(参考)、日本列島が大陸…リンク日本の歴史と日本人のルーツ 



11 4000年前の中国大陸の遺跡の住人は日本民族の先祖かも知れない(参考)

 

『4000年前の中国大陸の遺跡の住人は日本民族の先祖かも知れない』赤印: 陝西省楡林市神木県「石峁遺跡」陝西省楡林市神木県の石峁遺跡の考古調査隊は1万点以上の各種器物の中から、今から約4000年前(日本では縄文時代)の重要な…リンク日本の歴史と日本人のルーツ